第5話:プチバズりと心無いアンチコメ〜映像クリエイターの矜持〜
動画を投稿してから、三日が経過した朝のことだった。
結衣の暮らす築四十年の木造アパートに、けたたましいスマートフォンの通知音が鳴り響いていた。
『ピコン、ピコン、ピコン、ピコン、ピコン……!』
「んん……うるさ……目覚まし、止めて……」
万年床の上で、ブラック動画制作会社の激務と徹夜の動画編集による疲労から泥のように眠っていた結衣は、うめき声を上げながら枕元のスマホを手探りで掴んだ。
薄目を開けて画面を見ると、そこには動画共有アプリからの通知が、滝のようにスクロールして表示されていた。
『あなたの動画に新しいコメントが付きました』
『あなたの動画が再生回数の節目を迎えました』
『チャンネル登録者数が増加しています』
「……え? なにこれ……バグ?」
結衣は跳ね起き、両手でスマホを握りしめて画面を凝視した。寝ぼけ眼をゴシゴシと擦り、もう一度見る。
見間違いではない。
三日前に投稿した記念すべき一本目の動画、『【大食い】ジャージの美少女エルフが町中華でジャンボ餃子100個を爆速完食してみた【現代の錬金術】』の再生回数が、とんでもないことになっていた。
投稿初日こそ数十回という身内レベルの数字だったが、今、画面に表示されている再生回数は『12万5千回』。そして、今この瞬間も、リロードするたびに数百回単位で数字が跳ね上がっているのだ。
「じゅ、じゅうにまん……!? 嘘でしょ!?」
結衣の悲鳴に近い叫び声が、狭いワンルームに響き渡った。
「結衣殿、おはようございます。朝から随分と元気ですね。何か良い知らせですか?」
背後から、呑気な声が聞こえてきた。
振り返ると、そこにはあずき色のジャージを着たシルフィが、小さなダイニングテーブルの前に正座していた。彼女の目の前には、近所のスーパーの特売で買ってきた一斤七十八円の激安食パンの空き袋が、なんと『五袋』も散乱している。
シルフィは今まさに、六袋目の食パンを開封し、一枚のパンに安物のマーガリンとイチゴジャムを、地層のように分厚く塗りたくっている最中だった。
「ちょっとシルフィ! あんた、朝から食パン何枚食べてるのよ!」
「はい! これで三十枚目になります! この『しょくぱん』なる四角い食べ物は、非常に軽くて空気を食べているようですね。マーガリンという油の塊と、イチゴジャムという甘露を塗ることで、ようやく胃袋の足しになる程度のカロリーになります。とても美味しいですが、少し物足りません!」
「三十枚って……六斤分じゃない! 普通の家族の一週間分の朝ごはんを一人で……! いや、今はそんなことどうでもいいの!」
結衣はスマホを握りしめたまま、ズンズンとシルフィに歩み寄った。
「シルフィ、バズった! プチバズりよ!」
「ばずり……? それは、何か新しい調味料の名前ですか?」
「違う! 動画よ、私たちの動画! 町中華で餃子百個食べたあの動画が、ネットで大流行してるの! 見て、再生回数十二万回! たった三日で十万人以上の人が、あんたの食べっぷりを見たってことなのよ!」
「じゅ、十万人……!」
ジャムを塗った食パンを口に運ぼうとしていたシルフィの動きが、ピタリと止まった。
「私の餃子討伐クエストを、それほど多くの民衆が目撃したということですか!? では、王国の闘技場を埋め尽くすほどの観衆が、私の食事に熱狂していると!?」
「そういうこと! この勢いなら、収益化の条件であるチャンネル登録者数千人も一瞬でクリアできる! もうすぐ、あんたの胃袋を満たすための『お金』が手に入るってことよ!」
「おおおおおっ!! 素晴らしいです結衣殿! これで心置きなく、あの『特上やきにく』なる最高級の肉塊を口にすることができるのですね!」
シルフィは歓喜の声を上げ、手に持っていたジャムたっぷりの食パンを、まるで一瞬の魔法のようにパクリと丸呑みしてしまった。
興奮冷めやらぬまま、結衣はスマホの画面を操作し、動画のコメント欄を開いた。
クリエイターにとって、視聴者からのコメントはモチベーションの源泉だ。どれだけ絶賛されているのか、ワクワクしながらスクロールしていく。
『うおおお! なんだこの超絶美少女!?』
『ジャージ姿なのに顔面偏差値がカンストしてるww』
『食べ方がめっちゃ綺麗。こんなに大量の餃子食べてるのに、口の周りが全然汚れてないの凄すぎない?』
『サクッ!って音が最高。ASMRとしても優秀。夜中に見るんじゃなかった……腹減ってきた』
『エルフっていう設定痛いけど、可愛いから許す!』
予想通り、シルフィの圧倒的な美貌と、それとは不釣り合いなドカ食いっぷり、そして何より『美味しそうに食べる姿』が高く評価されていた。
「ふふん、でしょ? 私の見立てに狂いはなかったわ。この調子でどんどん……」
結衣が笑顔でスクロールを続けていた、その時だった。
