第79話『笑ってくれますか?』
キールとニニィは顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれた。
ニニィは誇らしげに胸を張り、いたずらっぽく瞳を輝かせる。
「でも、キールお兄ちゃんとリリアお姉ちゃんに、譲ってあげる!!」
キールは瞬きを繰り返し、不思議そうに聞き返した。
「何を…… 譲ってくれるの?」
ニニィはそれが当然だと言わんばかりに、楽しげな声を弾ませる。
「そりゃ、先に二人だけで遊んできて! あたし、お邪魔虫にはなりたくないもん!!」
キールは話が見えない様子で、眉を下げて首を傾げた。
「そんな遠慮しないで、三人で行こうよ」
そのあまりの無自覚さに、ニニィはぽかんと口を開ける。
「……キールお兄ちゃん。リリアお姉ちゃんのこと、好きじゃないの??」
直球すぎる問いかけに、キールの頭の中に無数のハテナが浮かび上がった。
「それは……」
言葉が詰まり、思考が迷子になったように視線が泳ぐ。
その時、ニニィの背後に音もなくしゃがみ込んだバルドが、耳元で小さく囁いた。
「ニニィ、そっとしてやれ。こいつ、自分の気持ちにさえ気づいてないんだよ」
ニニィは「なるほど」と納得したように口を丸くして、力強く頷く。
そのままキールに向けて、小さな親指を立ててグッドサインを送る。
「わかった。二人を見守り隊、結成だね! バルド隊員さん」
「……隊員かよ。まぁ、いいさ」
幼いながらに色恋を楽しもうとするニニィと、それに優しく、かつ呆れ気味に同調するバルド。
キールは二人の企みに気づかず、ただ不思議そうに首をかしげた。
「二人とも、何の話してるんですか?」
その真っ直ぐな問いに、ニニィは悪戯っぽく微笑み、核心を突く質問を投げかける。
「キールお兄ちゃんは……リリアお姉ちゃんのこと、本当はどう思ってるの?」
キールは困惑したように静かに言葉を繰り返した。
「リリアさんのこと……?」
キールは胸にそっと手を当て、その奥で疼く「痛み」と「熱」の正体を探り始める。
しかし脳裏には、先ほど突きつけられたばかりの、氷のような言葉が蘇った。
――『あんた、自分が気持ち悪いって自覚ある? お願いだから、二度と私の前に現れないで』
――『言ったでしょ? 私は最初から裏切ってるの。あんたたちの動向をモロス様に流すために、一緒にいただけ』
胸をえぐられるような罵倒。瓦礫をぶつけられ、沈んでいった意識。
けれど、傷ついたことよりも先に、キールの胸に溢れたのはリリアへの心配だった。
(リリアさん、いったい何があったの? 僕はリリアさんのそばにいたいよ。
そう思うことは、僕の傲慢かもしれないけど、それくらい、あなたことが大切なんだ。
もっとリリアさんのことを知りたい。
あの祭りの夜のことを二人で思い出して話したい。
一緒に踊った曲を二人で聞きたい。
なによりリリアさんが笑ってくれるだけで僕は嬉しいんです。
だから、お願いです。リリアさん。
また会えたら、あの日みたいに一緒に笑ってくれますか?)
キールは胸に当てた手を思い切り握りしめて、力強く言う。
「大切な人だと思っているよ。何があっても、それは変わらない……」
キールの誓いは、静寂に包まれた夜の森に、深く、深く染み渡っていく。
「それに――」
顔を上げたキールの瞳には、誰よりもまっすぐだった。
「今度は、僕がリリアさんを助けるんだ……」
その横顔に、ニニィは物理的な回路がショートしそうになるほど、目を輝かせる。
「ねぇ、キールお兄ちゃんって、かっこよすぎない?」
バルドは深く、噛みしめるように頷いた。
「ああ、世界一だな……」
バルドはキールの肩を叩き、現実を突きつけるように声を落とす。
「……で、これからどうする? リリアの居場所は、発信機の信号でなんとかなりそうだが」
その言葉に応じるように、ニニィが腕に浮き出たホログラムを見て驚愕の声を上げた。
「信号がノルウェーで止まってる……」
キールは力なく、その地名をなぞるように呟く。
「ノルウェー……。一体、あんな北の果てで何が」
バルドは深刻な表情を崩さず、言葉を言い放った。
「すぐに向かいたいのは山々だが、世界で起きてる問題も、放置はできない」
バルドが差し出したスマホの画面には、最悪の光景が広がっている。
「……もう、UMHの存在は、完全に公にされたみたいだ」
そこに映し出されていたのは、キールたちが死力を尽くして戦う生々しい映像。
アウローラが秘匿していた機密データに加え、悪意あるフェイク動画が無数に拡散され、注目されていた。
「じゃあ、僕たちは……これから……」
「どのみち、もう隠れて生きられる段階は終わった。それにフルアとレアマシーの泥沼をどうにかしないと手遅れになる」
キールは胸の奥を締め付けられる感覚に陥り、視線を落とした。
(イオラさんの冤罪に逮捕、アウローラの崩壊も……それに、リリアさんのことだって急がないと。いったいどれから解決すれば)
立ちはだかる壁はあまりに多く、三人は静寂の中で必死に考えていた。
「助太刀しますよ、キーレストさん!」
静寂に場違いなほど明るく、澄んだ声が突き破る。
キールが声のした方角へ視線を向けると、そこには一人の青年が佇んでいた。
赤と黒が混ざり合った、特徴的なマッシュボブ。
今の状況には不釣り合いなほど屈託のない笑顔を浮かべ、青年はゆっくりと歩み寄ってくる。
「えっと……どうして、僕の名前を?」
困惑するキールの問いに応えるように、青年の周囲を浮遊していた六つの金属球が動いた。
それは生き物のような滑らかさで、バルドとニニィの周囲を旋回し、スキャンを始める。
「母から、あなたの活躍は聞いていましたから」
「……母?」
キールが聞き返すと、青年は不思議そうに首を傾げた。
「あれ……やっぱり母さん、みんなに、僕のことを隠していたのかな」
浮遊した金属球は情報を会得して、青年の周りへと戻っていく。
青年は着慣れたスーツの襟を正し、凛とした真面目な顔で告げた。
「改めて自己紹介を。僕はエノク・ガイリシャ。イオラの息子です」
キールはあまりの衝撃に、言葉を失って彼を凝視する。
「イオラさんの、息子さん……?」
エノクは照れくさそうに、瞳には誇らしさを宿して目を細めた。
「そうです。僕の両親は、最高の自慢なんです!」
彼はそのまま、嬉しそうに世界の根底を揺るがすような一言を、事も無げに付け加える。
「ちなみに父は、地球を救ったカイン・ヘスラスで、僕の自慢のヒーローです!!」
全員が口を開けて、動けなかった。
バルドの影が揺れ、ニニィの回路が停止寸前、キールの心臓が跳ね上がった。
「……といっても、僕は一度も会ったことはないんですけどね! あはははは!」
夜の森に、青年の明るい笑い声が力強く響き渡る。
キールも、バルドも、ニニィもその場で凍りついた。
地球を救った英雄と、アウローラを創った聖女の血。
その二つを継ぐ「運命の体現者」を前にして、3人はただの一言を発することさえ、忘れてしまっていた。




