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第20話:黒い封筒と頂点への切符〜新たなる美食の戦場へ〜

篠原結衣が過労による高熱で倒れ、シルフィリアの作った特製・十リットル中華粥の洗礼(?)を受けてから数日が経過した。

初秋の爽やかな風が、アパートの窓から吹き込んでくる。

結衣の体調は、あの黄金色の脂とニンニクと生姜がたっぷりと効いたお粥のおかげか、あるいは三日三晩泥のように眠り続けたおかげか、すっかり元通りに回復していた。むしろ、以前ブラック動画制作会社で徹夜の連続だった頃よりも、遥かに身体が軽く、肌のツヤまで良くなっているような気がするほどだった。


「ふぅ……。やっぱり、健康って素晴らしいわね」

結衣は窓辺で大きく背伸びをし、清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

振り返ると、部屋の真ん中にあるちゃぶ台では、あずき色のジャージを着た美少女エルフ・シルフィリアが、本日の「朝食」の準備を整えているところだった。

結衣の体調が戻ったことで、シルフィの食事量も通常運転(つまり限界突破の爆食)に復帰している。

今日のメニューは、結衣が体調を崩して買い物に行けなかった期間の反動を満たすかのような、シンプルかつ暴力的なカロリーの結晶。通称『エルフ流・限界TKG(卵かけご飯)』である。


すり鉢のように巨大なラーメンどんぶりに、五合はあろうかという炊きたての白米が雪山のように盛り付けられている。

シルフィはその白米の山の頂上をスプーンで少し窪ませると、そこに次々と生卵を割り入れていった。一個、三個、五個……最終的に、なんと『十個』もの新鮮な生卵が、真っ白なご飯の山を黄金色に染め上げていく。

さらにそこへ、刻んだ青ネギをたっぷりと散らし、カツオの風味が効いた特製の出汁醤油を、これでもかというほど回しかける。


「おおおお……っ! 結衣殿、ご覧ください! 真っ白な雪山に、黄金の太陽が十個も輝いております! 醤油という黒い魔法の液体が、ご飯の熱で香ばしい匂いを立ち昇らせ、私の嗅覚を激しく刺激してきます!」

シルフィは割り箸を両手に持ち、目をキラキラと輝かせていた。

「シルフィ、朝から卵十個って……。コレステロール値とかどうなってんのよ」

「これすてろーる? なんですかそれは。この卵たちは、すべて私の魔力へと変換される運命にあるのです! それでは、生命の恵みに感謝して……いただきます!」


シルフィは、割り箸をどんぶりの底深くまで突き刺し、豪快にかき混ぜ始めた。

黄金色の黄身が崩れ、濃厚な白身と出汁醤油が、炊きたての熱々ご飯と渾然一体となっていく。ズルズル、ジュルルッという、卵かけご飯特有の食欲をそそる音が部屋中に響き渡る。

そして、シルフィはどんぶりを両手で持ち上げると、お椀の縁に口をつけ、文字通り『飲み物』のようにそれを胃袋へと流し込み始めた。


「ズズズズズズズズズッ!! んんんん〜っ!!」

シルフィの顔に、至福の笑みが広がる。

「美味しいです! 卵の濃厚なコクとまろやかさが、醤油の塩気と完璧に調和しています! お米一粒一粒が卵でコーティングされることで、噛む必要すらなく、喉の奥へと滑り落ちていく究極の滑らかさ! まさに、黄金のポーションです!」

五合のご飯と十個の卵が、ものの数分でブラックホールのような彼女の胃袋へと吸い込まれていく。

相変わらずの圧倒的な食べっぷり、そして一切口の周りを汚さない美しい食事作法。

結衣はコーヒーを啜りながら、その光景を微笑ましく見つめていた。


(本当に、この数週間で色んなことがあったなぁ……)

結衣は、部屋の隅に飾られている銀の盾と、パソコンの画面に表示された『エルフちゃんねる』のダッシュボードに目をやった。

テレビ特番での姫野くるみとの死闘、そして引き分け。

その直後の商店街での差し入れ爆食い動画、原宿でのくるみちゃんとのクレープコラボ動画。

立て続けに投稿した動画は、どれもこれも凄まじい再生回数を叩き出し、現在のチャンネル登録者数はなんと『八十万人』に迫ろうとしていた。

かつて食費の枯渇に怯え、コンビニの冷めたシャケ弁一つを分け合おうとしていた深夜の公園の出来事が、まるで遠い昔の夢のように感じられる。

広告収入も順調に振り込まれ始め、ついにこの狭いボロアパートから、もう少し広くてセキュリティのしっかりした、何より『巨大な最新式のキッチンと冷蔵庫がある部屋』への引っ越しを真剣に検討し始めているところだった。


