第3話:食費危機とYouTuberへの道〜ジャージ姿の美少女エルフ爆誕〜
深夜の公園での劇的な(そして高くついた)出会いから、三日が経過した。
篠原結衣のアパート、築四十年の木造ワンルームのキッチンに、絶望的な隙間風のようなため息が漏れた。
「……見事なまでに、何もない」
結衣がパカッと開けた一人暮らし用の小さな冷蔵庫の中は、まさに『虚無』だった。
三日前まで、そこには週末にスーパーの特売で買い込んだ食材が詰まっていたはずなのだ。タイムセールで半額になっていた豚肉の細切れ、一週間分として買ったはずの卵2パック、冷凍うどん5玉、朝食用の食パン、さらには戸棚にストックしてあったパスタ1キログラムと、5キロの米袋。
それらがすべて、跡形もなく消え去っていた。
原因はただ一つ。結衣の背後にある万年床の上で、ミノムシのように毛布にくるまって震えている金髪碧眼の美少女――異世界からやってきたというエルフ、シルフィリアの存在である。
『ギュルルルルルルルルルルルルルッ……!』
冷蔵庫のモーター音すらかき消す、猛獣の咆哮のような腹の虫がワンルームに響き渡る。
「うぅぅ……ゆ、結衣殿ぉ……」
毛布の隙間からひょっこりと顔を出したシルフィは、この世の終わりを嘆くような涙目になっていた。
「お腹が……お腹が空いて、力が出ません……。私の体内のマナが、枯渇の危機を訴えております……。何か、何か口に入れるものを……」
「あんたねえ! つい二時間前に、パスタ一キロをミートソースでペロリと平らげたばっかりでしょ!? あれだけで成人女性の二日分のカロリーはあったはずだよ!」
「申し訳ありません……。ですが、現代日本の食物はあまりに消化が良く、そして何より美味しすぎるのです……! あの赤い『とまと』なる果実の酸味と挽肉の旨味のパスタ……思い出しただけで、また胃袋が自己主張を……ッ!」
『ゴロゴロォォォォォン!!』
雷鳴のような音に、結衣は頭を抱えた。
この三日間、結衣は地獄を見ていた。
カロリーをすべて強制的に魔力へ変換してしまうというシルフィの生存本能は、伊達ではなかった。どれだけ食べさせても太らないどころか、常に基礎代謝が常人の数百倍で回り続けている彼女は、文字通り『歩くブラックホール』だった。
初日こそ、定食屋『満腹亭』での出費に目玉を飛び出させたものの、翌日からはスーパーの特売品を駆使して自炊で乗り切ろうとした結衣だったが、甘かった。
五合炊きの炊飯器は一日三回フル稼働し、ついに昨夜、モーターから煙を吹いてお亡くなりになった。パスタを茹でるための鍋は常に火にかけられ、冷蔵庫の中身は右から左へとシルフィの胃袋に吸い込まれていった。
結果として、給料日前でカツカツだった結衣の銀行口座の残高は、いまや風前の灯火。三桁に突入寸前であった。
「このままじゃダメだ……私が破産する。いや、もう実質破産してる」
結衣はスマホの銀行アプリの画面を見て、深々と絶望した。
この美少女エルフを叩き出すのは簡単だ。だが、そうすれば彼女は本当に、数日のうちにマナ枯渇(つまりは餓死)で死んでしまうだろう。あの公園で、シャケ弁当を食べてボロボロと涙を流して喜んでいた姿や、美味しそうにご飯を頬張る幸せそうな笑顔を見てしまった以上、結衣に彼女を見捨てることはできなかった。
「どうする……? 消費者金融でお金を借りる? いやいや、食費のために借金なんて完全に詰むパターンだ。なら、いっそ警察に……いや、戸籍もないし、異世界から来たなんて言ったら精神病院行きか、最悪、怪しい研究施設で解剖されちゃうかもしれない」
ブツブツと独り言を呟きながら、結衣は部屋の隅で飢えに苦しむシルフィを見た。
ボロボロになったファンタジー風の衣装。透き通るような白い肌。人間離れした美しい顔立ち。
そして、あれだけ異常な量の食事を摂りながらも、一切太らない奇跡のプロポーションと、どこまでも美しく上品な食事の作法。
――その瞬間。
結衣の中の『映像ディレクター』としてのプロの直感と、商魂が、バチッと火花を散らして結びついた。
「……待てよ?」
結衣は立ち上がり、シルフィにズンズンと歩み寄った。
「ゆ、結衣殿? まさか、あまりの空腹に私を非常食として調理するおつもりですか!? エルフの肉は筋張っていて不味いとオークが言っていました! やめてください!」
「食べないよ! というかオークって本当にいるんだ……いや、そんなことはどうでもいい!」
