第34話:大阪編・たこ焼き1000個の灼熱地獄〜風の精霊の呼吸法と涙目のハフハフ
名古屋での「巨大味噌カツ&特大エビフリャーの城」という、味の暴力とも言えるデカ盛りを難なく陥落させた篠原結衣とシルフィリア。
二人の乗るシルバーの中古ミニバンは、そのまま名神高速道路を西へとひた走り、ついに天下の台所にして「食い倒れの街」と呼ばれる大都市、大阪へと足を踏み入れた。
ネオンサインがギラギラと輝き、巨大なカニやフグの立体看板が頭上を覆い尽くす道頓堀の商店街。
すれ違う人々の活気ある話し声と、どこからともなく漂ってくる出汁とソースの濃厚な香りが、この街が食に対する並々ならぬ情熱を持っていることを物語っていた。
「おおおおおっ!! 結衣殿、ご覧ください! 街中から、とてつもなく美味しそうな匂いが立ち込めています! それに、道行く人々が皆、手に手に串に刺さった食べ物や、湯気を立てる丸い食べ物を持ち歩きながら笑っています!」
緑色のファンタジー風ワンピースを着たシルフィは、目をキラキラと輝かせ、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロと忙しなく首を振っていた。
「これが大阪よ、シルフィ。別名『食い倒れ』の街。美味しいものが多すぎて、みんな限界まで食べちゃうっていう、あんたにとってはまさに天国みたいな場所ね」
結衣はカメラの三脚を肩に担ぎながら、得意げに笑った。
「食い倒れ……! つまり、胃袋の限界を超えた果てにある、至高の満腹状態のことですね! 素晴らしい街です! さあ結衣殿、早くその『たこやき』という丸いご馳走の元へ案内してください!」
「はいはい、慌てないの。今日の挑戦はお店側もかなり気合が入ってるみたいだから、心してかかりなさいよ」
結衣がシルフィを案内したのは、商店街の少し奥まった場所にある、地元でも有名な老舗たこ焼き店『なにわ大ダコ本舗』であった。
店頭には、何十列もの丸い窪みが並んだ巨大な特注鉄板がズラリと設置されており、ねじり鉢巻に法被姿の威勢の良い店主が、千枚通しのようなピックを両手に持ち、目にも留まらぬ速さでたこ焼きをひっくり返している最中だった。
「いらっしゃい! 待ってたでぇ、エルフちゃんねるのお嬢ちゃんたち!」
店主はチャキチャキの大阪弁で二人を歓迎した。
「今日はテレビでも話題の大食いエルフちゃんが来てくれるっちゅうことでな! うちの店も採算度外視で、史上最大の鉄板を用意させてもうたわ!」
「ありがとうございます! エルフのシルフィリアです! 本日は、その丸い魔法の食べ物を、一粒残らず討伐させていただきます!」
結衣がカメラを回し、オープニングの挨拶を済ませると、店主の合図とともに、奥の厨房からとんでもない光景が運ばれてきた。
「さあ、見とけよ! これがうちの店の誇る最凶チャレンジメニューや!」
ドドォォォォンッ!!
