第6話:決戦は金曜日、二郎系生配信〜アンチを黙らせる5kgの暴力〜
金曜日の夜。時刻は午後八時。
世間の社会人たちが一週間の労働から解放され、居酒屋でジョッキを傾けたり、家でスマホを片手にリラックスし始める、いわゆるインターネットの『ゴールデンタイム』である。
そんな週末の夜の喧騒の中、篠原結衣とシルフィリアの二人は、とある飲食店の前に立っていた。
黄色い巨大な看板に、毒々しい赤と黒の極太筆文字で書かれた店名。
『ラーメン 豚マシマシのマウンテン』。
店の周囲十メートル四方には、豚骨を限界まで煮出した獣臭さと、強烈なニンニクの匂いが目に見えない暴力のオーラのように立ち込めている。
いわゆる『二郎系』と呼ばれる、一部の熱狂的なファンを持つラーメン店の中でも、この店は群を抜いて凶悪なボリュームと脂の量を誇ることで地元では有名な、カルト的な人気店であった。
「うぅぅ……結衣殿。この辺り一帯、オークの集落のような凄まじい獣の匂いが充満しております。私のエルフの嗅覚が、危険信号をビンビンと発しているのですが……」
あずき色のジャージ姿のシルフィが、鼻をつまみながら涙目で結衣の背中に隠れた。
「大丈夫よ、シルフィ。匂いは強烈だけど、味は病みつきになるから。それに、今日はただのご飯じゃないわ。アンチどもを完膚なきまでに黙らせるための、大事な『生配信』の舞台なんだから」
結衣の目は、いつになく血走っていた。
手には、昨日ドン・キホーテで買ってきたばかりの安物のスマホ用三脚とリングライトがしっかりと握られている。
昨日の朝、餃子百個完食動画についた無数のアンチコメント。
シルフィの大食いを『過食嘔吐』や『CG』だと疑い、何より結衣の誇りである『動画編集技術』を、フェイクを作るための安直なごまかしだと嘲笑した顔のない連中。
彼らを黙らせる唯一の方法は、編集という介入が一切できない『ノーカットの生放送』で、到底人間には食べきれない質量の食べ物を、圧倒的なスピードで平らげてみせることだ。
「いい、シルフィ。これから魔法の板を通じて、リアルタイムであなたの姿を世界中に配信するわ。画面の端っこに、見ている人たちの言葉が文字になって猛スピードで流れていくけど、気にしないでとにかく美味しく食べることだけに集中して」
「文字が流れる……? まるで念話の魔法ですね! 承知いたしました。私、この異臭を放つ魔境で、必ずや勝利を掴んでみせます!」
「異臭って言わないの。ほら、入るわよ」
結衣が重い引き戸を開けると、強烈な熱気とニンニクの匂いがさらに濃度を増して襲いかかってきた。
店内は、床が長年の豚の脂でコーティングされており、歩くたびに靴の裏が「ヌチャッ、ヌチャッ」と張り付くような独特の感触がある。カウンター席のみの細長い店内には、仕事帰りの屈強な男たちがズラリと肩を並べ、誰もが一言も発することなく、一心不乱にすり鉢のような丼と格闘していた。
そこへ、あずき色のジャージを着た、透き通るような金髪碧眼の超絶美少女が入ってきたのだから、店内の空気が一瞬だけピタリと止まった。
(な、なんだこの子? 場所間違えてないか?)という男たちの視線が突き刺さる。
厨房の中にいた、プロレスラーのようにガタイの良い店主が、タオルで頭を拭きながら低い声で尋ねてきた。
「……姉ちゃんたち、うちは普通のラーメン屋じゃないぜ。量が多いから、遊び半分なら帰ってくれ」
「遊びじゃありません! 昨日、お電話で撮影と生配信の許可をいただいた『エルフちゃんねる』の者です」
結衣がハキハキと答えると、店主は「ああ、あの電話の」と納得したように顎をしゃくった。
「奥の角の席を使え。で、注文は電話で言ってた通りでいいんだな?」
「はい! 裏メニューの『エベレスト』、お願いします!」
一番奥の席にシルフィを座らせ、結衣は手早くスマホと三脚をセットした。
アパートで事前設定しておいた配信アプリを起動する。
「よし……行くわよ、シルフィ。アンチどもに、本物の絶望(大食い)を教えてあげる」
結衣の震える指が、『ライブ配信を開始する』の赤いボタンをタップした。
『配信が開始されました』
画面の左上にある、現在視聴している人数のカウンター。
最初は『0』だった数字が、数秒のタイムラグを経て、突如として跳ね上がった。
『50』『120』『350』『800』――。
わずか一分足らずで、同時接続者数はあっという間に『千人』を突破した。
昨日の餃子動画がバズりにバズった結果、チャンネル登録者数はすでに一万人を超えていた。そして何より、コメント欄で「明日の夜八時、二郎系ラーメン5キロの生配信で証明してやる」と結衣が宣戦布告のピン留めコメントを残していたため、アンチもファンも入り乱れて、野次馬たちが大挙して押し寄せてきたのだ。
