第35話:破られた記録と、見えない影〜古びた定食屋と謎のメガネOL〜
大阪・道頓堀での『たこ焼き一千個・灼熱地獄』を見事に討伐し、食い倒れの街の住人たちから大喝采を浴びてから数日。
『エルフちゃんねる』の全国デカ盛り行脚ツアーは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで快進撃を続けていた。
シルバーの中古ミニバンは、本州をさらに西へと進み、中国地方の長閑な風景の中をひた走っている。
「結衣殿! 見てください! 魔法の板の数字が、また増えていますよ!」
助手席に座るシルフィリアが、自分のスマートフォンをダッシュボード越しに結衣に見せつけてきた。
そこには、YouTubeのチャンネル登録者数が表示されている。
『現在の登録者数:985,400人』
夢のミリオン(百万人)到達まで、あとわずか一万五千人弱というところまで迫っていた。
「うん、すごいペースね! 北海道のジンギスカン動画も、名古屋の味噌カツ動画も、連日で急上昇ランク一位になってるし。この調子なら、今週末には確実にミリオン達成よ!」
ハンドルを握る篠原結衣の声も、弾んでいた。
大会での『新人王』という称号は伊達ではない。それに加えて、シルフィリアの人間離れした胃袋と、対極にある「心の底から美味しそうに、美しく食べる」というスタイルが、多くの視聴者の心を鷲掴みにしているのだ。
もはや大食いYouTuberの枠を超え、日本で最も愛されるチャンネルの一つになりつつあった。
「ミリオン……百万人ですね! 百万人の民衆が、私の食事風景を幻影(動画)で見てくださっている。素晴らしいことです! この感謝の気持ちを伝えるためにも、今日も全力で美味しいご飯を討伐しなければなりませんね!」
「あはは、あんたのモチベーションが『感謝』と『食欲』で直結してるの、本当に助かるわ。さて、今日のターゲットなんだけど……」
結衣はナビの画面をチラリと確認した。
「ネットのタレコミ掲示板で見つけた、知る人ぞ知る隠れたデカ盛り店よ。大通りから外れた山道にある、昔ながらのドライブイン。トラックの運転手さんたちの胃袋を支え続けてきた、裏ボス的なお店らしいわ」
「おおっ! 山奥の隠れ家ですね! そこにはどんなご馳走が眠っているのでしょうか!?」
ミニバンが国道を外れ、鬱蒼とした木々に囲まれた県道に入ってしばらくすると、ぽつんと現れたのは『ドライブイン大黒』という、ひなびた看板を掲げた古びた定食屋だった。
トタン屋根に、色褪せた暖簾。駐車場には大型トラックが数台停まっており、いかにも「労働者のためのガッツリ飯」を提供する店という雰囲気が漂っている。
店内に入ると、昭和の時代にタイムスリップしたかのような、パイプ椅子とベタベタしたテーブルが並んでいた。
「いらっしゃい! ……おや、可愛いお嬢ちゃんたちだね。ここは量が多いから、気をつけて注文しなよ」
厨房から顔を出したのは、頭にタオルを巻いた、日焼けした初老の店主だった。
「こんにちは! 実は私たち、YouTuberでして。ここのお店に『裏メニュー』のデカ盛りがあると聞いて、挑戦しに来たんです!」
結衣が名刺を渡し、撮影の許可をもらう。
「ほう、YouTuberかい? 最近はそういう若い子が増えたねぇ。……うちの裏メニューね。いいよ、出してやる。だけど、残したら罰金一万円だからな」
「はい! 問題ありません! エルフの胃袋は底なしですから!」
シルフィが元気に手を挙げた。
十分後。
テーブルに置かれたのは、とんでもない質量の物体だった。
「おおおおおっ!! 黄色い布団に包まれた、巨大な赤い山です!」
シルフィの目が、キラキラと星のように輝いた。
メニューの名は『大黒天ドカ盛りオムライス』。
直径五十センチはある特大の銀皿の上に、鶏肉と玉ねぎがゴロゴロと入った大量のケチャップライスが、ラグビーボール……いや、枕のようなサイズで盛り付けられている。そして、その山を覆い尽くすように、卵を十個以上使ったであろう分厚い薄焼き卵が被せられ、ドス黒い自家製のデミグラスソースがたっぷりと滝のようにかけられていた。
総重量は、四キログラム。
「制限時間は三十分だ! 頑張りな!」
店主の合図で、結衣がカメラを回し始める。
「いただきます!!」
シルフィは大きな銀のスプーンを両手で握りしめ、巨大なオムライスの山肌にザクッと突き立てた。
卵を突き破り、中の赤いケチャップライスをたっぷりと掬い上げる。そして、デミグラスソースを絡めて、大きな口へ。
「っっっっ!!!」
咀嚼した瞬間、シルフィの顔に極上の至福の笑顔が弾けた。
「美味しいぃぃぃっ!!」
マイクを通して、歓喜の食レポが響き渡る。
