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微笑む皇女と嘘つき公爵子息の働かないための国家改革  作者: 伊丹 宝


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行列のできる改革室


改革室が設立されてから、およそ二週間。帝国中で始まった文書改革は予想以上の成果を上げ、役所には少しずつ笑顔が戻り始めていた。その代わり改革室には、別のものが山のように積み上がっていた。


「失礼いたします!」


朝一番、若い文官が大きな木箱を抱えて入室する。


「本日分の陳情書をお持ちしました」…どん


机の横に箱が置かれる。続いて二人目。


「こちらは北部地方からです」…どん


三人目。


「西部領より追加分です」…どん


四人目。


「皇都商業組合からの要望です」…どん


五人目。


「……まだございます」…どん


…どん、どん


木箱は一つ、また一つと積み重ねられ、気づけば部屋の壁際をぐるりと囲んでいた。エルシアは紅茶を口へ運ぼうとしたまま固まる。


「……増えてる」


レオンも静かに数え始める。


「昨日は八箱だったわよね」

「今日は、十五箱」

「倍近いわね」

「順調に人気だ」

「全然うれしくないわ」


二人は同時にため息をついた。マルティナは慣れた手つきで箱を開けていく。


「こちらは道路整備のお願い」


別の箱を開く。


「こちらは税の簡略化」


さらにもう一つ。


「こちらは学校を建ててほしいとのご相談です」


オズワルドも封筒を仕分けながら淡々と読み上げる。


「港の拡張、橋の修繕、孤児院への支援、農地の水路整備、地方役所の手続き改善」


レオンは思わず天井を見上げた。


「帝国って広いね」

「今さら?」

「広いから要望も多い」

「知ってたけど、知りたくなかったわ」


エルシアは一通目を開封する。丁寧な文字で綴られた手紙を最後まで読み、横へ置く。二通目、三通目、四通目、五通目。部屋には紙をめくる音だけが響いていた。


 

