第4話:町中華の洗礼・ギョーザ100個チャレンジ〜これが現代の錬金術ですか!〜
翌日の昼下がり。
結衣とシルフィは、結衣のアパートから徒歩十分ほどの場所にある商店街の外れに立っていた。
目の前にあるのは、色褪せた赤い暖簾に、油汚れで黒ずんだ換気扇、そして年季の入った黄色の看板に赤字で『町中華 龍神亭』と書かれた、絵に描いたような古き良き町の中華料理店である。
店の外まで、胡麻油とニンニク、そして豚肉が焼ける強烈に香ばしい匂いが漂ってきている。
『――ギュルルルルルルルルルルルルッ!!』
「おおおお……っ! なんという暴力的なまでの芳香! この匂いだけで、白米が三杯は食べられそうです!」
あずき色のダサい高校ジャージに身を包んだシルフィが、店から漏れる匂いを胸いっぱいに吸い込み、うっとりとした表情で腹の虫を鳴らした。
「落ち着きなさい、シルフィ。今日ここに来たのはただご飯を食べるためじゃない。私たちの『エルフちゃんねる』の記念すべき第一回撮影、そして食費を稼ぐための重大なミッションよ」
結衣はシルフィの肩を掴み、真剣な顔で言い聞かせた。
「いい? この店の名物チャレンジメニュー『ジャンボ餃子百個』。制限時間は三十分。これを見事完食できれば、お代は無料になる上に、賞金として一万円がもらえるの!」
「一万円! それはつまり、またあの『特上やきにく』が食べられるということですか!?」
「そういうこと! でも、失敗したら代金の八千円を払わなきゃいけない。今の私の全財産は二千円。つまり、失敗した瞬間、私たちは無銭飲食で警察送りってわけ。背水の陣よ」
「警察という機関の恐ろしさは存じ上げませんが、お肉のためなら負けません! 私の胃袋は、すでに臨戦態勢です!」
やる気に満ち溢れたシルフィを引き連れ、結衣は意を決して『龍神亭』のガラガラと鳴る引き戸を開けた。
昼のピークを過ぎた店内には、新聞を読みながらビールを飲んでいるおじさんが一人いるだけだった。
厨房では、白い前掛けにねじり鉢巻をした、頑固そうな初老の店主が中華鍋を磨いている。
「すいませーん、この表の看板にある『ジャンボ餃子百個チャレンジ』、まだやってますか?」
結衣が声をかけると、店主はギロリとこちらを睨みつけた。
「ん? ああ、やってるが……兄ちゃんが挑戦すんのかい?」
「いえ、挑戦するのはこっちの子です。あと、私たちYouTubeで動画配信を始めようと思っていて、撮影の許可を頂きたいんですが……」
結衣がシルフィを前に押し出すと、店主は目を丸くした。
あずき色のジャージを着た、透き通るような金髪碧眼の超絶美少女。腕も脚も折れそうなほど細く、どう見ても大食いができるような体格ではない。
「……姉ちゃんたち、冷やかしなら帰ってくれ。うちのジャンボ餃子は、普通の餃子の二倍はデカいんだ。百個っつったら総重量で三キロ半はある。こんな細っこいお嬢ちゃんが、しかも三十分で食えるわけがねぇ。食べ物を粗末にするのは俺が一番嫌いなんだよ」
店主が眉をひそめて手をシッシッと振る。
しかし、結衣は引き下がらなかった。
「冷やかしじゃありません! この子、見た目はこんなですが、信じられないくらい食べるんです。もし食べきれなかったら、私が責任持って残りを全部食べますし、代金もちゃんと払いますから! お願いします!」
結衣が必死に頭を下げると、シルフィも胸に手を当てて深く一礼した。
「店主殿! どうか、私にその『ぎょうざ』なる料理との真剣勝負をお許しください! 絶対に、一つ残らず美味しく頂くことを、森の精霊に誓います!」
「……森の精霊? なんだいそりゃ」
店主は胡散臭そうに目を細めたが、シルフィのあまりにも真剣な眼差しと、腹から鳴り響く『ギュルルルッ!』という重低音に、最後は呆れたようにため息をついた。
「……まぁいい。そこまで言うなら作ってやるよ。撮影も好きにしな。ただし、残したらきっちり八千円払ってもらうからな」
「ありがとうございます!!」
許可をもらった結衣は、すぐさま店の一番奥のテーブル席に陣取り、手早く『スタジオ』の設営を始めた。
テーブルの端に安物の三脚を立て、スマホを固定する。小型のリングライトを取り付け、シルフィの顔が最も美しく映る角度をミリ単位で調整する。
