第81話『スノー・ワールドエッジ』
世界に向けてUMHの存在が宣言された翌日。街は何事もなかったかのように動いていたが、人々の会話だけが明らかに変わっていた。
放課後の駅前。
制服姿の女子高生たちは、スマートフォンを見みながら、声を潜めることもなく噂話に花を咲かせていた。
「ねえ、昨日のニュース見た? UMHってさ、都市伝説じゃなかったんだって」
「やばくない? 人が能力持ってるとか、普通に漫画じゃん」
「でもさ、イギリスの事件、UMHが殺されたって……本当なら可哀想じゃない?」
「それより怖くない? 隣のクラスにいたりしたらどうする?」
冗談めかした笑い声の裏で、誰かが無意識に一歩、距離を取る。
住宅街では、テレビをつけたままご飯の支度をする夫婦が、画面に映る国際ニュースを見つめていた。
テロップには、レアマシーとフルアの国名、軍事行動、報復という文字が並んでいる。
「……本当に戦争になるのかしら」
妻が不安げに呟くと、夫は黙ったまま腕を組んだ。
「フルアは本気だろ。UMHや人体実験を理由にしてるが……結局は力の誇示だ」
「でも、巻き込まれるのはいつも一般人よ」
子ども部屋の方をちらりと見て、二人はそれ以上言葉を続けられなかった。
一方、別の国の議会では、重苦しい空気の中、政治家たちが円卓を囲んでいた。議題はすでに一つに絞られている。
「アウローラの存在を、我々はなぜ今まで知らなかったのだ?」
「イオラ・ガイリシャが黒幕だというフルアの発表に、どこまでの信憑性がある?」
「問題はそこじゃない。UMHが本当にいるならば……」
誰かがそう口にすると、沈黙が落ちる。
「管理するのか、隔離するのか、それとも兵器として扱うのか」
その言葉に、誰も即答できなかった。
SNSでは、恐怖と正義と憎しみが入り混じった言葉が洪水のように溢れていた。
UMHを助けるべきとの声や危険だから排除すべきだという声が、同じ画面に並ぶ。
真実を知ったはずなのに、人々はそれぞれ都合のいい物語を掴もうとしていた。
こうして世界は、UMHという存在を前に、静かに、しかし確実に分断されていく。
戦争と混乱が徐々に近づいているのを、誰もが気づいていた。
世界そのものの在り方が、今、書き換えられようとしている。
海に浮かぶ、ある孤島。その一角で、静寂を切り裂くような怒号が響き渡った。
「フルアにクローンがないだと!? どういうことだ!!」
モロスの顔は怒りに歪み、その眼光は目の前で跪くクロノスを射貫いていた。クロノスは冷や汗を流しながら、深く頭を下げる。
「申し訳ございません。まさか、オーリアがクローンの製造記録を偽造し、裏で我々を欺いていたとは……」
「あの下等種族が……ッ!!」
モロスは怒りのあまり地団駄を踏み、激しい音を立てていた。
「オリチームが少なくなり、作ったUMHでクローンを作ることを任せたらこのザマか! だから誰も信用できんのだ! どいつもこいつも……!」
怒りに任せて頭を掻きむしり、収まりのつかない感情を吐き捨てるようにクロノスを睨みつける。その瞳には、もはや部下への信頼など欠片も残っていなかった。
「ゴミばかりだ。使えんクズ共め。……いいか、戦争は引き金にする。だが、あいつらも嗅ぎ回っている以上、もう猶予はない。すぐに『あれ』を起動させるぞ」
「しかし……!」
クロノスが慌てて言葉を挟む。
「あれは世界中が戦争に突入し、混乱が極致に達した後に使う予定だったはず。今使ってしまえば、今までの準備が水の泡になる可能性も――」
モロスの手の中にキールとバルドがモニターで見た、まがまがしく光り黒く輝く石が現れる。
「これを動力にして動かす。そして、私自身も……。クローンという手駒を失ったのは、確かに痛手だ。だが、仕方ない。使えるものは何でも使う。それが、私のやり方だ」
モロスはクロノスの肩に手を置く。その手は温もりなど微塵も感じさせないほど冷え切っていた。
「いいか。お前たちは、所詮は便利な駒に過ぎないんだよ。わかっているな?」
「仰せの通りに……」
クロノスは逆らえぬ威圧感に息を呑み、力なく頷く。
モロスは満足げに手を離すと、窓の外に広がる荒れた海を見据えた。
「それに、こちらにはリリアがいる。あいつの能力さえ手中にあれば、世界中のUMHを掌握できる。だからこそ、あいつだけは何が何でも奪わせるな。死守しろ」
クロノスはモロスの命令を果たすべく動き出しながら、低く呟いた。
「あんな約束さえしなければ、今頃こんなことには……」
モロスの目にはどす黒い何かが溢れかえっていた。
「すべて一人で……。使えんゴミ共と、使い捨ての駒だけを並べて、ここまで這い上がってきたんだ。今更、誰にも邪魔はさせん」
モロスの言葉が、闇の中に溶けていく。失敗は許されない。その狂気じみた決意が、世界を飲み込む新たな嵐を呼ぼうとしていた。
ノルウェーを目指し、空を切り裂いて進む機内。キールは意を決したように立ち上がると、エノクのそばへと歩み寄った。
「エノクさん。これ……よかったら、戦争を止めるため、それからイオラさんのために役立ててください」