昼になり、封書の山を見つめる。


「……まだ半分」


レオンが肩を落とす。


「半分も読めてないわ」


エルシアは机へ額を預けた。


「読むだけで午前が終わった」

「まだ返事を書いてない」

「読み終わっても終わらない」

「終わらないね」


二人は無言で突っ伏す。マルティナが静かに昼食を運んできた。


「少し休憩なさってください」

「ありがとう…」

「食べないと倒れる」


オズワルドも苦笑する。


「改革室が機能停止してしまいますから」

「もう半分くらい停止してる気がする」


レオンのぼやきに、マルティナは思わず笑みを漏らした。



昼食後、再び手紙との格闘が始まる。


「こちらは内容が重複していますね」


オズワルドが数通を並べる。


「同じ村からです」

「こっちも似ています」


マルティナが別の束を差し出す。


「橋の修繕についてですが、少しずつ表現が違うだけで、お願いは同じようですわ」


エルシアは手紙を見比べる。


「本当だ」


レオンも頷いた。


「読めば読むほど、似た相談が多い」


彼は椅子にもたれ、小さく息を吐く。


「ねえ」

「なんです?」

「読む時間も無駄では?」


その一言に、部屋の空気がぴたりと止まった。エルシアがゆっくり顔を上げる。


「……確かに」

「同じ相談を何十通も読んでる。しかも返事も似た内容になる。だったら…」


レオンは一枚の手紙を持ち上げた。


「直接話を聞いた方が早いんじゃない?」


エルシアの瞳が少しだけ輝く。


「そうよ!一人五分でも手紙を読むより早いかもしれない」


マルティナは穏やかに頷いた。


「表情も分かりますし、細かな事情もお聞きできますね。」


オズワルドも腕を組む。


「書面では伝わらぬこともございます。良い案かと」


エルシアは勢いよく立ち上がった。


「決まり!相談室を作りましょう!」


レオンも立ち上がる。


「読むより聞く、その方が絶対早い。」


二人は満足そうに頷き合った。その時、扉がノックされる。


「失礼するよ」


入室してきたのは皇帝カシウスだった。


「何やら楽しそうだな。」


 エルシアは少し照れながら事情を説明する。


「陛下、陳情書を読むだけで一日が終わってしまいます」

「直接お話を伺った方が、効率が良いかと考えました」


カシウスは部屋いっぱいの木箱を見回した。そして、小さく笑う。


「なるほど」


改革室の四人へ視線を向ける。


「ならば―…」


一拍置いて、穏やかに告げた。


「相談日を設けよう。」


その一言で、新たな改革の幕が静かに上がった。皇帝カシウスの許可は早かった。翌日には改革室の前に一枚の立て札が置かれる。


『改革室 相談窓口』

『毎週、水の日 午前より開設』


たったそれだけの告知だった。エルシアは立て札を眺めながら満足そうに頷く。


「これで手紙を読む時間が減るわね」

「直接聞けば早い」


レオンも珍しく明るい表情を浮かべた。


「今日は少し楽できそう」

「ようやく効率化の成果が出るわ」


マルティナは微笑みながら二人の外套を整える。


「皆様も安心して相談できるでしょう」


オズワルドも静かに続けた。


「きっと良い制度になります」


四人は揃って改革室の扉を開いた。そして…。


「…………」

「…………」


全員が言葉を失った。廊下の先まで、人、人、人。皇宮の正門近くから改革室まで、一列の行列がずっと続いていた。先頭では衛兵が必死に誘導している。


「押さないでください!」

「順番にお願いいたします!」

「相談は必ず受け付けますので!」


それでも列は伸び続ける。改革室の存在が帝国中へ知れ渡った結果だった。最前列に並んでいたのは、一人の商人だった。


「皇女殿下!」


深々と頭を下げる。


「市場への荷馬車が通る道が狭く、渋滞しております。少し広げていただければ商売が助かります。」


エルシアは穏やかに微笑んだ。


「詳しくお聞かせください。」


商人は嬉しそうに話し始める。その後ろには農民は。


「今年は水路の流れが悪くて…」


さらに職人。


「工房の許可申請が複雑すぎます」


若い騎士もいた。


「装備の受け取りに何日も待たされます!」


さらにその後ろには、立派な服を着た中年の男性。付き人を従えた貴族だった。


「領地の橋について相談したい」


身分も職業も関係ない。皆が同じ列に並んでいる。改革室は、誰にでも開かれた場所だった。午前中だけで十数人。昼前には三十人を超えた。エルシアは一人ひとり丁寧に話を聞く。レオンは横で要点をまとめ、改善できそうな点を素早く書き留める。無駄話はない。だから手紙よりずっと早い。それでも。


「次の方、どうぞ」

「失礼します!」

「次の方」

「お願いします!」

「次の方」

「相談があります!」


終わらない。列がまったく短くならない。昼休憩の時間になり、ようやくマルティナが小声で告げた。


「殿下、お昼でございます」

「……もう?」


エルシアは時計を見る。


「半日も話してたの?」

「はい」


レオンも窓の外を見る。列は朝とほとんど変わっていない。


「減ってない」

「むしろ増えてる」


オズワルドが廊下の様子を確認し、静かに戻ってきた。


「ご報告申し上げます」

「どうぞ」

「現在、列は中庭まで伸びております」

「……中庭?」

「はい」

「皇宮の正門付近まで到達しております」


レオンは天井を仰いだ。


「人気だね」

「人気すぎるわ」


午後になっても相談者は途切れない。地方から来た農夫、若い女性職人、退役した老兵、子どもを連れた母親、商会の代表、そして地方領主まで。皆が改革室に期待を寄せていた。


