第18章:知らなかったあなた
病院から戻って数日、レイは仕事に復帰していた。
だが、頭の中は以前のように切り替わらなかった。
会議中にふと、あの笑顔を思い出してしまう。
病室でのあのやりとり、そしてアオイの小さな涙と微笑み。
(……あんな表情、初めて見たな。)
—
仕事を終えて帰宅した夜。
ベランダに出ると、ちょうど壁の向こうから声が聞こえた。
「レイさーん、今日もお疲れさま!」
「……テンション高いな、最近。」
「そりゃそうだよ。父が起きて、レイさんに美味しいご飯も作ってもらって……」
「俺はついでか。」
「ふふ、メインだよ。たぶん。」
「“たぶん”かよ。」
—
「そういえば、暇つぶしに絵描いてたんだ。」
「絵?」
「うん、ちょっと見せよっか?」
ガサガサ、と紙の音。しばらくして、小さなスケッチブックがベランダの上から投げられてきた。
レイはそれを手に取り、ページをめくった。
そこには、柔らかいタッチで描かれた人や風景が並んでいた。
素朴で、でも表情のある線。光と影の入れ方も上手かった。
「……これ、お前が描いたのか?」
「うん。小さい頃からの趣味。誰にも見せたことなかったけど。」
「……すごいな。」
「ありがとう。……レイさんも、絵、描いてみる?」
「いや、俺はもう前回で懲りた。」
「また描いてよ!今度は真面目に!」
「……真面目に描いたやつだったんだが。」
笑い声が重なる。
その夜、ふたりは絵の話をしながら、ゆっくりと時間を過ごした。
ベランダ越しの距離は、もう“壁”ではなかった。




