第77話『リリアの裏切り』
キールとバルド、そしてニニィは、爆発した基地から少し離れた森へと脱出していた。
バルドは木の近くにオーリアの遺体を服で隠し、手を合わせる。
「すまない……」
バルドはゆっくりと立ち上がり、キールたちのいる方向に向かう。
焦げた空気と土の匂いがまだ漂い、遠くでは空が黒く染まっていた。
キールはその場に座り込み、そっとニニィの頭に手を置く。
白銀に近い淡い色のボブヘアは冷たく、金属の感触がはっきりと伝わる。
けれど、その下にある“表情”は、それ以上に冷え切っているように見えた。
「ありがとう、ニニィ。助かったよ」
できるだけ優しく、壊れ物に触れるような声でキールは言った。
ニニィは俯いたまま、小さく頷く。
淡い緑色の瞳は揺れ、砂色のメカニカルスーツに包まれた身体はどこまでも無機質で、彼女が“造られた存在”であることを残酷なまでに主張していた。
「うん……でも……」
ニニィの声は、電気的なノイズが混じったように震える。
「リリアお姉ちゃんが……お姉ちゃんが……」
言葉の続きを紡げず、ニニィは固く口を閉ざした。
ロボットであるはずの彼女が、今にも泣き出しそうなのが、痛いほど伝わってくる。
キールは視線を落とし、まだ現実を拒む感情が胸の奥で渦巻いていた。
「ニニィ……」
キールはゆっくり顔を上げ、確かめるように問いかける。
「日本に帰ってから何があったの?」
ニニィは一度だけキールとバルドを見つめ、そして覚悟を決めたように口を開いた。
「日本に帰って、すぐだったの……」
その一言に、夜の森が静まり返る。
26時間前 東京・アウローラ本部
ジェットのエンジン音が消え、アウローラ施設内の滑走路に静寂が落ちる。
リリア、ヘイス、ニニィ、ワイスの四人が機体を降りると、照明の向こうにエイダが立っていた。
その姿を見つけた瞬間、リリアは堪えていたものが決壊したように駆け寄る。
「エイダさん……!」
リリアは不安に押し潰されそうな瞳で、縋り付くようにエイダを見上げた。
「イオラさんが裏切ったなんて嘘ですよね?」
エイダは一瞬だけ目を伏せ、ゆっくりとリリアを抱き寄せる。
その仕草はいつも通り、柔らかく、包み込むようだった。
「あぁ……そう信じたい」
エイダの落ち着いた声だが、続く言葉は微かに温度を失っていた。
「万が一にも事実なら――」
「そんなわけない!!」
張り詰めた空気を切り裂いたのは、ヘイスの叫びだった。
「私が知ってるイオラさんは、誰よりも優しくて……! みんなのことを思ってくれる人なんだ!!」
普段の飄々とした柔和さは消え、激しい怒りに顔を歪ませるヘイス。リリアは、初めて見る親友の形相に息を呑んだ。
「へーちゃん……」
ヘイスはエイダに詰め寄る。
「エイダさん……! あなたに言っても仕方ないのかもしれないけど……なんで、こんなことになるんですか? 私、もう……」
感情が言葉を追い越し、ヘイスは涙が溢れる。その刹那、エイダは抱き寄せていたリリアの手を離し、ヘイスの肩を冷酷に突き飛ばした。
「っ――!」
ヘイスは短い悲鳴を上げ、硬いコンクリートの上に無様に尻餅をつく。 あまりに唐突の暴力に、その場の空気が凍り付いた。
「エイダさん……? なに、してるんですか……?」
リリアの声は、純粋な困惑に震えていた。
だが、エイダは何事もなかったかのように再びリリアを引き寄せる。
「感情的になるのは、良くない」
優しさの仮面が剥がれ、その下から覗いたのは、深淵のような無感情だった。
「クロノス、やれ」
エイダの一言が落ちた瞬間、空気が凍りつく。
ヘイス、ニニィ、ワイスの身体を、逃げ場のない速度で氷が這い上がり、次の瞬間には全身を完全に拘束していた。
「みんな!!」
リリアは反射的に叫び、氷に囚われた仲間たちへ駆け出そうとする。しかし一歩踏み出した瞬間、背後からエイダに強く手首を掴まれる。
「リリア、言うことを聞きなさい」
引き寄せられた耳元で囁かれる声は、あまりに穏やかで、それゆえに狂気を孕んでいた。
「私はお前の大恩人だろ?」
