第8話:祝・収益化! 人生初の焼肉食べ放題〜網の上の錬金術と無限の肉〜
奇跡は、往々にして突然起こるものである。
あの伝説となった『二郎系ラーメン五キロ、スープまで完全完食ノーカット生配信』から、一週間が経過していた。
篠原結衣の暮らす築四十年のボロアパートに、朝から結衣のすすり泣く声が響き渡っていた。
「うぅぅ……ぐすっ……。嘘じゃない、嘘じゃないよぉ……!」
万年床の上で、結衣はスマートフォンを両手で握りしめ、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた。
「結衣殿!? 朝からどうされたのですか!? まさか、ついにこの館からお米が底をついたと!? ああ、神よ! なんという残酷な試練を!」
傍らで、あずき色のジャージを着たシルフィリアが、結衣の涙を見て勝手に絶望し、天を仰いで悲痛な叫びを上げていた。
「違うわよ、バカエルフ……! お米なら昨日ドンキで十キロ買ってきたから棚にあるわよ……!」
「おお! なんと慈悲深い! で、ではなぜ結衣殿は泣いているのですか? どこかお怪我でも?」
「嬉し泣きよ……! 見て、これ!」
結衣は涙や鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、スマホの画面をシルフィに突きつけた。
そこに表示されていたのは、動画共有サイトのクリエイター向けダッシュボード画面だった。
「……登録者数、八万五千人。昨日の夜の時点で、ついに審査が通ったのよ……!」
二郎系ラーメンの生配信は、ネット上で特大のバズを引き起こした。
『ジャージ姿の超絶美少女が、全く顔色を変えずに五キロの二郎系ラーメンのスープまで飲み干す動画』の切り抜きは、瞬く間にSNSで拡散され、様々なまとめサイトやインフルエンサーに取り上げられた。
「CGだ」「吐き出している」と騒いでいたアンチたちは、ノーカットの生配信という動かぬ証拠を前に完全に沈黙し、手のひらを返して熱狂的なファンへと姿を変えた。
その結果、『エルフちゃんねる』の登録者数は、たった一週間でゼロから八万人以上にまで膨れ上がっていたのだ。
「そしてね、シルフィ……! ついに、ついに広告収入の審査が通ったの! これを見て!」
結衣が震える指で画面をタップすると、『推定収益』の欄に数字が表示された。
「過去の動画の再生数にも広告がついて……すでに、私の会社の初任給よりも多い金額が、確約されてるのよ……!」
「しょ、初任給とはどれほどか存じ上げませんが……つまり、その魔法の板を通じて、莫大な『ゴールド』が手に入ったということですか!?」
「そういうこと! 私たちは勝ったの! 食費の恐怖に怯える日々は終わったのよ!!」
「おおおおおおおっ!!!」
シルフィは結衣と抱き合い、飛び跳ねて歓喜した。
ブラック企業の限界社畜ディレクターと、異世界からやってきた燃費最悪のはらぺこエルフ。どん底だった二人の人生が、見事にひっくり返った瞬間であった。
「……というわけで、シルフィ。今日は約束通り、お祝いよ」
結衣は涙を拭い、ビシッとシルフィを指差した。
「あんたがずっと夢見ていた、あの言葉を教えてあげる。着替えて出発よ!」
「ずっと夢見ていた言葉……! まさか!」
「そう、今日は『特上焼肉食べ放題』に行くわよ!!」
「やきにくたべほうだい!! なんという神々しい響き!! ああ、精霊よ感謝します!!」
* * *
二人がやってきたのは、隣駅にある少し高級な焼肉チェーン店『焼肉大将軍・プレミアム亭』であった。
一人あたりの料金が五千円を超える、いわゆる『ワンランク上の食べ放題』である。以前の結衣の財力では絶対に手が出せなかったが、今の彼女には未来の広告収入という強大な後ろ盾がある。
「いらっしゃいませ。二名様ですね。本日はどのコースになさいますか?」
「一番高い『極上和牛・全品食べ放題コース』で。時間は百二十分ですよね?」
「はい、かしこまりました。お席へご案内いたします」
黒服の店員に案内され、半個室のテーブル席に座る二人。
シルフィの目は、すでにテーブルの中央に鎮座する『ロースター(焼き網)』に釘付けになっていた。
「ゆ、結衣殿! テーブルの真ん中に、鉄の網と火の魔法陣が仕掛けられています! これは一体!?」
「あれが焼肉の要よ。お肉は生のまま運ばれてくるから、自分の好きな焼き加減で、目の前の網で焼いて食べるの。セルフ調理システムね」
