第27話:準決勝、女たちの心理戦〜狩猟本能と飛翔するそうめん〜
大食い新人王決定戦・大会二日目。
熾烈を極めた予選の重量勝負を勝ち抜いた猛者たちが、いよいよ『準決勝』の舞台へと足を踏み入れた。
関東メガ・エキシビションホールのメインステージには、昨日までの長机に代わり、見たこともないほど巨大で奇妙なセットが組まれていた。
それは、直径約十メートルにも及ぶ、巨大な円形の「竹」のコースである。
中央には、こんこんと冷水を湧き出させる巨大な噴水のような給水塔がそびえ立ち、そこから放射状に伸びた無数の竹のレーンが、外周の円形コースへと激しい水流を注ぎ込んでいる。
「さあ、全国の大食いファンの皆様! 大変長らくお待たせいたしました!」
熱血実況MC・陣内拓海の声が、会場の熱気を一気に引き上げる。
「予選を勝ち抜いた精鋭四名による、地獄のサバイバルマッチ! 準決勝の種目は……夏の風物詩を極限の闘技へと昇華させた、『巨大流しそうめん・デスマッチ』だぁぁぁっ!!」
ワァァァァァァッ! と、客席から大歓声が沸き起こる。
ステージに立つのは、四人の女性フードファイター。
予選第2ステージを三位で通過した、ドカ食いキャバ嬢の『アゲハ』。
二位で通過した、メガネの胃袋底なし女子大生『高橋』。
そして、別ブロックを圧倒的な成績で勝ち上がってきた、大食い歴十年の大ベテラン、通称マムシの『真紀子』。
最後に、予選をぶっちぎりの一位で通過し、昨日の海鮮丼で五千人の観客と審査員を完全に魅了した美少女エルフ、『シルフィリア』である。
「ルールを説明しよう!」
陣内がマイクを握りしめ、巨大な竹のコースを指差した。
「四人の選手は、この円形コースを等間隔で囲むようにスタンバイしていただきます! 中央の給水塔からは、特製の超極細そうめんが、ランダムなレーンを通って猛スピードで射出されます! 四十五分の制限時間内に、己の箸だけでそうめんをすくい上げ、最も多く胃袋に納めた【上位二名】のみが、栄光の決勝戦へと進出できるのです!!」
「おおおおおっ!!」
シルフィは、自分の立ち位置である『第四レーン』の前に立ち、目をキラキラと輝かせていた。
「結衣殿! 水の上を、細い糸のような食べ物が滑ってくるのですね!? なんという風流な遊び! これは、夏の妖精たちが水遊びをしているような、美しい光景に違いありません!」
ステージ袖で祈るように見守る篠原結衣に向かって、シルフィが無邪気に手を振る。
しかし、結衣の表情は険しかった。
(流しそうめん……しかも、四人で一つのコースを囲んで奪い合うサバイバル形式。これは、ただ大食いの容量があるだけじゃ勝てない。瞬発力と、テクニック……それに、相手の隙を突く『心理戦』が物を言う最悪のルールだわ)
結衣の危惧は、見事に的中しようとしていた。
シルフィの死角となるステージの端で、ベテランの真紀子が、アゲハと高橋に目配せをしていたのだ。
「……いいかい、あんたたち」
真紀子が、マイクに拾われない声で二人に囁いた。
「あのエルフの小娘、容量とスピードは確かにバケモノだ。まともにやり合えば、アタシたちの勝ち目は万に一つもない」
「……分かってるわよ。昨日の海鮮丼、あいつ化け物だったもん」
アゲハが忌々しそうに舌打ちをする。
「だから、アタシたちが結託するんだよ。いいかい、流しそうめんってのは『上流』が絶対的に有利な競技だ。アタシたちが一丸となって、中央から流れてくるそうめんを上流で根こそぎ堰き止める。どんな手を使っても、あいつの箸の前にそうめんを流すんじゃないよ。そうすりゃ、あいつは水しかすすることができず、ゼログラムで敗退ってわけだ」
大食いという競技において、ベテランたちが見せる冷酷なまでの勝負への執念。
アゲハと高橋は、黙ってコクリと頷いた。
圧倒的なポテンシャルを持つシルフィリアを潰すための、百戦錬磨の先輩ファイターたちによる包囲網が、密かに完成していた。
「さあ、準備はいいか!? 準決勝、スタートォォォッ!!」
陣内の絶叫と共に、試合開始のゴングが鳴り響いた。
シュガァァァァァァッ!!