「ぷはぁっ! ごちそうさまでした! どんぶりの底の一粒まで、見事に討伐完了です!」

シルフィが空になった特大どんぶりを机に置き、満足げに息を吐いた。

「お粗末様。足りた?」

「はい! エルフの腹二分目といったところですが、朝の魔力補給としては十分です。結衣殿、本日のスケジュールはどのようになっていますか? お肉の討伐クエストの予定は入っておりますか?」

「今日は特に撮影の予定は入れてないわよ。私の体調も戻ったばかりだし、今日は動画のコメント返しとか、今後の企画のミーティングとか、事務作業の日にしようと思ってたの。だから、お昼ご飯はゲンさんの満腹亭で普通に食べましょう」

「満腹亭ですね! 承知いたしました! ゲンさんの唐揚げの山を想像しただけで、再び胃袋が活動を開始しそうです!」

ニコニコと笑うシルフィの頭を撫でながら、結衣は「それじゃあ、ちょっと一階のポストに郵便物取りに行ってくるね」と立ち上がり、部屋を出た。


アパートの階段を降り、一階の集合ポストを開ける。

最近はファンからのファンレターや、企業からの商品サンプルの小包などが届くことも増えていたため、ポストはいつも満杯気味だった。

「えーと、水道の検針票に、ピザ屋のチラシ、ファンの方からのお手紙が三通……ん?」

結衣は、郵便物の束の中に、異彩を放つ一通の封筒が混ざっていることに気がついた。

それは、一見してただの手紙ではないことがわかった。

真っ黒な、指先で触れるだけで上質な紙が使われているとわかる分厚い封筒。

宛名には、筆文字のような達筆なフォントで『エルフちゃんねる 篠原結衣様・シルフィリア様』と印字されている。

そして、裏を返すと、封を閉じる部分には、なんと本物の『赤いシーリングワックス(封蝋)』が押されており、そこに黄金色の箔押しで一つの紋章が刻まれていた。


「……『全日本大食い競技連盟』……?」

その文字を見た瞬間、結衣の心臓がドクンと大きく跳ねた。

全日本大食い競技連盟。

テレビのバラエティ番組の企画などではなく、日本における『フードファイト』という競技を統括し、数々の公式大会を主催している、大食い界の絶対的な公式機関。

かつて、あのレジェンド・轟牡丹がその名を轟かせ、現役クイーン・姫野くるみもこの連盟が主催する大会で優勝したことで、一気にスターダムへと駆け上がったと言われている。

つまり、これは。

「……公式からの、招待状……?」

結衣は生唾を飲み込み、震える手でその黒い封筒を胸に抱きしめた。

急いでアパートの階段を駆け上がり、息を切らせて部屋のドアを開ける。


「シルフィ! シルフィ、大変よ!!」

「結衣殿!? どうされましたか!? 顔面が蒼白ですが、またお米の在庫が尽きたのですか!?」

「違うわよ! これ、これを見て!」

結衣はちゃぶ台の上に、その高級感あふれる黒い封筒をバンッ!と置いた。

シルフィは不思議そうに目をパチクリとさせ、その封筒に顔を近づけた。

「……黒い封書。それに、この赤い封印。私の故郷の森では、魔王軍からの宣戦布告、もしくは王室からの極秘の召集状の類いですが……。まさか、この国の王からの使者ですか?」

「ある意味、大食い界の王室からの手紙よ! 開けるわよ……!」


結衣はペーパーナイフを慎重に入れ、赤いシーリングワックスを割らないように封を開けた。

中から出てきたのは、金縁の装飾が施された厚手の招待状と、一枚の光沢のあるパンフレットだった。

結衣は震える声で、その招待状の文面を読み上げ始めた。


『謹啓。新秋の候、エルフちゃんねるの皆様におかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

さて、この度、全日本大食い競技連盟が主催いたします、次世代の大食いスターを発掘・決定する公式全国大会……『大食い新人王決定戦』の開催が決定いたしました。

先日、テレビ番組において圧倒的な実力を見せていただいたシルフィリア様には、当連盟の推薦枠として、本大会へのシード出場権を授与させていただきます。

全国から集う未知の猛者たちを退け、新たなる大食い界の頂点を目指す、熱き戦いへのご参加を心よりお待ち申し上げております。敬具』


「おおぐい……新人王決定戦……!」

結衣は、その言葉の重みに身震いした。

YouTuberとしての企画や、テレビのバラエティ特番のゲスト出演とは、全く次元が違う。これは、正真正銘の『公式大会』。

遊びやエンターテインメントの要素を削ぎ落とし、純粋な胃袋の容量とスピード、そして精神力を競い合う、プロのフードファイターへの絶対的な登竜門なのだ。

「シ、シルフィ。これ、どういう意味か分かる? 全国の猛者が集まるのよ。YouTuberとかアイドルとか関係なく、純粋に『食べるのが一番すごい奴』を決める、果し合いの舞台よ」