リリアは理解が、追いつかなかった。
視界に映る光景と、耳に届く言葉が、まるで別の世界のもののように噛み合わない。
「なんで、こんなこと……」
リリアは震える声でそう漏らした直後、氷がさらに形を変え、鋭い氷がヘイスたちの喉元へと伸びていく。
橙色の髪をした男――クロノスが、音もなく姿を現した。
その横で、エイダは愉快そうに口角を吊り上がる。
「まったく……ここまで愚か者ばかりとはな」
その笑みを見た瞬間、リリアの胸の奥に、冷たい違和感が走る。
「エイダさん、本当に……何を言ってるの?」
リリアの問いは、縋るような響きを帯びていた。
そのとき、氷に縛られながらも、ヘイスが必死に声を張り上げる。
「リーちゃん! 目を覚まして! そいつが裏切り者なんだよ!」
その叫びに、リリアははっとしてエイダから離れようとする。
しかし、掴まれた手は微動だにせず、逃げる余地を与えなかった。
「エイダさん……嘘だよね?」
リリアは涙が滲み、視界が揺れる。
「私を助けてくれたのも……全部……」
その言葉を、エイダは楽しむように受け止めゆっくりと頷いた。
「ああ、もちろんだ。お前は特別だからな」
エイダの声は優しいが、軽いように感じる。
「人を操る能力など、そう簡単に見つかるものじゃない。助けて当然だろう?」
その瞬間、リリアの脳裏に、キールの声がよぎった。
――『敵は、リリアさんの能力でUMHを操る計画を立てています』
「私の、能力で……」
無意識に零れたその言葉を、エイダは逃さない。
「話が早くて助かるよ」
エイダは、待ち望んでいた玩具を手に入れた子供のように、歓喜の色を声に混ぜた。
「お前の力を、ぜひ使わせてほしい。誰でもない、“リリア”の力をな」
リリアの理解は、追いついていた。
自分が利用されていることも、もはや逃げ道などないことも、すべては分かっている。 それでも――。
「私にしか、できないこと……?」
その問いは、確認であると同時に、縋りだった。
場の空気が歪み、時間の感覚が遠のいていく。
リリアの心は、取り返しのつかない方向へと、静かに傾き始めていた。
エイダは笑みを湛えながら、リリアに囁く。
「そうだ、出会った時にも言っただろ。君は特別で、すごいんだ」
リリアは何かに取り憑かれたような足取りで、歩みを進める。
その背中に、ニニィの悲痛な叫びが突き刺さった。
「リリアお姉ちゃん、行っちゃダメ!!」
リリアは弾かれたように振り向き、ニニィの強い眼差しを正面から受け止めた。
「お姉ちゃんとあたし、一緒にいろんなところ行こうって約束してくれたよね。それにキールお兄ちゃんも!」
ヘイスの声が、震えるリリアの肩を抱くように続く。
「リーちゃん! そんな奴に負けないで!!」
間髪入れず、ワイスが魂を震わせるような咆哮を上げた。
「ワン!!」
ニニィの叫び、ヘイスの温もりある声、ワイスの力強い鳴き声。
それらがリリアの意識の表層を叩き割り、彼女を現実へと引き戻す。
「みんな……」
脳裏に、不器用で真っ直ぐなキールの笑顔が浮かんだ。
「キール……」
リリアは身体を翻し、エイダを見据えてはっきりと言い放つ。
「ごめんなさい、エイダさん。私、一緒にはいけない。それに、あなたの――」
リリアが言いかけた、その瞬間だった。
リリアの顔から、一気に血の気が引いた。顔の肌が幽霊のように真っ青に染まる。
ガチガチと歯の根が合わないほどに、身体の震えが止まらず、足が崩れ落ちそうになっていた。
ヘイスたちは、その豹変っぷりを見て、エイダに怒号を浴びせる。
「リーちゃんに何をしたの!?」
エイダは、面白くてたまらないといった風に口角を吊り上げ、嘲るように吐き捨てた。
「軽い世間話だよ」
リリアはゆっくりと振り返り、氷に縛られた3人を見つめる。
その瞳からは温度が消え、口元には見たこともないような、蔑みの笑みが浮かんでいた。
「へーちゃん、ニニィ、ワイス」
名を呼ぶ声さえ、かつての温もりを失い、刀のように鋭く場を切り裂いた。
三人の視線がリリアに集まる。
その期待を、信頼を、リリアは嘲笑とともに踏みにじった。
