第32話:北海道編・狂気のジンギスカン桶食い〜北の大地と白き特効薬(ミルク)〜
本州と北海道を隔てる津軽海峡を、フェリーに乗ってどんぶらこと揺られること数時間。
篠原結衣とシルフィリアを乗せたシルバーの中古ミニバンは、ついに『試される大地』北海道へとそのタイヤを降ろした。
新人王の称号と賞金(ほとんどが寿司に消えたが)を引っ提げてスタートした『エルフちゃんねる・全国デカ盛り行脚ツアー』。その記念すべき第一の舞台こそが、日本の食糧庫であり、規格外のスケールを誇る北の大地である。
「おおおおおっ!! 結衣殿、ご覧ください! 道が……道がどこまでも真っ直ぐに続いています! それに、見渡す限りの広大な草原! 私の故郷の森の近くにあった平原よりも遥かに広大です!」
助手席(移動中は後部座席から昇格した)で、シルフィは窓にへばりつくようにして外の景色に歓声を上げていた。
秋晴れの空の下、どこまでも続く一本道。窓を開ければ、ひんやりとした秋の冷たい風と共に、土と草の匂いが車内に吹き込んでくる。
「本当に広いわねぇ……。さすが北海道、スケールが違うわ」
ハンドルを握る結衣も、都会のコンクリートジャングルでは決して味わえない開放感に、思わずアクセルを踏む足が軽くなりそうになるのを必死に抑えていた。
二人が向かっているのは、札幌などの大都市ではない。
見渡す限りの牧草地が広がる、とある地方の町。そこに、地元の牧場が直営しているという、知る人ぞ知る大食いチャレンジャーの聖地があるのだ。
「ナビによると、そろそろ着くはずなんだけど……あ、あった! あのログハウスね!」
道路沿いにポツンと建っていたのは、丸太を組み上げて作られた巨大な山小屋風のレストラン『牧場レストラン・ウールマン』。
店の前には「自家製ジンギスカン」「大食いチャレンジャー求む!」という手書きののぼり旗が、秋風にパタパタと靡いていた。
車を停め、撮影機材を抱えて店内に入ると、ログハウス特有の木の温もりと、炭火が燃える匂い、そして強烈な『肉の脂とスパイス』の香りが二人を出迎えた。
昼時を少し過ぎていたため一般客は少なく、奥の厨房から、エプロン姿の恰幅の良いおじさんが出てきた。彼がこの店の店主であり、牧場主でもある『親方』だ。
「いらっしゃい! おうおう、電話くれたYouTuberのお嬢さんたちだね! 本当にこんな細っこい子が、うちの裏メニューに挑戦するのかい?」
親方は、シルフィの華奢な体つき(今日は動きやすいアウトドア用のフリースとジーンズ姿だ)を見て、信じられないというように目を丸くした。
「はい! エルフのシルフィリアです! 本日は北の大地の恵みを、胃袋の限界まで討伐しに参りました! よろしくお願いいたします!」
シルフィが礼儀正しくお辞儀をすると、親方は「ハッハッハ! 威勢がいいねぇ! よし、席についてな! 今すぐ最高のやつを準備してやるからよ!」と豪快に笑い、厨房へと戻っていった。
結衣がテーブルにカメラをセッティングし、録画ボタンを押す。
「はい、どうもー! エルフちゃんねるの結衣と!」
「シルフィリアです! 本日は、ほっかいどうという広大な大地にやってまいりました!」
「全国デカ盛りツアー第一弾! 今回私たちが挑戦するのは、牧場直営レストランが誇る凶悪メニュー……『木桶入り・総重量6キロの特つゆジンギスカン』です!」
結衣がタイトルコールをした直後。
「へい、お待ちどうさま!!」
親方が、両腕に青筋を立てながら、とんでもない巨大な物体をテーブルの上にドンッ!と置いた。
「なっ……!?」
結衣は思わず息を呑んだ。
それは、時代劇でしか見ないような、直径五十センチはあろうかという巨大な『木桶』であった。風呂屋で使う桶よりもさらに一回り大きい。
そして、その木桶の縁ギリギリまで、溢れんばかりに詰め込まれているのは――。
「おおおおおっ!! お肉の山です! お肉と、お野菜の巨大な山が、木桶の中に鎮座しております!」
シルフィが歓喜の悲鳴を上げた。
木桶の中には、特製の醤油ベースの甘辛いタレ(特つゆ)にたっぷりと漬け込まれた羊肉が、山盛りのもやし、キャベツ、玉ねぎ、かぼちゃと共に、これでもかと詰め込まれていた。その総重量、実に6キログラム。
さらに、テーブルの中央には赤々と熾った炭火の入った七輪と、中央がドーム状に盛り上がった鉄製の『ジンギスカン鍋』がセットされる。