(照明ヨシ、マイクの接続ヨシ。画角は餃子の山とシルフィの顔がしっかり収まるように……よし、完璧)
結衣の目は、完全にプロの映像ディレクターのそれになっていた。
準備が整ったところで、厨房からジュワアアアアアッという凄まじい音が響き始めた。
巨大な鉄鍋に大量の餃子が円形に並べられ、水が注がれて蓋がされる。パチパチと油が弾ける音が、シルフィの食欲を限界まで煽っていく。
「結衣殿、あの鉄鍋の中で何が行われているのですか? まるで火の魔法と水の魔法がせめぎ合っているようです!」
「あれは『蒸し焼き』っていう調理法だよ。中まで火を通しつつ、底をカリッとさせるの。もうすぐ来るわよ」
やがて。
「お待ち遠さん。ジャンボ餃子百個、お出ましだ」
店主が、両手で抱えるほどの巨大な大皿をテーブルのド真ん中にドンッ!と置いた。
「っっっっ!!!」
シルフィが、声にならない悲鳴を上げた。
大皿の上には、こんがりと黄金色に焼き上がった巨大な餃子が、山のように積み上げられていた。薄い皮の表面には見事な『羽根』がつき、パリパリとした音を立てている。
立ち昇る湯気とともに、豚肉の強烈な旨味の香りと、食欲を刺激するニンニク、ニラ、そして胡麻油の匂いが一気に弾け飛んだ。
「こ、これが……! なんて美しい造形でしょう! まるでドラゴンの鱗が重なり合っているかのようです!」
「シルフィ、興奮するのはわかるけど、まずは挨拶から! いくよ、録画スタート!」
結衣がスマホの録画ボタンをタップした。
リングライトの光を浴びたシルフィは、カメラに向かって、少しぎこちなく、しかし最高に愛らしい笑顔を向けた。
「え、えーと……初めまして、魔法の板の向こうの皆様。私はシルフィリアと申します。エルフです。本日は、この『エルフちゃんねる』で、こちらの巨大な『ぎょうざ』百個の討伐クエストに挑みたいと思います!」
設定通りの見事なオープニングトーク。
結衣がカメラの後ろで親指を立てる。
「それでは……いただきます!」
シルフィは割り箸をパチンと割り、小皿に醤油、酢、そしてラー油をたっぷりと注いで特製のタレを作った。
そして、まだ熱々の湯気を立てているジャンボ餃子を一つ、箸でつまみ上げた。
タレに軽くダイブさせ、そのまま大きな口を開けて、パクリとかぶりつく。
『サクッ!!』
マイクが、餃子の羽根が砕ける最高の咀嚼音を拾った。
その瞬間、シルフィの瞳孔がカッと見開かれた。
「っっっ!! な、なんですかこれは!!」
「ど、どう? 熱い!?」
結衣がハラハラしながら見守る中、シルフィは咀嚼しながら震える声で叫んだ。
「外側はパリパリとしているのに、噛みしめた瞬間に中から……熱く滾るような肉汁の奔流が溢れ出してきました! この薄い皮は、肉の旨味を一滴たりとも逃さないための結界だったのですね!?」
シルフィの食レポは、独特のファンタジー用語が混ざりながらも、食べ物の美味しさを強烈に表現していた。
「それに、この中に入っている緑色の草と強烈な香辛料! これらが豚肉の脂の重さを完全に打ち消し、タレの酸味と辛味が見事なハーモニーを奏でています! 結衣殿、これは……これが現代の錬金術ですか!!」
「錬金術っていうか、ただの町中華の技術の結晶だけどね! よし、その調子でどんどん食べて!」
「はいっ!!」
そこから先は、圧倒的なショータイムだった。
シルフィは、箸を止めることなく、次々とジャンボ餃子を口に運んでいく。
一口噛むごとに「サクッ」「ジュワッ」という最高の音が響く。普通の人間なら、熱さで火傷をしたり、脂の重さでペースが落ちたりするものだが、エルフであるシルフィの胃袋は摂取したカロリーを片っ端から魔力に強制変換しているため、満腹という概念が存在しない。
しかも、彼女は一切『水』を飲まなかった。
「水など飲んでは勿体無いです! この肉の恵みを、薄めてなるものですか!」
と豪語し、ひたすらに餃子だけを胃袋に送り込み続ける。
特筆すべきは、その『美しさ』だ。
これだけ猛烈なスピードで大食いをしているというのに、シルフィの口の周りには一切の汚れがつかない。箸の使い方は見事で、咀嚼する横顔は品があり、油で艶やかになった唇が妙に色っぽい。
ジャージ姿の絶世の美少女が、ひたすらに美味そうに餃子を喰らい尽くす映像。
(勝てる……! この動画、絶対に当たる!)
