第15話:食への愛が魔力を回す〜味わいながら凌駕する、美しき逆転劇〜
「追加のケーキは、これより……十皿単位でテーブルに並べてください」
残りの制限時間が十五分を切ろうとしている中、日本テレビの巨大スタジオに響き渡ったシルフィリアのその言葉に、現場の空気は一瞬にして凍りついた。
背後に控えていたメイド姿のスタッフたちが、戸惑ったように顔を見合わせる。
「じゅ、十皿……ですか? 一度に、テーブルに並べるということでしょうか?」
「はい。一つずつ持ってきていただいては、私のこの湧き上がる食欲のスピードに追いつけなくなりますから」
シルフィは、フォークとスプーンを両手に構えたまま、天使のように微笑んだ。
しかし、その瞳の奥には、これまでに見せたことのない強烈な飢餓の光――いや、純粋な『食への探求心』が燃え盛っていた。
「おい、何をぼやっとしている! 彼女の言う通りにしろ! ケーキを十皿、一気に並べるんだ!」
実況席に座る陣内拓海プロデューサーが、マイクを握りしめたまま怒鳴った。
その指示を受け、メイドたちが慌てて銀色のトレイを運び込む。
シルフィの目の前の長テーブルに、次々と色鮮やかな超高級スイーツが並べられていった。
フランボワーズの真っ赤なムース。
宇治抹茶をふんだんに使った濃緑の和風パフェ。
カスタードクリームがこれでもかと詰まったサクサクのシュークリーム。
濃厚なベイクドチーズケーキに、色とりどりのマカロンのタワー。
普通の大食い選手であれば、見るだけで胃がもたれ、視覚から満腹中枢を刺激されて絶望するような、圧倒的な糖質と脂質の暴力的な光景である。
隣の席で、ぬるま湯を使ってケーキを水流で胃袋に流し込んでいる『女王』姫野くるみは、横目でその光景を見て鼻で笑った。
(……馬鹿じゃないの? 十皿並べたところで、味わって食べてるようなノロマな素人に、この絶望的なスコア差をひっくり返せるわけないじゃない。パフォーマンスにもなってないわよ)
くるみの現在のスコアは『55皿』。対するシルフィは『28皿』。
残り時間は十四分少々。物理的に考えても、ここから逆転するなど不可能だ。大食いという過酷な競技において、後半戦の糖分の重さは鉛のように胃にのしかかる。くるみ自身も、限界に近い胃袋を、プロとしての強靭な精神力とテクニックだけで無理やり動かしている状態なのだ。
「それでは……私の全力の『いただきます』を、お見せしましょう」
シルフィが、テーブルの上の十皿のスイーツを見渡し、小さく呟いた。
次の瞬間。
シルフィの右手に持ったフォークが、フランボワーズのムースを捉えた。
その動きは、先ほどまでの優雅でゆっくりとしたお食事のペースとは、明らかに異なっていた。
風を切り裂くようなスピードでケーキをすくい上げ、口の中へと運ぶ。
モグ、モグモグッ、ゴクッ。
――えっ?
袖で見守っていた結衣は、自分の目を疑った。
確かに、シルフィは咀嚼している。
くるみのように、ぬるま湯で丸呑みして流し込んでいるわけではない。しっかりと歯を立て、ムースの滑らかさとスポンジの食感を舌の上で確認し、味わっているのだ。
それなのに。
咀嚼から嚥下(飲み込むこと)までのスピードが、異常なまでに――それこそ、早送り映像を見ているかのように速いのだ。
「美味しいです!! フランボワーズの鮮烈な酸味が、クリームの甘さを一瞬で切り裂き、口の中をさっぱりとさせてくれます! 次!」
一瞬で空になったムースの皿を端に押しやり、シルフィの左手のスプーンが宇治抹茶のパフェに突き刺さる。
「抹茶のほろ苦さ! 白玉のモチモチとした食感! 和の心、大和撫子の魂がここに宿っています! 次!!」
パフェのグラスが、ものの数秒で空っぽになる。
シュークリームは、手で掴むなり大きな口を開けて半分を噛みちぎり、溢れ出すカスタードクリームを舌で器用に巻き取りながら、口の周りを一切汚すことなく飲み込んだ。
「卵と牛乳の奇跡の配合! 濃厚なのに全くしつこくありません! 次!!」
「なっ……!?」
隣で戦っていたくるみの動きが、ピクリと止まった。
スタジオの観客たちも、どよめきすら忘れ、水を打ったような静寂の中で、信じられないものを見るかのようにシルフィの動きに釘付けになっていた。
シルフィは、一切の妥協なく『味わって』いる。
一口ごとに顔をほころばせ、「美味しい!」と心からの至福の笑みを浮かべ、食レポまで叫んでいる。
それなのに、テーブルの上に並べられた十皿のケーキが、まるで魔法のように、次々と空の皿に変わっていくのだ。
味わっているのに、速い。
