第4章 狂い咲く者
私は老人のヘッドホンを無理やりはずし、目の前に迫りくる恐怖の内容を説明した。
「聞か猿くんはご立腹だよ。爺さんを殺すってさ」
「な、なにを言って……? お前、奴と何を話したんじゃ?」
「何もしてないし何も言ってない。ほら、彼の飼い犬が死んじゃっただろう? あれを生き返らせないと、われわれ全員を皆殺しにする勢いだよ彼は。困ったねえ、ははは」
説明を聞いた老人は、やれやれといった風に首を振り、つまらなそうに吐き捨てた。
「庭とここは隔離されておる。奴が何をしようとワシらに手を出すのは無理じゃ。ここに来るまでに麻酔で狙撃されて眠ることになるじゃろう。番犬に食われるかもしれんな」
私は、聞か猿と呼ばれる彼がその程度で制圧されるだろうかと疑問に思った。
しかしこの老人が無理と言うのなら、おおよそ無理なのだろう。
「もったいないね。面白い男なのに。あんなに桜と相性のいい人間はいないよ」
「……やはり、そこまで知っておったか」
老人は、私の今までの調査、そこから来る推測がおおむね的中していることを暗に認めた。
およそ400年以上昔。
この国は世界で最も戦争をし、お互いがお互いを殺し合う環境にあった。
住民に対する戦闘者の割合が世界に類を見ないほど高かったのだ。
室町時代、戦国時代、安土桃山時代、そして江戸時代初期。
外敵を打ち払い、政敵を追い落とし、内部の反乱分子を粛清する能力が、世界史上類を見ないほどに発達した。
人々は、殺し合いとともに生きていたのだ。
しかし江戸幕府が成立し、表面上は下剋上や大名間の争いが否定された。
平和な時代になって、命のやり取りに従事する者の割合、絶対数が減った。
自らが主体的な殺人者となり、敵を殺すための天才性を発揮する機会が、社会構造の変化とともに激減したのだ。
機会が減ったということは、技術を実戦で磨くことが減り、才能のあるものがそれを開花する数、割合も減ったということである。
泰平の時代を経て人間の中にある殺人の素質、殺人の才能は社会から大きく失われた。
それに転機が訪れたのは江戸時代の中期から末期だった。
それまで世の中に存在しなかった「ソメイヨシノ」と言う桜の品種が、園芸交配の過程で誕生したのだ。
江戸の植木職人たちがせっせと育て、やがて日本各地に広まったその桜の花弁には、ある特性があった。
ソメイヨシノの花弁が持つ色や香り、その他さまざまな情報。
それらは特定の人間との出会い、結びつくことによって、ある主の衝動を呼び起こし、才能の開花を促すのである。
殺人衝動の強化。
殺人の才能開花。
ソメイヨシノと言う品種の桜は、日本全国どこにある樹であっても、同じ樹からのクローンである。
全国のソメイヨシノは同じ特性を持つ。
同じ力、人を殺人に導く力、人の殺人能力を高める力があるのだ。
もちろん、世間の大多数の人間にそんな影響を持つわけではない。
しかし万人に一人か、あるいはもっと小数かはわからないが、自然とそれが発現してしまう人間が、この世にはいるのだ。
幸か不幸か、そのように桜にとりつかれたものは、裏の世界で生きるか、そんな自分の本性をひた隠しにして普段の生活を送るしかない。
キリングプロフェッサーを、殺しの達人を、ソメイヨシノの力で「作る」ことができる。
私の祖父である老人は数年前にそのことに気付き、毎年桜の時期になると「フリークス・ブロッサム」を開催するようになった。
それは戦国時代なら当たり前に存在した、それこそ宮本武蔵や風魔小太郎のような殺しの達人を、ソメイヨシノの力と合わせて現代に再現するための一大事業なのだ。
桜の下で死にたいと詠んだのは、確か西行法師だったろうか。
彼の愛した吉野の桜にちなんで、近代に新しく生まれた桜はソメイヨシノと名付けられた。
こんな風に死を呼ぶ花になっているとは、千年前の歌仙も苦笑いをしていることだろう。
老人は「フリーク・ブロッサム」という試みの過程で誕生した一つの宝石、ヒップホッパー風の服を着た若者をガラス越しに見て溜息をつきながら言った。
「ろくに教養もなければ、運動や戦技、格闘術を訓練した経験もないやせっぽちの若造が、あそこまでのことをしてのけるのじゃ。人が訓練や経験でたどり着く領域には限界がある。しかし、桜と人の秘密を解き明かし、内に眠る才能を目覚めさせてやれば、いくらでも『あいつら』を作り出すことが可能なんじゃ」
日本の社会、政財界の裏側に影響力を持つこの老人にとって、殺人の天才を無尽蔵に供給するノウハウを確立することは、大きな武器になるのだろう。
好きなようにしたらいいと思う。私に危害がないならどうでもいい。
「ノウハウさえ確立できれば、彼がここで死んでも生きても別に構わないってことか」
「そんなことはない。美しい花が散るのは心が痛いもんじゃ。しかし、花は散るからこそ美しいのじゃ。ふっはっは」
いやらしい笑いを残し、奥の自室へ老人は去って行った。
私は裏庭との音声通信を繋ぎ、聞か猿くんと再び接触を持った。
彼は膝の上に動かなくなった犬を抱き、優しくその頭を撫でていた。
悲しんでいる表情はなく、優しげな微笑を保って。
犬がすぐに目を覚まして、またいつもと変わらぬ愛犬のいる暮らしが再び戻ると信じて疑わない顔だった。
