第73話『最高の劇』
最深部の奥。
巨大なディスプレイの脇で、オーリアはデータ転送の準備を進めていた。
「全てを知っているわけじゃないが、私が知りうる限りの“真実”は話そう」
キールとバルドはオーリアの言葉を聞く覚悟を固める。
正気を取り戻したオーリアはゆっくりと語り始めた。
「あれは2010年だ。フルアで革命が起き、我々ハールメス・コープは生命線である“オリチーム”の供給源を減少した。あの鉱物がなければ会社は倒産……あと一歩のところまで追い詰められていたんだ」
淡々と語る声の裏で、そのときの焦燥と絶望が滲む。
「今思えばあの年はすべてがおかしかった。フルア革命。その半年後の“宇宙人襲来”による大虐殺。英雄の誕生。そして……UMHの出現。」
キールとバルドは息を呑む。
確かにそのすべては、ただの偶然と呼ぶには不自然すぎた。
「そんな、常識では考えられない事態が立て続けに起こった1、2ヶ月後。ある男から一本の電話がかかってきた」
オーリアの当時の記憶が蘇る。
プルルルル……
オーリアは書類の山の中で受話器を掴んだ。
「もしもし、どなたですか? 今忙しいので手短に」
次の瞬間、低く、落ち着いた声が返ってくる。
『オリチームが尽きかけ、破産寸前だろう。困っているなら、供給を手配してやる』
オーリアは反射的に立ち上がった。
「な、何者だ貴様! なぜそのことを知っている!!」
受話器の向こうの男は、静かに続ける。
『私はフルアに“パイプ”があってな。フルアはハールメス・コープに“頼みたいこと”があると言っている』
オーリアの身体が固くなった。
「我々に頼みたいことだと?」
声の主は、嗤うように高らかに言う。
『そうだとも。誰も成しえない“偉業”だ。これはフルアのためであり、ハールメスのためであり、そして――私のためでもある』
受話器を握るオーリアの指は汗で湿っていた。
甘い誘いはあまりにも胡散臭い。
しかし、それ以上に彼は追い詰められていた。
社長として。一家の長として。そして、父として。
オーリアは覚悟を決め、声を搾り出す。
「その話、詳しく聞かせてくれないか?」
受話器の向こうの男は、まるで待っていたかのように続けた。
『簡単なことだ。独占かつ秘密裏にオリチームを分ける代わりに、私とフルアのために“人造の異能者”を作ってほしい』
オーリアは眉をひそめる。
「人造? つまり、人体実験をしろというのか?」
『そうだ。フルアとレアマシーに研究所を一つずつ作るのだ。これは大きな計画の前準備だ』
言葉の意味をつかめないまま、オーリアは首を横に振った。
「できるわけがない! それは非人道的だ。私たちはそんな――」
男の声が冷ややかに切り捨てる。
『非人道的? お前たちの国は昔から平然とやってきただろう?』
心の奥の“触れてほしくない部分”に刃を突きつけられ、オーリアは喉を詰まらせた。
『それに拒否すると言うのなら、ハールメスへのオリチーム供給を永久に止めるよう私がフルア政府に命じてもいいが?』
その一言は、心臓を握りつぶすような衝撃。
「それは困る!! オリチームが途絶えれば会社は!」
『会社だけじゃないだろう? 家族も守れなくなるぞ』
オーリアの胸がズキリと痛む。
『要求を呑め』
オーリアは胸の中で何かがねじれていくのを感じる。
保身。ハールメスとしてのプライド。
家族を守るため。焦りや疲れ。
そして、誰も成し遂げていない偉業への誘惑。
そのすべてが混ざり、彼の理性を揺らした。
「わかった。その取引……飲もう」
その瞬間、電話の男は満足げに息をつく。
『賢い判断だ。研究所を建て、実験はすぐに始められるようにしろ』
オーリアは受話器をそっと下ろし、壁にもたれた。
(これで守れるはずだ。家族も……会社も……)
自分に言い聞かせるように、呟く。
しかしそこから始まったのは、「守る」どころか、数多の命を奪い、息子の人生を破壊する連鎖だった。