大食い競技において、絶対に両立し得ないはずの『矛盾』が、今、目の前で現実の光景として展開されていた。
「これだ……これなんだよ!!」
実況席の陣内が、マイクを握り潰さんばかりの勢いで立ち上がり、絶叫した。
「見よ、この矛盾! 見よ、この奇跡を! エルフちゃんねるのシルフィリア、彼女は一切のテクニックを使っていません! ただひたすらに、純粋に、スイーツの味を楽しんでいる! 楽しんでいるだけなのに、女王・姫野くるみの流し込みテクニックを凌駕するほどの圧倒的なスピードで、ケーキが消滅していくぅぅっ!!」
陣内の言葉通りだった。
シルフィの体内では今、常識では考えられない現象が起きていた。
『食べ物は味わうためにある』
その彼女の純粋な信念が、最高級スイーツの味覚的感動と結びついた瞬間、エルフ特有の『マナ・クラフター(魔力変換器官)』の枷が完全に外れたのだ。
これまでは、無意識のうちにカロリーの変換効率を抑えていた。しかし今、シルフィが『もっと美味しいものを味わいたい』と強烈に願ったことで、口の中に入った糖質と脂質は、胃袋に到達する端から、凄まじいスピードで純粋な『魔力』へと変換され始めたのである。
魔力に変換されるということは、胃袋の中に固形物として滞留しないということだ。
つまり、満腹にならない。重さを感じない。
さらに、全身に満ち溢れた魔力が、彼女の顎の筋肉、嚥下するための喉の動き、そして腕の振りを、超人的なスピードへと加速させている。
カメラのレンズ越しに見ると、シルフィの身体の周囲に、黄金色に輝くオーラのような熱気が立ち上っているのがはっきりと分かった。
「め、メイド殿! ケーキが足りません! 次の十皿をお願いします!」
「は、はいぃっ!!」
シルフィが最初の十皿を平らげるのに要した時間は、わずか二分。
スコアボードの数字が、凄まじい勢いで回り始める。
『28』から『38』へ。
新たに追加された十皿も、チーズケーキ、フルーツタルト、ガトーショコラと重いものばかりだったが、シルフィは満面の笑みで次々と胃袋のブラックホールへと吸い込ませていく。
「チーズの芳醇な香り! フルーツの弾ける果汁! チョコレートのほろ苦い誘惑! すべてが、すべてが私の魔力を満たしてくれます!」
「ウソ……でしょ……?」
くるみは、手に持っていたぬるま湯のグラスを震わせていた。
彼女のプロとしての計算が、音を立てて崩れ去っていく。
あんな食べ方をして、胃がもたないはずがない。急激な血糖値の上昇で、脳が気絶レベルのストップ信号を出すはずだ。咀嚼し続ければ、顎の筋肉が焼き切れるように痛むはずだ。
それなのに、隣で食べているジャージ姿のエルフは、食べれば食べるほど、顔色を良くし、瞳を輝かせ、さらに食べるスピードを加速させていく。
(なんなのよ、こいつ……! バケモノ……!?)
「残り時間、十分を切りましたぁっ!!」
陣内の声が響く。
『姫野くるみ:60皿』
『シルフィリア:48皿』
絶望的だったダブルスコアの差が、一気に十二皿差にまで縮まっていた。
くるみの額から、脂汗が滝のように流れ落ちる。
彼女の胃袋は、すでに容量の九十パーセント以上が、水でふやけたスポンジとドロドロの生クリームで埋め尽くされている。胃の重さは鉛のようで、喉の奥まで甘ったるい匂いが込み上げてきており、吐き気を抑えるのに必死だった。
大食いの終盤戦、スイーツの『甘さ』は、鋭い針のように喉と胃壁を突き刺す。一口飲み込むたびに、強烈な不快感が全身を襲う。
それでも、彼女はプロだ。
「負けない……負けないわよっ……!」
くるみは、カメラに背を向けた一瞬だけ、般若のような凄惨な顔で自分を鼓舞した。
そして再びカメラの赤いランプが点灯した瞬間、完璧なアイドルスマイルを作り直した。
「くるみ、まだまだいけちゃうよぉっ♡ ケーキさん、とっても美味しいねっ!」
嘘だった。
美味しいなどとは一ミリも思っていない。ただの泥か砂を飲み込んでいるような感覚だ。
それでも彼女は、水を使って無理やりケーキを流し込み続ける。
ここで負ければ、彼女が積み上げてきた『大食いクイーン』としての地位も、アイドルとしての価値も、全てがこの素人YouTuberに奪われてしまう。
絶対に、それだけは許されない。
「す、すごい……! 女王・姫野くるみも意地を見せる! ペースは落ちているものの、確実に皿を重ねていく! しかし、シルフィリアの猛追が止まらない!!」
シルフィは、ただひたすらに幸福の絶頂にいた。
「はぁ〜っ、美味しい! 本当に美味しいです! 結衣殿、私をこの魔法のような場所に連れてきてくれて、本当にありがとうございます!」