「ルールは六十分! この木桶に入った肉と野菜を、自分で網で焼きながら、全部食い切ったらタダにしてやるよ! ただし、マトンの脂と特製ダレは、時間が経つほど胃にズッシリくるぜ。覚悟して挑みな!」
親方がニヤリと笑う。
羊肉、特に大人の羊であるマトンは、特有の強い獣臭と、冷めると固まりやすい重い脂を持っている。さらに特製の甘辛いタレが絡むことで、大食いにおいては後半に強烈な「味の暴力」となってチャレンジャーの胃袋を破壊する難敵なのだ。
「それでは……北の大地の命に感謝して! いただきます!」
シルフィは、巨大なトングを両手に構え、木桶の中からタレが滴る肉と野菜をガバッと掴み取った。
そして、熱々に熱せられたジンギスカン鍋のドーム状の頂上へと、豪快に肉を乗せる。
『ジュワァァァァァァァァァァァァァァッ!!』
凄まじい音と共に、白い煙がモウモウと立ち上った。
炭火の強烈な熱によって、タレに漬け込まれたマトンの脂が一気に溶け出し、ジュージューと音を立てながら鍋の溝を伝って下へと流れ落ちていく。その流れ落ちた極上の脂を、鍋の縁に敷き詰めたもやしやキャベツがたっぷりと吸い込み、焦げた醤油とリンゴや玉ねぎのフルーティーな香りが、暴力的なまでに食欲を刺激する。
「はぁ〜っ……! なんという暴力的な香り! 煙だけで白米が三杯は食べられそうです!」
シルフィは、表面にこんがりと焦げ目がつき、中まで火が通ったマトンをトングで掴むと、火傷も気にせず、そのまま大きな口へと放り込んだ。
「っっっっ!!!」
咀嚼した瞬間。シルフィの碧眼が、これ以上ないほどに見開かれた。
「美味しいぃぃぃっ!!」
シルフィは、頬に手を当ててとろけるような笑顔を弾けさせた。
「親方殿! このお肉、なんという柔らかさですか! 私の森にいた野生の獣のお肉は、もっと硬くて泥臭かったのに……この『羊』という生き物のお肉は、驚くほど柔らかく、噛むたびにジュワッと野性味あふれる濃厚な旨味が溢れ出してきます!」
「おっ!? おおっ、マトン特有の匂いが気にならねぇのかい!?」
親方が驚いたように身を乗り出す。
「気にならないどころか、この独特の香りこそが、お肉の命の力強さを証明しています! さらに、この『特つゆ』! お醤油の塩気に、果実の甘みとニンニクのパンチが完璧に調和して、羊の香りを最高のスパイスへと昇華させています!」
シルフィのトングが、残像を残すほどのスピードで動き始めた。
焼く、食う、焼く、食う。
熱々のジンギスカン鍋から直接肉を口に運び、さらに、肉の脂とタレを限界まで吸い込んでシナシナになったもやしを、大量に掻き込む。
「このお野菜も最高です! お肉の旨味を吸い込んだもやしは、もはや立派な『お肉の分身』! シャキシャキとした食感が、お肉の合間の完璧な休息になっています!」
『ジュワァァァァッ!!』
炭火の熱で焦げるタレの香ばしい匂いと、シルフィの至福の笑顔。
マトン特有の臭みや、脂の重さなど、異世界の森でサバイバルをしてきたエルフの味覚と、カロリーを瞬時に魔力へと変換する『マナ・クラフター(魔力変換器官)』の前には、ただの極上のエネルギー源でしかなかった。
開始からわずか十五分。
シルフィはすでに、木桶の半分……約三キログラムのジンギスカンを、胃袋のブラックホールへと消滅させていた。
「うおぉ……マジかよ……」
腕組みをして見守っていた親方が、額に汗を浮かべて呆然と呟いた。
これまで何人もの大食い自慢の男たちがこのメニューに挑んできたが、皆一様に、後半になると脂の重さとマトンの匂いにやられ、箸が止まっていた。
だが、目の前の細身の少女は、脂に苦しむどころか、食べれば食べるほど顔色を良くし、瞳を輝かせて「美味しい、美味しい」と叫び続けているのだ。
一切の無理や我慢がない、純度一〇〇パーセントの食への愛。
「……お嬢ちゃん。あんた、本当に美味そうに食うなぁ」
親方の目に、うっすらと涙が浮かんでいた。
自分が手塩にかけて育てた羊。そして、試行錯誤の末に完成させた秘伝のタレ。それを、これほどまでに全身全霊で味わい、喜んでくれる存在が目の前にいる。
料理人として、生産者として、これ以上の喜びがあるだろうか。
「親方殿! 本当に素晴らしいお肉です! 私、感動で手が止まりません!」
シルフィが満面の笑みで鍋に肉を乗せ続けるのを見て、親方は目元を腕で乱暴に拭い、厨房に向かって叫んだ。
「おい! アレを持っていけ! 特別サービスだ!!」
