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第26話:美しき捕食者、審査員を魅了する〜海の宝石箱と芸術的な完食〜

「試合終了ォォォォォォォッ!!」


関東メガ・エキシビションホールのメインステージに、四十五分間の地獄の終わりを告げる重低音のブザーが鳴り響いた。

予選第2ステージ『特上・海鮮丼』重量勝負。

一杯一キログラムという暴力的な質量を持つ海の宝石箱を前に、全国から集められたフードファイターたちは文字通り死力を尽くした。

ブザーが鳴り終わると同時、多くの選手がその場に座り込み、あるいは長机に突っ伏して苦悶の表情を浮かべた。大量の酢飯が胃の中で膨張し、生魚の脂が消化器官に重くのしかかり、呼吸すら困難な状態に陥っているのだ。


「フゥ……。皆様、素晴らしい戦いでしたね。私も、これほどまでに美味しい海の恵みを堪能できて、心から幸せです!」

その阿鼻叫喚のステージ上で、ただ一人、ケロッとした笑顔で立ち上がったのが、エルフの美少女・シルフィリアであった。

彼女の目の前には、空になった漆黒の巨大な丼が、ピラミッドのように美しく、高く積み上げられている。

その数、実に十一杯。総重量十一キログラム。

女子大食い競技における公式記録を軽々と塗り替える、とてつもない数字であった。


「す、凄まじい結果です! 暫定の重量トップは、十一杯を平らげたエルフちゃんねる・シルフィリア選手!!」

実況席の陣内拓海が、興奮冷めやらぬ声で絶叫する。

「しかし! 皆様、思い出していただきたい! この予選第2ステージは、ただ食べた量を競うだけの野蛮な勝負ではありません! 『大食い新人王決定戦』において、我々が次世代のスターに求めているもう一つの重要な要素……それは、『いかに美しく、美味しく食べるか』という『フードファイトのマナー』なのです!!」


陣内の言葉に、会場が少しだけざわついた。

「これより、五名の特別審査員による『テーブルチェック』および『食べ方の美しさ加点』を含めた最終集計に入ります! この審査員ポイントによっては、重量で勝っていても順位が大きく変動する可能性があります!」

そう、大食い競技には、ただ胃袋に詰め込めばいいというわけではない、厳格なルールが存在するのだ。

特にこの連盟が主催する公式大会では、「食べ物を粗末にしない」「周囲を不快にさせるような汚い食べ方をしない」というマナーが厳しく問われる。


ステージに、白い白衣を着た食の専門家や、和食界の重鎮とされる大御所料理人など、五名の特別審査員が上がってきた。

彼らはバインダーを手に、各選手のテーブルを一つ一つ厳しい目でチェックしていく。


「……うむ。ひどい有様だな」

審査員長を務める、白髪で着物姿の厳格な大御所評論家が、顔をしかめて呟いた。

ドカ食いキャバ嬢・アゲハをはじめとするプロのフードファイターたちのテーブルは、まさに凄惨な戦場そのものだった。

タイムを縮めるために、醤油と水を大量にかけて海鮮丼をグチャグチャに混ぜ合わせた残骸。急いで飲み込んだために、テーブルの上にはこぼれ落ちた酢飯の粒や、ちぎれた刺身の破片が散乱し、醤油の飛沫が周囲に飛び散っている。