夕方、相談を終えた人々は笑顔で帰っていく。


「話を聞いてもらえた」

「安心した」

「改革室なら何とかしてくれる」


そんな声が廊下に響く。その光景を見てマルティナは優しく微笑んだ。


「皆様、本当に嬉しそうですね」

「ええ」


オズワルドも静かに頷く。


「殿下方のお人柄が伝わっているのでしょう」


しかし当の本人たちは、椅子に力なく座り込み、魂が抜けたような表情だった。


「疲れた……」


エルシアが机へ突っ伏す。


「今日は手紙を読んでないのに」


レオンも隣で同じ姿勢になる。


「読むより疲れた」

「でも」

「うん」


二人は同時に扉の方を見る。相談を終えてもなお、廊下には人影が見える。衛兵が申し訳なさそうに頭を下げながら案内していた。


「本日の受付は終了です!」

「続きは次回の相談日にお願いいたします!」


それでも列はなかなか解散しない。エルシアはその様子を見つめ、ぽつりと呟いた。


「……並びすぎじゃない?」


その一言に、レオンは何も言い返せず、ただ静かに頷くしかなかった。改革室の新たな課題は、「相談を受けること」ではなく、「待たせないこと」へと変わり始めていた。


改革室に相談窓口が設けられて三日目。朝日が昇るよりも早く、皇宮の回廊には人々の姿があった。


「今日は一番だった!」

「いや、私は夜明け前から並んでいたぞ」

「相談を受けてもらえるなら、このくらい平気です」


商人、農民、職人、騎士、貴族。身分も職業も違う人々が、一つの列を作って順番を待っている。改革室の前では衛兵が声を張り上げていた。


「押さないでください!」

「順番にご案内いたします!」


その様子を部屋の中から見たエルシアは、小さく肩を落とす。


「今日もすごいわね……」

「昨日より増えてる」


レオンは窓の外を見ながら静かに呟いた。


「人気って怖い」

「本当に」


マルティナが紅茶を差し出す。


「本日も頑張りましょう」

「頑張りたくないけど頑張る」

「早く帰るために」


二人はいつものように頷き合った。やがて相談が始まる。


「次の方、どうぞ」


一人目は商人だった。


「荷車が通れない道がありまして…」


レオンが要点をまとめる。エルシアが確認する。


「現地調査をお願いしましょう」

「ありがとうございます!」


商人は深々と頭を下げて帰っていった。


「次の方」


二人目、三人目、四人目。一件につき、およそ五分。相談を聞き、必要なことだけを確認し、担当部署へ回す。無駄のない対応だった。


「順調ね」

「うん」


レオンも時計を見る。


「この調子なら…」


しかし、昼前。オズワルドが静かに報告した。


「現在、対応件数は三十六件です」

「意外と進んだわね」

「ですが…まだ120名ほど、お待ちです。」


部屋が静まり返る。


「……120?」

「はい」


レオンは静かに計算を始める。


「一件五分、120人。全部で……」


エルシアも指を折る。


「十時間?休憩なしで…無理ね」

「無理だ」


二人は同時に天井を見上げた。その時だった。


「お母さん、まだー?」


廊下から幼い声が聞こえてきた。小さな男の子が床へ座り込み、足をぶらぶらさせている。


「もう少しだからね」


母親が優しく頭を撫でる。


「でも、たいくつ」


男の子はごろんと寝転がった。その隣では、女の子が紙へ落書きを始めている。


「お花!」

「上手ね」


待ち時間が長く、子どもたちはすっかり飽きてしまっていた。さらに列の後方では…。


「ふう…」


一人の老人が壁にもたれかかる。


「少し休みますかな」


近くにいた若い騎士が慌てて支える。


「大丈夫ですか?」

「年を取ると、長く立つのは少し堪えましてな」


その様子を見たエルシアの表情が曇る。


「……」


相談は順調だった。対応にも問題はない。けれど、待っている人たちは疲れてしまっている。


昼休憩、四人は静かに昼食を囲んでいた。いつものような穏やかな空気ではない。皆、それぞれ考え込んでいる。最初に口を開いたのはマルティナだった。


「相談そのものは、とても良い制度でございます」

「ええ」


エルシアも頷く。


「皆さん安心した顔で帰られるもの」


オズワルドも続ける。


「問題は、その前でございますね」

「並ぶ時間」

「そう」


レオンは窓の外を見る。列は昼になっても短くなっていなかった。


「一人五分、決して遅くない。でも…」


彼は静かに立ち上がる。廊下へ出ると、待っている人々をゆっくり見渡した。笑顔で話す親子、疲れた様子のお年寄り、本を読んで時間を潰す商人、順番を気にして何度も列を振り返る職人。誰も文句は言わない。それでも、皆の時間は確実に過ぎていく。レオンは小さく息を吐いた。そして、ぽつりと呟く。