マイクを通してスタジオ中に響き渡る、純度一〇〇パーセントの感謝の言葉。
セットの陰でその言葉を聞いた結衣は、両手で顔を覆い、ボロボロと涙をこぼしていた。
(シルフィ……ごめんね。私、大食いのルールとか、テクニックとか、そんなことばっかり考えてた。あんたの最大の武器は、そんな小手先の技術じゃない……『誰よりもご飯を愛し、美味しそうに食べる』っていう、その純粋な心だったんだね)
結衣は涙を拭い、セットの陰から身を乗り出して、声を限りに叫んだ。
「いけえええええええっ、シルフィ!! 全部、残さず美味しく食べ尽くしてやりなさい!!」
「はいっ!! お任せください結衣殿!!」
シルフィのスピードが、さらに一段階ギアを上げた。
フォークの軌跡が、もはや残像しか見えないほどの速さになる。
五十八皿目。
六十二皿目。
六十六皿目。
「残り五分!! 残り五分です!! ここで、ついに……ついにスコアボードが並んだぁぁぁぁぁっ!!」
陣内が、マイクスタンドを蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
『姫野くるみ:68皿』
『シルフィリア:68皿』
観客席は、もはや悲鳴のような大歓声に包まれていた。
誰もが、奇跡の逆転劇の目撃者となっていることに興奮し、総立ちになっている。
「エルフちゃーん!! いけーっ!!」
「くるみちゃん負けるなーっ!!」
地響きのような声援が、スタジオを揺らす。
「ハァッ……ハァッ……!」
くるみの息は完全に上がり、目は血走り、アイドルスマイルを維持することすら困難になっていた。
限界だ。
胃袋も、喉も、精神力も、完全に限界を超えている。水を含んでも、飲み込むための食道の反射が機能しなくなりつつある。
くるみは、荒い息を吐きながら、隣を見た。
シルフィリアは、六十九皿目となるストロベリーパフェを、極上の笑顔で味わっていた。
汗一滴かいていない。呼吸も乱れていない。
ただ、本当に嬉しそうに、「美味しい、美味しい」と言いながら、ケーキを食べているのだ。
(なんなのよ……こいつ……)
くるみの心の中に、どす黒い絶望と、そして不思議なほどの『羨望』が入り混じった感情が湧き上がった。
私は、勝つために、テレビに映るために、大好きなケーキを『泥』だと思って飲み込む訓練をしてきた。
味わうことを捨て、食べる喜びを捨てて、今の地位を手に入れた。
なのに。
このエルフは、私の捨てたものを全て持ったまま、私を追い抜いていく。
(そんなの……理不尽じゃない……!!)
「次!! 次持ってきなさい!!」
くるみは、カメラの存在も忘れ、本性むき出しの叫び声を上げた。
アイドルの仮面が完全に剥がれ落ちた、一人のフードファイターとしての、執念の咆哮。
「私は、負けない!! 絶対に、私が女王よ!!」
くるみは六十九皿目のモンブランを素手で掴み、そのまま口の中に押し込んだ。水で流し込むのではなく、意地とプライドだけで咀嚼し、飲み込もうとする。
「おおおっ!! 姫野くるみ、形振り構わぬ執念の爆食!! アイドルの殻を破り捨て、真のフードファイターとして覚醒したかぁぁっ!!」
陣内の実況が、さらにボルテージを上げる。
シルフィも、そんなくるみの気迫を感じ取り、碧眼に真剣な光を宿した。
「くるみ殿。あなたのその食に対する執念……いえ、闘争心。素晴らしいです。私も、全身全霊をもってお応えしましょう!」
シルフィのオーラが、さらに輝きを増す。
七十皿。七十一皿。七十二皿。
両者、完全に一歩も譲らない極限のデッドヒート。
プロとしての全てを賭けた執念と、素人の純粋な食への愛と魔力が、スタジオのど真ん中で激しくぶつかり合う。
「残り三分!! 両者一歩も譲らない! このまま行けば、テレビ史に残る大記録が生まれるぞぉぉぉっ!!」
しかし。
激闘のクライマックスに酔いしれるスタジオの中で。
背後でケーキを配膳していたメイドたちと、番組の進行を管理するフロアディレクターだけが、ある『致命的な問題』に直面し、真っ青な顔で震えていた。
「ディレクター……どうします」
インカム越しに、裏方のスタッフが悲鳴のような声を上げる。
「まさか、二人がここまで食べるとは想定していませんでした……! ストックしていたケーキが……銀座のパフェも、表参道のタルトも、全部……!」
誰もが予想しえなかった、異常事態。
それは、二人の美少女の規格外の胃袋が、テレビ局の『予算と準備』を凌駕してしまったという、残酷な事実であった。
決着の時は、すぐ目の前まで迫っていた。