「あなたたちって…… どうしようもないほど馬鹿なのね」
ヘイスは口を開けたまま硬直した。
「今、なんて……」
ニニィは、回路がショートしたかのような小さなノイズを漏らす。
「え……?」
リリアは、面白くてたまらないといった風に肩を揺らした。
「どうだった? 私の迫真の演技は!」
リリアは指先で自分の髪を弄び、演技を自画自賛するように明るい声を出す。
「最高の出来だったんじゃない?」
あまりの言葉の暴力に、ニニィの緑色の瞳が激しく点滅した。
「リリアお姉ちゃん!!」
ニニィの叫びとともに、彼女の全身の関節から、白濁した蒸気が噴き出す。
内部の小型原子炉を限界までオーバーヒートさせ、ロボットボディの表面温度を数千度まで上昇させた。
ジュウウゥッ!と激しい音を立てて氷の枷が蒸発し、ニニィは無理やりその呪縛を脱ぎ捨てる。
「お姉ちゃんを……お姉ちゃんを返して!!」
変形した腕から放たれた光線が、一直線にエイダとクロノスを狙う。
だが、空中で展開された分厚い氷の壁に、その閃光は無慈悲にも遮られた。
最大出力を放出し続けるニニィ。
その隙を逃さず、クロノスが素早く跳躍し、黄色く光る眼を合図に鋭い氷の刃を振り下ろした。
しかし、ニニィは物理演算を上回る反応速度で、その一撃を紙一重で回避する。
「なぜ……動けるんだ?」
クロノスの声に、隠しきれない困惑が混じる。
ニニィはその問いに答える代わりに、自身の腕のロックを強制解除した。
ガコンッ!と乾いた音を立てて、ロケットパンチのように分離した金属の拳。
それが、驚愕に目を見開くクロノスの顔面に、容赦のない速度で叩き込まれた。
クロノスは静かに床に降り立ち、切れた唇から一筋の血を垂らす。
その瞬間、ニニィの身体に目に見えない巨大な圧力が叩きつけられる。
「あ…… ッ!!」
リリアの能力でニニィの華奢な鋼鉄の身体を壁へと押し込んだ。
逃げ場のない力に圧し潰され、金属の骨格が悲鳴を上げて軋む。
壁に深くのめり込み、火花を散らすニニィを見つめ、リリアは冷徹に口角を歪める。
「もう私に構わないで。あなたたちの顔を見るだけで、虫唾が走るの…… 」
吐き捨てられた言葉は、氷の刃となって仲間たちの胸を貫く。
だが、どれほど蔑まれようと、ニニィの瞳に宿る緑色の光は消えなかった。
「リリア、お姉ちゃん…… お願い…… 負け、ないで…… っ」
圧迫され、断続的なノイズを吐きながらも、ニニィはひたすらに手を伸ばす。
ヘイスもまた、氷の枷に繋がれながら、必死に叫ぶ。
「リーちゃん! そんな嘘、言わなくていい! 戻ってきてよ!!」
ワイスの悲しげな遠吠えが、虚しく反響する。
「クゥゥゥゥ……ン……ッ!!」
三人の必死の叫びを背中で受けながら、エイダは満足げに謎のゲートを出現させた。
渦巻く闇の向こう側を見据え、エイダはクロノスとリリアに足を進めるよう促す。
ヘイスは喉が張り裂けんばかりの声で、その背中に問いを投げつけた。
「あなたたちは……いったい何がしたいの!? リーちゃんをどうするつもりなの!?」
エイダはゲートの縁で足を止め、ゆっくりと振り返る。
「リリアの『ゾーン化』という最後の手順が済んだ今、計画を止める理由はない」
エイダは冷たく笑い、リリアの肩を抱き、闇の中へと消えていく。
リリアの姿が完全に消えた瞬間、ニニィを縛り付けていた圧力が消えた。
「お姉ちゃんっ!!」
自由になった瞬間、ニニィは背中のロケットブーストを最大出力で点火した。
青白い炎が走り、最短距離でゲートへと手を伸ばす。
あと数センチ。指先が虚空を掻くが、無情にもゲートは点となって消失した。
勢い余って冷たい床に転がり、ニニィは小さな拳が地面を叩く。
「リリア、お姉ちゃん……」
ヘイスとワイスは、ただリリアが消えた空間を見つめることしかできなかった。
「リーちゃん……」
仲間たちの悲痛な呼び声は、今のリリアには届かない。
3人が見たリリアの顔はエイダに心酔している様子の別人だった。
残されたのは、焦げた匂いと、あまりに深すぎる絶望の静寂だけだった。