「……待ち時間の方が問題だ」


その言葉に、エルシアははっと顔を上げる。仕事は効率化できた。書類も減らせた。けれど、人々の「待つ時間」は、まだ何も変えられていない。改革室の次なる課題が、静かに姿を現したのだった。


昼休憩が終わっても、改革室の前にできた長い列は消えなかった。子どもたちは床に座って遊び始め、お年寄りは壁際の椅子で静かに休んでいる。商人たちは時計代わりの日差しを見上げながら、自分の順番を待っていた。レオンはその光景を窓越しに見つめていた。エルシアが隣へ立つ。


「……やっぱり、問題は待ち時間よね」

「うん」

「相談は五分」

「でも、その五分のために何時間も待ってる」


二人はしばらく黙って人々を見つめた。やがてエルシアが首をかしげる。


「順番を決めることはできているのに…みんな、ずっと並んでいる必要があるのかしら。」


その言葉に、レオンの目が少しだけ見開かれた。


「……それだ」

「え?」

「並ばなくても順番は守れる」


レオンは机へ向かうと、一枚の紙を取り出した。さらさらと羽ペンを走らせる。マルティナとオズワルドも興味深そうに覗き込んだ。書き上がった紙には、大きくこう書かれていた。


『相談整理券』


その下には番号と受付時刻。さらに…午前九時から十時、十時から十一時、十一時から正午と、時間帯ごとに区切られた案内が並んでいた。エルシアは目を丸くする。


「時間を書いてあるの?」

「うん」


レオンは頷く。


「朝来た人に番号札を渡す。その時間になったら来てもらう」

「それまでは?」

「自由」


エルシアの表情がぱっと明るくなった。


「並ばなくていい!待つ場所も自由。買い物や食事もできるわね」


マルティナは感心したように微笑む。


「皆様のお時間を大切にできますね」


オズワルドも頷いた。


「待つためだけに立ち続ける必要がなくなります」

「決まりね!」


エルシアは嬉しそうに笑った。


「早速やりましょう!」




翌朝。改革室の前には、新しく小さな受付机が置かれていた。若い文官が笑顔で声をかける。


「こちらで整理券をお受け取りください」

「番号とお時間をご確認ください」


集まった人々は不思議そうな顔をする。


「整理券?」

「何だろう」


最初に受け取った商人が紙を見る。


「私は十時からか」


隣の農民も頷いた。


「私は十一時、それまで畑の用事を済ませて来られるな」


子どもを連れた母親も安心したように微笑む。


「並ばなくていいんですね」

「はい」


受付の文官が答える。


「お時間になりましたら、お戻りください」

「ありがとうございます!」


人々の表情が一気に明るくなった。




午前十時、改革室。


「十時の方、どうぞ。」


整理券を持った相談者が落ち着いて入室する。相談が終わると、次の人。慌てる人もいない。場所取りをする人もいない。廊下を見ても、昨日まで続いていた長い列は姿を消していた。代わりに、時間になった人だけが静かに訪れている。エルシアは思わず窓を開けた。


