第17話:テレビの力、恐るべし〜商店街の英雄と無限の差し入れ〜
日本テレビが社運を懸けて放送した超大型特別番組『日本一決定! 爆食サバイバル・バトルロイヤル』。
その放送の翌日、日本列島は一つの大きな「熱狂」に包まれていた。
番組のラスト、現役最強のアイドル大食いクイーンである姫野くるみと、ネット界から突如として現れたダークホースの美少女エルフ・シルフィリアによる『わんこスイーツ対決』は、テレビ局が用意した二百皿以上の高級スイーツが物理的に底をつくという、前代未聞の結末を迎えた。
勝敗はつかず、まさかのドロー(引き分け)。
だが、限界まで顔を歪ませて執念の爆食を見せた姫野くるみと、最初から最後まで一切ペースを落とさず、満面の至福の笑みで「美味しい!」と叫びながらケーキを平らげ続けたシルフィリアの姿は、視聴者に強烈すぎるインパクトを残した。
篠原結衣の暮らす築四十年のアパートの一室。
結衣は、ノートパソコンの画面を見つめたまま、文字通り石像のように固まっていた。
「…………嘘、でしょ」
結衣の目の前にあるのは、『エルフちゃんねる』のダッシュボード(管理画面)である。
つい先日、苦労の末にようやく十万人を突破し、「銀の盾」をもらって大喜びしていたチャンネル登録者数。
それが今、画面のど真ん中に表示されている数字は、桁が一つ変わっていた。
『現在のチャンネル登録者数:654,200人』
六十五万人。
たった一晩。たった一度、地上波のゴールデンタイムで特番が放送されただけで、五十万人以上の人間が、一気にシルフィのチャンネルに雪崩れ込んできたのだ。
「テレビの力……地上波の爆発力って、ここまで凄まじいの……!?」
結衣は震える両手で自分の顔を覆った。
SNSのトレンドワードも、一晩中『#エルフちゃんねる』『#ケーキ全滅』『#ジャージの美少女』といった関連ワードで埋め尽くされている。まとめサイトやネットニュースのトップにも、シルフィがケーキを美味しそうに頬張る切り抜き画像がデカデカと掲載されていた。
もはや、知る人ぞ知るネットの有名人ではない。シルフィリアは、一躍、日本中が注目する『時の人』となってしまったのだ。
「ふぁぁぁ……おはようございます、結衣殿。朝から難しい顔をして、魔法の板と睨めっこですか?」
背後から、のんびりとした声が聞こえてきた。
振り返ると、寝癖を少しだけつけたシルフィリアが、あずき色のジャージ姿で目を擦りながら立っていた。彼女の右手には、すでに朝食代わりの食パン(一斤)が握られており、何も塗らずにそのままモシャモシャと丸かじりしている。
「シルフィ! あんた、自分が今とんでもないことになってるの分かってるの!?」
「とんでもないこと? ああ、もしかして、昨日ケーキを七十皿以上いただいた影響で、ついに私のお腹に脂肪という名の鎧が……!」
シルフィは慌ててジャージの裾をめくり、自分のお腹を確認した。だが、そこにあるのは無駄な肉など一切ない、見事なまでに引き締まった美しいくびれだけである。
「よかった……。エルフのマナ・クラフター(魔力変換器官)は正常に作動しているようです。昨日のあの甘露の山も、すべて私の純粋な魔力へと変換されました! これで今日も、朝から全力で討伐クエストに向かえます!」
「そうじゃなくて! あんたの人気が爆発してるの! 日本中の人が、あんたの顔と名前を知っちゃったってことなのよ!」
結衣がパソコンの画面を指差して力説するが、シルフィは「はえー、すごいですね」と食パンをかじる手を止めない。彼女にとって、数字の増加よりも目の前の小麦粉の塊の方が重要なのだ。
「……はぁ。まあいいわ。とりあえず、冷蔵庫の中身がまたスッカラカンだから、買い物に行かなきゃ。今日のランチはどうしようか」