中央の給水塔から、冷たい水と共に、真っ白なそうめんの束がものすごい勢いで射出された。
「来ました! 白い糸の精霊たちです!」
シルフィは、特製のめんつゆが入ったお椀を左手に持ち、右手の割り箸を構えて、自分の前のコースを凝視した。
しかし。
「――甘いねっ!!」
シルフィのレーンにそうめんが到達するよりも早く、上流に陣取っていた真紀子が、身を乗り出すようにして箸を突き入れ、強引にそうめんをかすめ取ったのだ。
「よしっ、アゲハ、高橋! 絶対に下流に流すんじゃないよ!」
「言われなくても!」
シュガッ! シュガッ!
次々と射出されるそうめん。だが、真紀子、アゲハ、高橋の三人は、自分の持ち場を越えてコースの広範囲に箸を伸ばし、完全に『そうめんの防波堤』を築き上げていた。
彼女たちの箸の隙間を縫って下流に流れるそうめんは、皆無。
シルフィの目の前を通り過ぎるのは、ただの冷たい水だけであった。
「あ、あれ……?」
シルフィは、空になった割り箸を見つめ、不思議そうに首を傾げた。
「そうめんさんたちが、私のところに来る前に消えてしまいます」
「おいおいおいっ! これはどうしたことだ!」
実況の陣内が、事態の異常さに気づいて声を張り上げる。
「真紀子選手、アゲハ選手、高橋選手! 三人がかりで水路を完全に封鎖している! 中央から放たれたそうめんは、シルフィリア選手の前に到達する前に、すべて上流の三人に奪い去られていくぅぅっ! なんというえげつない作戦! これは完全に、エルフちゃんねる潰しの結託だぁぁっ!!」
観客席から「ブー!」というブーイングが起こるが、真紀子は冷笑を浮かべてそうめんをすする。
「ルール違反じゃないだろ? 奪い合いのサバイバルなんだから。ボーッと口を開けて待ってるお姫様に、食べ物を与えてやる義理はないんだよ!」
「ちょっと! 卑怯よ! 三人でよってたかってブロックするなんて!」
ステージ袖で結衣が抗議の声を上げるが、審判は首を横に振った。確かに、ルール上は問題ない行為なのだ。
(どうしよう……! いくらシルフィの胃袋が無限でも、物理的に食べ物が回ってこなければ点数は入らない! このままじゃ、時間切れで負けちゃう!)
結衣の顔が真っ青になる。
三人のベテランファイターたちは、確かな技術でそうめんをキャッチし、ズズズッ!と音を立ててめんつゆと共に胃袋へ流し込んでいく。
開始から五分。
シルフィの食べた量は、いまだに『ゼログラム』であった。
「……ふむ」
しかし。
絶望的な状況であるにも関わらず、シルフィの顔には、焦りも悲しみも一切浮かんでいなかった。
彼女は、めんつゆの入ったお椀をそっと置き、流れる水をじっと見つめていた。
「……結衣殿」
シルフィは、マイク越しに、袖にいる結衣に向かって静かに語りかけた。
「私は勘違いをしておりました。この『流しそうめん』という宴は、ただ待っていれば神様が食べ物を恵んでくれる、優しいものではなかったのですね」
「シ、シルフィ……?」
「森の恵みは、時に残酷です。走る野ウサギも、空を飛ぶ鳥も、黙って口を開けていれば飛び込んでくるわけではありません」
シルフィは、スッと姿勢を低くし、割り箸を握る右手の力を抜いた。
その瞬間。
彼女の纏う空気が、フワリと、しかし劇的に変貌したのを、会場にいる全員が肌で感じ取った。
「奪い合い……いえ、これは『狩り』なのですね!」
シルフィの碧眼が、獲物を狙う猛禽類のように、鋭く、研ぎ澄まされた光を放った。
「エルフの森で生き抜いてきた私の狩猟本能。今、ここで全開にさせていただきます!」
シルフィがそう宣言した直後。
シュガァァァァッ!!
