第9話:焼肉屋の在庫危機と泣く店長〜商魂たくましい現代人と腹ペコエルフの利害一致〜
『申し訳ございません。こちらの商品は、本日売り切れとなりました』
半個室のテーブル席に設置された、注文用のタッチパネル。
無機質な電子音とともに画面に表示された非情なテキストを前に、あずき色のジャージを着た美少女エルフ・シルフィリアは、まるで世界の終わりを目撃したかのように絶望の表情を浮かべて固まっていた。
「う、うりきれ……? 売り切れ、とは……つまり……?」
「そのまんまの意味よ。今日、このお店が用意していた『すき焼き風・極上サーロイン』の在庫が、全部なくなっちゃったってこと」
篠原結衣が冷や汗を流しながら答えると、シルフィの碧眼からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「そ、そんな……! 卵の黄身という黄金の泉に、極上の霜降り肉をくぐらせるという、あの魅惑の魔法儀式が……私の目の前で、永遠に失われてしまったというのですか!? ああ、精霊よ! 私の日頃の行いが悪かったのでしょうか!」
「いや、あんたがさっきから『極上カルビ』やら『特上ハラミ』やらを、一人で百人前以上食べてるからだよ! 常識的に考えて、お店のストックがもつわけないじゃない!」
結衣のツッコミも虚しく、シルフィは机に突っ伏してシクシクと泣き始めてしまった。
実はこの時、結衣のスマートフォンのカメラは、絶賛『生配信中』であった。
事の発端は一時間前。焼肉大将軍・プレミアム亭に入店し、シルフィが凄まじい勢いで肉を平らげ始めた頃、結衣のスマホにファンからの通知が殺到したのだ。
『収益化おめでとう!』『今日はお祝い配信やらないの?』という熱烈なリクエストに応える形で、結衣は急遽、三脚を立てて生配信をスタートさせていた。
現在、画面の左上に表示されている同時接続者数は、驚異の『一万二千人』。
昨日の二郎系ラーメン五キロ完食の伝説がネットニュースになったこともあり、視聴者の数はうなぎ登りに増え続けていた。
そんな一万人以上の大観衆の前で、突如として訪れた『在庫切れ』というハプニング。チャット欄は爆笑と同情の渦に巻き込まれていた。
『うわあああ! エルフちゃんが泣いちゃった!』
『焼肉屋の在庫食い尽くすとかマジで伝説すぎるだろwww』
『店側からしたらテロでしかないww』
『そりゃ百人前食ったら売り切れるわな』
『サーロイン食えなくて絶望してる顔も可愛い』
『可哀想に……俺が牛一頭買ってやるよ!』
『スパチャ投げるから別の店ハシゴしてくれ!』
色とりどりの投げ銭が乱れ飛ぶ中、結衣は慌ててタッチパネルを操作した。
「し、シルフィ! 泣かないで! サーロインは売り切れたけど、まだ他のお肉があるかもしれないから!」
結衣が『特上カルビ』のボタンを押す。
『申し訳ございません。こちらの商品は、本日売り切れとなりました』
「えっ!? じゃあ、厚切り牛タンは!?」
『売り切れとなりました』
「壺漬けハラミ!」
『売り切れとなりました』
「……ウソでしょ」
結衣が画面をスクロールしていくと、プレミアムコースで頼めるはずの『特上』『極上』と名のつく高級肉のメニューが、見事なまでに全てグレーアウトし『売切』の赤いスタンプが押されていたのだ。
「ああ……終わりました。結衣殿、お肉の神様は私たちを見放したのです……。私の体内のマナが、お肉を求めて悲鳴を上げています……」
『ギュルルルルルルルルルルルルッ!!』
マイクが、シルフィの底なしの飢餓を訴える轟音を拾う。すでに十キロ近い肉と白米を胃袋に収めているというのに、彼女のお腹はペタンと平らなままである。
一方その頃。
プレミアム亭の厨房では、三十代の女性店長・佐々木が、頭を抱えてしゃがみ込んでいた。
「……終わった。今週末の三連休に向けて、完璧に仕込んでおいた特上肉の在庫が……たった一時間で、全て消滅した……?」