「この赤いご飯、トマトの酸味がお米一粒一粒にしっかりと染み込んでいて、炒められた鶏肉の脂と完璧に融合しています! そして、この黄色い卵! 分厚くて食べ応えがあるのに、内側はトロッとしていて、ご飯を優しく包み込んでくれています!」
シルフィの食べるスピードは、今日も絶好調だった。
北海道のジンギスカン、名古屋の味噌カツ、大阪のたこ焼きと、連日の大食いで胃袋はかつてないほどに活性化している。
「さらに、この黒いソース(デミグラス)! お肉とお野菜の旨味が何日も煮込まれて凝縮されたような、とてつもないコクです! 甘酸っぱいケチャップライスと、ほろ苦く濃厚なデミグラスソース……この二つの味が口の中で出会った瞬間、私の舌の上で洋食の舞踏会が開かれています!!」
パクッ、モグモグ、ゴクリ。
シルフィのスプーンは、まるで機械のように正確に、かつ優雅なリズムでオムライスの山を切り崩していく。
四キロのオムライスなど、彼女にとっては「ちょっと多めの極上ランチ」でしかない。
卵の黄色とケチャップの赤が、瞬く間に胃袋という名のブラックホールへと吸い込まれ、黄金色の魔力へと変換されていく。
「はぁ〜っ、本当に美味しいです! 店主殿、このお料理、最高です!」
シルフィは一口食べるごとに満面の笑みで厨房に向かって叫び、店主も「お、おう……すげぇ食いっぷりだな」と目を丸くして驚いていた。
そして。
「ごちそうさまでした!!」
シルフィが最後の一口を飲み込み、銀皿が鏡のようにピカピカになった瞬間。結衣の手元のストップウォッチが止められた。
「はい、カット! お疲れ様シルフィ! ……タイムは、なんと『十八分』! 四キロのオムライスを二十分切るなんて、文句なしの新記録よ!」
結衣は興奮気味に立ち上がり、店主に向かって声をかけた。
「店主さん! これまでの歴代チャレンジャーの中で、十八分って最速記録ですよね!? いやあ、うちのシルフィ、やっぱりすごいわぁ!」
しかし。
結衣の期待に反して、厨房から出てきた店主の表情は、どこか歯切れの悪い、微妙なものだった。
「いやぁ……お嬢ちゃん、本当に凄かったよ。あんなに綺麗に、ニコニコ笑いながら四キロを平らげちまうなんて、長年店をやってるが初めて見た。感動したよ」
店主は頭のタオルを取り、申し訳なさそうに視線を泳がせた。
「でもよ、お姉ちゃん……実はこれ、『新記録』じゃないんだわ」
「……えっ?」
結衣とシルフィは、同時に首を傾げた。
「新記録じゃない? 四キロを十八分で完食したのに、これより早い人が過去にいたんですか?」
「ああ。……つい昨日のことなんだけどな」
店主は、レジ横の壁を指差した。
そこには、完食者の記念として書かれた色紙が何枚も貼られていた。その中で、一番新しく見える、日付が『昨日』になっている色紙があった。
結衣が近づいて、その色紙の文字を読み上げる。
「ええと……『大黒天ドカ盛りオムライス・完食』……タイムは……」
結衣の言葉が、途切れた。
その色紙に書かれていた完食タイムを見て、結衣の背筋にゾクリと氷のような悪寒が走ったのだ。
『タイム:9分12秒』
「きゅ、九分……!?」
結衣の声が、裏返った。
「よ、四キロのオムライスを、九分!? シルフィの半分の時間!? 嘘でしょ!?」
大食い競技を知る者なら、この数字がいかに異常であるかが分かる。
四キロの重量を九分で食べるということは、咀嚼などほぼせず、ただひたすらに飲み込み続けることを意味する。しかも、熱々のケチャップライスと卵をだ。
無限の胃袋と魔力変換を持つシルフィでさえ、「味わって食べる」というエルフの美学を守っているため十八分かかったのだ。それを九分で完食するなど、人間のなせる業とは思えなかった。
「店主さん! これ、誰が書いたんですか!? 名前が書いてないですけど……男のフードファイターですか!?」
結衣が詰め寄ると、店主は首を横に振った。
「いや……それが、男じゃなかったんだよ。どっちかっていうと、あんたたちみたいな若いお姉ちゃんだった」
「お姉ちゃん……?」
「ああ。グレーの事務服みたいなのを着て、黒縁のメガネをかけた、どこにでもいそうな地味なOLさんだったよ」
店主は、昨日のことを思い出すように少し顔を青ざめさせた。
「あの食べ方は、異常だったね。美味いとか不味いとか、そういう感情が一切ないんだ。ただ左手でスマホの画面をスクロールして仕事の確認らしきことをしながら、右手だけで機械みたいにスプーンを動かして……息一つ乱さずに、九分で平らげて帰っていった。……正直、見ててちょっと不気味だったよ」
「グレーの事務服……メガネのOL……」
結衣の脳裏に、かつてないほどの強烈な『警戒アラート』が鳴り響いた。
(そんな特徴のフードファイター、大食い界の噂でも聞いたことがない。公式大会の予選にも、そんな女性はいなかった……。完全な『野良』のバケモノ……!?)