「本当にいない」


レオンも外を見る。


「行列が消えた」


昨日まで人で埋め尽くされていた回廊は、いつもの穏やかな景色へ戻っている。相談を終えた老人が笑顔で言った。


「椅子で休んでから来られました。助かりましたよ」


若い母親も頭を下げる。


「子どもを遊ばせてから来られました。待たせなくて済みました」


商人は満面の笑みだった。


「店を閉めずに相談できました!」


職人も嬉しそうに続ける。


「仕事を止めなくて済みます!」


感謝の言葉が次々と改革室へ届く。マルティナはその様子を見て目を細めた。


「皆様、本当に嬉しそうでございます」


オズワルドも穏やかに頷く。


「待つ時間も、大切な人生の一部でございますから」


エルシアは少し照れくさそうに笑った。


「私たちは、早く帰りたかっただけなのに」


レオンも肩をすくめる。


「そのために待つ時間をなくした。結果…」


二人は窓の外を見つめる。そこには、並ばずに笑顔で行き交う人々の姿があった。


「みんなが喜んでる」


エルシアは静かに頷く。


「……悪くないわね」


その小さな呟きは、誰にも聞こえなかった。だが、改革室の新しい制度は、人々の時間を取り戻す改革として、また一つ帝国中へ広がり始めていた。


改革室で始まった「相談整理券制度」は、わずか数日で皇都中の話題となった。市場では、朝から商人たちが口々に語り合う。


「もう朝早くから並ばなくていいんだ。時間まで店を開けられる。売り上げも落ちなくなったよ」


八百屋の主人が笑えば、隣のパン屋も大きく頷く。


「改革室は本当に助かる。話だけじゃなく、ちゃんと変えてくれるからな」


一方、農村からやって来た農民たちも驚いていた。


「相談が昼からなら、朝は畑仕事ができる」

「夕方には家へ帰れる」

「一日が無駄にならなくなった」


誰もが口をそろえて言う。


「待たなくていい」


その言葉は、帝国中へ少しずつ広がっていった。




数日後。皇宮では各役所の局長たちが集まり、小さな会議が開かれていた。議題は一つ。


「整理券制度について」


商務局長が立ち上がる。


「改革室では待ち時間が大幅に減少しております」


続いて農政局長。


「苦情もほとんどございません」


財務局長も書類を掲げる。


「むしろ感謝の声が増えております」


会議室がざわめいた。


「では……我々も導入するか?」

「やってみる価値はある」


反対する者は、ほとんどいなかった。改革室が成功例を示したからだ。


数日後。皇都の各役所の入口にも、小さな受付が設置され始めた。


商務局『整理券をお受け取りください』

農政局『受付時間はこちらです』

財務局。『お呼びする時間までご自由にお過ごしください』


最初は戸惑っていた人々も、すぐに仕組みを理解した。


「じゃあ買い物してから戻って来よう」

「昼食を食べてくるか」

「子どもを連れて散歩でもしよう」


長い列は消えた。代わりに、時間になると人々が穏やかに集まる。役所の入口は驚くほど静かになった。



商務局では若い役人たちが顔を見合わせていた。


「今日は平和ですね」

「入口で押し合いもない」

「怒鳴り声も聞こえない」


受付担当の女性職員が微笑む。


「皆さん、笑顔で来られます」


別の役人も頷いた。


「こちらも落ち着いて仕事ができます」


以前は朝から行列の整理だけで疲れ切っていた衛兵も、今日は穏やかな表情だ。


「押さないでください!」


と叫ぶ必要もない。


 「こちらへどうぞ」


と静かに案内するだけで済んでいる。ある老役人は、窓の外を眺めながらしみじみと言った。


「何十年も役所勤めをしてきたが……こんな静かな朝は初めてだ」


その言葉に、周囲の職員たちも深く頷いた。



一方、改革室。エルシアとレオンは、届いた報告書を読んでいた。


「商務局、導入成功」

「農政局も問題なし」

「財務局も待ち時間半減」


レオンは最後の一枚を机へ置く。


「全部うまくいってる」


エルシアも嬉しそうに笑う。


「今回は苦情が少ないわ」

「感謝ばかりだ」


その時、若い文官が勢いよく飛び込んできた。


「ご報告です!」

「どうしました?」

「皇都中で整理券制度が大好評です!」


 息を切らしながら続ける。


「役所を利用した方々が、『革命だ!』と話しております!」


エルシアとレオンは目を丸くした。


「革命?」

「そんな大げさな」


しかし文官は興奮したままだ。


「『待たなくていい!』『時間を自由に使える!』『今までどうしてなかったんだ!』そんな声が、あちこちで聞かれるそうです!」


マルティナは優しく微笑んだ。


「皆様の暮らしが、少し豊かになったのでございますね」


オズワルドも穏やかに頷く。


「待つ時間は誰にも等しく与えられた人生の時間。それをお返しできたのであれば、立派な改革でしょう。」


エルシアは少し照れたように頬をかく。


「私たちは、楽をしたかっただけなのに」


レオンも苦笑する。


「結果として、みんなも楽になった」


二人は顔を見合わせ、小さく笑った。改革室の「働かないための工夫」は、今日もまた、帝国中の誰かの笑顔へとつながっていくのだった。



整理券制度の導入から半月。改革室の名は、もはや皇都だけのものではなくなっていた。街道を行く旅人が酒場で語り、商人が市場で噂し、巡回する騎士が地方へ伝える。噂は人から人へと広がり、やがて帝国全土を巡っていく。人々は口をそろえて言った。