キールが差し出したのは、一本のUSBメモリだった。それは、バルドの父・オーリアから預かったパンドラの箱。ハールメス・コープとフルア、そして影で糸を引くモロスとの間で交わされた、「真実のやり取り」が記録された禁断のデータ。
「これがあれば、少しは状況が良くなるかもしれません。悪事の証拠になれば、戦争の抑止力に……」
エノクはUSBに受け取ると、傍らに浮遊する金属球に接続し、即座にデータの解析を開始した。流れるログを追っていたエノクの瞳が、大きく見開かれる。
「ジグルドさん! 見てください。人体実験のデータにモロスとフルア、ハールメス・コープとの決定的な繋がりを示す証拠です!」
報告を受けたジグルドが歩み寄り、表示されたデータを確認して重々しく頷いた。ジグルドはキールに向き直ると、その肩に大きな手を置き、真摯な声で感謝を伝える。
「何から何まで、ありがとうキーレスト君。これがあれば、イオラを救い出すための大きな足掛かりになる。それに、戦争を止めるための時間も稼げるはずだ」
ジグルドの言葉に、キールはゆっくりと首を振り、柔らかな笑みを浮かべた。
「そう言っていただけて嬉しいです。でも、これは僕の力じゃありません。全部、バルドさんのおかげですから」
キールが視線を向けた先では、バルドが窓の外を見つめ、遠ざかる空を眺めていた。
「親父が最後に遺した、ちっぽけな抗いと贖罪だよ。俺は何もしてない」
バルドの言葉は、オーリアに届いたのだろうか。一本のUSBに込められた過去の真実が、今、未来を切り拓くための強力な武器へと変わった瞬間だった。
バルドは立ち上がり、キールと目を合わせる。
「サイラスの野郎も助けないとな。リリアが操っていたから一緒にいるはずだが……」
キールがゆっくり頷いた時、ニニィがそっとキールの袖を引っ張った。
「キールお兄ちゃん、あのね……言うの忘れてたの」
ニニィの弱弱しい声に、キールは彼女と同じ目線になるようその場にしゃがみ込む。ニニィの瞳は、思い出すのも痛ましい記憶を辿るように揺れていた。
「研究所に入ったときね、制服を着た女の人が氷に囚われてて、血を流していたの」
「フリムさん!」
キールは血相を変え、身を乗り出すようにして聞いた。
「ニニィ、彼女はどうなったの? 容体は……」
「氷から出して、研究所の外まで連れて病院に行こうとしたんだけど、『止血はできるから大丈夫』って。それで、あたしをキールお兄ちゃんのところに行かせてくれたの」
それを聞いたキールは、全身の力が抜けて安堵の息を漏らす。
「フリムさん、生きていたんだ。よかった……」
安心するキールの手を、ニニィがぎゅっと握りしめる。
「それでね、伝言があるの。『クロノスの目は時間を止める。視界に入らないよう気をつけて』……だって」
その言葉を聞いた瞬間、キールとバルドの視線が重なった。かつてクロノスと刃を交えた際に感じた、あの得体の知れない違和感。瞬間的に消え、こちらの動きが一切通用しなかったあの絶望的な速度。その正体が、物理的な速さではなく「時の静止」であったことが今、証明された。
バルドの口が、挑戦的な笑みに歪む。
「なるほどな。だから、目が黄色になってたのか。種が分かれば、対処のしようはある。難攻不落ってわけじゃねえ」
キールは力強く頷くと、隣で見守っていたエノクに頼み込んだ。
「エノクさん、一つお願いがあります。もしかしたら、ノックスの部隊が先に遭遇するかもしれない……フリムさんという、制服を着た長身で猫目の女性がいます。もし彼女を見つけたら、どうか助けてあげてもらえませんか?」
エノクはキールの真っ直ぐな願いを受け止め、慈しむような笑顔で深く頷く。
「わかりました。その女性の保護は、僕たちが責任を持って引き受けます」
ヘイスの透き通った声が、機内に響き渡った。
「みんな、ノルウェーに着いたよ!!」
ステルスジェットが周囲の景色に溶け込むようにして、深い森の影へと音もなく着陸する。ハッチが開くと同時に、北の大地の凍てつくような空気が流れ込んできた。
ワイスが軽やかに飛び出し、続いてニニィ、バルド、そしてキールがその地を踏みしめる。
キールは振り返ると、ヘイスが少し寂しそうに、けれど決意の宿った瞳で見つめた。
「キール君、私は……戦場ではたぶん邪魔になっちゃうからエノク君たちと一緒に、イオラさんの救出に回るね」
キールは力強く頷いた。
「お願いします。イオラさんを必ず……」
ジグルドとエノク、そしてヘイスと別れの言葉を交わし、キールたちは深い霧に覆われた遠くに見える街に視線を向けた。
そこは、北極圏の街・ナルヴィク。五月を迎えているはずだが、周囲を取り囲む険しい山々には、今なお分厚い雪が光を放っている。朝を迎えた街が見える場所まで降りてくると、肌を刺すような冷たい風が吹き抜け、五月とは思えない厳しい寒さが一行を包み込んだ。
吐き出す息が白く染まる。雪の残る静寂の街。そのどこかに、リリアがいる。凍てつく風が世界を切り裂き、彼らの一歩一歩がリリアへと続いてく。




