第33話:名古屋編・味噌カツ&エビフリャータワー〜赤い魔法の泥と黄金の城〜
北の大地・北海道で六キログラムの巨大ジンギスカン木桶を見事に討伐した『エルフちゃんねる』の二人は、再びフェリーに乗り込み、本州へと舞い戻っていた。
シルバーの中古ミニバンは、秋の深まりを感じさせる東北自動車道を一気に南下し、日本の中心部である愛知県――独特の食文化が花開く大都市、名古屋へとそのタイヤを滑り込ませた。
「おおおおおっ!! 結衣殿、ご覧ください! あのお城の屋根の上で、金色の大きなお魚が逆立ちをして光り輝いていますよ!」
助手席に座るシルフィリアが、窓にへばりつくようにして名古屋城の天守閣を指差し、歓声を上げた。
今日もお馴染みの、緑色のファンタジー風ワンピース姿。長旅の疲れなど微塵も感じさせない、相変わらずの無邪気なはらぺこエルフである。
「あれは金鯱って言って、名古屋のシンボルみたいなものよ。頭は虎で身体は魚の、伝説の生き物ね。……でもシルフィ、あんたの目にはあれも『美味しそうなお魚』に見えてるんじゃないでしょうね?」
ハンドルを握る篠原結衣が、バックミラー越しにジト目を向ける。
「まさか! いくら私でも、あの黄金の像が食べられないことくらい分かっていますよ。……ですが、あのように天を突くほどに巨大なお魚の揚げ物があれば、さぞかし食べ応えがあるだろうなと、想像を膨らませていたところです!」
「あはは、ブレないわねぇ。でも安心して。今日のターゲットは、まさにその『金鯱』に負けないくらい、巨大で黄金色に輝くデカ盛りメニューなんだから」
結衣がナビの案内に従ってミニバンを停めたのは、名古屋市内の下町に店を構える、地元の大衆食堂『シャチホコ亭』であった。
昭和のレトロな雰囲気が漂う店構えだが、入り口にはデカデカと「挑戦者求む! 名古屋城陥落チャレンジ!」という挑戦的な手書きの看板が立て掛けられている。
店内に入ると、威勢の良い声が響いた。
「いらっしゃい! おや、電話くれたYouTuberさんだね! ずいぶんと可愛らしいお嬢ちゃんだが、本当にうちの『城』を落とす気かい?」
出迎えてくれたのは、ねじり鉢巻に白いエプロン姿の、名古屋弁が板についた陽気な店主だった。
「はい! エルフのシルフィリアです! この尾張の地にそびえ立つという巨大なお城、私の胃袋という名の攻城兵器で、跡形もなく平らげてみせます!」
「言うねぇ! よし、カメラの準備ができたら声かけてくれ! 最高の『城』を築き上げてやるからよ!」
結衣がテーブルにカメラと三脚をセッティングし、録画ボタンを押す。
「はい、どうもー! エルフちゃんねるの結衣と!」
「シルフィリアです! 本日は、なごやという黄金の街にやってまいりました!」
「全国デカ盛りツアー、北海道に続く第二弾! 今回私たちが挑戦するのは……シャチホコ亭名物、『高さ四十センチの味噌カツ&特大エビフリャーの城』です!!」
タイトルコールをした直後、厨房から「お待ちどうさま!!」という店主の威勢の良い声と共に、とんでもない物体が運ばれてきた。
ドンッ!!