「なんと……! 客自らが火の番をし、肉の命を昇華させる儀式を行うと!? なんて画期的で、恐ろしいシステムなのでしょうか! これなら、厨房の調理時間を待つことなく、無限に肉を食らうことができます!」
シルフィは天才的なひらめきを得たように目を輝かせた。
「そしてシルフィ。この『食べ放題』っていうのはね、今から二時間の間、このメニューにあるお肉やご飯、デザートまで、どれだけ頼んでも、どれだけ食べても、料金が一切変わらないっていう、現代の神のシステムよ」
「ど、どれだけ食べても……!?」
シルフィの碧眼が見開かれた。
「結衣殿、それは本当ですか? 店の在庫を食い尽くしても、怒られないのですか!?」
「まあ、常識の範囲内ならね。でも、あんたの胃袋なら常識なんてぶっ壊せるでしょ?」
「はいっ!! 私のエルフの誇りと胃袋にかけて、この店の肉という肉を、全て私の血肉に変えてみせます!!」
結衣はテーブルの端にひっそりとスマホを設置し、録画ボタンを押した。生配信ではなく、通常の動画用の撮影だ。今回は大食いチャレンジのようなプレッシャーもなく、ただ純粋にお祝いの食事を楽しむ姿を撮るつもりだった。
「じゃあ、注文は私がこの『タッチパネル』でやるから。まずは何がいい?」
「全てです! 上から順番に、全てを十人前ずつお願いします!」
「いきなり!? まあいいわ、今日は無礼講よ!」
結衣の指が、タッチパネルの画面を軽快にタップしていく。
『特上厚切り牛タン塩×10』『極上霜降りカルビ×10』『壺漬けハラミ×10』、そして『特大マンガ盛りライス×3』。
数分後。
ワゴンに乗せられた大量の肉皿が、次々とテーブルに運ばれてきた。
「お、お待ちどうさまです……」
大量の肉の山をテーブルに並べながら、店員が少し引いたような表情を見せるが、シルフィの目には肉しか映っていなかった。
「おおおおおっ……!! なんという美しいサシ(脂)! 赤い肉の大地に、まるで冬の初雪が降ったかのような、完璧な霜降り具合です!」
シルフィは割り箸を手に取り、まずは厚切りの牛タンを網の上に乗せた。
『ジュワァァァァァァァァァァッ!!』
高温に熱された網の上で、牛タンの表面が一瞬にして焼き固められ、香ばしい匂いと煙が立ち上る。
「ゆ、結衣殿! 煙が、煙が上の筒(排煙ダクト)に吸い込まれていきます! 煙を喰らう魔法の箱ですか!」
「いいからお肉に集中しなさい! 焦げちゃうわよ!」
「はっ!」
シルフィは絶妙なタイミングで牛タンを裏返し、表面はカリッと、中はほんのりピンク色のレア状態で見事に焼き上げた。
それにレモン汁を少しだけつけ、パクリと口に放り込む。
「っっっ!!!」
咀嚼した瞬間、シルフィの全身に雷が落ちたように震えが走った。
「サクッという歯ごたえの直後、中から溢れ出す濃厚な肉汁! レモンの酸味が牛タン特有の旨味を極限まで引き出し、いつまでも噛んでいたくなるような至福の弾力……! これが、これが『やきにく』の先制攻撃ですか!」
「まだまだ序の口よ。次は王道、極上霜降りカルビいきなさい!」
結衣の指示に従い、シルフィはサシのたっぷり入ったカルビを網に乗せる。
牛タンとは比較にならないほどの大量の脂が網の下に滴り落ち、炎がボワッと燃え上がった。
「炎が! 炎の精霊が肉を祝福しています!」
「ただの脂の引火よ! 早くひっくり返して!」
サッと両面を炙る程度に焼いた極上カルビ。それを、甘辛い醤油ベースの『特製焼肉のタレ』にたっぷりとダイブさせる。
黄金色のタレを纏い、キラキラと輝くカルビの肉片。
シルフィはそれを、真っ白でホカホカの『特大マンガ盛りライス』の上で、ワンバウンドさせた。
白米に、肉の脂と甘辛いタレの染みが広がる。
そして、肉と、タレの染みた白米を一緒に、大きな口を開けて喰らいついた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
もはや、言葉にならなかった。
シルフィは目を閉じ、頬に手を当て、ただひたすらに押し寄せる圧倒的な快楽(旨味)の波に身を委ねていた。
和牛特有の、融点の低い極上の脂が、口の中に入った瞬間に体温でトロリと溶け出す。そこに、醤油とニンニク、フルーツの甘味が溶け込んだタレが強烈なパンチを与え、それらの『味の暴力』を、炊きたての白米という真っ白なキャンバスが優しく、完璧に受け止めるのだ。