結衣はシルフィの両肩をガシッと掴み、その碧眼を真っ直ぐに見つめた。
「シルフィ。あんた、美味しいご飯をお腹いっぱい食べたいよね?」
「は、はい! それはもう、命に代えても!」
「なら、あんたのその『異常な胃袋』と『美貌』を、お金に換える方法がある」
「お金に……? 錬金術ですか!?」
「ある意味、現代の錬金術かもね」
結衣は、スマホを取り出し、ある動画共有アプリの画面を開いてシルフィに見せた。
「YouTuberって知ってる?」
「ゆーちゅーばー?」
首を傾げるエルフに、結衣は噛み砕いて説明を始めた。
「いい? この世界には、こういう四角い魔法の板を通じて、遠く離れた何万人、何百万人という人たちに『映像(動く幻影)』を届けるシステムがあるの。そして、たくさんの人がその映像を見ると、なんと『お金』が貰える仕組みになってるのよ」
「なんと! では、この魔法の板の向こう側にいる民衆に、歌や踊りを披露する吟遊詩人のようなものですか?」
「そう! 当たらずとも遠からず! で、あんたにやってもらうのは歌や踊りじゃない。ただひたすらに、『大量のご飯を、美味しそうに食べる』こと。それだけ!」
「……え?」
シルフィは目をパチクリとさせた。
「ご飯を食べるだけで、お金がもらえるのですか……? そんな、都合の良い話が……?」
「あるの! 大食いっていうのは、立派なエンターテインメントなんだから! 満腹亭でゲンさんや他のお客さんが、あんたの食べっぷりを見て釘付けになってたでしょ? あれを、世界中の人に向けて発信するの。私が撮影と編集を全力でやる。動画がバズって(大流行して)収益化できれば、あんたに毎日特上焼肉を食べさせることだって夢じゃないわ!」
「と、特上やきにく……!!」
その単語を聞いた瞬間、シルフィの目から空腹の涙がサッと消え、代わりにギラギラとした欲望の炎が燃え上がった。
「やります! やらせてください、プロデューサー殿! 私、ご飯のためならこの身を粉にして胃袋を広げます!」
「よし、交渉成立! そうと決まれば、さっそく戦略会議よ!」
結衣はホワイトボード(仕事で絵コンテなどを書くために使っているもの)を引っ張り出し、ペンを握った。
「まずは『キャラ付け』ね。あんたは戸籍も身分証もないから、下手な身の上話をするとネットの特定班に目をつけられて厄介なことになる。だから、設定はこうする」
結衣はキュッキュッとペンを走らせた。
『設定:篠原結衣の遠縁のハーフ。海外の山奥で育った世間知らず。エルフのコスプレが大好きな大食い美少女』
「あんたのその尖った耳や金髪は、あくまで『極めて精巧なコスプレ』と『ハーフだから』っていうことにするの。私の個人事務所の所属クリエイターってことで、身元引受人は私がやる」
「なるほど……。私はエルフを演じる人間のフリをする、ということですね。ややこしいですが、お肉のためなら完璧にこなしてみせます!」
「うん。で、チャンネル名は直球で『エルフちゃんねる』でいこう」
「シンプルで素晴らしいと思います! ですが、結衣殿。一つ問題が」
シルフィは、自分の着ている服をつまんで見せた。
異世界から着の身着のままでやってきたファンタジー風の衣装。装飾は見事だが、あちこちが破れ、泥や森の汚れが染み付き、正直言ってかなり臭い。
「この服では、食事の席には不作法かと……。それに、洗っていないので匂いも……」
「あー、確かに。動画は清潔感が命だからね。よし、私が昔着ていた服を貸してあげる。ちょっと待ってて」
結衣はクローゼットの奥をひっくり返し、一つの衣類を引っ張り出してきた。
それは、結衣が高校時代に着ていた、学校指定のジャージだった。色はなんとも言えない絶妙なダサさを醸し出す『あずき色』で、白い二本線が腕と脚に入っている。結衣が着るとブカブカだった代物だ。
「はい、これ着てみて」
「これは……? 不思議な肌触りの、伸縮性のある布ですね。まるでスライムの膜のようです」
「スライムで服作る異世界ヤバいな。いいから、着替えて着替えて」
数分後。
ボロボロの衣装を脱ぎ捨て、あずき色のジャージ上下に身を包んだシルフィが、結衣の前に立った。
「……どう、でしょうか?」
ジャージの裾は少し余り気味で、萌え袖のようになっている。首元までしっかりとチャックを上げているため、彼女の美しい金髪と、宝石のような碧眼が、逆に強烈に引き立っていた。
結衣は、思わず息を呑んだ。
(な、なんていう破壊力……!)