数分後。
ドンッ!と、シルフィのテーブルの脇に置かれたのは、まるで中世の酒場で使われるような、容量一リットルはあろうかという超特大の『ガラスのジョッキ』だった。
そして、その中になみなみと注がれていたのは、真っ白で濃厚な液体。
「親方殿、これは……?」
「うちの牧場で今朝絞ったばかりの、特濃のジャージー牛乳だ! ジンギスカンの脂には、この冷たくて甘い牛乳が最高に合うんだよ! お嬢ちゃんのその見事な食いっぷりに、俺からの奢りだ!」
「おおおおおっ!! 牛さんの乳ですか!!」
シルフィは、特大ジョッキを両手で持ち上げ、ゴクゴクゴクッ!と勢いよく飲み干した。
「ぷはぁっ!! あ、甘い!! そして、なんという濃厚なコク!!」
シルフィの瞳に、再び星が飛ぶ。
「ジンギスカンの熱と脂で火照った口の中を、この冷たい白き特効薬が優しく包み込み、一瞬で洗い流してくれます! そして、ミルクの甘味が残った口の中に、再びお肉の塩気と旨味を放り込むと……!!」
シルフィは、ミルクを飲んだ直後に、再びタレたっぷりのマトンを口に運んだ。
「うおおおおっ!! 無限ループです! お肉の塩気とミルクの甘みが、私の口の中で奇跡の円舞曲を踊っています! 親方殿、この組み合わせは天才の所業です!」
「ハッハッハ! だろ!? どんどん飲んで、どんどん食いな!!」
そこからは、もはや競技ではなく、完全な『宴』であった。
ジンギスカンを焼き、喰らい、特大ジョッキの牛乳を呷る。
熱い、美味い、冷たい、甘い。
感覚のコントラストが、エルフの魔力変換をフルスロットルで加速させる。立ち上る炭火の煙の中で、シルフィの身体からほのかに黄金色の魔力のオーラが陽炎のように立ち上っているのが、カメラのレンズ越しにもはっきりと見えた。
「凄い……。シルフィ、完全に北海道の大自然と一体化してるわ……」
カメラを回す結衣も、その圧倒的なシズル感と、人間とエルフが心を通わせる温かい光景に、思わず感動のため息を漏らしていた。
ジュワァァァァッ!
最後の一切れとなったマトンと、脂を吸い尽くしてアメ色に輝くかぼちゃが、ジンギスカン鍋の上で小気味良い音を立てる。
「これで……最後です!」
シルフィはそれを愛おしそうにトングで掴み、口へと運んだ。
しっかりと噛み締め、旨味を余すところなく味わい尽くし、ゴクリと飲み込む。
そして、ジョッキに残っていた最後の一口の牛乳を飲み干し、テーブルの上に「トンッ」と静かに置いた。
「ごちそうさまでした!!」
開始から、わずか三十分。
六キログラムの肉と野菜が詰まっていた巨大な木桶は、タレの一滴すら残さずに空っぽになり、特大ジョッキの牛乳も見事に飲み干されていた。
制限時間の半分を残しての、完全なる勝利である。
「……すげぇ。本当に、本当に全部食っちまいやがった……」
親方は、空になった木桶を見つめ、信じられないというように頭を掻いた。
「しかも、こんなに美味そうに、綺麗に食ってくれた奴は初めてだ。……お嬢ちゃん、あんたは間違いなく、俺が見てきた中で最高の『食いしん坊』だよ。今日の代金は約束通りタダだ! うちの羊たちも、あんたの血肉になれて本望だろうよ!」
「親方殿! 本当にありがとうございます! 北海道のジンギスカン、私の魂の奥底にしっかりと刻み込まれました!」
シルフィが深くお辞儀をすると、親方は満面の笑みで親指を立てた。
こうして、エルフちゃんねる・全国デカ盛りツアーの第一弾『北海道編』は、大自然の恵みと人情、そして無限の胃袋が織りなす最高の結果で幕を閉じたのである。
「ぷはぁ〜っ。結衣殿、お肉とミルクで魔力タンクがはち切れそうです!」
店を出てミニバンに乗り込んだシルフィは、ポンポンと自分のお腹を叩きながら幸せそうに笑った。
「お疲れ様シルフィ! 最高の画が撮れたわ。これ絶対急上昇乗るやつよ!」
結衣もホクホク顔でカメラを片付け、運転席のシートベルトを締める。
「さあ、北海道を制覇したところで、次は一気に南下するわよ! フェリーで海を渡って、目指すは本州の中心……名古屋よ!」
「なごや! 今度はどんな強敵が待っているのでしょうか!?」
北の大地で羊肉を討伐した二人の乗るシルバーのミニバンは、次なる美食の激戦区を目指し、秋の高く澄んだ空の下を元気よく走り出していった。
全国デカ盛り行脚ツアー。
エルフの底なしの胃袋を満たす旅は、まだまだ始まったばかりである。