テーブルに置かれた瞬間、ズシンという重い音が響き、お皿そのものがたわんだように見えた。
「なっ……なんですかこれはっ!?」
シルフィが、目を真ん丸にして身を乗り出した。結衣も、カメラのファインダー越しにその狂気的なスケールを見て、思わず息を呑んだ。
直径四十センチはあろうかという巨大な大皿。
その中央には、茶碗十杯分は優に超えるであろう白米が、ピラミッドのようにこんもりと盛られている。
そして、その白米の山の中腹から麓にかけて、分厚いロース肉を使った超特大の『味噌カツ』が、なんと三層にも重なって、城の石垣のように強固な防御陣を敷いていた。
さらに極めつけは、その白米ピラミッドの頂上に、まるで名古屋城の金鯱のように、二本の『超特大エビフライ(名古屋弁でエビフリャー)』が、天を衝くように逆立ちして突き刺さっているのだ。
山の周囲には、お堀に見立てられた大量の千切りキャベツが敷き詰められている。
そして、その揚げ物の城全体を覆い尽くすように、名古屋特有の八丁味噌をベースにした、ドロドロの濃厚な『赤味噌ダレ』が、マグマのようにたっぷりと、これでもかというほどかけられていた。
「総重量五キロ! 高さ四十センチ! 制限時間は六十分だ! この城を陥落させることができたら、お代は無料にしてやるよ!」
店主がニヤリと笑う。
一見すると、昨日の北海道のジンギスカン(六キロ)よりは重量が少ないように思えるかもしれない。
しかし、結衣はディレクターとしての知識と、大食い界のレジェンド・轟牡丹からの教えを思い出し、顔を強張らせていた。
(ダメだ……これ、重さ以上に『味の暴力』がヤバすぎる……!)
大食い競技において、揚げ物の『衣の油』と『豚肉の脂』は、後半に胃袋を急激に重くする最悪の敵である。そこに加えて、このメニューの最大の罠は、全体にかけられた『赤味噌ダレ』だった。
名古屋の赤味噌は、塩気が強く、さらに大量の砂糖やみりんを加えて煮詰められているため、とてつもなく味が濃く、重い。
甘い、しょっぱい、そして油。
この三つの要素が絡み合ったドロドロの泥のようなソースは、一口、二口食べる分には最高にご飯が進むが、キロ単位で食べ続ける大食いにおいては、味覚を完全に麻痺させ、強烈な喉の渇きと胃もたれを引き起こす、最凶のデバフ(弱体化)アイテムとなるのだ。
普通の大食い選手であれば、この味噌ダレを箸で必死にこそぎ落とし、少しでも味を薄くして水で流し込むのがセオリーである。
「シルフィ……気をつけて。このドロドロのソース、味が濃すぎてリタイアが続出してる最凶のメニューらしいわ。あんまりソースをベッタリつけすぎないようにね……」
結衣が心配そうに忠告するが、シルフィの碧眼は、すでに目の前の黄金の城に完全に釘付けになっていた。
「結衣殿! なんと雄々しく、美しいお城でしょうか! 頂上にそびえる黄金の槍! そして、この城壁(豚カツ)を覆う、黒光りする不思議なソース! 香ばしくも甘い、まるでお祭りの屋台のような素晴らしい匂いがします!」
シルフィは両手に割り箸を構え、「それでは、尾張の神の恵みに感謝して……いただきます!」と、元気よく戦いの火蓋を切った。
まずは、頂上にそびえる一本目の特大エビフライ。
シルフィはそれを箸で掴み上げると、赤味噌ダレがたっぷりと絡んだ部分を、迷うことなく大きな口でガブリと噛みちぎった。
――ザクッ!! プリィッ!!