中央の給水塔から、新たなそうめんの束が猛スピードで射出された。
「来させないよっ!!」
真紀子が、アゲハが、高橋が、一斉に箸を水面に突き立て、そうめんをブロックしようとした。
だが。
――ヒュッ!!
風を切るような、鋭い破空音が響いた。
三人のベテランファイターたちが、「えっ?」と声を漏らす。
彼女たちの箸が水面に届くより、ほんのコンマ数秒早く。
水面を跳ねるように飛んできた真っ白なそうめんの束が、空中で、何者かによって『刈り取られて』いたのだ。
「なっ……!?」
真紀子が目を見開いて上流を振り返る。
そこには。
「捕まえました! 逃しませんよ!」
自分の立ち位置(第四レーン)から、信じられないほどの踏み込みで身を乗り出し、水面スレスレの『空中』で、飛んでくるそうめんを見事に箸で挟み取っているシルフィリアの姿があった。
そう。
中央の給水塔から噴射されるそうめんは、水面に落ちるまでのわずかな瞬間、空中に放物線を描いて飛んでいる。
シルフィは、人間を遥かに凌駕するエルフの『超絶動体視力』と『敏捷性』を駆使し、真紀子たちの箸が水中でブロックを形成する前に、空中で飛翔するそうめんを直接『狩り取った』のである。
「うおおおおおおおおっ!?」
実況の陣内が、マイクを握り潰さんばかりの勢いで絶叫した。
「な、なんだ今の動きはぁぁっ!? シルフィリア選手、下流で待つことをやめた! なんと、中央から打ち出されるそうめんを、水に落ちる前の【空中】で、箸の一振りでキャッチしているぅぅっ!!」
五千人の観客が、信じられない光景に総立ちとなる。
「嘘でしょ!?」
「空中のそうめんを箸で掴むとか、達人かよ!!」
シルフィは、空中で見事に捕らえたそうめんの束を、めんつゆの入ったお椀にダイブさせた。
たっぷりとつゆを絡ませ、ズズズッ!と勢いよくすする。
「んんん〜っ!! 美味しいです!」
シルフィの顔に、いつもの至福の笑顔が弾けた。
「氷水でキリッと締められた細い麺が、喉の奥を滑り落ちていくこの清涼感! そして、この黒い汁! カツオの強烈な旨味と、お醤油の甘辛さが、淡白なそうめんを極上のご馳走へと変身させています! さらに、薬味のネギと生姜が、ピリッとした素晴らしいアクセントに! 最高です! 最高の夏の味覚です!」
「バ、バカな……! たまたまだ! まぐれに決まってる!」
真紀子が顔を青ざめさせながら、次のそうめんを狙って箸を構える。
シュガッ!
「そこです!」
ヒュンッ!
「ああっ!?」
またしても、真紀子の箸が空を切る。
シルフィの割り箸は、まるで居合い抜きの達人の剣のように鋭く、正確に、空中のそうめんを百発百中で捕らえていた。
シュガッ! ヒュンッ!
シュガッ! ヒュンッ!
