第10話:銀の盾とテレビ界からの刺客〜素人ユーチューバー、プロの土俵へ〜
焼肉チェーン店『焼肉大将軍・プレミアム亭』での伝説的な生配信から数日後。
篠原結衣の暮らす築四十年のボロアパートの一室には、これまでにないほど緊張感に満ちた、しかしどこかお祝いムードの空気が漂っていた。
狭いちゃぶ台の上にドンッと置かれていたのは、YouTubeの本社から届いた、ずっしりと重みのある頑丈な段ボール箱である。
「……ついに、届いたわね」
結衣はゴクリと生唾を飲み込み、カッターナイフで慎重に梱包のテープを切り裂いた。
中から現れたのは、光り輝くシルバーの金属パネル。中央にはYouTubeの再生ボタンのシンボルが刻印され、その下には『エルフちゃんねる』のチャンネル名が誇らしげに刻まれている。
そう、チャンネル登録者数『十万人』を突破したクリエイターにだけ贈られる、栄誉の証――通称「銀の盾」であった。
「わあぁぁぁっ……!!」
隣で正座して見守っていたシルフィリアは、銀の盾を取り出すと、目を星のように輝かせて両手で大切に掲げた。
「これが、魔法の板の向こうの民衆が私に授けてくれた、栄光のメダルですね! なんて重厚感があって、美しい銀色の輝きなのでしょう! お肉の脂とはまた違った、神聖な美しさを放っています!」
「メダルって言うか、盾だけどね。でも、本当にすごいことよ、シルフィ」
結衣は感極まった表情で、銀の盾を撫でるシルフィの頭を優しげに撫でた。
「一週間前まで、私たちは食費の底冷えに怯えるただの貧乏人と行き倒れのエルフだった。それが今や、登録者数十万人越えの人気クリエイターよ。プレミアム亭の配信の時も同時接続が一万人を超えて、広告収入も、会社員の月給なんて遥かに超越した額が入ってくるようになったの」
「すべては、結衣殿の素晴らしいプロデュース能力と、そして現代日本の『美味しいご飯』の奇跡の賜物です!」
シルフィは胸に銀の盾を抱きしめ、心から感動したように微笑んだ。
二人の歩んできた道のりは、文字通り怒涛の日々だった。
深夜の公園での出会いに始まり、定食屋での唐揚げ五人前完食、町中華での餃子百個の討伐、アンチとの激闘を制した二郎系ラーメン五キロのスープ完飲、そしてプレミアム亭でのシャトーブリアン無双。
シルフィの底なしの胃袋と圧倒的な美貌、そして結衣の映像クリエイターとしての執念がガッチリとかみ合い、『エルフちゃんねる』は瞬く間にネット界の頂点へと駆け上がっていったのだ。
「せっかくの銀の盾だもの。何かでお祝いしなきゃね。でも、高級焼肉は昨日食べたばかりだし……そうだ!」
結衣は立ち上がり、冷蔵庫の奥から大切に取り出した。
「これよ。スーパーで半額になってた『お祝いイチゴショートケーキ』!」
「おおおっ……! あの白い生クリームと、真っ赤なイチゴの王様が鎮座している高貴なケーキですね!」
シルフィがパッと顔を輝かせる。
銀の盾の横に小さなケーキを置き、二人はささやかながらも最高に満たされたティーパーティーを開いた。スポンジケーキの甘さとイチゴの酸味が、これまでの苦労を優しく洗い流してくれるようだった。
「ふう……美味しかった。さて、これからのことなんだけどさ」
ケーキの皿を片付け、結衣はコーヒーを一口啜ると、少しだけ真面目な顔つきに戻った。
「YouTuberとしての基盤は完璧に固まった。これからは全国のデカ盛り店を巡る企画とか、コラボ動画とか、やりたいことが山ほどあるわ。個人事務所の社長として、もっと大きくしていかないとね」
「はい! 私はいつでも、美味しいもののためならどこへでも馳せ参じます!」
意気揚々と拳を握りしめるシルフィ。
しかし、その平和なアパートの静寂を打ち破るように、結衣のノートパソコンから「ピコンッ!」と新しいメールの受信を知らせる高い電子音が鳴り響いた。
「ん? 仕事用のメールアドレスね。なんだろ、企業案件のオファーかな?」
結衣はマグカップを置き、ノートパソコンの画面を覗き込んだ。
差出人の名前と、そのメールの件名を見た瞬間――結衣の動きが、雷に打たれたようにピタリと停止した。