店先の特設テーブルの上に並べられたのは、お祭りでよく見るような「舟」と呼ばれる木の器。だが、その舟が、なんとテーブルを埋め尽くすほどの数――実に『五十艘』も並べられていた。
そして、その一つの舟につき、大粒のたこ焼きが二十個ずつ、山盛りに積まれている。
「なっ……なんという絶景でしょうか!!」
シルフィが歓喜の悲鳴を上げた。
総数、実に『一千個』。
こんがりとキツネ色に焼き上がった丸いたこ焼きの山脈には、特製の甘辛いどろソースがたっぷりと塗られ、雪のようにマヨネーズがかけられている。さらに、その上にはたっぷりの青のりと、熱気でまるで生き物のようにウネウネと踊る鰹節が振りかけられていた。
「おおっ!? 結衣殿! この丸い食べ物の上に乗っている薄いヒラヒラ、生きて動いていますよ! これも魔物の一種ですか!?」
「違う違う、それは鰹節って言って、お魚を削ったもの。熱い湯気で動いてるように見えるだけよ」
結衣が訂正するが、シルフィの興奮は収まらない。
「ルールは六十分や!」
店主がビシッと指を突きつける。
「このたこ焼き一千個、制限時間内に全部平らげたら、お代は一生タダ! さらにうちの店の看板に『エルフ御用達』って書かせてもらうで! やれるもんならやってみいや!」
「望むところです!」
シルフィは両手に割り箸を構え、「いただきます!」の合図とともに、さっそく目の前の舟から、大粒のたこ焼きを一つ摘み上げた。
そして、何の躊躇いもなく、それをそのまま大きな口にポイッと放り込んだ。
「あ、ちょっと待ってシルフィ! それはまだ焼きたてで――!!」
結衣の制止の声は、わずかに遅かった。
パクッ。
シルフィは、笑顔のまま勢いよく咀嚼した。
「っっっっっっっっ!!!!!????」
その瞬間。
シルフィの動きが、完全にフリーズした。
彼女の大きく見開かれた碧眼から、ボロボロと、大粒の涙が滝のように溢れ出したのだ。
「ふぎゅぅぅぅぅぅっ!!??」
シルフィは口を大きく開けたまま、両手で顔を覆い、バタバタとその場で足踏みを始めた。
「あ、熱いです!! 熱いぃぃぃぃぃっ!!」
口の端からハフハフと白い湯気を吐き出しながら、シルフィは涙目で絶叫した。
「な、なんですかこの食べ物は!? 外側はカリッとしていたのに、噛んだ瞬間に中から、沸騰したマグマのようなドロドロの熱い泥(生地)が飛び出してきました!! 口の中が……口の中の粘膜が、完全に炎の魔法で焼かれていますぅぅぅっ!!」
そう、これこそが、大阪名物・たこ焼きの大食いにおいて最大の壁となる『熱さ』の罠である。
大食い競技において、「量」や「味の濃さ」もさることながら、実は最も恐ろしいタイムロスを生むのが「温度」なのだ。
人間の口内は、一定以上の温度を受け付けることができない。特にたこ焼きは、外側の生地が焼けて壁になり、内側のトロトロの生地とタコが超高温の蒸気と熱を内部に閉じ込めている。一口で噛み潰せば、そのマグマのような熱球が口蓋と舌を直撃し、強烈な火傷を引き起こすのである。
プロのフードファイターたちは、この熱さを回避するために、たこ焼きをあらかじめ半分に割って熱を逃がしたり、氷水で無理やり冷やしてから飲み込んだりといった技術を使う。
だが、シルフィはエルフである。
異世界の森で育ったエルフの食事は、木の実や冷たい湧き水、あるいは焚き火で軽く炙った程度のものが主であり、現代日本のように「油でコーティングして内部の超高温を保つ」というような凶悪な調理法の食べ物は存在しない。
つまり、シルフィリアの舌は、極度の『猫舌』だったのである。
「シ、シルフィ! 大丈夫!? とりあえず氷水飲んで!!」
結衣が慌ててグラスを差し出すが、シルフィは涙目で首を横に振った。
「だ、ダメです……っ! 氷水で冷やしてしまえば、せっかくの美味しいソースの味と、中に入っていた弾力のある海の魔物の旨味が薄れてしまいます……! この丸いご馳走は、絶対に熱いまま、味を損なわずに食べるべきなのです!」
痛みに涙を流しながらも、決して「食への敬意(美味しさ)」を妥協しようとしない、謎のエルフ・プライド。
「ガハハハ! やっぱりアカンか!」
店主が腹を抱えて笑い出した。
「うちのたこ焼きは『外カリッ、中トロッ』の究極系や! 中は百度近い熱さがあるからな! いくら大食いのチャンピオンでも、この熱さの前にはペースは上がらんやろ!」
実際、巨大モニターに映るタイマーはすでに五分を経過していたが、シルフィの食べた数はわずかに十個。
一つ食べるごとに「はふっ、はふはふっ! 熱い! でも美味しい!」と涙目で悶絶し、完全にペースが止まっていた。
いくらエルフのマナ・クラフター(魔力変換器官)が無限の容量を持っていようとも、口の中が火傷してしまえば物理的に嚥下(飲み込むこと)ができなくなる。激辛カレーの時と同じ、最大のピンチであった。
(どうしよう……! 氷水を使わないなら、自然に冷めるのを待つしかないけど、千個もあるたこ焼きをそんな悠長に食べてたら、絶対に六十分じゃ間に合わない!)