絶世の美少女が、あえてダサいジャージを着ているという圧倒的な『ギャップ』。しかも、耳はエルフのように尖っている。ファンタジーと極上の生活感が奇跡の融合を果たしていた。
「最高。シルフィ、あんた最高だよ。そのダサ可愛いジャージ姿で爆食いする美少女エルフ……絶対にウケる。私のディレクターとしての血が騒ぐわ!」
「よくわかりませんが、結衣殿が喜んでいるなら良かったです! それより、早く魔法の板でお肉を……!」
「焦らない焦らない。動画を撮るには、それなりの準備が必要なの」
結衣は財布の中の全財産――残る数枚の千円札を握りしめ、シルフィの手を引いた。
「行くよ、シルフィ! 機材の買い出しだ!」
「買い出し! 市場ですね! 試食コーナーはありますか!?」
二人が向かったのは、深夜まで営業している巨大なディスカウントストア、通称『驚安の殿堂』ドン・キホーテであった。
店内に足を踏み入れた瞬間、天井まで積み上げられた商品の山と、けたたましく鳴り響くテーマソング、そしてチカチカと光る極彩色のPOP広告の渦に、シルフィは完全に目を回していた。
「な、なんという魔境……! 迷宮ですかここは!? あらゆる物資が乱雑に、しかし計算されたように配置されています!」
「迷子にならないでよ。ほら、こっち」
結衣はシルフィを引っ張りながら、家電コーナーへと一直線に向かった。
手持ちの資金は極限まで少ない。結衣が普段の仕事で使っているプロ用の業務用カメラを使うわけにはいかない。あんなバズーカみたいなカメラを定食屋に持ち込んだら、警戒されてしまうからだ。
あくまで『素人の女の子が頑張ってYouTubeを始めた感』を出す必要がある。
「よし、これだ」
結衣が買い物かごに放り込んだのは、スマホを固定するための安物の三脚(二千円)と、瞳に光を入れるための丸いリングライト(千五百円)、そして周囲の雑音を少しでも減らすためのスマホ用ピンマイク(千円)だった。
「機材はとりあえずスマホで十分。最近のスマホのカメラは優秀だからね。あとは私の編集技術でカバーする」
「結衣殿のその自信に満ちた横顔、歴戦の魔法使いのようでかっこいいです! ……あ、あの、あそこに見える『特大ジャーキー』という肉の塊を買っても……」
「ダメ。一円たりとも無駄遣いできないの。帰るよ!」
アパートに帰還した結衣は、すぐさま『スタジオ』の設営に取り掛かった。
といっても、狭いワンルームの片隅、背景に余計なもの(散らかった下着や万年床)が映らないように壁際に小さな折りたたみテーブルを置き、そこにリングライトと三脚をセットしただけである。
「よし、シルフィ、そこに座って」
「はい!」
あずき色のジャージ姿のシルフィが、テーブルの前にちょこんと正座する。
結衣はリングライトのスイッチを入れ、スマホのカメラを起動した。
パッ、と眩しいLEDの光がシルフィの顔を照らす。画面の中の彼女の瞳に、リングライトの丸い光(通称・キャッチライト)が映り込み、その美貌がさらに二割増しで輝いて見えた。
「うん、画角ヨシ。照明ヨシ。音声テストするから、なんか喋ってみて」
「喋る……。ええと、私はシルフィリア。誇り高き森の――」
『――ギュルルルルルルルルルルルルルッ!!』
挨拶を遮るように、シルフィの腹部からマイクが音割れするレベルの強烈な腹の虫が鳴り響いた。
ピンマイクは、その飢餓のサウンドを極めてクリアに拾い上げていた。
「……音声レベルもバッチリね。あんたのお腹の音、ASMR(環境音動画)で出せるんじゃないの」
結衣は呆れながらも、スマホの録画ボタンを止めた。
準備は整った。
機材は安物で、演者はジャージ姿の世間知らず。だが、結衣の中には不思議なほどの確信があった。この子の食べっぷりは、絶対に世間を驚かせる、と。
「よし、明日は決戦の金曜日だ。記念すべき第一回目の動画撮影を行う!」
「おおーっ! ついにですね! で、何を食べるのでしょうか!?」
「近所の町中華『龍神亭』。そこのチャレンジメニューよ。三十分以内に『特大ジャンボ餃子を百個』完食したら、お代は無料、しかも賞金一万円が出る!」
「無料!? その上、お金までもらえるのですか!? なんという慈悲深い神の試練!!」
シルフィはバンザイをして歓喜の声を上げた。
「この『エルフちゃんねる』の命運は、明日のあんたの胃袋にかかってる。絶対に食べきって、賞金をゲットするわよ!」
「お任せください! 餃子百個など、私の胃袋の準備運動にすぎません!」
空腹でフラフラなはずなのに、食べ物の話になった途端に目をギラギラと輝かせるはらぺこエルフ。
底辺社畜ディレクターと美少女エルフの、食費(と命)を懸けた大食いサクセスストーリーの火蓋が、今まさに切って落とされようとしていた。