「……え?」
「結衣殿? また鬼神のような恐ろしい顔をされていますが、今度は何の災難ですか?」
首を傾げるシルフィをよそに、結衣は目を皿のように見開き、画面の文字を何度も瞬きして読み返した。
そこにあったのは、スパムでも企業案件でもなかった。
メールの件名:『【重要】キー局特別番組への出演オファーおよび企画書の件について』
差出人は、テレビ界最大手のキー局である『日本テレビ系バラエティ制作部』。
そして、その本文の差出人名には、かつてネットやテレビ業界で伝説を作った鬼才プロデューサーの名前がしっかりと記されていた。
――『プロデューサー 陣内 拓海』
「じんない……たくみ……?」
結衣は掠れた声で呟いた。
もちろん、業界人の結衣がその名前を知らないわけがない。陣内拓海といえば、かつて日本中に空前の『大食いブーム』を巻き起こし、数々の伝説のフードファイターを世に送り出した、テレビ界の超大物バラエティプロデューサーである。
しかし、数年前にそのブームが下火になって以降、彼は第一線を離れ、鳴りを潜めていたはずだった。
その彼が、なぜ個人の弱小事務所である『エルフちゃんねる』に直接、それもテレビの特番への出演オファーを送ってきたのか。
震える手で、結衣はメールの本文を開き、声に出して読み上げた。
『拝啓 篠原結衣様。突然のメールにて失礼いたします。日本テレビ制作部の陣内です。
私は現在、来る年末の全国放送に向けた超大型特別番組『日本一決定! 爆食サバイバル・バトルロイヤル』の企画を進めております。
ネットを中心に爆発的な人気を誇る『エルフちゃんねる』のシルフィリアさんの圧倒的な食べっぷりと、その比類なき美貌を、私は動画で拝見し、心の底からしびれました。これこそが、かつて私が追い求めていた「本物のエンターテインメント」だと確信しております。
つきましては、番組のスペシャルゲスト、そして「シード枠」の挑戦者として、ぜひともシルフィリアさんをスタジオにお招きしたい。
対戦相手には、現在テレビ界の頂点に君臨する『アイドル大食いクイーン』をはじめ、全国から選りすぐりの猛者たちを用意しております。
ネットの枠を超え、お茶の間の数百万人の視聴者の前で、その胃袋の限界を試してみませんか? 詳細な条件と打ち合わせについて、ぜひ一度お話ししたく存じます。敬具』
読み終わったアパートの中は、完全に静まり返っていた。
「……て、テレビ……?」
シルフィは銀の盾をテーブルに置き、小首を傾げた。
「結衣殿、その『てれび』というもの名前は、以前から街の家電量販店のガラス窓に並ぶ魔導具の映像などで耳にしたことがありますが……つまり、私たちが今している『魔法の板の配信』よりも、さらに多くの人間が見ている巨大な幻影の映写機、ということですか?」
「そう……!」
結衣はガタガタと震えながら立ち上がり、シルフィの両肩を掴んだ。顔面は興奮と驚愕で真っ赤に染まっている。
「YouTubeはあくまでインターネットの世界! でも、テレビのキー局の特番となれば、日本中の一般家庭の茶の間、数千万人の人たちが一斉に見る、正真正銘の『メジャーの舞台』よ! しかも、相手はあの伝説のプロデューサー・陣内拓海……!」
「ふむふむ。で、そのテレビに出演すると、私たちはさらにたくさんのお肉や、美味しいご飯にありつけるのでしょうか?」
「ありつけるどころじゃないわよ! ギャラ(出演料)として、YouTubeの広告収入の何倍ものゴールドが転がり込んでくるかもしれないし、何より私たちの知名度が日本全国の隅々まで轟くことになるの!」
結衣のクリエイターとしての野心が、再び激しく燃え上がった。
ブラック企業の底辺ディレクターだった自分が、ネットの海で這い上がり、ついに『テレビ業界』というプロの土俵から直接招待状を叩きつけられたのだ。こんなに胸が熱くなる展開があるだろうか。
「ただし……」
結衣は急に真剣な表情になり、シルフィの顔をまっすぐに見据えた。