結衣が焦燥に駆られ、爪を噛んだその時だった。
「……結衣殿。私、思い出しました」
シルフィが、涙を拭い、キリッとした表情で割り箸を構え直した。
「思い出した? 何を?」
「私の故郷、エルフの森に古くから伝わる、灼熱の危機を回避するための秘伝の魔法です。……今こそ、その封印を解く時が来ました」
「秘伝の、魔法……?」
結衣がゴクリと生唾を飲み込む。
魔力変換以外にも、ついに本物のファンタジー魔法が現代のカメラの前で披露されてしまうのか。
シルフィは目を閉じ、深く、深く息を吸い込んだ。
彼女の華奢な胸が大きく膨らみ、周囲の空気が彼女の口元へと集束していくような錯覚を覚える。
そして、シルフィはパッと目を開き、箸で摘み上げた二個目のたこ焼きの真正面に、自分の顔を近づけた。
「見よ! 『風の精霊の呼吸法』!!」
シルフィが、その桜色の唇を尖らせた。
そして。
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーッッッ!!!!」
――ビュオォォォォォォッ!!
猛烈な、本当に猛烈な突風が、シルフィの口から放たれた。
「えっ」
結衣は思わず間の抜けた声を漏らした。
店主も、集まっていたギャラリーたちも、ポカンと口を開けてその光景を見つめた。
魔法でもなんでもない。それはただの、物理的な『フーフー』であった。
熱いものを冷ます時に、誰もがやる、あの口で息を吹きかける行為。
だが、シルフィの『フーフー』は、常人のそれとは次元が違った。
エルフの強靭な肺活量と、精密な気流コントロール技術(?)によって圧縮されて放たれたその息は、まるで小型のダイソン掃除機の排気、いや、局地的な竜巻のような勢いを持っていた。
吹きかけられたたこ焼きの表面から、熱い蒸気が一瞬にして吹き飛ばされ、激しく踊っていた鰹節たちが暴風に煽られて吹き飛んでいきそうになる(シルフィが絶妙なコントロールでギリギリ吹き飛ばないように手加減していた)。
「な、なんだあの肺活量は!?」
店主が驚愕の声を上げる。
わずか数秒の『風の精霊の呼吸法』を終えたシルフィは、満足げに頷き、そのたこ焼きをパクリと口に入れた。
「…………!!」
シルフィの碧眼が、カッと見開かれた。
「完璧です!!」
マイクを通して、歓喜の悲鳴が響き渡る。
「外側の生地は、風の力で急速冷却されたことで、さらにカリッとした食感を増しています! そして、中から溢れ出すドロドロの生地は、火傷しないギリギリの『究極の温かさ』にまで見事に温度が下がっています!」
シルフィは、両手で頬を押さえ、うっとりとした表情を浮かべた。
「熱すぎず、冷めすぎず。お出汁の効いた生地の旨味と、タコの弾力、そしてソースの甘辛さが、私の舌の上で完璧なオーケストラを奏でています! これが……これが大阪のソウルフードの真の姿なのですね!」
弱点であった「熱さ」を、エルフ特有の肺活量を用いた力技で完全に克服したシルフィリア。
そこからの彼女の進撃は、まさに圧巻の一言であった。
箸でたこ焼きを摘む。
「フゥーーッ!!」
一瞬の暴風で急速冷却。
そして口に放り込み、「ハフッ、ハフハフッ!」と少しだけ涙目になりながら咀嚼する。
この『涙目のハフハフ』という一連の動作が、とてつもない破壊力を生み出していた。
「な、なんやあの子……」
「めちゃくちゃ可愛いやんけ……」
「あのハフハフしてる顔、最高すぎへんか!?」
ギャラリーとして集まっていた大阪の若者たちや、商店街のおじちゃんおばちゃんたちが、シルフィのあまりにも無邪気で、美味しそうで、それでいて少し熱そうに涙ぐむキュートな食事風景に、完全にノックアウトされていた。
大食い特有の「無理をして詰め込んでいる」悲壮感はゼロ。
ひたすらに、美味しいたこ焼きを心から楽しんでいる美少女の姿がそこにあった。
「ハフッ、ハフハフ! んん〜っ、美味しいです! 結衣殿、中に入っている紅生姜という赤いお野菜の破片が、素晴らしいアクセントになっていますよ!」