「おお! 買い出しですか! ぜひ私もお供させてください! あの『すーぱーまーけっと』という巨大な市場の試食コーナーで、ウインナーを焼いているおば様とお話をするのが日課なのです!」
「あんたが試食コーナーに行くと、おばちゃんがドン引きするくらい食べ尽くすから恥ずかしいんだけどね……。まあいいわ、行くわよ。一応、帽子とか被って変装していきなさいよ」
「変装? なぜですか? 私は誇り高きエルフですよ?」
「いいから! 今のあんたが顔出しで街を歩いたら、どうなるか分かんないんだから!」
結衣に言いくるめられ、シルフィは深くキャップを被り、二人はアパートを出て、近所にある『さんさん商店街』へと向かった。
平日の午前中。商店街は地元のお年寄りや主婦たちでそれなりに賑わっていた。
八百屋、肉屋、魚屋、総菜屋。昭和の香りを色濃く残す、活気あふれるアーケード街である。シルフィはこの商店街に漂う、様々な食べ物の匂いが混ざり合った空気が大好きだった。
「結衣殿! あちらから、醤油と砂糖が焦げるような、とても香ばしい匂いがします! 焼き鳥という串刺しの肉ですね!」
シルフィはキャップのつばを上げ、鼻をヒクヒクさせながら匂いの元へと小走りで向かおうとする。
その時だった。
「――あれ? ねえ、あの子……」
「嘘、もしかして……昨日のテレビに出てた……」
すれ違う買い物客の主婦たちが、立ち止まってヒソヒソと声を漏らし始めた。
結衣はハッとして周囲を見回した。
シルフィは顔を隠すためにキャップを被っていたが、彼女のトレードマークである『あずき色の高校指定ジャージ』は、隠しようがなかった。透き通るような金髪の束が帽子の隙間からこぼれ落ち、何より、その隠しきれない圧倒的なオーラと美貌が、道行く人々の視線を釘付けにしていたのだ。
「ほら、あのジャージ! 絶対あの子よ! ケーキいっぱい食べてた子!」
「エルフちゃんねるの、シルフィちゃんじゃない!?」
「あーっ! ちょっと待ちなさいよ、そこのお嬢ちゃん!!」
突如として、商店街に響き渡る野太い声。
ビクッとして結衣とシルフィが立ち止まると、目の前の八百屋から、緑色のエプロンをつけた恰幅の良いおばちゃんが、猛烈な勢いで飛び出してきたのだ。
「ひっ! す、すみません、試食はもうしませんから……!」
結衣が思わず身構えたが、八百屋のおばちゃんの顔は、怒っているどころか、満面の笑みで輝いていた。
「あんた、昨日のテレビに出てたエルフちゃんだろ!? ジャージ見てピンときたわよ! いやぁ、見たわよ、昨日の番組! うちのお父ちゃんと一緒に、テレビの真ん前で応援してたんだから!」
「えっ? あ、私の幻影を見てくださったのですか?」
シルフィがキョトンと首を傾げると、おばちゃんは興奮気味にシルフィの手を両手で握りしめた。
「あの食べっぷり、最高だったわぁ! 近頃の若い子は、ダイエットだなんだってご飯を残す子が多いけどね、あんたみたいにニコニコ笑って、一粒も残さずに綺麗に食べてくれる子を見てたら、こっちまで胸がすく思いがしたわよ! 本当に美味しそうに食べるんだから!」
おばちゃんは、シルフィの純粋な「食への愛」に、すっかり心を打たれてしまったらしい。
大食い番組といえば、苦しそうに無理をして食べる姿が痛々しいという声も少なくない。しかし、シルフィの食事には一切の悲壮感がなく、ただひたすらに幸福感だけが溢れていた。それが、お茶の間の、特に年配の層の心に深く刺さったのだ。
「あんた、いっぱい食べるんでしょ? ほら、これ持ってきなさい!」
おばちゃんは振り返り、店頭に並んでいた木箱の中から、大粒の真っ赤なイチゴがぎっしりと詰まった特上品のパックと、丸々と太った高級メロンを一つ、強引にシルフィの腕の中に押し付けた。
「えっ!? い、いや、おばちゃん、そんな高級なものタダでもらうわけには……!」
結衣が慌てて財布を取り出そうとするが、おばちゃんは「いいのいいの!」と手を振って遮った。