「て、店長! どうします!? このままじゃ、後から来るプレミアムコースのお客さんに出すお肉がありません! クレームの嵐になります!」
青ざめるアルバイトの言葉に、佐々木店長はギリッと奥歯を噛み締めた。
彼女は、この店舗の売上をエリアナンバーワンに押し上げた、やり手で知られる商魂たくましい女店長である。利益率の計算と、客の回転率には命をかけていた。
「……五番テーブルの二人組だったわね。食べ放題のルール上、注文されたら出すしかないけど、さすがに『常識の範囲』ってものがあるわ。もしかして、タッパーにでも隠して持ち帰ろうとしてるんじゃないの?」
「い、いえ! 私が下げ膳に行きましたけど、あの金髪の女の子、ものすごいスピードで全部食べてました! しかも、めっちゃ美味そうに!」
「人間の胃袋に物理的に入る量じゃないわ! ……いいわ、私が直接行って、やんわりと『ストップ』をかけてくる。胃腸の限界を超えた過度な注文はお断りするっていう、規約のグレーゾーンを突くわよ!」
佐々木店長はエプロンの紐を締め直し、鬼の形相で厨房を飛び出した。
ズカズカと店内を歩き、ターゲットである半個室の五番テーブルの前に立つ。
「失礼いたします、お客様」
佐々木は、営業用の完璧な作り笑いを顔に貼り付けて、暖簾をくぐった。
「あの、誠に恐縮なのですが、当店の在庫が……え?」
佐々木は、言いかけた言葉を飲み込み、目の前の光景に呆然とした。
そこには、大量の空き皿に囲まれ、リングライトの眩い光を浴びながら、スマホのカメラに向かって熱弁を振るうあずき色ジャージの美少女の姿があったのだ。
「――ですから皆様! この『プレミアム亭』のお肉は、本当に、本当に素晴らしいのです! 特に、あの極上霜降りカルビ! 口に入れた瞬間に広がる甘い脂と、特製のタレのハーモニーは、私の長いエルフの人生の中でも三本の指に入る至高の味わいでした! サーロインが食べられなかったのは残念ですが、あれほど美味しいお肉が売り切れてしまうのは、むしろ当然のことと言えましょう!」
シルフィは、カメラの向こうの一万人以上の視聴者に向けて、涙ながらに(サーロインが食べられなかった悔し涙だが)、プレミアム亭の肉の素晴らしさを大絶賛していたのである。
「え……? エルフ……? 配信……?」
佐々木店長が困惑していると、カメラの裏側にいた結衣が慌てて立ち上がった。
「あ、店長さんですか! すみません、うちの子がいっぱい食べちゃって……! でも、タッパーとかで持ち帰ったり、残したりは絶対にしていません! 全部、綺麗に完食してますから!」
「あ、いえ……それは……その、カメラは一体?」
「あ、これですか? YouTubeの生配信です。今、一万二千人くらいの方が見てくれています」
「い、いちまんにせんにん!?」
佐々木の顔色が変わった。
結衣がスマホの画面を少し傾けて佐々木に見せると、そこには凄まじい勢いで流れるチャット欄が表示されていた。
『エルフちゃんがそこまで言うなら、マジで美味いんだろうな』
『プレミアム亭、今度行ってみようぜ!』
『うちの近くにも店舗あるわ。明日の夜予約しよっと』
『カルビ百人前食える店とか最高かよ』
『店長さん来たぞww怒られるか!?』
『在庫食い尽くしてごめんなさい!』
佐々木店長の脳内で、電卓が弾ける音がした。
(同時接続、一万二千人……。しかも、こんなに熱狂的で、好意的なコメントばかり……。テレビのグルメ番組でCMを打てば、数百万、いや数千万の広告費がかかる。それが今、この瞬間、全国の一万二千人の見込み客に向けて、タダ同然で、これ以上ないほど美味そうに宣伝されている……!?)
佐々木は、やり手の店長である。
この圧倒的な『宣伝効果』を前にして、肉の仕入れ値などという小さな損失にこだわるような凡庸な商人ではなかった。
(ここで怒って配信を止めさせたら、ネットで炎上するリスクすらある。逆に、この波に乗れば……全国のプレミアム亭の売上が爆増する!!)