「大食いという競技の性質上、ある程度は仕方がないとはいえ……これでは、海の命をいただき、調理した職人への敬意が感じられん。減点だ」

審査員たちは、次々と厳しい評価をバインダーに書き込んでいく。

アゲハは胃を押さえながら、悔しそうに唇を噛み締めていた。彼女たちも、綺麗に食べたい気持ちはある。しかし、勝つためには手段を選んでいられなかったのだ。


そして。

五人の審査員が、暫定トップであるシルフィリアのテーブルの前にやってきた。

「…………っ!!」

審査員長が、目を見開き、息を呑んだ。

他の四名の審査員たちも、信じられないものを見るような顔で、バインダーを持つ手を止めた。


「こ……これは……」

審査員長の手が、微かに震えていた。

シルフィリアのテーブルの上には、十一杯の巨大な漆黒の丼が、寸分の狂いもなく美しく積み上げられている。

その丼の中を覗き込むと――。

「米の一粒、イクラの一粒すら……残されていない、だと?」

そう、本当に『一粒』たりとも残っていなかったのだ。

丼の底は、まるで今さっき厨房で洗い上げられたかのように、ピカピカに光り輝いている。

テーブルの上には、こぼれ落ちた酢飯も、醤油のシミ一つない。

使用した割り箸は、箸袋の中に綺麗に収められ、小皿にはワサビの跡すら残っていないほど、見事に舐め尽くすように完食されていた。


「十一キロ……これほどの量の海鮮丼を食べて、どうしてこれほどまでにテーブルが美しいのだ……」

審査員の一人が、呆然と呟く。

「しかも、私はずっと彼女の食べ方を見ていました」

もう一人の審査員が、感動で声を震わせながら言った。

「彼女は、他の選手のように刺身を細かく刻んだり、水で流し込んだりといった『混ぜ技』を一切使いませんでした。大トロは醤油に軽くつけ、ウニは酢飯と共に口に含み……一枚一枚、一口一口を、本当に心の底から美味しそうに味わっていたのです。それなのに、あの圧倒的なスピード……。まさに、奇跡としか言いようがありません」


巨大モニターに、先ほどのシルフィの食事風景のリプレイ映像が映し出された。

『と、溶けました……!!』

『この黄色いペースト……! 磯の香りが何百倍にも濃縮された、海の極上ぷりん!!』

涙を流し、満面の至福の笑顔を浮かべ、宝石のように輝く海鮮を口に運ぶシルフィの姿。

それは、大食い競技にありがちな『苦痛』や『グロテスクさ』を一切感じさせない。見ている者すべての食欲を刺激し、食べ物への感謝を思い起こさせる、究極の『美しき捕食』であった。


「シルフィリア君」

審査員長が、マイクを受け取り、シルフィに向かって深く頭を下げた。

「私は長年、この大食いという競技の審査員を務めてきた。正直に言えば、ただ量を詰め込むだけの近年の風潮には、食文化の権威として眉をひそめることも多かった。……だが、君の食べっぷりを見て、私の考えは覆された」

審査員長の目に、キラリと光るものがあった。

「君の食事には、命への感謝と、食への純粋な愛が溢れている。米一粒、イクラ一粒を残さないその芸術的なまでの完食ぶり。そして何より、見ている我々まで幸せにしてくれる、あの素晴らしい笑顔。……君はただのフードファイターではない。真の『美食家ガストロノーム』だ!」


会場全体が、水を打ったように静まり返った。

食の権威による、最大級の賛辞。

シルフィは、照れくさそうに頬を掻き、そして両手を胸の前でそっと合わせた。

「もったいないお言葉、ありがとうございます。ですが、私は特別なことは何もしておりません」

シルフィの、透き通るような美しい声が、会場の空気を優しく包み込む。

「この広い海の中で育ったお魚たち。そして、それを捕らえ、美しく調理してくださった職人の方々。その全ての『命の輝き』と『想い』が、この丼の中に詰まっているのです。それを美味しく、余すことなくいただくのは、命を受け取る者の当然の義務であり、最高の喜びではありませんか」


シルフィは、客席の奥、そしてテレビカメラの向こう側にいる数百万の視聴者に向かって、極上の笑顔を向けた。

「本当に、本当に美味しかったです! ごちそうさまでした!!」


――ワァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!

その瞬間、関東メガ・エキシビションホールは、今日一番の、いや、大食い大会の歴史上類を見ないほどの大歓声とスタンディングオベーションに包まれた。

観客たちの多くが、感動で涙を流しながら拍手を送っている。

「エルフちゃーーん!! 最高だーーっ!!」

「感動した! 俺も今日からご飯絶対残さない!!」

「なんて美しい食べっぷりだ……まさに女神……!」


ステージの袖で、篠原結衣もまた、ボロボロと大粒の涙をこぼしていた。

「シルフィ……あんたって子は、本当に……」

結衣は、自分がディレクターとして大食いの「技術」や「タイム」ばかりを気にしていたことを恥じた。

シルフィの武器は、エルフとしての無限の胃袋だけではない。

この『食べ物を心の底から愛し、大切に味わう』という、無垢で純粋な魂こそが、何よりも強く人々の心を動かし、魅了するのだと、改めて思い知らされたのだ。


「結果発表です!!」

陣内が、涙ぐみながらも声を張り上げた。

「重量トップの十一キロ! さらに、五名の特別審査員から【芸術点・マナー点】において満点となるパーフェクトスコアを獲得! 文句なしの第一位通過は……エルフちゃんねる・シルフィリア選手だぁぁぁっ!!」

大歓声の中、シルフィは両手を高く掲げてジャンプして喜んだ。


「そして! 第二位通過は、七・五キロを完食し、冷静なペース配分を見せたメガネの女子大生ファイター、四宮……おっと失礼、高橋選手! 第三位は、意地と根性で八キロを流し込んだドカ食いキャバ嬢、アゲハ選手! 以上の三名が、明日の『準決勝』へと駒を進めます!!」