軽快な衣の破砕音と、弾け飛ぶ海老の身の音が、店内に響き渡る。
「っっっっ!!!」
咀嚼した瞬間、シルフィの身体がビクンと跳ねた。
「お、美味しいぃぃぃっ!!」
マイクを通して、シルフィの歓喜の絶叫が響く。
「この黄金の槍、信じられないほど衣がサクサクです! そして中からは、プリップリで甘い海の宝石(海老)が飛び出してきました! ですが、一番の驚きは……この黒い泥のようなソースです!」
シルフィは、赤味噌ダレをたっぷりと吸い込んだエビフライの断面をカメラに見せつけながら、熱弁を振るった。
「結衣殿! このソース、一見するとドロドロの泥のようですが、口に入れた瞬間、大豆の深いコクと、お砂糖の強い甘み、そしてお醤油のようなキリッとした塩気が、爆発的なエネルギーとなって舌を直撃します! これは……ただの調味料ではありません! ご飯という名の妖精を、無限に胃袋へと引きずり込む『魔法の薬』です!!」
シルフィは、結衣の「ソースを落として」という忠告など完全に無視し、むしろお皿の底に溜まった赤味噌ダレを、トンカツの衣にたっぷりと、これでもかというほどベッタリとこすりつけた。
「次はこの城壁(味噌カツ)を崩します!」
ザクッ、ジュワァァァッ。
「うおおおおっ!! 分厚いお肉の肉汁と、この甘辛い味噌の泥が絡み合うと、とてつもない破壊力です! 白米! 白米を急いで口に入れなければ、この濃厚な旨味を受け止めきれません!」
シルフィの箸が、もはや神速の域に達していた。
たっぷりと赤味噌を絡ませた分厚いカツを口に放り込み、一、二回咀嚼した直後に、山盛りの白米をかきこむ。
濃い。圧倒的に味が濃い。
常人であれば、開始五分で舌が痺れ、胃が脂と糖分で悲鳴を上げ、「もう一口も食べたくない」と脳が拒絶反応を示すはずの『味の暴力』。
しかし、シルフィリアの体内にあるエルフの『マナ・クラフター(魔力変換器官)』は、この暴力を全く別のものとして処理していた。
(なんという密度の高いカロリー! これほどまでに強烈な味の主張は、純度の高い魔力結晶そのものです!)
味が濃ければ濃いほど、そして美味しければ美味しいほど、シルフィの魔力変換の効率は跳ね上がる。
赤味噌ダレの強烈な塩分と糖分、そして豚肉の脂。それらが口から食道を通って胃袋に落ちた瞬間、瞬く間に黄金色のマナへと分解され、彼女の身体を循環するエネルギーへと変わっていくのだ。
満腹感など、微塵も湧いてこない。
むしろ、魔力が満ち溢れることで、彼女の顎の力と箸を動かすスピードは、時間と共にさらに加速していく。
「見てください結衣殿! このキャベツという千切りの葉っぱも、素晴らしい働きをしていますよ!」
シルフィは、山の周囲に敷き詰められた大量の千切りキャベツを、ワシワシと箸で掴んで口に運ぶ。
「普通のお野菜ですが、この濃厚な赤味噌ダレとお肉の脂をたっぷりと吸い込ませて食べることで、シャキシャキとした食感が極上の口休めになります! 濃厚なカツ、白米、さっぱりとしたキャベツ、そしてまた濃厚なカツ! この永久機関は、誰も止めることができません!」
「す、すげぇ……」
腕組みをして見守っていた店主が、額に汗を浮かべてポカンと口を開けていた。
彼がこの『城』を作った時、想定していたチャレンジャーの姿は、水を大量に飲みながら、苦しそうに、脂汗を流しながらカツを胃に詰め込む大男の姿だった。
だが、目の前の美少女は、水を一口も飲んでいない。
ただひたすらに、至福の笑顔を浮かべ、まるで高級フレンチのフルコースでも味わうかのように、一口ごとに感動しながら、この暴力的なまでの味噌カツの山を切り崩しているのだ。
しかも、その『食べ方』が、芸術的なまでに美しい。
これほどまでに巨大で、ソースがたっぷりとかかった揚げ物の山を食べているにも関わらず、シルフィの口の周りには、味噌ダレの一滴すらついていない。