次の瞬間。
佐々木店長の顔から営業用の作り笑いが消え、代わりに、まるで長年の友人に再会したかのような、満面の、そして商魂たくましい『本物の笑顔』が咲き誇った。
「――っはっはっは!! 怒るだなんて、とんでもない!!」
佐々木は突如としてカメラの画角に飛び込み、シルフィの肩をガシッと抱き寄せた。
「ひゃあ!? て、店長殿!?」
「視聴者の皆様、初めまして! 焼肉大将軍・プレミアム亭の店長、佐々木と申します!」
カメラ目線でビシッと頭を下げる佐々木に、チャット欄が『店長乱入キター!』『ノリ良すぎww』と沸き立つ。
「当店のお肉を、ここまで愛し、美味しく食べていただけるなんて、焼肉屋冥利に尽きます! エルフちゃんねるのシルフィちゃんですね? いやぁ、素晴らしい食べっぷりでした!」
「あ、ありがとうございます……? ですが、お肉はもう全て無くなってしまったと……」
シルフィがしょんぼりと言うと、佐々木はニヤリと笑い、大仰な身振りで天を指差した。
「甘い! 甘いですよシルフィちゃん! 我がプレミアム亭を舐めてもらっては困ります! これほどの食欲と情熱を前にして、在庫切れなどと言い訳をするのは三流のやること。超一流である当店には……『秘密の裏メニュー』が存在するのです!!」
「ひ、ひみつのうらめにゅー!!??」
シルフィの碧眼が、これ以上ないほどに見開かれ、星のように輝いた。
「そうです! 本来ならば、VIPのお客様にしかお出ししない、採算度外視の究極の肉! 今夜は特別に、シルフィちゃんと、視聴者の皆様への感謝を込めて、大盤振る舞いいたしましょう!!」
「うおおおおおおおおっ!! 店長殿ぉぉぉぉ!! あなたは神の使いですか!?」
シルフィが佐々木店長の手を両手で握りしめ、ボロボロと感動の涙を流す。
チャット欄も『店長有能すぎる!』『プレミアム亭最高!』『絶対行くわ!』と、最高の盛り上がりを見せていた。
カメラの裏側で、結衣はポカンと口を開けていた。
(な、なんて現金な……いや、商魂たくましい店長さんなの……! お互いの利害が完全に一致してる……!)
「少々お待ちくださいね。今すぐ、最高の極上肉をお持ちしますから!」
佐々木店長はウインクを残し、風のようなスピードで厨房へと戻っていった。
数分後。
「お待たせいたしました! こちらが、当店の秘密の裏メニュー……『A5ランク黒毛和牛・シャトーブリアンの塊焼き』です!!」
ドンッ! とテーブルの中央に置かれた巨大な皿。
そこに乗っていたのは、もはや『焼き肉』の概念を覆すような、分厚いレンガのような肉の塊だった。
深紅の赤身の中に、芸術的なまでに細かく均一に入ったサシ(脂)。
一頭の牛からわずかしか取れない最高級部位、ヒレ肉の中心部であるシャトーブリアン。本来なら、高級鉄板焼き店で数万円は下らない超高級食材である。
佐々木店長は、本当に店の奥の冷凍庫に隠してあった、社長接待用の秘蔵の肉を引っ張り出してきたのだ。
「っっっっ!!!」
シルフィは声にならない悲鳴を上げ、両手で口を覆った。
「なんという美しさ……! 肉が、宝石のように輝いています! これほどの魔力を秘めた肉塊、見たことがありません!」
「さあ、シルフィちゃん! こちらは私が最高の焼き加減で調理させていただきます!」
佐々木店長自らがトングを握り、シャトーブリアンの塊を網の中央へ乗せる。
『ジュワァァァァァァァァァァァァァッ……!!』
上品で、それでいて強烈に食欲をそそる脂の焼ける音が響き渡る。
表面をじっくりと、香ばしく焼き固め、肉汁を中に閉じ込めていく。佐々木のトングさばきはプロのそれであった。網の上で塊肉を転がし、全ての面を均一にコーティングするように焼き上げていく。
「いいですか、シルフィちゃん。シャトーブリアンは、脂の甘みと赤身の旨味が奇跡のバランスで同居している部位です。ハサミでカットしますので、まずは『岩塩』と『生わさび』だけで召し上がってください」
チョキッ、チョキッ。
ハサミで分厚くカットされた断面は、見事なルビー色のレア。
シルフィは震える手で箸を持ち、岩塩を少しだけつけた肉片を、生わさびと共に口の中へ迎え入れた。
――瞬間。
シルフィの全身の力が抜け、椅子の上でふにゃりと溶けそうになった。
「あ…………ああぁ…………」
言葉にならない吐息が漏れる。
「溶けました……。噛む必要が、ありません。唇で触れただけで、肉の繊維がほどけ……舌の上で、濃厚な肉汁の海が広がっていきます」
