第75話『サイバーパンク』
「何を言ってやがるんだ……」
バルドは氷に固定されたまま、モニターを睨みつけた。
だが、後ろから聞こえたモロスの声は、あまりにも軽い。
「ここに映っている理由は知らんがこの会見は4時間前のものだ」
「……っ!?」
キールの表情が一気に青ざめた。
続けて、フルア元首の会見映像が流れ続ける。
「レアマシーはフルア撤退後も、我々の国土で違法な研究を続けていた。さらに、レアマシー国内でも人体実験は行われており――これは、現在イギリスで発生している施設破壊事件と殺人事件にも繋がっている。これらに関与していた人物こそ――イオラ・ガイリシャ。そして彼女が作り上げた組織アウローラこそがUMH監禁と捕獲、人間兵器化の元凶である!」
「イオラさんが……」
涙をこらえる震えが、キールの声に滲む。
モニターの向こうでは拍手が巻き起こっていた。
それは完全に“戦争の空気”だった。
「しかし、それと同時に特別な力を持つ人間がこの世にいることも事実。このことについては世界とゆっくり話し合いたいところです。各国の賛同をもらい、私たちはレアマシーに対して報復を行う!!」
そして――モロスも同じリズムで、ゆっくりと拍手をする。
「我ながら、非常に良い会見だったよ」
キールの視界が揺れた。
「これじゃ……UMHが……。それに世界が……」
モロスはキールに視線を向け、氷のように冷たく、しかし楽しげに言い放つ。
「ここから世界は“紛争”なんて生易しい段階では済まなくなる。最も摩擦の大きい二つの国が世界に火をつけた。その火は簡単に消えないさ」
氷の中で、キールとバルドは何一つできなかった。
モニターの中では、スタジオの空気が張りつめている。
キャスターが専門家に問う。
「世界情勢が大きく動きましたね。これを受けて各国はレアマシーを強く非難し、フルア国を支持する意向です。しかし、その一方でフルアの独断であるとレアマシー同盟国は強い対立意識を持っております」
画面下に“臨時ニュース”の文字。
横に並ぶ専門家は、冷汗をぬぐいながら答えた。
「ええ。レアマシーとフルアの摩擦は以前から危険視されていましたが……。まさかここまで他の国々の声明は真っ二つに割れ、混乱を極めるとは思いもよりませんでしたよ。これ以上分断が進めば、国同士の小競り合いでは終わらない可能性があります。下手をすれば――」
キャスターが慌てて遮る。
「す、すみません。それ以上は……。しかし、UMHは本当に存在するのでしょうか?」
専門家はわかったふうに続ける。
「はい、真偽は確かに不透明です。有耶無耶に話を進めてはいけないでしょう。しかし、仮にも本当に存在するなら“個人が驚異的な力を持つ”という事実だけでも十分危険です。まして、それを兵器として利用しているとなれば……。今後の各国のUMHに対する声明に注目ですね」
キールは拳を握りしめたまま、俯いた。
バルドは、ただ呆然と画面を見つめている。
「……全部、これが目的だったのか」
モロスはただ薄く笑い、“すべてを把握している者”の余裕があった。
「もうお前たちでは、何ひとつ止められない。そして――」
モロスはゆっくりと扉へ視線を移し、言葉を置く。
「役者が揃ったな」
キールとバルドも反射的に扉の向こうをみた。
クロノスの横に、もうひとつ影が立っている。
それは頼もしいはずの存在。
「サイラスさん!!」
キールの返事に反応せず、サイラスはキールを睨んでいた。
「……あいつ、様子が変だぞ」
次の瞬間、キールとバルドを閉じ込めていた氷が音を立てて一気に砕け散る。
クロノスがサイラスに一歩近づき、肩に触れながら言った。
「さぁ――行け。死なない程度に……痛めつけろ」
サイラスのいつものカラッと明るい声ではなく、凍えるような冷たい声が落ちる。
「わかりました。すべては……モロス様のために」
キールは息を呑み、バルドでさえ額に冷汗を浮かべていた。
「そんな……」
「くそ!!」
サイラスがゆっくり歩き出し、一歩ごとに、空気が重く濁っていくようだった。
バルドは横目でキールの荒い呼吸に気づき、声をかける。
「レスト……大丈夫か?」
キールは額から流れる汗を拭いながら、必死に呼吸を整えた。
「だいじょうぶ……です。サイラスさんを止めないと。それに、このままだと……世界が……」
その表情には疲労と痛みが刻まれている。
だが同時に、折れそうな心を何度も立て直してきた者の“覚悟”が宿っていた。
バルドはそれを見て、歯を食いしばる。
「わかってる。まずは目の前のあいつを止めるぞ」
次の瞬間、サイラスは地面を蹴った。
その加速は目で追えないほど速く、静寂を引き裂くように空気が震える。
短い助走の後、宙へと浮かび、軍人として鍛え抜かれたフォームで銃を構えた。
銃口が、二人の眉間に揃って向けられる。
キールは咄嗟に水を集めようとしたが、先ほどの覚醒の反動で能力が発動しない。
手のひらが震えるだけで、水は一滴も生まれなかった。
(なんで……!)
