第12話:裏表の激しいアイドルクイーン〜バチバチの煽り合いと、ブレない食欲〜
日本テレビの巨大なスタジオ。
天井を見上げれば、無数の巨大な照明機材が星空のようにぶら下がり、床には何十本もの太いケーブルが這い回っている。セットの中央には『日本一決定! 爆食サバイバル・バトルロイヤル』という極彩色の巨大な看板が掲げられ、周囲には何台もの大型テレビカメラが獲物を狙う砲列のように並んでいた。
観客席からは、すでにエキストラや観覧客たちのざわめきが波のように押し寄せてきている。
ここは、選ばれた者だけが立つことを許される、テレビ界というエンターテインメントの最前線だ。
「……はわわわわわ。す、すごい。YouTubeの宅録とは規模が違いすぎる。カメラがあんなにいっぱい……照明が熱い……」
スタジオの袖、いわゆる『前室』と呼ばれる待機スペースで、篠原結衣は手にした台本をガタガタと震わせていた。
ブラック企業の末端ディレクターとして、地方の小さなロケなどは経験があった結衣だが、キー局のプライムタイムに放送される超大型特番のスタジオに入るのは、これが正真正銘の初めてである。
周囲を行き交うスタッフたちは皆、インカムをつけて早口で専門用語を飛び交わせ、秒単位のスケジュールで動いている。そのピリピリとしたプロの現場の空気に当てられ、結衣の胃はキリキリと痛みを訴えていた。
しかし、そんな極度の緊張状態にある結衣の隣で、当の本人である『出演者』は、全く別の意味で苦悶の表情を浮かべていた。
「うぅぅぅ……結衣殿ぉぉ……。まだでしょうか……。まだ、宴は始まらないのでしょうか……?」
『――ギュルルルルルルルルルルルルルルルルルッ!!』
あずき色のジャージに身を包んだ絶世の美少女エルフ・シルフィリアの平らなお腹から、スタジオの喧騒すらも切り裂くような、けたたましい腹の虫の音が鳴り響いた。
前を通りかかったADが「ビクッ!」と肩をすくめて周囲を見回すほどの轟音である。
「し、シルフィ! お腹の音大きすぎ! マイクが拾っちゃうから我慢して!」
「我慢と言われましても、こればかりは私の意志ではどうにもなりません! 体内のマナ・クラフター(魔力変換器官)が、生命維持のためにカロリーを寄越せと大暴動を起こしているのです!」
シルフィは涙目で、自身のペタンコのお腹をさすった。
「本番に向けて胃袋の容量を空けておくようにと、結衣殿に言われた通り、今日の朝食は食パン三斤とゆで卵十個だけに抑えました。そのせいで、すでに私の魔力はレッドゾーンに突入しております! 早く……早く私に討伐対象を!」
そう、今日の収録に向けて、結衣はシルフィに厳しい『食事制限』を課していた。
いくら底なしの胃袋を持つエルフとはいえ、直前に暴食してしまえば、万が一にも本番中に『マナの飽和(満腹)』を迎えてしまうかもしれない。相手はテレビ界のプロたちなのだ。万全を期すため、朝から軽食しか与えていないシルフィの飢餓感は、今まさにピークに達しようとしていた。
「わかってる、わかってるから! もうすぐ本番が始まるから、そこで死ぬほど食べられるわよ!」
「本当ですね!? ちなみに、本日のメニューは何なのですか!? これほど豪華な闘技場なのです。さぞや巨大な肉の塊や、黄金色に輝く揚げ物の山が出てくるのですよね!?」
シルフィがよだれを拭いながら尋ねるが、結衣は困ったように台本に目を落とした。
「それが……わからないのよ。今回の特番、出演者のリアルなリアクションを撮るために、何を食べるのかは『本番まで極秘』っていうルールになってるの。台本にも『ここで食材発表』ってしか書いてないのよ」
「な、なんと……! 焦らして焦らして、一気に爆発させるという高等戦術ですか! 陣内殿、恐ろしいプロデューサーですね……! 私の胃袋は、未知の食材への期待で今にも破裂しそうです!」