「……結衣殿」
シルフィが、とろけるような笑顔で目を開けた。
「私、今なら魔王と素手で戦って勝てる気がします。この『カルビと白米』という組み合わせは、世界を平和にする奇跡の魔法です!」
「大袈裟だけど、その気持ちはわかるわ。焼肉と白米の相性は、人類の至宝だからね」
「はい! この素晴らしい儀式、永遠に続けていられます!」
そこからのシルフィは、まさに『歩くブラックホール』の異名に違わぬ猛烈な捕食劇を開始した。
左手には常に特大のどんぶり飯を持ち、右手は流れるような箸さばきで、生肉を網に乗せ、焼き、タレにつけ、ご飯と共に胃袋に流し込む。
その動きには一切の無駄がなく、まるで熟練の職人が工芸品を作るかのような、滑らかで美しい反復運動だった。
「カルビ、ハラミ、ロース! この『ハラミ』という部位、赤身の強烈な肉の味がタレと絡み合い、ご飯の消費速度を加速させます! 次! この『ホルモン』なる謎の部位もお願いします!」
「ホルモンはよく焼いてね! あ、ちょっと、私食べる暇ないんだけど!」
結衣はタッチパネルでの追加注文と、シルフィの網の上の肉の管理(焦げないように見張る係)に追われ、自分の肉を食べる暇すらなかった。
「すみません結衣殿! ですが、私の体内のマナ・クラフター(魔力変換器官)が、さらなる生贄(お肉)を要求して叫んでいるのです!」
『ギュルルルルルルルルルルルルッ!!』
すでに三十人前以上の肉と、マンガ盛りライス五杯を平らげているにも関わらず、シルフィの平らなお腹からは、底なしの飢餓を訴える轟音が鳴り響いていた。
摂取した数万キロカロリーは、全て一瞬にしてエルフの魔力へと変換され、彼女の圧倒的な美貌と、さらなる食欲を維持するためのエネルギーとして消費されていく。
『ピンポーン!』
『ピンポーン!』
『ピンポーン!』
結衣の指が、限界を超えた速度でタッチパネルを連打する。
「すみませーん! 追加で、特上カルビ二十人前! あと、壺漬けハラミ十五人前と、サンチュ十人前! ご飯の特大をまた三つお願いします!」
「は、はいぃぃっ! ただいまお持ちします!」
大量の空き皿を回収にきたアルバイトの店員が、引きつった笑顔でバックヤードへと走っていく。
開始から一時間が経過した頃。
シルフィのテーブルの上には、もはや数えるのも嫌になるほどの、空になった肉の皿が山のように積み上げられていた。
彼女の食べるスピードは、開始直後から一切落ちていない。
むしろ、様々な部位の肉の味を知り、タレ、塩、レモン、さらにはサンチュで巻いてコチュジャンをつけるなど、味変のテクニックを覚えたことで、その食欲はさらに加速していた。
「はぁ〜っ、美味しいです! この『たまごすーぷ』で口の中の脂を洗い流すと、またゼロからカルビを美味しく食べられますね! まさに永久機関!」
ニコニコと至福の笑顔で、特大の石焼ビビンバを混ぜながらカルビを頬張るシルフィ。
一方。
その頃、店の厨房では、ちょっとしたパニックが起きていた。
「おい、五番テーブル! また特上カルビ二十人前のオーダー入ったぞ!」
「嘘でしょ店長!? さっきハラミ三十人前出したばっかりですよ!?」
「知るか! タッチパネルの履歴見てみろ、あそこのテーブルだけで、すでに肉百人前超えてるんだぞ! 団体客じゃないのか!?」
「それが……女の子二人組なんです。しかも、片方の子は注文係みたいになってて、実質、あの金髪の細い女の子が一人で全部食べてるみたいで……」
「はあ!? なんだそのバケモンは!? このままじゃ、明日の週末用の特上肉のストックが全部食い尽くされちまうぞ……!!」
厨房の混乱など露知らず、シルフィは網の上でジュージューと音を立てる肉の脂の香りに包まれながら、恍惚の表情でタッチパネルを見つめていた。
「結衣殿! 次は、この『すき焼き風・極上サーロイン』という、卵の黄身につけて食べる魔法の肉をお願いします!」
「はいはい、わかったわよ。……あ、あれ? タッチパネルの画面が……」
結衣が注文ボタンを押そうとした瞬間。
画面に表示された文字を見て、二人の動きがピタリと止まった。
『申し訳ございません。こちらの商品は、本日売り切れとなりました』
シルフィの初めての焼肉食べ放題は、店の『在庫』という物理的な壁に直面しようとしていた。
店長が青ざめる在庫危機の物語は、目前に迫っていたのである。