カメラのモニター越しにそれを見ていた結衣は、確かな手応えに武者震いしていた。
一方、厨房から様子を見ていた店主は、手に持っていたお玉を取り落としそうになっていた。
「う、嘘だろ……。なんだあのペースは……。あんな細っこい体のどこに、餃子が入っていくってんだ……?」
新聞を読んでいたおじさんも、いつの間にかビールを飲む手を止め、口をポカンと開けてシルフィの爆食いを見つめていた。
山のように積まれていたジャンボ餃子が、まるで魔法のようにスルスルと消えていく。五十個、七十個、九十個……。
シルフィのペースは、最初から最後まで一切落ちることがなかった。
そして。
「……んっ。これで、最後の一つです」
シルフィが最後の一個をタレにつけ、名残惜しそうに口に放り込んだ。
しっかりと咀嚼し、ゴクリと飲み込む。
目の前には、タレの跡しか残っていない、巨大な空の皿。
シルフィは背筋をピンと伸ばし、胸の前で両手を合わせ、カメラに向かって満面の笑みを向けた。
「ごちそうさまでした! 百個のぎょうざ討伐、これにて完了です! とっても、とっても美味しゅうございました!」
結衣が手元のストップウォッチを見る。
そこに表示されていたタイムは――『9分58秒』。
三十分の制限時間どころか、わずか十分足らずで、三キロ半のジャンボ餃子を平らげてしまったのだ。
「……カット!」
結衣が録画を停止した瞬間、店内は水を打ったような静寂に包まれた。
シルフィは「ふう」と息をつき、店主の方を振り返った。
「あの、店主殿。誠に恐縮なのですが……もしよろしければ、この『ちゃーはん』という料理も追加でお願いできますでしょうか? まだ胃袋に少し隙間がありまして」
「……」
店主は、腰を抜かしたようにその場にへたり込んだ。
「ば、化け物か、お嬢ちゃんは……。完食だ……文句なしの成功だよ……!」
こうして、シルフィの初の大食いチャレンジは、圧倒的な大勝利で幕を閉じた。
約束通り、餃子百個の代金は無料となり、結衣の手には賞金である『一万円札』が握らされた。
「やった……やったよシルフィ! これで今週の食費が確保できた!」
結衣は一万円札を神棚にでも飾るような手つきで掲げ、涙ぐんでいた。
アパートに帰還した結衣は、そのまま休む間もなく愛用のノートパソコンを開き、編集作業に没頭した。
ブラック動画制作会社で培った、深夜の残業とパワハラに耐え抜いた『プロの編集技術』が、ここで火を噴く。
本来、素人の動画編集といえば、テロップを少し入れてBGMを流す程度だが、結衣の編集は違った。
カラーグレーディング(色調補正)を駆使し、餃子の黄金色の焼き目と、飛び出す肉汁を極限までシズル感たっぷりに際立たせる。
シルフィが咀嚼する瞬間に合わせて『サクッ!』という効果音を強調し、彼女が「現代の錬金術ですか!」と叫ぶシーンには、ド派手な集中線と金色の極太テロップを叩き込む。
テンポの悪い部分はミリ単位でカット(ジャンプカット)し、視聴者が一切飽きることなく、シルフィの圧倒的な食べっぷりと美貌に没入できるように計算し尽くした。
「……すごい」
編集しながら、結衣は改めて素材の良さに震えていた。
普通の大食い動画は、後半になるとどうしても演者が苦しそうな顔をしたり、ペースが落ちて映像がダレてしまう。
しかし、シルフィにはそれがない。最初の一口から最後の一口まで、常に至福の笑顔で、最も美味しそうに食べ続けているのだ。
「これは……絶対にイケる。私たちの人生、逆転できるかもしれない」
翌朝。徹夜で動画を完成させた結衣は、血走った目で動画共有サイトのアップロードボタンをクリックした。
タイトルは、『【大食い】ジャージの美少女エルフが町中華でジャンボ餃子100個を爆速完食してみた【現代の錬金術】』。
サムネイルには、巨大な餃子の山と、満面の笑みで餃子を頬張るシルフィの顔をデカデカと配置した。
「さあ、行ってこい……! ネットの海へ!」
結衣がエンターキーをターン!と叩く。
後ろの万年床では、賞金の一万円で買ってきたスーパーの特売牛肉を昨夜のうちに食べ尽くしたシルフィが、「むにゃむにゃ……もっとお肉を……」と幸せそうに寝言を漏らしていた。
この一本の動画が、数日後、ネット上でとんでもない爆発を引き起こし、彼女たちの運命を大きく変えることになる。
エルフの胃袋の伝説は、この日、ここから始まったのである。




