表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
37/50

第37話:非公式戦「10kg特大カツカレー」〜サクサクの衣と経費削減の野試合〜

中国地方の山間部にポツンと建つ町中華『黄龍亭こうりゅうてい』。

油の染み付いた古びた店内は今、嵐の前の静けさとも言うべき、異様な緊張感に包まれていた。


「ご飯は、データで食べるものではありません。心(愛)で食べるものだということを、あなたに証明したいのです!」

緑色のファンタジー風ワンピースを着た美少女エルフ・シルフィリアが、グレーの事務服を着た無表情なOL・四宮凛子に向かって、真っ直ぐに言い放った。

食を純粋に愛し、その喜びをエネルギーに変えるシルフィ。

食を単なる生物学的なタスクと捉え、一切の感情を排除してカロリーを処理する凛子。

二人の怪物によるイデオロギーの衝突。

だが、凛子は黒縁メガネの奥のガラス玉のような瞳を微かに動かしただけで、冷ややかに言い返した。


「証明、ですか。……無意味ですね」

凛子はテーブルの上のスマートフォンを左手で持ち上げ、Excelのデータ表をスクロールさせた。

「大食いにおいて『美味しい』と感じる感情は、脳に余計な処理を強いるノイズです。結果(完食タイム)というデータがすべてを物語っています。現に、私が残した全国の記録を、あなたは一つも超えられていない。……これ以上、非合理的な感情論に付き合う時間はありません。午後の業務に戻ります」

そう言って席を立とうとする凛子の冷淡な態度に、それまで後ろで息を潜めていた篠原結衣の堪忍袋の緒が、ブチッと音を立てて切れた。


「……ちょっと待ちやがれ、そこのメガネOL!!」

結衣はシルフィの前に飛び出し、ドンッ!とテーブルを両手で叩いた。

「なーにが『データがすべて』よ! うちのシルフィが本気出せば、あんたなんかの記録、一瞬でブチ抜けるんだからね! そんなに自分の計算が正しいって言うなら、今ここでうちのシルフィと勝負しなさいよ!」

結衣は、YouTuberのディレクターとしてのプライドを懸けて、完全に相手を挑発した。公式大会の新人王を舐められて黙っていられるはずがなかった。

「結衣殿! 素晴らしい提案です! 一緒にご飯を食べれば、きっとこの方も食の喜びに目覚めるはずです!」

シルフィも両手を叩いて大賛成する。


しかし、凛子は微塵も動じなかった。

「お断りします。私はYouTuberのような見世物ではありませんし、何のメリットもない野試合で無駄なカロリーと胃袋の摩耗を負う理由がありません」

「なら、こうしましょう!」

結衣は財布をバンッとテーブルに叩きつけた。

「もしあんたが勝ったら、今日のあんたの食事代から、ここまでの交通費、宿泊費まで、全部うちの事務所の経費で払ってあげるわ! でも、もしシルフィが勝ったら、カメラの前で『ご飯は美味しく食べるのが一番です』って頭を下げてもらうわよ!」


その言葉を聞いた瞬間。

ピタッ、と凛子の動きが止まった。

「……交通費と宿泊費まで、全額負担、ですか」

凛子のメガネの奥の瞳が、初めて『仕事ビジネス』の光を帯びてキラリと光った。

「株式会社・玄海物産における今月の私の出張経費は、すでに予算を圧迫していました。……なるほど、経費削減。悪くない取引です。その勝負、受けましょう」

感情ではなく、徹底した損得勘定と数字の論理。

かくして、大食い界の歴史には残らない、しかし間違いなく日本最高峰の胃袋を持つ二人の怪物による『非公式の野試合』が成立したのである。


「店主さん! この店で一番ヤバい、最凶のデカ盛りメニューを、二人分持ってきてちょうだい!」

結衣が厨房に向かって叫ぶと、頭にタオルを巻いた店主は顔を引きつらせた。

「お、おい姉ちゃんたち、本気か!? さっきの五キロの皇帝チャーハンよりヤバい裏メニューなんて、うちには一つしかねぇぞ……。十キロ超えのバケモノだ、死人が出ても知らねぇからな!」

「十キロ! 望むところです!」

シルフィが元気にガッツポーズをした。


結衣が急いで三脚を立て、カメラの録画ボタンを押す。

「はいっ、カメラ回りました! 緊急特別企画! 全国のデカ盛り記録を塗り替え続ける謎のOLに、うちのシルフィが直接対決を挑みます! 果たして結末やいかに!」


十分後。

「お待たせしやした……。黄龍亭・最凶の裏メニュー、『総重量十キロ・特大カツカレー』だ!!」

ドォォォォンッ!!