結衣は興奮と緊張が入り混じった声で、シルフィに問いかけた。


「果し合い……」

シルフィは、招待状の文面をじっと見つめていた。

彼女の碧眼には、初めは少し困惑の色が浮かんでいた。エルフであるシルフィにとって、食事とは本来、競い合ったり争ったりするものではなく、純粋に味わい、楽しむべき神聖な儀式である。

「結衣殿。私は戦うためにご飯を食べているわけではありません。誰かを打ち負かすためではなく、ただ、この世界の美味しいものを全て胃袋に納めたいという、純粋な探求心だけで動いているのです。ですから、そのような血生臭い闘技場には……」

シルフィが、少し消極的な言葉を口にしかけた、その時だった。


結衣の手に握られていた、同封の『パンフレット』の一文が、シルフィのエルフの脅威的な視力に飛び込んできたのだ。


『――本大会の予選および本選ステージにおいて提供される食材は、当連盟が総力を挙げて全国各地から取り寄せた【最高級食材】を使用し、参加選手の皆様には【無制限・食べ放題形式】で提供させていただきます――』


ピタッ。

シルフィの言葉が、空中で停止した。

「……し、シルフィ?」

「……結衣殿。今、この紙の隅に、信じられない神の啓示のような文字が見えたのですが。私の見間違いでしょうか」

シルフィは、結衣の手からパンフレットをひったくるように奪い取り、その一文を顔面にこすりつけるような距離で凝視した。

「『さいこうきゅうしょくざいを……むせいげん・たべほうだいけいしきでていきょう』……」

シルフィの口から、その言葉が呪文のように、何度も、何度もリフレインされる。


そして。

『――ギュルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルッッッ!!』

つい先ほど、どんぶり五合の卵かけご飯を平らげたばかりであるはずの彼女のペタンコのお腹から、アパートの窓ガラスがビリビリと震えるほどの、本日最大級にして、絶望的な飢餓を訴える轟音が鳴り響いたのである。


「最・高・級・食・材・が……無・制・限・の・食・べ・放・題!!」

シルフィの碧眼が、これ以上ないほどにカッと見開かれ、その瞳孔の奥に、燃え盛るような『食への執着』という名の強烈な炎が灯った。

口元からは、キラリと光る一筋のよだれが垂れ落ちそうになり、彼女は慌ててジャージの袖でそれを拭った。


「ゆ、結衣殿っ!!」

シルフィは、バンッ!と両手でちゃぶ台を叩き、身を乗り出した。

「行きます! これは行くしかありませんね!!」

「ええっ!? さっき『血生臭い闘技場には行かない』みたいなこと言ってなかった!?」

「何を仰るのですか! 全国の最高級食材が、私の胃袋を待っているのですよ!? お肉でしょうか、お魚でしょうか、それとも甘いお菓子でしょうか! しかも無制限! 食べ放題! これはもはや果し合いなどではありません、全知全能の食の神が私に与え給うた、聖なる巡礼の旅です!」

シルフィのテンションは、一瞬にして最高潮へと振り切れていた。

プロのフードファイターの登竜門だの、全国の猛者が集う公式大会だの、そんなことは彼女の頭からは完全に抜け落ちていた。

ただそこには、『まだ見ぬ極上の美味しいご飯が、タダで限界まで食べられる』という、絶対的な真理だけが存在していたのだ。


「あはは……。まあ、シルフィがそういう反応をするだろうなって、思ってたけどね」

結衣は苦笑しながらも、心の奥底で熱い炎が燃え上がるのを感じていた。

YouTubeでのバズり、テレビでの引き分け。

それらを経て、ついに舞い込んだ『公式戦』への切符。

ここで優勝して「新人王」の称号を手に入れれば、シルフィは名実ともに日本一のフードファイターへの道を駆け上がることになる。そして『エルフちゃんねる』は、誰も手が届かない伝説のチャンネルへと昇華するのだ。


「いいわ、シルフィ。やるからには、絶対に勝つわよ」

結衣は立ち上がり、黒い招待状を力強く握りしめた。

「全国からどんな猛者が集まろうと、あんたのその規格外の胃袋と、食への純粋な愛があれば、絶対に負けない! 私たちが、大食い界の歴史を塗り替えるのよ!」

「はいっ!! 美味しいご飯は、全て私の胃袋が美味しく討伐してさしあげます! エルフの誇りにかけて!」

狭いアパートの一室で、結衣とシルフィは高らかに拳を突き合わせた。


黒い封筒がもたらした、次なる頂点への切符。

素人の食いしん坊から、プロのフードファイターがひしめく戦場へ。

彼女たちを待ち受けるのは、想像を絶する過酷な食材たちと、人間の限界を超えた胃袋を持つ曲者揃いのライバルたち、そして、大食い界のレジェンドとの運命の出会いであった。


胃袋の限界を超え、魔力を燃やし尽くす。

はらぺこエルフの新たなる覚醒のステージ、『第3章:大食い新人王決定戦』の幕が、今、静かに、そして熱く切って落とされた。

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