「宣伝代みたいなもんよ! うちの野菜や果物も、エルフちゃんみたいに美味しく食べてくれる人に貰われた方が本望ってもんさ! ほら、遠慮しないで!」
「おおおお……! この赤い木の実、昨日あの白い山の中に埋まっていた果実ですね! それに、この網目模様の巨大な球体は……!?」
シルフィは、両手で抱えきれないほどのフルーツを受け取り、感動のあまり瞳をウルウルと潤ませた。
「ありがとうございます、八百屋の奥様! この大自然の恵み、私の胃袋という名の大地に、感謝と共に植え付けさせていただきます!」
「あははは! 言うことがいちいち面白い子だねぇ! またおいでよ!」
おばちゃんに手を振られ、ホクホク顔でイチゴのパックを抱えるシルフィ。
しかし、商店街の熱狂は、これで終わりではなかった。
八百屋のおばちゃんの大声を聞きつけて、隣の精肉店(お肉屋さんの惣菜コーナー)のシャッターがガラガラと開き、白い割烹着を着た白髪のおじいちゃんが顔を出した。
「おいおい、エルフちゃんが来てるって本当かい!?」
「あ、お肉屋のおじいちゃん殿!」
「おおっ、本当にエルフちゃんだ! 昨日のテレビ、たまげたよぉ。あんな甘いもんばかりじゃ胃がもたれるだろう。ほら、うちの揚げたてを食っていきな!」
おじいちゃんは、紙袋にたっぷりと詰まった、まだ熱々の湯気を立てている『特製ビーフコロッケ』と『ジャンボメンチカツ』を、差し出してきた。
「揚げたて……!!」
シルフィの碧眼が、これ以上ないほどに見開かれる。
「い、いただいてもよろしいのですか!?」
「おうともさ! お代は出世払いでいいから、その代わり、今ここで一口食べて、あの美味そうな顔を見せておくれよ!」
「承知いたしました! 我が命に代えても!」
シルフィは抱えていたメロンを結衣に預け、紙袋の中から小判型のコロッケを一つ取り出した。
きつね色に揚がったパン粉の衣が、キラキラと輝いている。
シルフィは大きな口を開け、熱々のコロッケに思い切りかぶりついた。
『サクッ!!』
商店街のアーケードに、小気味良い衣の音が響き渡る。
「ハフッ、ハフッ……んんん〜っ!!」
シルフィの顔に、あのテレビで見せた至福の笑顔がパーッと広がった。
「素晴らしいです! この外側の『ころも』という硬い防御壁を突破した瞬間、中から熱くトロトロに溶けた甘い芋の泥と、牛肉の強烈な旨味が雪崩れ込んできました! 油の香ばしさと芋の甘みが、口の中で完璧なワルツを踊っています! おじいちゃん殿、これは魔法です! 最高に美味しいです!!」
「はっはっは! そりゃあよかった! うちのコロッケは黒毛和牛の牛脂で揚げてるからな! ほら、もっと持っていきな!」
おじいちゃんは上機嫌になり、さらに唐揚げのパックまで追加してくれた。
すると、それを皮切りに、商店街中の店主たちが次々と店から飛び出してきたのだ。
「エルフちゃーん! うちのたい焼きも食べてってー! あんこ尻尾までたっぷり入ってるから!」
「お嬢ちゃん、魚屋の親父だ! 昨日の海鮮丼の食いっぷり、魚への愛を感じたぜ! これ、今朝さばいたばかりの中トロのサクだ、持って帰りな!」
「たこ焼き焼けたでー! 火傷せぇへんように気ぃつけてなー!」
「焼き鳥の盛り合わせ、タレと塩で五十本包んどいたよ!」
「な、なんという……! なんという豊穣の地でしょうか!」
押し寄せる差し入れの嵐に、シルフィは右へ左へと頭を下げ、差し出される食べ物を次々と両手で受け取っていく。
「ありがとうございます! ありがとうございます! 私、この世界に来て本当に良かったです! 皆様の優しさと美味しいご飯、絶対に忘れません!」
ものの数十分で、結衣とシルフィの両手は、はち切れんばかりのスーパーのレジ袋や紙袋でいっぱいになっていた。
イチゴ、メロン、コロッケ、唐揚げ、たい焼き、中トロ、たこ焼き、焼き鳥。
