第78話『お兄ちゃんとお姉ちゃん』
キールは震える指先で、ニニィの冷たい金属の手をそっと握りしめる。
「ニニィ。辛いのに、話してくれてありがとう」
キールの無理に作った優しい微笑みは、今の彼にできる精一杯の献身だった。ニニィは何も言わず、小さく首を縦に振る。
「へーちゃんさんとワイスは……自分たちでなんとかするって。リリアお姉ちゃんに、内緒で発信機をつけて追いかけてたんだけど、信号は各地を転々としていて……」
ニニィの声には、追いつけなかった自分への苛立ちが混ざる。
「やみくもに追うんじゃなくて、ここに来れば、会えると思ったの。でも、それでも間に合わなかった」
キールは包み込むような声をニニィにかける。
「ニニィはよく頑張ったよ。僕たちが今こうして生きていられるのも、全部ニニィのおかげなんだから」
だが、その救いの言葉さえ、今のニニィには届かなかった。機械の耳を通り過ぎ、虚空へと消えていく。キールの温もりさえ、彼女の鋼鉄のボディには、ただの物理的な熱としてしか認識されない。
パチッ……パチパチッ……。
負荷に耐えかねた回路から、青白い火花が散る。
ニニィは傷だらけの体を震わせた。
「どうして……あたしの前から、大切な人たちはみんな消えちゃうの?」
その問いは、答えのない暗闇の中へと沈んでいく。
キールは何も言えず、ただ、冷え切ったニニィの手を、強く握り締めていた。
「リリアお姉ちゃん。お母さん……お父さん……」
キールは掠れた言葉を漏らす。
「今、なんて……?」
バルドは目を見開いてニニィに詰め寄った。
「お前……親がいるのか?」
ニニィはハッとなり、泳ぐ視線を隠すように俯いた。
「あ、あたしに親なんていないよ! 今のは、システムエラーで適当に言っただけだから!!」
慌てて取り繕う声は上ずり、隠しきれない動揺がニニィに広がる。バルドの視線は鋭く射抜くようで、キールの瞳は、どこまでも穏やかで優しさに満ちていた。
「バルドさん。人には、言いたくないこともあります。無理に話す必要は……」
ニニィの困惑は頂点に達し、逃げ場を求めるように小さな肩を震わせる。
「そうだよな……。申し訳ない。つい、気になってな」
バルドの言葉には、彼なりの不器用な謝罪が込められていた。
ニニィは落ち着きゆっくりと首を横に振り、二人を確かめるように見つめ返した。
「ううん。でも、いつかは言わなきゃって、思ってたから」
森を吹き抜ける風が、ニニィの白銀の髪を揺らす。
ニニィは覚悟を決めたように、胸に手を当てて静かに語り始めた。
「リリアお姉ちゃんには……一度だけ、話したことがあるんだけど」
キールとバルドは、呼吸を忘れたようにニニィの次の言葉を待った。
「あたしね……本当は、人間なの」
一方で、雲海を裂き、轟音を響かせて駆け抜ける一機のジェット機があった。
「本当にすごいな。これを母さんとヘイスさんで作り上げたんですか?」
操縦席に座るヘイスは、短く「そうです」とだけ答え、内心で激しい動揺を抑えていた。
(《《養子》》がいるとは、聞いてたけどそれが、まさか……)
最新鋭のコックピットを興味深げに見回し、にこやかな笑顔を絶やさない爽やかな青年。
赤と黒の鮮烈なコントラストが混ざり合う、重めのマッシュボブ。
前髪は眉を隠すほど厚いが、襟足は整えられ、ふんわりとしたウルフのニュアンス。
身体のラインに沿った黒いスーツを纏いながら、彼は落ち着きなく機内をチョロチョロと歩き回っていた。
その周囲には、意志を持つかのように六つの小さな金属球がふわふわと浮遊している。
「……いい加減に座れ。子供じゃあるめーし」
呆れた声を上げた男は、肩にかかるほどの長い髪を無造作に後ろで束ねていた。色は深い茶。
センターで分けられた長い前髪が、彫りの深い顔立ちに影を落としている。
頬から顎にかけて薄く蓄えられた無精髭。
静かな色気を纏うような男だった。
青年は、弾けるような笑みを男に向ける。
「こんな状況で落ち着いていられませんよ。こういう時こそ、笑顔でしょ?」
男は深いため息をつき、首の骨を鳴らした。
「わかったよ。だが、彼らと合流した時にその態度はとるなよ」
青年は満足げに目を瞑り、独り言のように呟く。
「わかってますよ。彼らの力が、僕たちの『頼り』なんですから」
ジェット機のエンジンが、さらに高い咆哮を上げた。
加速する機体は、迷いなく突き進んでいく。
その頃、ニニィがすべてを話し終えると、深い静寂が森を包み込んだ。
ニニィは、自身の小さな金属の拳を、壊れそうなほど強く握りしめている。
「あたし、もう……」
言葉の先は震えるノイズに消え、ニニィはそれ以上、何も紡ぐことができなかった。
バルドはその姿に、かつて独りきりで絶望に耐えていた幼い自分を重ね、悲しげに目を細める。
沈黙を破ったのは、キールの陽だまりのような声だった。
「ニニィ。僕も、ニニィのお兄ちゃんになっちゃダメかな?」
ニニィは顔を上げ、不思議そうにキールの瞳を見つめる。
「僕もね、ずっと一人で抱えちゃう癖があるんだ。そのせいで、一度は完全に潰れてちゃったんだ」
キールは少し照れたように頭をかき、自身の失敗を笑い飛ばすように言葉を続ける。
「でもね、そんな時にリリアさんが僕を助けてくれたんだ。死にたくなった時僕の隣で、優しく寄り添ってくれた」