次第に、コメント欄の空気が変わっていることに気がついた。
称賛のコメントに混じって、明らかに棘のある、攻撃的な言葉が目立ち始めたのだ。
『は? 三キロ半の餃子を10分で完食? 物理的に不可能だろ。嘘乙』
『どうせ途中で吐いてるんだろ。過食嘔吐をエンタメにするなよ』
『はいはい、倍速編集おつかれさまー。手の動きとか不自然すぎww』
『4分23秒のところで明らかにジャンプカット(映像の飛び)がある。ここで口の中の物出して、新しい餃子にすり替えてるのバレバレ』
『食べ物粗末にするな。こんなフェイク動画で金稼ごうとしてんのか?』
『そもそも顔が綺麗すぎる。最近流行りのAI生成動画か、ディープフェイクのCGでしょ。よく見ると輪郭が歪んでる気がする』
『CG乙。作り物でバズろうとしてんの痛すぎ』
「…………は?」
結衣の顔から、スッと血の気が引いた。
指先が震え、画面をスクロールする手が止まる。
「結衣殿? どうされましたか? いきなり鬼神のような恐ろしい形相になっていますが……まさか、マーガリンが品切れになったとか!?」
食パンを胃袋に流し込み終えたシルフィが、首を傾げて覗き込んでくる。
「……シルフィ。アンチコメ(批判的なコメント)が湧いてる」
「あんちこめ? それはつまり、私に決闘を挑む敵対勢力ということですか?」
「簡単に言えばそうね。要するに、あんたが餃子を百個食べたっていう事実を『嘘だ』『作り物だ』って言いがかりをつけてきてる奴らがいるのよ。途中で吐いてるとか、早送りしてるとか、果てはあんたの存在自体が『CG』だとか言い出してる」
結衣の説明を聞いたシルフィは、美しい眉をひそめ、不思議そうに瞬きをした。
「……しーじー?」
「コンピューターで作られた、偽物の映像ってことよ。あんたの顔が綺麗すぎて、現実の人間じゃない、作り物だと思われてるの」
その言葉を聞いて、シルフィはポンと手を打った。
「なるほど! つまり、その『しーじー』というのは、私が食べたジャンボ餃子や、特上やきにくよりも、さらに美味しい高級食材の名前なのですね!」
「……え?」
「私の存在が疑われるほど美味しい、幻の肉! それが『しーじー』! 結衣殿、ぜひ今日の夕食はその『しーじー』なるものを百人前ほど用意していただけないでしょうか! エルフの胃袋にかけて、完食してみせます!」
満面の笑みで、拳を握りしめて熱弁するシルフィ。
彼女には、ネットの悪意や誹謗中傷など、微塵も通じていなかった。ただひたすらに、「食えるのか、食えないのか」の二択しか存在していないのだ。
「……バカエルフ。CGは食べ物じゃないの。あんたが『嘘つきだ』って馬鹿にされてるのよ。腹立たないの?」
「嘘つき? はて。私は命の恩人である結衣殿と、森の精霊に誓って、あの餃子を一つ残らず美味しく胃袋に納めました。事実である以上、見ず知らずの者が何を言おうと、私の腹の足しにもなりません。それより、お昼ごはんは何ですか?」
ケロッとしているシルフィを見て、結衣は毒気を抜かれそうになった。
確かに、本人が気にしていないのなら、アンチコメントなど無視すればいい。YouTubeの世界において、有名になれば一定数のアンチが湧くのは避けられない宿命だ。有名税のようなものだと割り切るのが、賢いクリエイターのやり方だ。
しかし。
結衣の目は、一つのコメントに釘付けになっていた。
『編集が素人以下。カット割りが下手くそすぎて偽造してるのが丸わかり。こんなんで騙せると思ってる編集者の頭の悪さが透けて見えるわww』
ブチッ。
結衣の脳内で、何かが決定的に切れる音がした。
「……フェイク、だと?」
結衣はギリッと奥歯を噛み締め、スマホの画面にヒビが入りそうなほどの力で握りしめた。
「私が……私が、どれだけの思いでこの動画を編集したと思ってんだ……!!」
結衣はブラック動画制作会社で、来る日も来る日も、理不尽なクライアントの要求に応え、テロップの一文字、BGMの一音、カットの一フレーム単位まで、命を削って映像を作ってきたプロのディレクターだ。
今回のシルフィの動画だってそうだ。
ただ垂れ流すだけでは間延びしてしまう十分間の映像を、シルフィの美しい咀嚼音(ASMR)を最大限に活かすため、周囲の雑音をイコライザーで極限まで削り落とし、餃子の黄金色の焼き目が一番美味しそうに見えるようにカラーグレーディング(色調補正)をミリ単位で調整した。
視聴者が飽きないように、シルフィの呼吸のタイミングに合わせて、不自然にならないように細かくジャンプカットを入れ、テンポを極限まで良くしたのだ。
すべては、『シルフィが美味しそうに食べる姿』を、最高のエンターテインメントとして視聴者に届けるための、プロとしての計算し尽くされた編集技術だった。
それを。
それを、顔も見えない匿名の素人どもが、「吐き出すための不自然なカット」「偽造のための編集」だと!?
「ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
結衣の絶叫が、アパートの壁を震わせた。
「ひいっ!? ゆ、結衣殿!? 突然どうされたのですか!? まさか魔王が降臨したのですか!?」
シルフィが怯えてちゃぶ台の下に隠れる中、結衣は髪を振り乱し、般若のような形相で立ち上がった。
「私の……私のクリエイター魂をコケにしたな。シルフィの神聖な大食いを、過食嘔吐だのフェイクだのと言いがかりをつけるのも許せないけど……何より、私の『作品』を偽造扱いしたことだけは、絶対に許さない……!!」
結衣から立ち上るどす黒い怒りのオーラは、シルフィのカロリー魔力変換すら凌駕しそうな勢いだった。
「アンチどもめ……。CGだの、吐いてるだの、編集の誤魔化しだの……。そこまで言うなら、目にモノ見せてやる。ぐうの音も出ないくらい、徹底的に叩き潰してやるわ!!」
結衣はスマホを机に叩きつけ、ノートパソコンを開いた。
「シルフィ! 出てきなさい!」
「は、はいぃぃぃ!」
ちゃぶ台の下から這い出してきたシルフィの肩を、結衣はガシッと掴んだ。
「次の企画が決まったわ。アンチを全員黙らせるための、究極のミッションよ」
「究極の……ミッション?」
「そう。動画の編集が疑われてるなら、編集のしようがない状態で見せつけるしかない。つまり、ノーカットの『生配信』よ!」
「なま……はいしん?」
「魔法の板の向こうの観衆たちと、同じ時間を共有するの。リアルタイムで、あんたが食べている姿を、一秒のカットもなしに全世界に垂れ流す。これなら、吐き出してるだのCGだのという言い訳は一切通用しない!」
結衣の血走った目に、シルフィはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「な、なるほど。つまり、誤魔化しの利かない真剣勝負ということですね! それで、その『生配信』とやらで、私は何を討伐すればよろしいのでしょうか?」
シルフィの問いに、結衣はニヤリと、悪魔のような笑みを浮かべた。
「アンチどもが絶対に『フェイクだ』と信じて疑わないような、常軌を逸した凶悪な食べ物。人間の限界を超える、カロリーと暴力の結晶……」
結衣はパソコンの画面に、ある飲食店の情報を表示させた。
「ターゲットはこれよ。近所で最も恐れられている、凶悪なボリュームを誇る二郎系ラーメン店『豚マシマシのマウンテン』。そこの裏メニュー……麺の量だけでも二キロ、野菜と背脂、そして豚の塊を合わせた総重量……『五キロ』の特大ラーメン!!」
「ご、五キロ……!」
「餃子百個の三キロ半を遥かに超える、熱さと脂と重量の壁。大食いファイターですら敬遠するこのモンスターを、生配信のカメラの前で、あんたに食べ尽くしてもらうわ!」
結衣の宣言に、シルフィの碧眼がカッと見開かれた。
五キロという圧倒的な質量。
ラーメンという未知の料理。
そして、『豚』という魅力的な響き。
『――ギュルルルルルルルルルルルルルルルルルッ!!』
シルフィの胃袋が、本日最大の轟音を鳴らして歓喜の雄叫びを上げた。
「やります!! その『ぶたましましのまうんてん』、私の胃袋と魔力に懸けて、必ずや跡形もなく消し去ってみせます! アンチなどという雑魚モンスター共々、私の糧にしてやりますよ!」
「その意気よ、シルフィ! 決戦は今夜のゴールデンタイム。アンチどもを全員、あんたの胃袋の前にひれ伏させてやるわ!」
ブラック企業の限界ディレクターと、異世界の底なしエルフ。
二人の怒りと食欲が完全にシンクロした瞬間だった。
顔の見えないネットの悪意に対し、彼女たちが選んだ反撃の手段は、ただひたすらに、美しく、そして暴力的なまでに『食らい尽くす』こと。
日本中の大食いファンと、無数のアンチたちが見守る中、伝説となる狂気の生配信の幕が、今まさに上がろうとしていた。




