第67話『ファントム・ナイト』
2028年──バルドが25歳の時
バルドは影をまとい、レアマシーの夜を歩く黒い亡霊になっていた。
バルドが狙うのは決まって自分の人生を壊した上流階級の人間。
奪い、虐げ、搾取し、自分の快楽だけを求めて生きている者たち。
ある日の深夜
「貴様!! 誰に手を出したと思っているんだ!!」
はげ上がった頭を汗で光らせ、脂ぎった皮膚にシミを浮かべた男が怒鳴る。
机には、横領でかき集めた札束、金塊、宝石が山のように積まれていた。
「お前にこれは必要ない。 自分の腹の肉で食べとけ」
その瞬間、男の足元がぐにゃりと黒く沈む。
影が男の足を掴み、腰まで飲み込んだ。
「ひっ、いやだ……やめ……」
バルドは無感情に男を見て、影が音もなく閉じて消える。
「お前に助けを求めた奴に詫びながら死んでいけ」
翌朝 スラム地区
朝の陽光の下、ぼろぼろの路地に大量の金と食料が置かれていた。
「ファントム・ナイト様じゃ……!」
「これで子供たちが食える。ありがたい」
人々は泣いて喜んでいた。
ビルの屋上からバルドは、風影の中でその光景を見下ろす。
そして、虚空の一点をずっと見つめたまま、ぼそりと言った。
「次のクソをぶっ潰さないと」
その日の夜
「どうかそれだけは嫌っ!」
細い路地で、女の悲鳴が反響していた。
「いいから脱げ!!お前の匂いを嗅ぎたいんだよ」
舌をだして、女を壁に押しつける男。
その背後から黒い影の手が伸びる。
「……っ!?」
男は突然空中に引き上げられ、壁へ、地面へ、天井へと影の腕に振り回される。
バキッ。ゴンッ。グシャッ。
骨の折れ、肉の潰れる音が響いた。
女は震えながら見ている。
バルドは近づき、無表情で言った。
「……さっさと逃げろ。お前に興味はない」
女は涙を滲ませ、震えた声で礼を言い走り去る。
バルドは倒れた男に吐き捨てるように言った。
「クソ豚が」
金と食糧をスラムに落としていく“汚れを祓う影の騎士”がいると噂が広がる。
だが同時に、バルドは窃盗や武器売買、麻薬にも加担した。
金のためでも、正義のためでもない。
ただ──「なにも感じなくなる瞬間」が欲しかっただけだった。
バルドの中で、ただ暴力の中だけが、唯一の“逃げ場所”だったのかもしれない。
ある日の誰にも見つからないはずの地下のアジト。
バルドが帰宅すると、カン、と音が聞こえ、背後で空気が裂けた。
「誰だ!!」
振り返りざま、灯りをつけた瞬間、そこに立っていたのはゾディア、ルビル、チフカの三人だった。
かつて地獄の元凶だった三人を見て、バルドは顔色一つ変えずに言う。
「お前ら、なんでここに」
ルビルが、勝ち誇ったように顎を上げた。
「あんたが“余計なこと”しまくったからでしょ?