研究所は急ピッチで建設され、フルアとハールメスは闇の中で手を組んだ。
オリチームは秘密裏に流れ込み、ハールメスは再び市場で勢いを取り戻す。
だが、その裏で何人の体が弄ばれ、命は消えていった。
繰り返すうちに、オーリアの心は麻痺し、罪を感じなくなった
そして彼は気づけば「偉業」、「権力」、「成果」だけを追う男になっていた。
それは、かつて“家族のために”と願った男の末路としては、あまりにも皮肉で、残酷であった。
現在
巨大なモニターの光が、最深部の空間を冷たく照らしている。
「フルアからのオリチーム提供の代わり、私たちは人体実験をしていた」
キールは息を飲み、胸の奥がざわつく。
思い出すのは、自分が“研究所”で受けた日々。
キールの指先が震え、しがみつくように拳を握る。
「……っ」
隣でその震えを感じながら、バルドが低く問う。
「クローンや人工UMHは今はどこにいる?」
オーリアはゆっくりと顔を上げた。
「もう、いない」
バルドは思わず身を乗り出す。
「は? どういう意味だよ」
オーリアは深く息を吐き、モニターに映る1枚の映像を指す。
黒く輝く、鉱物とも宝石ともつかない“石”。
「実験にはオリチームからしか取れない元素だけでなく、複数の調合薬、そして何より――この“黒い石”が必要だった」
モニターにズームされ、その石は、まがまがしく光っているように見えた。
「何千年も前。フルアの大地に落ちた巨大隕石……その中心部から見つかった石だ。オリチームを生んだ“源”だと言われている」
声は震えていないのに、その背後に潜む恐怖だけが濃かった。
「この石の持つエネルギー、その周波数、コード、元素構造。それを解析し、人工的に照射することでようやく“UMH”が作れた。それでも、成功確率はあまりにも低すぎた」
キールはその石を凝視する。
「これがすべての始まり……?」
オーリアは頷き、静かに続けた。
「だが、この石はなぜか消えてしまった。さらにオリチームも枯渇寸前。もう新しいUMHを作る術はない」
バルドは息を吸い、呟く。
「じゃあ、人工UMHはもう存在しないってことか?」
「成功したのは、わずか10人。その多くが君たちの前に立ち塞がっていた者だ」
キールはモニターの黒い石から目を離せないまま、喉の奥を震わせるように言った。
「どれだけの人が犠牲に……」
あの研究室にいた子どもたち、名前も呼ばれなかった身体、泣き声の代わりに記録されたデータ。
それが全部、たった“十人を成功させるため”に踏み潰されたのだと思うと、胃の底がひっくり返りそうだった。
キールの指は震え、拳は白くなる。
「ふざけるなよ」
怒りの行き場がなくて、足元の床を踏みしめるしかなかった。
オーリアはその怒りを受け止めるように目を閉じる。
「私の手は、もう罪を重ねすぎた。ここを出たら自首するつもりだ」
ディスプレイの端で、ダウンロードを示すゲージが静かに満ちていった。
そして終わりを告げる音が鳴った瞬間、オーリアはUSBを抜き、キールへ差し出す。
「これはすべての実験データと通話記録。ハールメスとフルアのやり取り、研究所の全記録、あの男の貴重な情報源、私が罪としてきたことの全てだ」
キールは反射的に受け取ろうとして、手が止まった。
その小さな躊躇いのなかには怒りが胸の中で煮え続けている。
オーリアはまっすぐ見て言う。
「万が一、私が死んでもこれがもみ消されても、これさえあれば、状況が悪化することはないだろう」
キールは唇を噛んだ。
“悪化しない”という言葉が、どれだけ軽く、どれだけ遅いか。
それでも――これが今、唯一の“反撃の火種”なのは理解していた。
バルドが静かに口を開く。
「あんたがやったことは許されない。レストもその一人だ」
オーリアは、キールの顔を見た。
キールは必死に押さえ込むように言葉を絞り出す。