まるで、凱旋パレードから帰還した英雄が、民衆からありったけの貢物を献上されたかのような光景である。
「す、すごい……。これが、テレビの力……」
結衣は、両腕に抱えたずっしりと重い食べ物の山を見下ろし、呆然と呟いた。
YouTubeでバズった時は、あくまでネット上のコメントの数字が増えるだけだった。しかし、地上波のテレビに出演したことで、シルフィの顔と名前は、お茶の間の老若男女、ネットを見ない世代にまで完全に浸透してしまったのだ。
だが、結衣は商店街の人々の温かい笑顔を見て、一つの確信を得ていた。
(テレビの力がすごいのは間違いない。でも、それだけじゃない。この人たちがこんなにタダで食べ物をくれるのは、シルフィの『食べっぷり』が、本当に人を幸せにするからなんだ)
計算でも、競技でもない。
ただ純粋に、美味しいものを心の底から喜び、感謝して食べる。その姿勢が、食べ物を作る商人たちの心を打ち、自然と応援したくなる気持ちにさせるのだ。
「結衣殿! 結衣殿!」
シルフィが、コロッケの紙袋を口に咥えながら、満面の笑みで結衣を振り返った。
「私、決意しました! この素晴らしい商店街の皆様の愛に応えるためにも、いただいた食料は、今日のお昼ご飯として、一つ残らず完璧に胃袋に納めてみせます!」
「えっ、ちょっと待ってシルフィ。これ、軽く十キロくらいあるんだけど……。私たち、今日は普通にスーパーに卵とか買いに来ただけだったはずじゃ……」
「卵のことは忘れましょう! 今私の目の前には、これほどまでに輝かしい宝の山があるのです! さあ、急いで館に戻り、大宴会を開きましょう!」
ホクホク顔で、両手いっぱいの食べ物を抱えて足取り軽く歩き出すシルフィ。
その背中を追いかけながら、結衣は苦笑いを浮かべた。
(……まあ、いっか。しばらくは食費も浮きそうだし)
限界ディレクターと美少女エルフのコンビは、商店街の人々に見送られながら、大豊作の戦利品と共に家路についた。
アパートに帰り、さっそく結衣がカメラを回し、シルフィが『商店街からの差し入れ全部食い尽くし』の動画を撮影し始めた、ちょうどその時。
結衣のスマートフォンのメッセージアプリが、ピコンと鳴った。
『篠原代表、お疲れ様です!』
画面を見ると、それはテレビ局で連絡先を交換した、とある人物からのダイレクトメッセージだった。
「……えっ?」
結衣は目を丸くした。
送り主の名前は、『姫野くるみ』。
昨日の特番で、最後の最後まで激しい死闘を演じ、引き分けに終わった、あのテレビ界の絶対女王・アイドル大食いクイーンからの個人的なメッセージだったのだ。
結衣は恐る恐る、メッセージの続きを読み上げた。
『昨日の収録は本当に楽しかったです! あの後、事務所と相談したんですけど……もしよかったら、今度エルフちゃんと一緒に、プライベートでコラボ動画の撮影をしませんか? 原宿で、美味しいクレープのお店をたくさん回りたいなって思ってますっ♡ お返事待ってますね!』
「……シルフィ」
「はむっ、モグモグ……はい? なんですか結衣殿? この中トロという赤いお魚、舌の上で溶けて無くなりましたよ!」
「くるみちゃんから、コラボ動画のお誘いが来たわ。場所は原宿で、クレープの食べ歩きだって」
「くれーぷ!?」
シルフィは、口の周りにコロッケのパン粉をつけたまま、ガタッと立ち上がった。
「あの、薄い魔法の絨毯のような生地の中に、たっぷりの生クリームと果実が包まれた、夢の食べ物のことですか!? 行きます! 絶対に行きます! くるみ殿と一緒なら、原宿中のくれーぷを根こそぎ討伐できる気がします!」
両手を突き上げて歓喜の声を上げるシルフィ。
昨日の敵は、今日の友(そして食べ歩き仲間)。
テレビの洗礼を受け、大食いクイーンとの友情を育んだエルフちゃんねるは、さらなる美味しい出会いを求めて、若者の街・原宿へと繰り出すことになるのであった。