あたしが関わってる麻薬ルートを辿ったらやっと、あんたを見つけられたわ」
その言い方に、バルドの瞳が鋭く光る。
「何の話だよ。意味がわからないな」
チフカが吐き捨てるように言った。
「トボけないでよ!! 上流階級を恐怖に染めてるのは、あんたでしょ!?」
ゾディアの顔は怒りで真っ赤で息は荒く、目が血走っている。
「お前のせいで俺たちの会社は傾いたんだ!! 生きてること自体が迷惑なんだよ!!」
バルドは腹を抱えて笑い出した。
「ハハ……ハハハハ!! 会社が危ないのは“俺”のせい? お前らが能無しだからだろ!? 汚い裏取引しねぇと立場が保てない程の無能っぷり。自力でどうにかすることを考えろ、七光りどもが」
三兄妹の顔色が一斉に変わり図星を刺され、怒りで震えている。
ゾディアが震える声で叫んだ。
「だから殺しに来た!! 父上の合意のもとでな!!!」
その言葉は、バルドの中の何かを凍らせる。
その一瞬の隙を、ルビルとチフカは見逃さなかった。
「いまだ!!」
スタンガンが脇腹と背中に押し当てられる。
「っぐ……!! くそ……!」
電流が走り、バルドの膝が落ちた。
ゾディアはその隙に鈍器を持ち、狂ったように振り上げる。
「死ねぇぇぇぇ!!!」
バルドの身体が、反射的に影へと溶けた。
ゾディアの鈍器は空を切り――後方に立っていたチフカの顔面に直撃する。
――グシャ。
肉が潰れる重い音。
壁に赤い飛沫が飛び散り、チフカの身体がゆっくり崩れ落ちた。
ルビルは喉の奥から悲鳴をあげる。
「いや……いやぁ……! 私、何も知らない!!」
ゾディアは膝をつき、震える手で鈍器を落とした。
「ち、違う……ちが…… 俺じゃない!! 俺じゃない!!」
床には原型を失った顔から血が広がり、肉片が転がっていた。
バルドはゆっくりと立ち上がり、ゾディアとルビルを見下ろす。
「お前ら、どこまで腐ってんだ」
その声は怒りでも憎悪でもない、ただの呆れだった。
もうこの一族に、人の形をしたものはひとりもいない。
ゾディアとルビルは腰を抜かし、震えたまま床に崩れ落ちている。
鎧のように誇っていた力も威厳も消え失せ、ただ情けなく泣きじゃくるだけの存在に成り果てていた。
そのみっともない姿を見て、バルドは思わず鼻で笑う。
「威勢だけは一丁前だったくせに、これかよ」
バルドは影をまとい、静かにその場を去った。
そして数日後、バルドは驚愕した目でテレビの画面を見つめていた。
そこには父であるオーリア・ハールメスが険しい表情で言う。
「今回、我が娘を殺した犯人はバルドと名乗る犯罪者である」
その一言で、バルドの胸に熱い鉄の杭が打ち込まれたようだった。
画面の向こうのオーリアは、まるで善人のような口調で続ける。
「彼はかつて画家として成功していたが、私の子の“恋人”にまで手を出し、
これまでも何かと我々を邪魔してきたがついに、我が子を殺すなど許しがたい」
画面の端で、ゾディアとルビルが悲劇の主人公のような顔で泣いていた。
バルドの影は、その黒をさらに濁らせ、深く沈んでいく。
(こいつらはいつまで俺の人生を壊す気なんだ? 今度は殺人の罪まで着せるなら奪われる前に――)
「全員殺してやる……」
どれだけ逃げても、どれだけ関わらないようにしても、奴らは必ず追ってくる。
バルドの目的は変わり、尊厳を守るためでも、上流階級への復讐のためでもない。
“奪われる前に奪う”それが 生存本能になった。
自分の命を守るためには、自分が先に殺すしかない。
そして――2029年
バルドは1年間、ゾディアとルビルの行方を追い続けるが、消えたように痕跡がなかった。
焦りと苛立ちは剥き出しの刃のように心を削っていた。
そんなある夜。
「父を殺す」という一点を胸に、バルドはハールメス邸に忍び込む。
しかしバルドは、父がモニター越しに”声しか聞こえない人物”とUMHにまつわる計画を盗み聞きしてしまう。
人工UMH、クローン研究、謎の取引、そして、洗脳ができる少女による全UMHの掌握。
そこには一家と個人ではなく、巨大な陰謀の影があった。
バルドは息を呑む。
(一体何を企んでるんだ。これは親父を殺しても、止まる話じゃない)
巨大で、もっと邪悪な“何か”が、世界ごと裏返そうとしている。
(親父のことは後で殺せる。この危険な計画を放っておけば必ず奪われる。俺の自由も、未来も、全部――)
そして、その歯車の中心にひとりの少女の名があった。
――有川莉々愛。
胸の奥のどろりとした影がざわめいく。
“生き残るために、先に奪わなければいけない相手”。
父殺しの炎は消えたわけではない。
ただ、もっと黒く、もっと深い影がその前に立ちはだかりバルドは、その少女を追う決意を固めた。
自分の命を守るため。二度と奪わせないために。
それがどんな相手だろうとも。