「ちゃんと罪を償ってください。あなた“だけ”が全部悪いなんて、そんなことは言いません。でも、逃げないでください」
堪えるキールの声を聞き、オーリアは深く頭を下げた。
「本当に申し訳ない」
重く、拭いきれない罪が滲み出している。
しばらくして、ようやく顔を上げた。
重い沈黙を破るように、ゆっくりと二人へ言葉を向ける。
「だが、奴を止めない限り、何も終わらない。それと一つ、嘘をついた」
キールの眉が動き、バルドの眼の奥が鋭くなった。
「嘘って……」
「成功した人工UMHを基に、大量に“兵器としてのクローン”を作ろうとしていた。だがクローン研究は、まったく完成していない」
オーリアの声が重く沈む。
「作ろうにも、機能しないのだ。体を作っても、動くことはなかった。それ以上にあれだけ慎重に動いていた奴が、なぜか最近は焦るように計画を進めていた」
キールとバルドは黙って、続きを待った。
「そのせいもあって、クローンは未完成のままだ。それを奴は知らずに、フルアに“既にある”と勘違いしているはずだ」
バルドは複雑な顔で呟く。
「そうか。それにしても奴はいったいどこに身を隠している?」
その問いが空間に落ちた瞬間、オーリアの首元に氷のつららが突き刺さった。
「かっ――!」
溢れた血が、床へと滴る。
オーリアの身体が崩れかけた瞬間、バルドが駆け寄り、両腕で受け止めた。
「親父!!」
「そんな!!」
二人の叫ぶ声は震え、焦りが滲んでいた。
バルドの腕の中で、オーリアの体温が、驚くほど速く失われていく。
「親父……しっかりしろ!!」
オーリアは口から血を吹き、そして――微かに、口角が上がり、笑う。
震える指が伸び、バルドの胸元を、そっと押した。
「……っ」
バルドは言葉を失ったまま、その指先が力を失っていくのを感じる。
やがて、オーリアの腕が落ちた。
バルドはゆっくりとオーリアの身体を床に横たえる。
オーリアの顔は安堵したような表情に見えた。
バルドは涙をこらえて、悔やむように呟く。
「すまない……」
最深部に、乾いた足音がコツコツと響く。
「いったい何を話してるんだ?」
低く悍ましい声が、最深部の空間を震わせた。
キールが振り返った瞬間、反射的に身を固くし、心拍が跳ね上がる。
そこに立っている“あり得ないはずの人物”を認識した途端、呼吸が止まった。
バルドは胸の想いを殺して、その声に反応し表情が強ばる。
「あの時、親父と話していた声だ。間違いない、あいつがモロスだ」
キールの喉から漏れた声は震えていた。
「エイダ……さん……?」
意味が分からなかった。
リリアを救った恩人の声と、“闇そのもの”の声が繋がらない。
「馬鹿言え。こんな地下の研究所にいるわけ」
しかし、キールの瞳には確信と恐怖が同時に灯っていた。
「いえ、彼です。アウローラの裏切り者は……まさか……」
黒と白が混ざった髪と高級スーツに落ち着き払った眼差し。
リリアの恩人であり、イオラと共にアウローラを創った一人。
――エイダだった。
男は薄く、ひどく“冷たく満足した”笑みを浮かべる。
「ご明察。だが、“エイダ”という仮面はもう不要だ。あらためて――」
その瞬間、足元から黒い煙が渦を巻いた。
目の前の人間が“別の存在”へと書き換わっていく。
高価なスーツはそのままなのに、そこに立っているのは別人だった。
灰色の髪が無重力のように揺れ、顔には深く横に刻まれたの傷。
瞳は表情を持たない氷のような冷たさ。
男は愉悦を滲ませ、口角を奇妙に歪めた。
「私はモロス。これより世界を巻き込む最高の“劇”が、まもなく開幕する」
キールは言葉をを失い、心臓を素手で掴まれたような感覚が走る。
バルドでさえ、一歩後ずさりそうになるほどの“圧”。
「さあ――お前たちは、舞台に立ち続けられるかな?」
照明も幕もないはずの場所で、世界を巻き込むステージが静かに開く。
世界が傾き始めた最初の合図に気づけた者は、一人もいなかった。




