第82話『凍てつく眼差し』
「あの大きい山の向こう……あそこに、リリアお姉ちゃんの反応があるよ!」
ニニィが、万年雪が積もる険しい山影を力強く指さす。北極圏特有の冷徹な風が吹き抜ける中、一行が目的地を見据えたその時だった。
「助けて! 誰か、来て……!!」
街から、不穏な叫び声が聞こえる。駆け出したキールたちの視界に飛び込んできたのは、あまりに凄惨な光景。軒先を連ねる露店は無残に破壊され、その瓦礫の中で一人の男が立ち尽くしていた。それはキールたちにとって兄のような頼もしい存在、サイラス。彼は血走った瞳を剥き出しにし、逃げ遅れた女性の首を無慈悲に締め上げている。
「サイラスさん、やめてください!」
間一髪のところでキールが飛び出した水を瞬時に凝縮させ、激しい奔流へと変えて放つ。凄まじい水圧がサイラスの体を捉え、女性から引き剥がし、数メートル先の壁に思い切り衝突した。
「……大丈夫ですか!?」
キールが咄嗟に女性に手を差し伸べる。だが、救われたはずの女性の瞳に宿っていたのは、感謝ではなく、底知れぬ恐怖の色だった。
「……バ、化け物……! こっちに来ないで!!」
女性は震える手でキールを拒絶すると、転がるようにしてその場から逃げ去っていく。周囲にはいつの間にか野次馬が集まり始めていた。彼らはキールの操る「水」と、立ち上がるサイラスの姿を、恐怖と混乱が混じった視線で見つめている。
「お前ら、全員処分だ.......」
サイラスが呟きながら、再び襲いかかってきた。キールは振りかざされた拳を避ける。サイラスの拳はそのままコンクリートの地面に直撃し、地面を粉々に粉砕する。キールは水の刃を作り出し、構えて牽制を試みた。
「サイラスさん、僕です! キーレストです!!」
キールの叫びに、今のサイラスはまるで聞く耳を持っていなかった。サイラスの猛攻に戦いが激しさを増していく。群衆の悲鳴は大きくなり、至る所でスマートフォンのカメラがこちらへ向けられ始めた。
その時、バルドが強引に割り込み、キールの肩を強く掴み取る。
「レスト、一旦引け! ここで暴れりゃ奴らの思うツボだ。……サイラスは、俺たちを公衆の面前に引きずりあぶり出すための罠だ!」
バルドの指摘通り、街の人々の視線において、暴漢であるサイラスと、それを止めようとするキールはもはや同類だった。彼らにとって、目の前で起きているのは理解不能な怪物同士の殺し合いに過ぎない。
「でも、このままじゃ……!」
混迷を極める現場に、ノイズの入った少女の凛とした声が響き渡った。
「みなさん!! ここから下がってください!!」
声を上げたのはニニィだった。隣ではワイスが低く唸り、ニニィの決意に応えるように鋭く足を踏み出す。ニニィは呆然とするキールとバルドを見て、弾んだ声で言い放った。
「二人とも、ここは私たちに任せて! 目立っても大丈夫だから!」
「ニニィたちが目立っていいわけ……」
慌てて止めようとするキールだったが、ニニィは頼もしい笑顔を彼に向ける。
「ロボットと犬だよ? 誰も、UMHだなんて思わないよ。それに、二人は早くリリアお姉ちゃんを助けに行って!! サイラスさんを助けたらすぐ向かうから!!」
その言葉に、キールとバルドがニニィたちに託すようにゆっくりと立ち上がる。
「ニニィ、ありがとう。リリアさんを必ず!!」
「サイラスの野郎を頼んだぞ。ぶん殴って、目を覚まさせてやってくれ!」
ニニィとワイスの小さな背中はとても頼もしく、犬とロボットにはまるで見えなかった。
「ワン!!」
「任せて!!」
キールとバルドは人混みの中を駆け抜けて、山の方角へと駆け出す。残された群衆は未だ事態を飲み込めないまま、震える手でスマートフォンをサイラスに向けていた。血走った目でキールたちの背を追おうとするサイラスの前に、ニニィが敢然と立ちはだかる。
「サイラスさん!! ここは一歩も通さないから!」
ニニィは胸に秘めた熱い決意を動力へと変え、街中に響き渡るような音量で、パトライトを思わせる警告音を鳴り響かせた。
「警告です! ここは危険です! 直ちに下がってください!!」
その堂々たる振る舞いは、怯える民衆を遠ざけようとする。
野次馬たちが警告に押されるように後退し始めた。
突如として、サイラスが弾かれたようにニニィへ襲い掛かる。
「ブリキ人形が調子に乗るな!!」
ニニィは反射的に自らの体を複数のパーツに分離させ、その猛攻を紙一重で回避する。しかし、サイラスの追撃は予測を超えた速さだった。
ニニィの胴体に、鋼鉄のような皮膚のサイラスの拳が容赦なくめり込む。ニニィは、凄まじい衝撃に吹き飛ばされてしまう。なんとか、体勢を持ち堪えようとするが何度も、何度も振り下ろされるサイラスの硬質なパンチに、ニニィは防戦一方に追い込まれて、体を庇うように縮める。
(このままじゃ、ボディが壊れちゃう!)