「テレビの世界は、ネットとは違う。編集の魔法でごまかせない生放送や、厳格に管理されたスタジオでのルール、そして……現役でテレビの第一線を走り続けている『プロのフードファイター』たちとの、ガチンコの戦いが待っている。甘くはないわよ」
シルフィはクスリと笑い、長い金髪をかき上げた。
「結衣殿。私を誰だと思っているのですか? 私は森の精霊の加護を受け、カロリーを魔力に変換し、二郎系のエベレストすらスープの一滴まで平らげたエルフです。相手が画面の向こうの配信者であろうと、テレビの中の女王であろうと、目の前に美味しいご飯がある限り、私の胃袋に敵はありません!」
その言葉には、一週間前の頼りなさは一切なく、大食い界の頂点を見据える『捕食者』としての自信と誇りが満ち満ちていた。
「……言うじゃない。よし、決めた!」
結衣は決意を込め、力強く頷いた。
「陣内プロデューサーに返事をするわ。テレビの特番、受けて立つ!」
「おおーっ!!」
銀の盾が飾られたちゃぶ台の上で、二人は高らかに拳を突き合わせた。
* * *
その日の午後。
都内某所、日本テレビの豪華な会議室。
分厚いガラス窓の向こうに東京のビル群を望む部屋の中で、鋭い眼光を持つ中年の男が、一枚の企画書を満足そうに眺めていた。
元・伝説のバラエティプロデューサー、陣内拓海である。
彼は腕を組み、口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
「……ふっ。『エルフちゃんねる』か。ネットの再生数稼ぎのイロモノだと思っていたが、あの二郎系生配信の動画を見たときは鳥肌が立ったよ。あんなに美しく、あんなに楽しそうに、底なしの胃袋で食べ尽くす素材なんて、今のテレビ界にはどこにもいない」
陣内は手元のスマートフォンで、シルフィのこれまでの動画を再生し、画面を食い入るように見つめている。
「テレビのバラエティは、最近すっかりおとなしくなりやがった。視聴者は刺激を求めているんだ。あの美少女エルフをスタジオの真ん中に放り込んだら、どんな化学反応が起きるか……想像しただけでワクワクするぜ」
そこに、ノックの音が響き、若い助監督(AD)が青ざめた顔で慌てて部屋に飛び込ってきた。
「じ、陣内さん! 大変です!」
「どうした大声を出して。お前が担当している『大食い新人王決定戦』の予選リストに何か不備でもあったのか?」
「い、違います! それもあるんですが……それ以上に大変なことが!」
ADはスマホの画面を陣内に突き出した。
「さっき、ネットのニュース速報で流れたんですが……テレビ特番へのゲスト出演オファーを送っていた『エルフちゃんねる』のシルフィリアが……!」
「ほう、返事が来たか。で、どうだ? 受けてくれるか?」
「受けてくれるどころか……!」
ADは冷や汗を拭いながら、震える声で告げた。
「彼女、ネットの生配信でこう宣言したんです。『テレビ局の特番で、現役のアイドルクイーンも、歴代のレジェンドも、私の胃袋の前に全員ひれ伏させて、日本一の称号をいただいてきます』って……!」
――静寂。
会議室の空気が一瞬で凍りついた。
次の瞬間、陣内拓海は、腹の底から湧き上がるような野太い笑い声を上げた。
「はっ……! はははははははっ!! 素晴らしい! 最高だ!!」
陣内は机をドンッと叩き、目をぎらぎらと輝かせた。
「謙遜もせず、真っ向からテレビ界の牙城に宣戦布告とはな! よく言ってくれたわ!」
彼は立ち上がり、窓の外の青空を見上げながら、気炎を吐くように呟いた。
「いいだろう! ネットの寵児よ、プロの土俵へ這い上がってきなさい! お前を待ち構えるのは、一筋縄ではいかない最強の美女ファイターたちだ。テレビの電波を揺るがす、史上最大の胃袋バトル……最高のショーにしてやるぜ!!」
銀の盾を手に入れた素人ユーチューバーは、ついにテレビ界という巨大なプロの舞台へ足を踏み入れる。
彼女を待ち受けるのは、裏表の激しいアイドル大食いクイーン・姫野くるみとの出会い、そして甘いスイーツの地獄と化すテレビ局のスタジオであった。