スマホの画面右半分を占めるチャット欄が、滝のような猛スピードで流れ始めた。
『始まったwww』
『本当に生配信やりやがったよこいつら』
『はいはい、どうせ食えなくて泣いて終わるパターンでしょ』
『5キロとかプロでもキツいレベルだぞ。素人の小娘に食えるわけない』
『CG説の検証に来ましたー。生放送でどうやってフィルターかけるのか見ものですね』
『過食嘔吐の準備はできたかー? トイレに駆け込むところまでちゃんと映せよww』
『エルフちゃん可愛い! 頑張って!』
『ジャージ姿すこ』
予想通り、チャット欄の八割方は疑心暗鬼のアンチコメントや、冷やかしの言葉で埋め尽くされていた。
画面外からその様子を見ていた結衣は、奥歯をギリッと噛み締めた。
(言いたい放題言ってくれちゃって……。今に見てなさいよ)
「シルフィ、挨拶して!」
結衣の合図を受け、リングライトの光を浴びたシルフィが、カメラに向かって優雅に微笑んだ。
「魔法の板の向こう側の皆様、初めまして。エルフのシルフィリアです。本日は皆様の疑惑を晴らすべく、この異臭渦巻く空間にて、五キロという未知の討伐クエストに挑みたいと思います!」
堂々とした、一切の迷いがない美少女の宣言。
しかし、チャット欄はさらに荒れた。
『エルフ設定まだ引きずってんのかよ痛いな』
『異臭ってwww店主に怒られるぞwww』
『ごまかしがきかない生配信でどこまでやれるのか見せてもらおうか』
そんな荒れ狂うチャット欄の言葉を、厨房からの地響きのような足音が掻き消した。
「お待ち遠さん。裏メニュー『エベレスト』、ニンニクアブラカラメ・マシマシだ」
ドンッ!!!!
カウンターの上に置かれた『それ』は、もはや料理と呼んでいいのかわからない代物だった。
家庭用の洗面器ほどもある巨大なすり鉢状の丼。
その上に、天高くそびえ立つのは、もやしとキャベツで構成された緑と白の『山』。
山の斜面には、丸太のように分厚くカットされた煮豚の塊が、ゴロゴロと岩石のように張り付いている。
そして極めつけは、山の頂上から雪崩のようにぶっかけられた、純白の豚の背脂と、お玉一杯分はあろうかという刻みニンニクの暴力的な塊。
丼の縁ギリギリまで波打つスープは、濃厚な豚の出汁と濃口醤油が混ざり合い、ドス黒いマグマのように不気味な照りを放っている。
麺二キロ。野菜と肉、スープを含めた総重量は、実に『五キロ』。
成人男性の数日分のカロリーが、この一つのすり鉢に凝縮されている。まさに、カロリーの暴力、ジャンクフードの極北であった。
「…………っ」
チャット欄の動きが、一瞬だけ止まった。
画面越しに見てもわかる、その狂気じみた食べ物の質量に、見ているアンチたちすらも言葉を失ったのだ。
『え、マジでこれ食うの?』
『デカすぎだろ……遠近法バグってんのか?』
『殺意高すぎるだろこのラーメン』
圧倒的な質量を前に、シルフィは目をパチクリと瞬かせた。
彼女の故郷である異世界の森では、エルフの食事といえば、朝霧を吸った新鮮な果実や、清流の魚、せいぜい木の実をすりつぶしたパン程度のものである。自然と調和し、洗練されたものを好むエルフの美意識からすれば、目の前にあるこの茶色と白のぐちゃぐちゃの山は、おおよそ『人間の食べ物』には見えなかった。
シルフィは、カメラの向こうの数千人の視聴者と、画面外の結衣に向かって、純粋な疑問を口にした。
「あの……結衣殿」
「な、なに? シルフィ」
「これは……豚の餌、ですか?」
ピシッ。
結衣が凍りついた。
厨房で洗い物をしていた店主の肩が、ピクッと反応した。
そして、チャット欄が、本日最大の爆発を起こした。
『豚の餌wwwwwwwwwwww』
『言いやがったwwww二郎系を豚の餌ってwww』
『ド直球の暴言で草』
『店主キレるぞ逃げろwww』
『腹痛いwwwエルフには豚の餌に見えるらしいwwww』
『まぁ否定はできない見た目してるけどなww』
結衣は顔面蒼白になりながら、必死にカメラの外から手を振って訂正しようとした。
「し、シルフィ! 違うから! これ人間の食べ物だから! 最高に美味しいラーメンだから! ほら、早く食べて!」
店主に追い出される前に、なんとかしなければ。
結衣の悲痛な声に促され、シルフィは「はあ……これが人間の食事なのですね」と不思議そうに小首を傾げながら、テーブルに置かれた割り箸を手に取った。
「それでは……いただきます」