店主が青筋を立てながら運んできたのは、料理の皿というよりも、もはや中華鍋やタライと呼ぶべき巨大な金属製の器だった。

それが、シルフィと凛子の目の前にそれぞれドンッ、ドンッと置かれる。

「おおおおおっ!! 茶色い大海原に、黄金の大陸が浮かんでいます!」

シルフィが目を丸くして歓声を上げた。


器の中には、およそ三升(四・五キロ)はあろうかという白米の土台。

その上に、豚のロース肉を丸ごと何本も使ったような、巨大なトンカツが六枚、幾重にも重なって断層を形成している。

そして、その全体を覆い尽くすように、ナミナミと注がれたカレールー。

町中華ならではの、鶏ガラと豚骨の中華スープをベースに、カレー粉と片栗粉でトロミをつけた、黄色味がかった特製の『中華風カレー』である。スパイシーな香りの中にも、ラーメンスープのような奥深い旨味の匂いが強烈に鼻腔を刺激する。

総重量は、狂気の『十キログラム』。

もはや、人間が胃袋に納める質量ではない。大食い競技においても、十キロという数字は限られたトッププロだけが到達できる『神の領域』である。


「ルールは無制限! 先にこの十キロのタライを空っぽにした方の勝ちだ! それじゃあ……勝負、スタート!!」

店主の合図で、野試合のゴングが鳴り響いた。


「いただきます!!」

シルフィは両手に持った特大のスプーンとフォークを使い、まずは黄金の大陸――巨大なトンカツの塊へと襲いかかった。

「このお料理、カツの衣がルーに溶けてフニャフニャになってしまう前に、サクサクの食感を極限まで楽しむのが正解ですね!」

ザクッ!! ジュワァァッ!!

シルフィは、カレールーが染み込む前の、揚げたてで熱々のトンカツを大きく切り出し、口に放り込んだ。

「んんん〜っ!! 美味しいぃぃぃっ!!」

一口目から、シルフィの顔に極上の至福の笑顔が弾けた。

「このお肉、とっても分厚いのに、噛んだ瞬間に豚の甘い脂がジュワッと溢れ出してきます! 衣もサクサクで香ばしい! そして何より、このカレーという名のソース!」

シルフィは、中華風の黄色いルーと白米をスプーンでたっぷりと掬い上げ、口に運ぶ。

「これまでに食べたカレーとは全く違います! スパイスの辛さの奥底に、おネギや生姜、そして鶏のお出汁の旨味がドッシリと構えています! まるでお口の中が、異国情緒あふれる中華の宴に招待されたかのようです!」


シルフィの食べるスピードは、序盤から文字通りの『神速』だった。

ザクッ、モグモグ、ゴクリ。

エルフの未発達な辛味センサーも、町中華の優しい辛さ(マイルドなカレー粉ベース)であれば全く問題ない。

むしろ、中華スープの濃厚な旨味と豚カツの強烈なカロリーが、彼女の体内にある『マナ・クラフター(魔力変換器官)』を激しく刺激していた。

食べた端から、十キロという圧倒的な質量の食べ物が、キラキラと輝く黄金色の魔力へと変換されていく。

「美味しいです! 熱いですが、この熱さこそが出来立ての証! いくらでも食べられます!」

シルフィはフーフーと息を吹きかけながらも、満面の笑みで、まるでブラックホールのように特大カツカレーを胃袋へと転送し続けた。


(よし! シルフィの調子は絶好調よ!)