シルフィが興奮のあまり鼻息を荒くしていると、背後からパタパタと軽い足音が近づいてきた。
「あーっ! 見ーっけ! エルフちゃーんだよねっ!?」
鈴を転がすような、トーンの高い、鼓膜に甘く響く可愛らしい声。
結衣とシルフィが振り返ると、そこには目を疑うほどに完成された『アイドル』が立っていた。
ピンク色を基調としたフリルの多い華やかな衣装。ふんわりと巻かれたツインテールが、歩くたびにフワフワと揺れる。大きな瞳は完璧なメイクで彩られ、唇は桜色のリップで艶やかに光っている。
彼女の後ろには、小型のカメラを持ったテレビクルーが密着して撮影を続けていた。
「姫野……くるみ……!」
結衣は思わず息を呑んだ。
現在、テレビ界のフードファイト企画を総なめにし、若手No.1の『アイドル大食いクイーン』として君臨する絶対的エース。
それが、目の前にいる少女、姫野くるみであった。
「初めましてぇ〜っ! くるみですっ! エルフちゃんの動画、くるみもいっつも見てるよぉ〜! 餃子百個の動画、すっごく美味しそうだったぁ〜♡」
くるみは満面の笑みを浮かべ、顔の横で両手でピースサインを作る『あざとかわいい』ポーズを決めた。
そのあまりの可愛らしさと、プロのアイドルとしての完璧なオーラに、同性である結衣すらも一瞬で魅了されそうになった。
「あ、は、初めまして! エルフちゃんねるの篠原です! 本日はよろしくお願いします!」
「よろしくねっ、マネージャーさん! エルフちゃんも、今日は一緒に美味しいもの、い〜っぱい食べようねっ! くるみ、負けないぞぉ〜、えいえいおーっ! なんてねっ♡」
カメラに向かって最高に愛らしい笑顔を振りまくくるみ。
しかし、シルフィはそんなくるみのアイドルオーラをガン無視し、彼女のフリフリの衣装のポケットの辺りをじっと見つめていた。
「……あの。姫野くるみ殿」
「なぁに? エルフちゃんっ♡」
「あなたからは、とても甘く良い匂いがします。まるで、砂糖とイチゴを煮詰めたような……。もしかして、その服の中に『おやつ』を隠し持っていませんか? もしよろしければ、一口恵んでいただけないでしょうか」
「…………えっ?」
くるみの笑顔が、一瞬だけピクッと引きつった。
「あ、えっとぉ……これは香水の匂いかなぁ〜? あははっ、エルフちゃんってば、本当にお腹ペコペコなんだねっ! 食いしん坊さんだぞっ☆」
くるみは強引にアイドルスマイルを維持し、カメラに向かってウインクを飛ばした。
「それじゃあ、くるみはそろそろスタンバイに行くね! 本番、お互い頑張ろうねっ! バイバーイ!」
パタパタと手を振りながら、くるみとカメラクルーが去っていく。
結衣はホゥッと安堵のため息をついた。
「よかった……。めちゃくちゃいい子じゃない、姫野くるみちゃん。テレビで見る通りの、純粋で真っ直ぐなアイドルって感じ。シルフィ、あんた本番で彼女のこと食べ物扱いしないでよね?」
「むぅ……。香水ですか。現代の錬金術師は、食べられないものにまであんなに美味しそうな匂いをつけるのですね。紛らわしいです」
シルフィが不満げに頬を膨らませた、その時だった。
『――あのさぁ』
声のトーンが、三オクターブほど下がった、地を這うような低い声。
結衣とシルフィが振り返ると、そこには、先ほど「スタンバイに行く」と言って去っていったはずの姫野くるみが、たった一人で戻ってきていた。
ただし、その様子は、先ほどとは打って変わっていた。
カメラクルーの姿はない。
フワフワと揺れていたツインテールは苛立たしげに手で払いのけられ、桜色のリップに彩られた口元は、不機嫌極まりない形に歪んでいる。
そして何より、あのキラキラと輝いていた大きな瞳には、冷たく、見下すような、氷のような敵意が宿っていた。