「あそこへ行けば何とかなる」


その一言は、いつしか改革室の代名詞になっていた。




ある日の朝。皇宮の正門には、見慣れない馬車が何台も停まっていた。


「北方領から参りました」

「南部地方の商人でございます」

「西方の職人組合です」

「東部の村長がお目通りを願っております」


衛兵が驚いたように目を瞬かせる。


「今日は地方からのお客様が多いですね」


受付の文官が苦笑した。


「昨日も、その前の日もですよ」

「皆さん、改革室をご希望です」


改革室の前では、マルティナが予定表を確認していた。


「本日は地方領主がお二方、商会の代表が三名、職人組合が二件、村長の皆様が四件」


オズワルドも手帳を閉じる。


「午後には騎士団からのご相談もございます」


レオンは予定表を見たまま固まった。


「……全部、今日?」

「はい」

「明日は?」

「本日より少し多いですね」

「……」


言葉を失う。そこへエルシアが入ってきた。


「おはよう…」


眠そうな声で挨拶し、予定表を見る。


「……」


静かにもう一度見る。


「……増えてる」

「増えてるね」


二人は顔を見合わせ、同じタイミングでため息をついた。




相談は今日も途切れない。地方から来た村長は地図を広げながら説明する。


「橋が古くなりまして」


職人は新しい道具を見せながら言う。


「許可の手続きを簡単にできませんか」


若い騎士は頭を下げる。


「装備の管理方法について、ご相談したく」


相談内容はさまざまだ。けれど、誰もが同じ言葉を口にする。


「改革室なら、きっと何とかしてくださる」


その期待の大きさに、エルシアは少しだけ困ったように笑う。


「そんなに何でもはできないのだけれど」


レオンも苦笑した。


「期待値が上がりすぎてる」


マルティナは穏やかに微笑む。


「それだけ信頼されているということでございます」

「嬉しいような」

「怖いような」

「後者が九割」

「私も」


二人は息ぴったりだった。




その日の夕方、皇帝カシウスは改革室を訪れた。


「忙しそうだな」

「陛下」


二人は立ち上がり一礼する。カシウスは窓の外を見る。相談を終えた人々が、笑顔で帰っていく姿が見えた。


「良い顔をしている」


穏やかな声だった。


「改革とは、大きな建物を建てることだけではない。人々の暮らしを少しでも良くすること。お前たちは、それを実現している。」


エルシアは照れくさそうに視線を逸らす。


「私たちは、本当にそんな立派なことをしたつもりは……」

「分かっている。」


カシウスは優しく笑った。


「だが、結果がすべてだ。帝国は確実に変わり始めている」


その言葉に、レオンは静かに頭を下げた。


「ありがとうございます」


皇帝は満足そうに頷くと、そのまま部屋を後にした。




静かになった改革室。エルシアは椅子へ腰掛け、大きく伸びをする。


「終わった…」

「今日は終わったね。」


レオンも机を片づけ始める。その時だった。コンコン、と扉が叩かれる。


「失礼いたします」


若い文官が新しい予定表を抱えて入ってくる。


「来週のご予約一覧でございます。」


どさり、と机へ置かれた紙束は、今週よりもさらに厚かった。エルシアは無言で予定表を開く。一枚、二枚、三枚…まだ続く。レオンも隣から覗き込み、小さく笑った。エルシアがぽつりと呟く。


「……仕事、増えてない?」


レオンは肩をすくめる。


「順調に増えてる」


マルティナは嬉しそうに目を細めた。


「大人気でございます」


オズワルドも穏やかな笑みを浮かべる。


「喜ばしいことです」


二人は勢いよく顔を上げた。


「「全然喜べない!」」


改革室いっぱいに響いたその叫びに、廊下を歩いていた文官たちは顔を見合わせる。


「今日も熱心に議論なさっている」

「帝国の未来を思っておられるのだな」


またしても勘違いは深まるばかり。こうして「働かないための国家改革」は、本人たちの願いとは正反対に、帝国中からますます期待される大事業へと成長していくのだった。


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