シルフィの目から、再びツーッと一筋の涙が流れた。
「岩塩が肉の甘みを極限まで引き出し、生わさびの爽やかな香りが、脂の重さを完全に消し去ってくれます。これは、もはや『肉を飲んでいる』のと同じです! お肉の形をした、至高のポーションです!!」
その神がかった食レポと、本当に心の底から幸せそうに涙を流す美少女の姿に、チャット欄の視聴者たちは完全にノックアウトされていた。
『美味そうすぎる……』
『明日絶対焼肉行くわ』
『泣きながら美味い美味いって食ってるの見たら、こっちまで泣けてきた』
『佐々木店長、最高の肉をありがとう!!』
「まだまだありますよ! 次は、ガーリックバター醤油にくぐらせて、白米の上に乗せてみましょう!」
「がーりっくばたーしょうゆ!!? そんな恐ろしい魔法が!?」
佐々木店長の提案に、シルフィの食欲は限界突破を果たした。
そこからは、店長とエルフによる、狂乱の肉の宴であった。
シャトーブリアンの塊はあっという間に消滅し、さらに佐々木は「まだだ! 次は極上厚切りハラミの隠しストックだ!」と、次々に裏メニューを放出した。
シルフィはそれらを、特大マンガ盛りライスと共に、ブラックホールのような胃袋へ次々と吸い込んでいく。
彼女の体内では、数万キロカロリーが凄まじい勢いで魔力へと変換され、黄金色のオーラ(視聴者には照明の加減に見えている)となって立ち上っていた。
「素晴らしい……! 君のようなお客さんに食べてもらえて、肉たちも本望よ!」
佐々木店長は、汗を拭いながら、半分泣き笑いのような表情でシルフィの爆食いを見つめていた。
(……原価計算なんて、もうどうでもいいわ。こんなに美味そうに食べる子を見てたら、採算度外視で食わせてやりたくなるのが料理人の、いや商人の性ってもんよ!)
商魂たくましい現代のチェーン店店長と、ただ純粋に美味しい肉を無限に食べたい異世界のエルフ。
二人の魂が、焼肉の網の上で完全に共鳴し、利害が一致した瞬間であった。
結局、シルフィが完全に満足して「ごちそうさまでした!」と両手を合わせたのは、食べ放題の制限時間百二十分がギリギリ終わる直前のことであった。
「……ぷはぁっ! もう、胃袋の隙間が一ミリもありません! 私、人生で一番幸せなエルフです!」
満面の笑みで膨れたお腹(魔力が充満しているだけだが)をさするシルフィ。
テーブルの上には、佐々木店長が出してきた数十人前の裏メニューの空き皿が、塔のように積み重なっていた。
「お疲れ様でした、シルフィちゃん。結衣さんも、素晴らしい配信をありがとうございました」
佐々木店長は、燃え尽きたように充実した表情で深く一礼した。
「あ、あの……店長さん。裏メニューの追加料金とか……」
結衣が恐る恐る尋ねると、佐々木は力強く首を振った。
「とんでもない! 全て食べ放題の料金内です! これほどの宣伝をしていただけたのですから、むしろ私から出演料をお支払いしたいぐらいですよ。……ああ、でも一つだけお願いがあります」
「お願い、ですか?」
「はい。ぜひ、今度から『焼肉大将軍・プレミアム亭』の公式アンバサダーとして、定期的にうちの肉を動画で食べていただけないでしょうか!」
佐々木の瞳に、再びギラギラとした商人の炎が灯っていた。
「もちろんです!! 毎日でも食べに参ります!!」
結衣が答えるより早く、シルフィが食い気味に即答した。
「毎日来られたらウチが倒産しちゃうわよ!」
結衣のツッコミが入り、カメラの向こうの一万人の視聴者たちも『www』と大爆笑のコメントを打ち込む。
こうして、人生初の焼肉食べ放題は、在庫切れという危機を乗り越え、店長をも巻き込んだ超大型宣伝ライブとして大成功を収めたのであった。
この生配信により、『エルフちゃんねる』の知名度はさらに跳ね上がり、チャンネル登録者数はなんと『十万人』の大台を突破することになる。
YouTubeの世界において、十万人という数字は、単なる素人の枠を超え、一人前のクリエイターとして認められる『銀の盾』を獲得する絶対的な壁である。
お肉の力で銀の盾をも手に入れた結衣とシルフィ。
しかし、彼女たちの活躍は、すでに『ネットの世界』だけには収まらなくなっていた。
この焼肉動画の数日後、結衣のパソコンに一通のメールが届くことになる。
それは、日本の大食い界を牛耳る、テレビ界からの恐るべき『刺客』からの招待状であった。