カメラのファインダー越しに、結衣は心の中でガッツポーズをした。

(いくら相手が記録保持者でも、十キロという限界の重量勝負になれば、魔力変換で『満腹感』を感じないシルフィが絶対に有利なはず! このままのペースでいけば、圧倒的な差をつけて勝てるわ!)


結衣はそう確信し、カメラのレンズをシルフィから、隣の席で食べる四宮凛子へと向けた。

「さあ、対する謎のOL・凛子さんはどうでしょうか……って」


レンズ越しに凛子の姿を捉えた瞬間。

結衣の背筋に、再びゾクリと、這い上がるような悪寒が走った。


カチャリ。スッ。ゴクリ。

カチャリ。スッ。ゴクリ。


凛子は、左手で相変わらずスマートフォンのExcel画面をスクロールさせながら、右手一本で、巨大なスプーンを操っていた。

彼女の表情には、焦りも、苦しみも、熱さを感じる素振りも一切なかった。

出来立ての熱々カツカレー。

普通の人間なら、ハフハフと息を吐き出さなければ火傷してしまう温度だ。

だが凛子は、湯気を立てるルーと白米を、まるで常温の水を飲むかのように、無表情で口に運び、淡々と咀嚼して飲み込んでいる。

シルフィのような『神速』ではない。

だが、そのペースは、信じられないほど『一定』だった。


一口に掬い上げる量は、常にスプーンの八分目(約三十グラム)。

咀嚼の回数は、常に十五回。

飲み込むタイミングは、常に一定の間隔。

それは、寸分の狂いもない精密な時計か、工場で稼働する産業用ロボットのようであった。


「な……なんなの、あの食べ方……」

結衣はカメラを持つ手を微かに震わせた。

大食いという競技において、人間は必ず『波』がある。

熱さに苦戦したり、味に飽きたり、脂の重さで飲み込みづらくなったり。どんなトッププロでも、時間と共に必ずペースは変動し、落ちていくものだ。

しかし、凛子にはその『波』が一切存在しない。

豚の分厚いカツを食べようが、熱々のルーを食べようが、彼女の処理速度メトロノームは、一秒たりとも遅くなることがないのだ。


(摂取カロリー、現在推定三千五百キロカロリー。胃壁の拡張率三十パーセント。消化酵素の分泌、正常)

凛子は、脳内で淡々と自分自身の身体の数値をモニタリングしていた。

(エルフちゃんねる・シルフィリア。初期の捕食速度は私の約一・八倍。しかし、このペースを最後まで維持することは生物学的に不可能。十キロの質量勝負となれば、必ず彼女の身体機能にエラーが発生する。私のペースを維持し続ければ、完食タイム『四十二分』で勝利は確定する)


凛子にとって、大食いとは『データ管理』と『タスク処理』の極致であった。

彼女の胃袋もまた、常人を逸脱したブラックホールに近い容量を持っている。それに加えて、一切の感情と味覚を排除することで、脳の疲労を完全に防いでいるのだ。


「フゥーーッ! 結衣殿、お野菜も入っていました! とろとろに溶けた玉ねぎが、とっても甘くて美味しいです!」

隣で無邪気に笑いながら、カツカレーの山を崩していくシルフィ。

彼女は純粋に食事を楽しんでおり、隣の凛子の異様なペースには全く気づいていない。


「……シルフィ、ペース上げなきゃマズいかも……」

結衣は小声で呟いた。

開始から十五分が経過。

シルフィはすでに五キロ以上を平らげ、タライの半分を空にしていた。凄まじいスピードだ。

だが、恐ろしいことに、凛子もまた、一定のメトロノームのリズムを崩すことなく、全く同じ五キロのラインを削り取っていたのだ。


シルフィの『魔力変換』というファンタジーのチート能力。

それと完全に互角に渡り合う、凛子の『感情排除と機械的処理』という現代の狂気。


勝負は中盤戦へと突入し、カツの脂と、とろみの強い中華風ルーが、徐々に重力のような質量となって二人の身体にのしかかっていく。

果たして、十キロという神の領域を先に踏破するのは、笑顔の美食家か、無貌の機械か。

誰も見たことのない、壮絶なデッドヒートが、ひなびた町中華の店内で静かに、そして熱く繰り広げられていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