リリアの名を口にした瞬間、キールの声に自然と熱が帯びていく。
「本当にリリアさんは優しくて天使みたいで、笑顔が明るくて、いつも話していると励まされるんだ」
ニニィは驚きに目を丸くしてキールを見つめるが、当の本人は自分がどれほど熱烈な告白をしているか、全く気づいていない様子だった。
「一人で抱えちゃうことは、これからもきっとあると思う。人間だもん、それはしょうがないよ」
キールはニニィの目線に合わせるように、ゆっくりと語りかける。
「でもね、話すことで少しでも楽になれるからさ、リリアさんが僕にしてくれたみたいに。僕もニニィのお兄ちゃんとして、一緒に悩んで、一緒にお話ししたいな。もちろん、リリアさんと三人でね!」
「お兄ちゃん……」
その言葉がニニィの口からこぼれ落ちた瞬間、彼女の心の最深部に熱を帯びるようだった。胸の奥で、行き場のなかった感情が押し寄せる。
「……っ……、ふ、え…………っ」
こみ上げるものを堪えようとするが、もう止まらなかった。大きな瞳が震え、ニニィの顔は子供が感情を爆発させた時のような、最大級の泣き顔へと変わる。
「ウェェェェェェェェン!!!」
子供のような泣き声とともに、ニニィはキールの胸に思い切り飛び込んだ。
キールに抱きついたニニィの身体は、機械ゆえのひんやりとしている。
けれど、その奥から伝わってくる心は、どんな人間よりも激しく、熱く波打っていた。
キールは彼女の小さな背中を包み込むように、優しく抱きしめ返す。
二人はお互いの「存在」を確かめ合うように、夜の森の中で、静かに、深く抱き合った。
ニニィとリリアが森で初めて出会い、二人で歩いていた時のこと
「ニニィってもしかして……ロボットじゃない??」
リリアのその一言が、静かな森に波紋のように広がった。
繋いでいた手が、不自然なほど唐突に消える。
ニニィは弾かれたようにリリアの手を放し、数歩、後ずさりした。
「え……? ニニィ……?」
リリアは困惑し、空中で行き場を失った自分の手を見つめる。
その様子に、リリアは慌てて言葉を継ぎ足した。
「ご、ごめんね!? 変なこと聞いて……あの、私、時々人の感情が流れ込んでくるんだけど」
リリアは胸元を押さえ、戸惑いながらも真っ直ぐにニニィを見つめる。
「ニニィからも、すごく温かい……人間みたいな感情が伝わってきたから、もしかしたらって……」
ニニィは完敗したように、小さな肩を落として小さく頷いた。
「……うん。そうだよ、お姉ちゃん」
ニニィは自分の金属の腕を見つめ、震える声で問いかける。
「お姉ちゃんは……それでもあたしを信じてくれる? あたしが、怖くないの……?」
リリアはその問いが終わるのを待たずに、一歩、力強く踏み出した。
そのまま駆け寄り、小さなニニィの身体を折れそうなほど強く抱きしめる。
「信じるよ! ニニィのことは、私が、絶対に信じる!!」
耳元で響くリリアの声は、どんな音楽よりも心地よく、力強かった。
「怖くないよ。だって、こんなに優しい心を持ってるニニィが、ロボットなわけないもん!」
その言葉が、ニニィにとってどれほどの救いであり、暗闇を照らす光であったか。
ニニィにとって、リリアはただの同行者ではなく、本当の「お姉ちゃん」になった瞬間だった。
だからこそ、あの時の冷酷な目で自分たちを見捨てたリリアの姿が、ニニィの心を深く、鋭く切り裂いた。
誰にも言えない秘密を抱えるニニィにとってリリアは、世界で唯一、自分を自分としていさせてくれる拠り所になっていた。
現在
キールから伝わる温もりは、あの日、リリアが自分を抱きしめてくれた時の感覚を思い出させてくれた。
機械の身体の奥深く、決して誰にも触れさせなかった「人間」としての心が、熱い拍動を繰り返す。
大切な人が、もう一人増えた。その確信が、ニニィの心を光で満たしていく。
「キールお兄ちゃん! ありがとう……! ありがとう……!!」
レンズで構成されたニニィの瞳から、一粒の透明な雫が、頬を伝って零れ落ちる。
オイルでも、冷却水でもない。人知を超えた、それは紛れもない「涙」だった。
ニニィはキールからゆっくりと身体を離すと、溢れる想いを胸に、自分の頬をパンパンと叩いた。
「キールお兄ちゃん!」
キールは優しく目を細め、ニニィの小さな決意に耳を傾ける。
「絶対に、リリアお姉ちゃんを助けようね!!」
ニニィの緑色の瞳に、これまでにない力強い意志の灯が宿った。
「お姉ちゃんを連れ戻したらあたし、三人でいっぱい遊びたいし、お出かけしたい!!」
キールはニニィの両手を力強く握りしめ、一緒に子供のように飛び跳ねる。
「そうだね!! 絶対に三人でお出かけしよう!!」
「うん!!」
その無邪気で、けれど折れない光のような二人の姿に、バルドは柔らかな笑みを浮かべて見つめていた。
「まだ若いってのに……。俺も、ガキの頃にこれくらい強かったらな」
バルドはふっと視線を切り、真っ赤に燃える夜空を見上げる。
(こいつらだけは、俺が死んでも守り抜いてやる……)
絶望の淵で見つけた、微かな、けれど何よりも眩しい希望。
その小さな火種こそが、暗雲に覆われたこの世界を塗り替える、唯一の光。
三人の影は、燃え盛る基地を背に、新たな運命へと向かって力強く伸びていた。