シルフィも、結衣のただならぬ様子を感じ取り、色紙を見つめた。
「結衣殿。私より早く、この黄色いお山を討伐した戦士がいるのですね。……九分とは、素晴らしい俊敏さです。どのような方なのでしょうか、お会いして美味しいご飯のお話をしてみたいです!」
「シルフィ、あんたは能天気すぎるわよ……!」
結衣は唇を噛み締めた。
YouTuberとして、大食いの新人王として、これまで無敗を誇ってきた自分たち。その足元をすくうような、得体の知れない存在。
「……ねえ、店主さん」
結衣は、ふと嫌な予感がして、壁に貼られている他の古い色紙や、店のノートを見せてもらった。
そして、スマートフォンの検索アプリを開き、『デカ盛り 記録更新 メガネOL』といったキーワードで、過去の自分たちが巡ってきたルートや、大食いファンたちのSNSの書き込みを必死に調べ始めた。
「嘘……でしょ……」
数分後。
スマートフォンの画面を見つめる結衣の手が、微かに震えていた。
「結衣殿? どうされましたか?」
「シルフィ……。私たち、とんでもない相手と同じルートを走ってるかもしれない……」
結衣がスマホの画面をシルフィに見せる。
そこには、全国のデカ盛りファンたちが情報交換をしている掲示板の書き込みがあった。
『最近、北海道のジンギスカン桶食いの記録が更新されたらしい。名前のないメガネの女だったとか』
『名古屋の味噌カツ城、十八分で完食した事務服のOLがいたって大将がビビってたぞ』
『大阪のたこ焼き千個、エルフちゃんが来る前日に、無表情の女が四十時間かけて……いや、四十五分で食い切ったって噂マジ?』
「私たちより、常に一日か二日だけ前に……この『謎のメガネのOL』が、全国のデカ盛り店に現れて、信じられないタイムで記録を塗り替え続けてる……!」
結衣の言葉に、ドライブイン大黒の店内がシンと静まり返った。
シルフィが更新したと思っていた数々の記録は、実はすでに、その見えない影によって塗り替えられた後のものだったのだ。
日本全国のデカ盛り店を密かに蹂躙し続ける、感情なき暴食の機械。
メディアにも出ず、大会にも出ず、ただひたすらにカロリーを処理し続ける『野良の大食いスト』。
新人王となったシルフィリアの前に、初めて立ちはだかる、底知れぬ恐怖と不気味さを持った裏ボスの存在。
「……面白いですね」
静寂を破ったのは、シルフィリアの明るい声だった。
彼女の碧眼には、恐怖ではなく、かつてないほどの『好奇心』と『狩猟本能』が燃え上がっていた。
「私より早くお腹を空かせ、ご飯を討伐する戦士。……ぜひ、お会いしてみたいです! そして、一緒に美味しいご飯を食べて、どちらがより多くのご馳走を楽しめるか、競い合ってみたいです!」
「シルフィ……。あんたって子は、本当に闘争心(食い意地)の塊ね」
見えない影の正体。
そして、迫り来る直接対決の予感。
全国デカ盛りツアーは、ただのグルメ行脚から、日本の裏大食い界を巻き込んだ、熾烈な追跡劇へとその様相を変えようとしていた。
次なる目的地で、エルフの胃袋と、機械の胃袋が、ついに激突の時を迎える。