「……え? ひ、姫野さん……?」
結衣が戸惑いながら声をかけると、くるみは舌打ちをした。
「チッ。あー、マジで疲れる。カメラ回ってる前で甘ったるい声出すの、喉に負担かかんだよね。ていうかマネージャー、あんた邪魔。ちょっとそこのエルフもどきに話があるから、下がっててくんない?」
「えっ!? あ、はい……」
先ほどの『あざとかわいいアイドル』から、ヤンキー顔負けの『毒舌家』への一八〇度の急旋回。
あまりのギャップに結衣が言葉を失い後ずさると、くるみはシルフィの目の前まで歩み寄り、腕を組んで、上から下まで値踏みするように睨みつけた。
「あんたさ。ネットでちょっと動画がバズったからって、調子に乗ってない?」
くるみの言葉は、ナイフのように鋭かった。
「たかが二郎系五キロ食ったくらいで、自分が世界で一番食えるって勘違いしてテレビ出てきちゃった感じ? あのねぇ、素人のお遊び配信と、こっちの『プロの現場』を一緒にしないでくれる?」
「……プロの現場、ですか?」
シルフィが首を傾げると、くるみは鼻で笑った。
「そう。大食いっていうのはね、ただ胃袋がデカければ勝てるってもんじゃないの。カメラにどう映るか、どんなコメントを残すか、そして……時間配分と咀嚼のテクニック。あんたみたいな、出どころもわからない、変なジャージ着たエルフコスプレのイロモノが通用する甘い世界じゃないのよ」
くるみは一歩前に出て、シルフィの顔を至近距離で睨みつけた。
「陣内プロデューサーの肝いりで呼ばれたみたいだけど、勘違いしないでよね。あんたは今日、私がテレビ界の絶対女王であることを証明するための、ただの『引き立て役』であり、『踏み台』なの。放送が終わる頃には、エルフのメッキが剥がれてボロボロに泣きべそかいてるはずだから。せいぜい、私の華麗な食べっぷりの背景として、無様に散りなさいよ」
バチバチッ! と、見えない火花が散るような、強烈な宣戦布告。
これこそが、姫野くるみの本性だった。
カメラの前では愛想の良いアイドルを演じているが、彼女は誰よりも負けず嫌いで、大食いという競技に並々ならぬプライドと執念を持っているのだ。ぽっと出の素人YouTuberに、自分の縄張りを荒らされることなど、絶対に許せなかった。
(ヤ、ヤバい……! この子、めちゃくちゃ気が強い……!)
結衣は冷や汗をダラダラと流し、ハラハラとシルフィを見た。
これほど強烈な煽りと侮辱を受けて、シルフィが黙っているはずがない。エルフの誇りを傷つけられ、激怒して手を出してしまったら、その時点でテレビ出演はパーになってしまう。
「シルフィ! 落ち着いて! 挑発に乗っちゃダメ……!」
結衣が止めに入ろうとした、その時。
シルフィは、くるみの鋭い視線を正面から受け止め、スゥーッと息を吸い込んだ。
そして、極めて真剣な、一点の曇りもない澄み切った碧眼で、くるみを見つめ返して言った。
「踏み台の件は、了解いたしました」
「……は?」
「私が踏み台になることで、くるみ殿がより高みへ登れるのであれば、いくらでもお踏みください。エルフの肉体は頑丈ですので、少し踏まれたくらいでは折れません。それよりも!」
シルフィは、グイッとくるみに顔を近づけ、興奮した様子で鼻息を荒くした。
「くるみ殿は、テレビ界の女王なのですよね!? ならば、今日の『極秘のメニュー』の中身をご存知なのではないですか!?」
「え……? は……?」
突然の展開に、くるみはぽかんと口を開けた。
「教えてください! 今日のご飯は、お肉ですか!? それともお魚ですか!? 私、朝から食パン三斤しか食べておらず、胃袋が限界なのです! もしお肉ならば、どのような調理法でしょうか!? 焼肉? ステーキ? それとも、丸焼きですか!?」