給水塔から放射状に打ち出されるそうめん。
アゲハのレーンに飛んだものも、高橋のレーンに飛んだものも、シルフィは恐るべきステップと腕の伸びで、全て空中で狩り取っていく。
エルフの狩猟本能が、完全に覚醒していた。
彼女の目には、猛スピードで飛ぶそうめんが、スローモーションのようにハッキリと見えているのだ。
「す、凄まじいぃぃぃっ!!」
陣内の声が裏返る。
「エルフちゃんねる・シルフィリア選手、まさに神業! 飛燕の如き箸さばきで、空中のそうめんを次々と撃墜していく! 逆に、水路で待ち構えていた三人のベテラン勢の元には、一筋のそうめんすら届かない! なんという逆転劇! 心理戦を、圧倒的な【物理と反射神経】で粉砕したぁぁっ!!」
観客席は、もはや大食い大会というよりは、スーパープレイの連続を見るスポーツ観戦のような熱狂に包まれていた。
「いけぇぇっ、エルフちゃーん!!」
「全部食っちまえ!!」
「あ、あり得ない……。人間の反射神経じゃない……」
アゲハが、自分の空っぽの箸を見つめて、絶望的な声を出した。
彼女たちも慌てて空中のそうめんを狙おうと箸を振り回すが、素人が飛んでいるハエを箸で掴もうとするようなもので、全くかすりもしない。
完全に、シルフィリアの独壇場であった。
「はぁ〜っ、美味しい! いくらでも食べられます!」
シルフィは、空中で狩り取ったそうめんを、めんつゆの中で踊らせ、次々と胃袋のブラックホールへと送り込んでいく。
激辛カレーや海鮮丼とは違い、そうめんはツルツルと喉越しが良く、水分も多いため、エルフの魔力変換器官にとっては最高のエネルギー源だった。
食べた端から魔力へと変換され、その魔力が彼女の反射神経と動体視力をさらに極限まで高めていくという、恐ろしい永久機関が完成していたのである。
「もう……ダメだ……」
開始から三十分。
真紀子が、ついに箸を置き、その場にへたり込んだ。
心理戦を仕掛け、卑劣な手段でエルフを潰そうとした結果。
自分たちが、一グラムのそうめんも食べられずに敗北するという、残酷な因果応報の結末を迎えたのだ。
「終了ォォォォォォォォォッ!!」
四十五分のタイムアップを告げるゴングが鳴り響いた。
静まり返ったステージ。
アゲハ、高橋、真紀子の三人の前にあるお椀は、ほぼ空っぽのままである。
対して、シルフィリアのテーブルの横には、彼女が空中で狩り取り、平らげたそうめんの総量を示す『バケツ十杯分』もの空のザルが積み上げられていた。
「け、結果発表です!!」
陣内が、震える声でマイクを握る。
「圧倒的! まさに圧倒的!! 流しそうめんという競技の常識を覆し、空中殺法で全ての食材を独占した美しき狩人! 第一位、シルフィリア選手!! 見事、明日の【決勝戦】への進出を決めましたぁぁぁっ!!」
ワァァァァァァァァァッ!!
会場が割れんばかりの歓声に揺れる。
シルフィは、満足げにめんつゆの最後の一滴を飲み干し、「ぷはぁっ!」と極上の笑顔を弾けさせた。
「素晴らしい狩りでした! 日本の夏、最高です!!」
ステージ袖で、結衣は腰から砕け落ちて安堵の涙を流していた。
(シルフィ……あんたって子は、本当に規格外すぎるわ……)
ベテランたちの姑息な心理戦を、一切の怒りや憎しみを持つことなく、純粋な『食への探求心と狩猟本能』だけで薙ぎ払ってしまった。
かくして、過酷な予選と準決勝を、前代未聞のパフォーマンスで勝ち上がったエルフの少女。
彼女が次に挑むのは、いよいよ大食い新人王の称号を賭けた『決勝戦』である。
相手は、同じく別ブロックを無表情で勝ち上がってきた、因縁の地味OL・四宮凛子。
(……凛子さん。ついに対決の時が来たのね)
結衣は、巨大モニターに映し出された決勝戦の対戦カードを見上げ、固く拳を握りしめた。
無限の胃袋を持つエルフと、計算尽くの底なしの胃袋を持つメトロノーム。
二人の怪物による、頂上決戦の火蓋が、ついに切って落とされようとしていた。