テーブルの上には、サクサクのパン粉の衣の欠片一つ、キャベツの千切り一本すら、こぼれ落ちていなかった。
エルフの超絶的な動体視力と、ミリ単位で完璧にコントロールされた箸さばき。
彼女は、巨大な城を物理的に「破壊」しているのではなく、まるで熟練のパズル職人がブロックを一つ一つ丁寧に取り外していくかのように、緻密に、そして美しく『解体』しているのである。
「シルフィ……あんた、本当にバケモノね。いい意味で」
カメラを回しながら、結衣はため息混じりに笑った。
味の暴力など、このはらぺこエルフの前には、ただの「ご飯が進む美味しいおまけ」でしかないのだ。
「最後の城壁、いただきます!」
開始からわずか二十五分。
巨大な大皿の上にそびえ立っていた四十センチの城は、もはや影も形もなくなっていた。
残るは、皿の底に残った最後の一口分の白米と、赤味噌ダレをたっぷりと吸い込んだキャベツのみ。
シルフィはそれを箸で綺麗にまとめると、パクリと口に入れ、モグモグと味わってから、ゴクリと飲み込んだ。
そして、割り箸を揃えて箸袋に戻し、両手を胸の前で合わせて、満面の極上の笑顔を弾けさせた。
「ごちそうさまでした!! なごやのお城、一本の衣すら残さず、完璧に陥落させていただきました!」
店内に、一瞬の静寂が訪れる。
そして。
「……お、お見事ぉぉぉぉぉっ!!」
店主が、両手を叩いて雷のような拍手を送った。
「いやぁ、たまげた! 本当にたまげたよお嬢ちゃん! うちの城を、こんなに綺麗に、しかもたった二十五分で食い尽くした奴は、歴史上初めてだ! しかも、あんなに美味そうに食ってくれるなんて、料理人冥利に尽きるってもんだ!」
「店主殿! 本当に素晴らしい魔法のタレでした! この赤味噌という泥があれば、私は一生白米を食べ続けられる気がします!」
シルフィが深々とお辞儀をすると、店主は「ハッハッハ! いつでも来な! 次は味噌煮込みうどんの桶を用意して待ってるぜ!」と豪快に笑い返した。
結衣がカメラの録画を止め、「はい、カット! お疲れ様シルフィ!」と声をかける。
「ふふふ。結衣殿、名古屋の討伐も大成功ですね! 私のマナ・クラフターは、赤味噌の力でかつてないほどに活性化しております!」
「ええ、最高の食べっぷりだったわ。これで北海道と名古屋、二つのデカ盛りを完全制覇ね。この調子なら、全国ツアーの動画、全部ミリオン再生いっちゃうかも!」
結衣はホクホク顔で機材を片付けながら、次の目的地をスマートフォンの地図アプリで確認した。
「さて、名古屋の次は……いよいよ『食い倒れの街』ね」
「くいだおれ? それは、食べている途中に倒れてしまうという、恐ろしい呪いのかかった街ですか!?」
シルフィがビクッと肩をすくめる。
「違うわよ。美味しいものが多すぎて、みんな限界まで食べちゃうくらい魅力的な街ってこと。西の都、大阪よ。そこにはね……『たこ焼き』っていう、とんでもなく熱くて美味しい丸い食べ物があるの」
「たこやき……! 丸い食べ物……!!」
シルフィの碧眼が、再びキラキラと獲物を狙う狩人のように輝き始めた。
「よし! お腹も心も満たされたことだし、ミニバンに戻って出発よ! 目指すは大阪、灼熱のたこ焼き地獄よ!」
「はいっ!! 私の胃袋は、常に次の戦場を求めております!」
味の暴力と恐れられた名古屋の赤味噌ダレを、極上の「魔法の薬」として完食してみせたエルフの少女。
シルバーの中古ミニバンは、次なる美食の地、大阪を目指して、西日が差し込む東名阪自動車道をひた走る。
エルフちゃんねるの快進撃は、とどまることを知らない。
しかし、この無敗の快進撃の裏で、彼女たちの記録を脅かす『見えない影』が、すぐそこまで迫っていることに、二人はまだ気づいていなかった。