ギリギリで三位に滑り込んだアゲハは、崩れ落ちるように座り込み、安堵と悔しさの入り混じった涙を流していた。

彼女もまた、シルフィの圧倒的な実力と、その『美しさ』を見せつけられ、自分の中にあった大食いへの偏見や驕りを打ち砕かれていたのだ。

「……負けた。量でも、食べ方でも、完全に惨敗よ……」

アゲハは、光り輝くシルフィの背中を見つめながら、ポツリと呟いた。


* * *

予選第2ステージが終了し、熱狂の余韻が残る控室。

シルフィが扉を開けて戻ってくると、結衣が猛ダッシュで駆け寄り、力いっぱい抱きついた。

「シルフィィィィ! あんた最高! 最高だったよ!! 審査員の人たちのコメント聞いて、私裏で号泣しちゃったじゃないのよ!」

「わわっ、結衣殿! 苦しいです! ですが、私もとても幸せです。あの黄色いウニというぷりんは、私の生涯の好物リストに殿堂入りを果たしました!」

「もう、あんたってば本当にご飯のことばっかりなんだから!」

結衣は涙を拭いながら、シルフィの頭をクシャクシャと撫でた。


「お疲れさん、お嬢ちゃん」

そこに、再び下駄の音を響かせて、レジェンド・轟牡丹が現れた。

「牡丹殿! 見ていていただけましたか? 私、一粒も残さずに美味しくいただきましたよ!」

「ああ、特等席で見させてもらったよ。審査員長をあそこまで唸らせるとはね。アタシの見込んだ通り、あんたの胃袋は本物だ」

牡丹は豪快に笑い、シルフィの肩を軽く叩いた。

「これでいよいよ、明日は上位三名による『準決勝』だ。……だが、気を抜きなさんなよ」

牡丹の目が、少しだけ鋭く細められた。

「明日の準決勝は、今日のような純粋な重量勝負じゃない。フードファイターとしての『技術』と『駆け引き』、そして何より『心理戦』が極限まで試される、特殊なルールが用意されていると聞いている。あの気の強いキャバ嬢や、計算高いメガネの学生も、必ず対策を練ってくるはずだ」

「心理戦……?」

シルフィが首を傾げると、結衣の表情も引き締まった。

「つまり、ただいっぱい食べるだけじゃ勝てないってことですね」

「そういうことさ。あんたのその純粋すぎる心が、逆に足を引っ張らないことを祈ってるよ。……まあ、期待して見てるからね」

牡丹はニヤリと笑い、控室を去っていった。


「心理戦……技術……」

シルフィは、腕を組んで難しそうな顔をした。

「結衣殿、心理戦とはつまり、相手に『この唐揚げ、すごく美味しいですよ』と囁きかけて、相手の食欲を刺激し合うような戦いのことでしょうか?」

「絶対違うと思う。それ、ただの平和な食事会だから」

結衣は苦笑しながら、シルフィのジャージ……ではなくワンピースの乱れを直してあげた。

「でも、シルフィなら大丈夫。どんな卑劣な罠が仕掛けられようと、あんたのその真っ直ぐな食欲と、エルフの動体視力があれば、絶対に乗り越えられるわ」

「はい! 私は美味しいご飯を食べるためならば、どんな試練も喜んで受け入れます!」


その頃、大会運営本部の会議室では、明日の準決勝のセットリストが最終確認されていた。

「陣内プロデューサー。準決勝の『巨大流しそうめんサバイバル』のセット、完成いたしました。竹の長さは実に二十メートル。四人が一つの竹を囲み、流れてくる食材を奪い合う、前代未聞のデスマッチです」

「ふっふっふ……。素晴らしい」

陣内拓海は、企画書を見つめながら、色付き眼鏡の奥で不敵な笑みを浮かべていた。

「圧倒的な量と美しさを見せつけたエルフの少女が、この『奪い合い』という修羅場の中で、どう立ち回るか。見ものだぜ……!」


大食い新人王決定戦、次なる舞台は『準決勝』。

それは、ただの食事ではない。限られた食材を箸一本で奪い合う、弱肉強食の狩猟場。

百戦錬磨の先輩ファイターたちが結託して仕掛ける卑劣な心理戦に対し、森で育ったエルフの『狩猟本能』と『超絶動体視力』が、ついに火を噴くこととなる。

波乱に満ちた準決勝の朝が、すぐそこまで迫っていた。

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