「ち、ちょっと! あんた、人の話聞いてた!?」
くるみが慌てて後ずさるが、シルフィは容赦無く詰め寄る。
「聞いておりました! 『華麗な食べっぷり』を見せてくださるのですよね!? 素晴らしい! ですが、その前に食材です! 陣内殿が用意した、未知の豪華食材とは何なのですか!? 私は牛を一頭丸ごと出されても完食する覚悟ができております!!」
『――ギュルルルルルルルルルルルルルルルルルルッッッ!!』
シルフィの言葉を後押しするように、本日最大級の腹の虫の音が、スタジオの壁を震わせんばかりの勢いで鳴り響いた。
「ひっ!?」
あまりの轟音と、シルフィの目に宿る『本物の飢餓の光』に、女王であるはずのくるみが、思わずビクッと肩を震わせて怯んだ。
「あんた……なんなのよ、それ……」
くるみは信じられないものを見るような目でシルフィを見た。
これまで、くるみが裏の顔で威圧してきた新人タレントやフードファイターたちは、皆一様に涙目になるか、萎縮して本番で実力を出せなくなっていた。
しかし、目の前のこの美少女エルフには、くるみの『煽り』が一切通じていなかった。
怒るでもなく、反論するでもなく。
ただひたすらに、純度一〇〇パーセントの『食欲』だけをぶつけてきているのだ。
「お、お肉……お肉なのでしょうか? ああ、よだれが……」
「し、知らないわよ! 私だってメニューなんか聞かされてないわよ! ていうか、あんた本物のバカなの!? 私が宣戦布告してんのに、ご飯の話ばっかり……!」
「ご飯の話以外に、闘技場で語るべきことなどあるのでしょうか?」
シルフィが小首を傾げると、くるみの顔がカーッと赤く染まった。
自分の渾身の煽りを完全にスルーされ、ペースを完全に乱されたのだ。
「あーもう! バカバカしい! あんたみたいな天然の食い意地張ったヤツと話してたら、こっちの調子まで狂っちゃうわ!」
くるみは顔を真っ赤にして足を踏み鳴らし、シルフィに向かってビシッと指を突きつけた。
「いい!? 本番が始まったら、あんたに絶望を教えてあげるからね! 私の圧倒的なスピードの前に、そのお気楽なエルフ面、涙でグシャグシャにしてやるんだから! 首洗って、いや、胃袋洗って待ってなさい!!」
捨て台詞を吐き、くるみはドスドスと怒ったような足取りで、自分の控室へと去っていった。
嵐のような『女王』の襲来が去り、前室には再びスタジオの喧騒だけが戻ってきた。
「……はぁぁ〜っ」
結衣は膝から崩れ落ち、壁に寄りかかって深い安堵の息を吐いた。
「な、なんとか最悪の事態(喧嘩)は避けられた……。シルフィ、あんたのその天然の食欲、ある意味最強の防御力ね……」
「結衣殿、あのくるみ殿というお方、非常に元気で良い方ですね! それにしても、女王でもメニューを知らないとは……陣内殿の警備は鉄壁です」
シルフィは全く堪えていない様子で、まだ見ぬご飯への期待に胸を膨らませていた。
『――出演者の皆様! まもなく本番開始となります! スタジオ内へご移動をお願いしまーす!』
ADの大きな声が前室に響き渡る。
「よし、行くわよシルフィ! 相手が女王だろうと何だろうと、私たちの武器は一つだけ。目の前のご飯を、最高に美味しく食べ尽くすこと。それだけよ!」
「はいっ! エルフの胃袋の底力、現代の民衆にしかと見せつけてやります!」
決意を新たに、二人は眩い光が差し込むスタジオの入り口へと足を踏み入れた。
待ち受けるのは、プロのテレビカメラと、大勢の観客。
そして、先ほどバチバチの宣伝布告を放ってきたアイドル大食いクイーン・姫野くるみとの、過酷な激闘。
陣内プロデューサーが用意した極秘の絶品メニューとは果たして何なのか?
エルフの少女のテレビ界への挑戦が、今、高らかなファンファーレと共に幕を開けた。