ヘイスが修理してくれたばかりの装甲が、悲鳴を上げ、ひび割れていく。破壊の瞬間が迫ったその時、獣の咆哮が空気を震わせた。ウルフスタイルへと姿を変え、巨大化したワイスが、弾丸のような速さでサイラスに突進した。
「ガウッ!!」
強烈な体当たりを受け、サイラスの巨体が宙に浮く。しかし、彼は空中でありえないほど鮮やかに体を捻り、衝撃をいなしながら平然と地面に着地してしまう。
「しつこい犬とブリキだ」
ニニィは何とか立ち上がり、心配そうに頬を寄せてくるワイスの温もりに触れる。
「ありがとう、ワイス。……このままじゃ街の人たちに被害が出ちゃう。ワイス、サイラスさんを街の外へ連れ出すよ!」
ワイスの力強い吠え声が響く。
「ガウッ!!!」
ニニィは再び自らの体を分解させると、各パーツのアームを等間隔に配置。まばゆい光の鉄格子を形成し、サイラスを閉じ込めようと試みた。しかし、サイラスは逃げ場を塞がれる前に、分離したニニィのパーツを一つずつ確実に破壊しようと狙いを定める。
「させない!」
ニニィは咄嗟に判断し、唯一残された頭部のパーツを弾丸のように射出し、サイラスの顔面へ叩きつけてその視界と動きを封じる。
ガンッ!!
強烈な衝突音と共にサイラスはびくともしないが、一瞬の隙を作ることができた。そのわずかな隙を見逃さず、ワイスが「ホークスタイル」へと変身を遂げる。巨大な鷹となったワイスは、その鋭い鉤爪でニニィのパーツを掴み取り、光の格子が一気に空高くへと舞い上がった。
「何をしやがる!! ここから出せ!!」
サイラスは檻の中から光の格子を力任せに破壊しようと暴れるが、特殊な光の障壁はビクともしない。ワイスとニニィは高く飛び上がり、素早く空を飛んだ先にニニィはある場所を見つける。
「ワイス! ここで降ろして!」
眼下に広がる深い緑の森と、鏡のような湖面。ワイスはその上空で、サイラスを閉じ込めた光の檻を解き放った。
「くそっ……!!」
檻は徐々に湖の中へと沈んでいく。地面に着地したワイスと頭部だけ浮いているニニィ。二人は檻を見つめて、ニニィが祈るような想いで呟いた。
「これで、サイラスさんが目覚めてくれればいいんだけど……」
檻が完全に湖に沈み、静寂が訪れる。しかし、その淡い希望は一瞬で打ち砕かれた。湖面が爆発したように跳ね上がり、サイラスが飛び出してきた。ニニィは目を見開いて絶句する。水の中に入ったことで光の屈折が生じ、格子の強度が一時的に損なわれてしまったのだ。
「そんな……!!」
異変に気付いたワイスが急いで元の姿に戻り、ニニィのもとへ駆け寄ろうとする。しかし、ニニィはあまりの速さのサイラスに対応することができなかった。
「ぶち壊してやる!!」
ニニィの頭部パーツを無慈悲に掴み、ありったけの力で岩肌へと叩きつけた。顔にヒビが入り、回路が機能しなくなったのか、ニニィの意識が薄れ始める。
意識が遠のく中で、ニニィの中で、懐かしい声が響いた。
『俺はニニィのことずっと待ち続けるから!!』
それは、まだニニィが人間の頃だったころの記憶。自分の名前を呼ぶ男の子の声だった。声はまるで、はるか遠い記憶に感じられるほどにおぼろげで鮮明だった。