弾丸は放たれるが、バルドの影が瞬時に弾丸を捕えて、別の場所に弾丸を出現させる。
火花と金属音が響き、弾丸は壁に深く埋まった。
「レスト、下がれ!」
叫んだのと同時に、サイラスの姿はすでにバルドの真横にいた。
バルドが影で距離を取ろうとするより早く、サイラスの足が蛇のようにバルドの首へ絡みつく。
「なっ――」
軽やかで無駄のない回転。
軍人の体幹と技術が合わさった技がバルドを絞めながら宙に浮き、一本の円を描きながら、バルドを床へと叩きつける。
全身の骨が軋むほどの衝撃が背中を走り、息が肺から一瞬で奪い取られた。
続けざまに、サイラスの拳が落ちる。
鋼鉄の皮膚の拳は異常な重量で、バルドの頬に鈍い音を残してめり込む。
(サイラスの拳はここまで重いのか!)
バルドは影で反撃しようとするが、頭を地面に打った衝撃で視界が遠のく。
キールがサイラスの背後に回り込んだ。
必死に腕をサイラスの首へ回して絞め落とそうとする。
「サイラスさん、戻ってきてください……」
だが――軍歴十年以上のサイラスを、疲弊したキールが抑え込めるはずがなかった。
サイラスの腕が逆にキールの首に絡みつき、強い力で締め上げられる。
「ッ……が……!」
呼吸の道が完全に塞がれ、目の前が暗く染まり始めた。
喉の奥で必死に吸う空気は、失われていく。
(このままじゃ……意識が……)
キールの手がサイラスの腕を掴むが、その力はあまりにも強く、びくともしなかった。
「――やめて!!」
意識が消える寸前に聞き慣れた声が、闇を突き破るように耳へ飛び込んでくる。
世界が一瞬だけ止まったように、キールの胸の鼓動が跳ね上がった。
溺れかけていた思考が、強引に引き上げられる。
サイラスの腕に込められていた力がふっと抜け、キールの身体は床へ投げ捨てられた。
「ゲホッ……ッ、ゲホッ……!」
荒い呼吸を繋ぎながら、キールの視界はまだぼやけている。
バルドの倒れた影が横に見え、サイラスの足音だけが静寂を切り裂いていた。
サイラスは、声の主がいる方向へと歩き出す。
キールの脳裏を、あらゆる声の記憶が高速で駆け巡った。
知らない声ではない。
けれど、この状況下で聞こえるはずの声でもない。
胸がざわつき、喉が乾き、心だけが先に震え始める。
(まさか。いや、そんなはずは。でも.......)
キールは、ゆっくりとその声の方へ顔を向けた。
朦朧とした視界の中で、その声の主の姿をしっかりと捉えた瞬間――少し暖められた全身の血が凍りつくような衝撃に襲われる。
「……リ、リリア……さん?」
そこに立っていたのは、キールの知っている“有川莉々愛”ではなかった。
オーバーサイズのサイバーパンク風のパーカーは、黒地にネオンブルーのラインが走り、動くたび青白い光が反射する。
フードの内側は淡く光るネオングリーンで、影の中でも輪郭が浮かび上がった。
そして下半身は、視線を奪うほど露出の高いスタイル。
脚の付け根ぎりぎりまで切れ込んだショートパンツからは、白く滑らかな太ももが大胆にさらされている。
素材は少し光沢があり、淡い光を受けてラインがはっきりと浮かび上がった。
キールは言葉を失い、胸の奥のどこかが、ぎゅっと強く握られたように痛む。
リリアはゆっくりとこちらへ顔を向けた。
その瞳は氷より冷たく、かつての優しいぬくもりも、柔らかい笑みすらも残っていない。
「……びっくりした?」
言葉は軽いのに、視線だけが刃物のように鋭かった。
キールは声を失い、ただ口を開いたまま硬直するしかなかった。
そして――リリアは心底軽蔑するように、嘲笑いながら言葉を吐き捨てる。
「あんたのそのアホヅラ、マジでキモすぎてうけるんだけど」
あの日、祭りの中で一緒に笑い、輝いていた彼女はどこにもいない。
まるでキールの存在そのものを“下に見ている”ような視線だった。
「言っとくけどさ――」
リリアはゆっくりと中指を立て、キールを踏みにじるように見せつける。
怒りと侮蔑が混ざった顔で、冷たく言い放った。
「あんた自分が気持ち悪いって自覚ある?? あんたといた時間も最悪だったし、もう二度と私の前に現れないで」
言葉が胸に落ちた瞬間、キールの中で光だったものが、ひっくり返って闇に吸い込まれていく。
自分を照らしてくれた優しい手も、一緒に笑った日々も、救いだった存在すらも――
全部、全部、嘘だったと言うように。
リリアは冷たく表情を変えずに、ただキールを蔑み、嫌悪する目で見ていた。
キールの瞳から光がこぼれ落ち、胸の奥は絶望で締めつけられる。
しかし、どれだけ踏みにじられてもあの日、自分を照らしてくれた彼女を信じたい気持ちだけは、どうしても捨てられなかった。
その小さな希望が、今はいちばん残酷だった。