シルフィは、涙目で頬をピンク色に染めながら、猛烈なスピードでたこ焼きを胃袋のブラックホールへと転送していく。
食べた端からカロリーは魔力へと変換され、次なる『風の精霊の呼吸法』のエネルギー源となる。
完璧な永久機関の完成である。
百個。
三百個。
五百個。
店先のテーブルに並べられていた五十艘の舟が、次々と空になり、脇へと積み上げられていく。
店主は、もはやたこ焼きを焼く手を止め、呆然とシルフィの食べっぷりを見つめていた。
「ウソやろ……。水も飲まんと、あの熱いたこ焼きを、あんな猛スピードで……。しかも、ホンマに美味そうに食いやがる……!」
店主の目に、うっすらと感動の涙が浮かんでいた。
自分が丹精込めて焼いた一千個のたこ焼き。それが、一粒の残飯にもなることなく、一人の少女の極上の笑顔と共に消えていく。料理人として、これほどの幸せがあるだろうか。
「残り時間、十分よシルフィ! いけるわ!」
カメラを回しながら結衣が叫ぶ。
シルフィの前には、すでに残りわずか二艘(四十個)のたこ焼きしか残っていなかった。
「はいっ! 最後の最後まで、風の精霊と共に美味しくいただきます!」
シルフィはペースを落とすことなく、フーフー、ハフハフのキュートなコンボを繰り出し続けた。
そして。
「……九百九十八、九百九十九……」
集まった数百人のギャラリーが、自然発生的にカウントダウンを始める。
「一千個目! いただきます!」
シルフィは、最後の一個を箸で摘み上げ、「フゥーーッ!」と丁寧に風を当ててから、パクリと口に入れた。
モグ、モグモグ。
ゴクリ。
喉を通り過ぎたのを確認し、シルフィは両手を胸の前で合わせ、空っぽになった五十艘の舟に向かって深く、優雅にお辞儀をした。
「ごちそうさまでした!! 大阪の丸い魔法、一粒残らず、完璧に討伐完了です!」
――ドワァァァァァァァァァァァァァァッ!!
道頓堀の商店街を揺るがすほどの、割れんばかりの大歓声と拍手が巻き起こった。
「やったでエルフちゃん!!」
「最高や! あんた、ホンマに食い倒れの女王やで!!」
ギャラリーからの熱狂的な声援に、シルフィは「えへへ」と照れくさそうに笑いながら手を振り返した。
「ま、参った……。まさか、ホンマに一人で一千個を食い切りよるとは……」
店主は、首に巻いたタオルで汗と涙を拭い、シルフィの前に歩み出た。
「エルフのお嬢ちゃん! あんたの食いっぷり、ナニワの商人の魂に深く刻まれたで! 約束通り、お代はタダや! これからは『エルフちゃんねる御用達』の看板、デカデカと出させてもらうからな!」
「店主殿! ありがとうございます! この『たこやき』という熱くて美味しい食べ物、私の生涯の宝物リストにしっかりと登録させていただきました!」
結衣がカメラの録画を停止し、「お疲れ様シルフィ!」と笑顔で駆け寄る。
「ふふふ。結衣殿、大阪の討伐も大成功ですね! 私のマナ・クラフターは、たこ焼きの粉とソースの力で、かつてないほどに活性化しております!」
シルフィはポンポンとペタンコのお腹を叩き、大満足の笑顔を浮かべた。
北海道のジンギスカン、名古屋の巨大味噌カツ、そして大阪のたこ焼き一千個。
エルフちゃんねるの全国デカ盛り行脚ツアーは、まさに無敵の快進撃を続けていた。
シルフィの無限の胃袋と、どんな食材も心から楽しむ純粋な食への愛は、日本全国のデカ盛りメニューを次々と陥落させ、その名を轟かせていく。
しかし。
この栄光の快進撃の裏で、彼女たちが全く予想していなかった『強大な影』が、すぐそこまで迫っていた。
大阪を後にし、次なる地方都市へと向かった二人は、立ち寄った古びた定食屋で、自分たちの常識を覆す恐るべき事実を目の当たりにすることになる。
「……ねえシルフィ。この色紙の記録……おかしくない?」
壁に貼られた色紙。そこに記された、あり得ない完食タイム。
日本一の大食いエルフの前に立ちはだかる、見えないライバルの存在。
波乱に満ちた第4章の真の幕開けが、静かに、そして不気味に近づいていた。