シルフィは、割り箸で山の頂上付近を掴んだ。
たっぷりの背脂とニンニクが絡みついたもやし、そして分厚いチャーシューの一角を、器用にまとめて持ち上げる。
その重量感に箸がしなる。
大きく、美しい唇を開き、シルフィはそれを一思いに口の中へと放り込んだ。
瞬間。
『シャキッ、ジュワァァァァァァァァッ!!』
マイクが、野菜の歯ごたえと、背脂が弾ける音を鮮明に拾った。
シルフィの動きが、彫像のようにピタリと停止した。
チャット欄のアンチたちが、ほら見たことかと言わんばかりに書き込みを始める。
『ほら、やっぱり無理じゃん』
『一口目で絶望してるぞww』
『そりゃ女子にはキツいわな。油とニンニクの塊だぞ』
『はい配信終了ー。お疲れ様でしたー』
しかし。
結衣だけは、カメラ越しに見えるシルフィの『瞳の変化』を見逃していなかった。
トツン、トツンと、シルフィが咀嚼を繰り返すたびに、彼女の澄み切った碧眼の中に、信じられないほどの輝きが灯っていくのを。
シルフィの体内にあるエルフの『魔力変換器官』が、口内に飛び込んできた莫大なカロリーと脂質に反応し、けたたましい勢いでフル稼働を始めたのだ。豚の脂身が、ニンニクの強烈な香りが、脳の満腹中枢を破壊し、原始的な『食の悦び』へと直結していく。
ゴクリ、と。
シルフィが一口目を飲み込んだ。
そして、カメラに向かって、花がほころぶような、今日一番の、いや、この世界に降り立ってから最高の『至福の笑顔』を向けた。
「……ジャンクの極み……。最高です!!」
シルフィの叫びが、店内に響き渡った。
「なんですかこの暴力的なまでの旨味の塊は!! 背脂という名の白い妖精が、口の中でニンニクの魔法陣と交わり、信じられないほどの熱量を生み出しています! もやしのシャキシャキとした食感が、脂の重さを中和し、永遠に噛み続けられる幻覚すら見せてくれます!」
先ほど「豚の餌」と言ったことなど完全に忘却の彼方へ消し去り、シルフィは歓喜の雄叫びを上げながら、再び箸を突き出した。
「お肉! この巨大な豚のお肉はどうでしょう!」
丸太のようなチャーシューに喰らいつく。
「ほろほろです! 噛まなくても舌の上で溶けていく! それに、このドス黒いスープ……。しょっぱい! とてつもなく塩辛いですが、それが逆に次の一口を強烈に誘発する悪魔の飲み物です!」
ズズズズズズズズズッ!!!
上品で可愛らしい顔立ちからは想像もつかないような、豪快で、しかし一切口の周りを汚さない美しい麺のすすり音がマイクに乗る。
シルフィは、もはや喋ることすらもどかしいとばかりに、圧倒的なスピードで『五キロのエベレスト』を解体し始めた。
箸が止まらない。
丼から口へ、口から胃袋へ。
まるで早送りの映像を見ているかのような凄まじい反復運動。
一口食べるごとにカロリーが魔力へと強制変換されるため、彼女の腹は一切膨れない。脂の重さに胃がもたれることも、ニンニクの辛味に舌が麻痺することもない。
ただひたすらに、「美味しい、もっと食べたい」という純粋な食欲だけが、彼女を動かしていた。
その光景に。
荒れ狂っていたチャット欄の空気が、劇的に変化し始めた。
『え……? 待って、ペース速すぎない?』
『ウソだろ、もう野菜の山が半分消えたぞ』
『あんな細い体のどこに入ってんだよ!?』
『しかもめちゃくちゃ美味そうに食うじゃん……』
『顔が幸せそうすぎて、見てるこっちまで腹減ってきた』
『おいアンチ息してるか? これ生配信だぞ。早送りもCGもできねぇぞ』
『やばい、この子本物だわ』
『一口の量がバグってるwww』
『飲み込むスピードがプロのフードファイター超えてるだろこれ』
生配信の同時接続者数は、二千、三千と、ウナギ登りに増えていく。
アンチたちの「フェイクだ」「嘘だ」という言葉は、シルフィの圧倒的な『現実の捕食劇』の前に、一つ、また一つと押し流され、消え去っていった。
結衣はカメラの裏側で、ガッツポーズを作り、歓喜の涙を滲ませていた。
(見たか、アンチども! これがうちのシルフィよ! 一切の誤魔化しなんてない、本物のバケモノ級の胃袋よ!!)
結衣のクリエイターとしての矜持が、アンチの悪意に完全勝利した瞬間だった。
しかし、結衣も視聴者も、まだ知らなかった。
この『豚マシマシのマウンテン』の真の恐ろしさは、固形物を食べ終えた後に底に沈んでいる、致死量の脂が溶け込んだ『ギトギトの豚骨醤油スープ』にあるということを。
配信開始からわずか十五分。
固形物をほぼ制圧したエルフの美少女が、最後に丼を両手で持ち上げる時、このチャット欄はさらなる熱狂の渦に巻き込まれることになるのだ。