「ちょっと待っててくれ。今そっちに行くから」
『よろしく頼むよホント。ポチが生き返らないんなら腹いせにお兄さんを殺しちゃうぜ?』
「怖いなあ、かんべんしてくれよ」
私は部屋の中に飾ってあった、銘も知らぬ太刀を一振り抱えて、使用人たちの制止を振り切り裏庭へと至る扉を開けた。
今までにフリークス・ブロッサムの取材、覗き見行為の中で集めた花びらを手に持ち、香りをかぐ。
不思議と心が落ち着く気がした。
「やあやあ、こうして面と向かって話すのははじめてだね。改めてこんにちは」
気楽に自己紹介をする。
桜の下を一瞥すると、マリアと呼ばれた女子高生の死体がまだ放置されている。
「こんちは。つっても夜だけどな」
犬を地面に寝かせ、舞い落ちる桜の花弁を浴びながら立つその若者は、見た目は何の変哲もない普通の若者だ。
「残念だが、その犬は生き返らない。そして私も、やすやすときみに殺されたくはない。しかし、きみがここで抵抗して番犬に殺されたり、屋敷の警備システムにやられてしまうのも、なんだか勿体ないと思うんだ」
「なにワケのわかんねーこと言ってるんだよ。殺すぞ?」
聞か猿が私を睨む。
「ゴメンよ。だが私も努力したんだ。必死にポチくんを生き返らせる方法を探して、あのジジイにも掛け合ったんだ。それでも、どうしても駄目だった。本当にゴメン」
どこぞの女子高生のように、懇願する形で謝り倒す。
「……ん、まあ、そういうことなら」
不思議と彼は許してくれた。
何をどう言っても愛犬が戻らなければ、すべてを殺し尽くすという殺気を抱いていた彼が、私を許した。
大丈夫だ。
とりあえず、なんとかなるだろう。
彼が落ち着いたのを見計らって私は鞘から刀を抜き、言った。
「でも悪いけれど、少し大人しくなってもらうよ。きみは怖いからね」
あらわになった刀身を、建物の壁にこすり付ける。
シャリィィィィ、と乾いた音が鳴り、そのメロディーが聞か猿の体から自由を奪った。
「!? こ、この前の女と同じ力!? あんたも同じ能力を身につけた『フリークス』の一人だったのかよ!!」
四肢に力を失いながらなんとか声だけを上げる彼に、私は答えた。
「同じ、ではないなあ。私はこんな技を修練したことはないよ。ただ……」
「な、なら、なんでっ……」
「一度見れば、なんとなくわかるんだ」
そう、私も桜に魅せられ、とりつかれたものの一人だった。
小さい頃から桜が好きだった。
世の中に桜の花がなかったら、春の景色が退屈すぎて寂しくて死んでしまう。
そう思うくらいに、桜が好きだった。
そして私は、小さなころから自分の異常性に気付いていた。
他人がやっていること、他人が身につけた技術を、一度見ればなんとなく再現できてしまうのだ。
もちろん、体力的に無理なことはできない。
今すぐ200キロのバーベルをリフトアップしろと言われても無理だ。
100メートルを9秒台で走る映像を見たところで、私自身はそこまで速く走れない。
しかし私自身が「完全観察」と呼んでいるこの能力のおかげで、見て手順を理解できる動作の多くは、模倣して再現することが「何故か」できるのだ。
ハイパーヨーヨーのトリックテクニックも、一度見たら覚えて身につけてしまった。
あっという間に面白くなくなって飽きたものだ。
先ほど「マリアの謝罪」と「白杖女の金縛りメロディ」を模倣させてもらった。
問題なく行使できたし、聞か猿にも効果があったようだ。
四肢の自由をある程度奪っていると言っても、聞か猿に接近するのは危険である。
案の定、必死の抵抗で体勢を立て直しながら、地面の石を拾おうとしている様子がうかがえた。
本家の「金縛りメロディ」を浴びているさなかでも、彼は自分の耳元で銃声を発するという抵抗ができたのだ。
私の猿真似ではどこまで効果があるのか、心もとない。
だから私は刀を持つ反対の手で石を拾って投げ、彼の顎に命中させて脳震盪をプレゼントした。
彼が逃げながら体勢を変える、その到達点を予測して石つぶてを命中させたのだ。
これは彼の得意技を模倣したわけである。
「あ、ぐぅ……」
「耳をふさぐ手段も今回は遠慮してもらおう。きみに自由に動かれると怖いからね」
私は刀を一閃して、彼の右腕、肘から下を切り落とした。
「あがぁっ!!」
血が飛び、腕が落ちた。
「刀で人を斬るのははじめてだけど、やっぱりこんな感じか」
よく斬れる刀でよかった。
あの老人が別荘とは言え手元に置いているのだから、それなりの業物で手入れも行き届いているんだろう。
念を押して、両足の腱を刀の先で切っておく。
「んぎぃっ!!」
これでそうそう、おかしなことはできないだろう。
「な、なんで……」
「うん?」
聞こえるか聞こえないかの音量で、彼が呻く。
「なんで、一思いに殺さねえ……」
「なんでだろうなあ……」
はぐらかしているわけでもなく、私は素直にそう言った。
桜に魅せられた異常者と言う点では、私は彼らと同じだ。
しかし決定的に違う点があるとすれば、私は人を殺したいと思ったことがないということだった。
そもそも私の能力は、人のやっていることを猿真似する能力である。
皮肉なことだ。
猿の通り名は私にこそふさわしいのに。
それに対して彼らはオリジナルである。
自発的、主体的に技を修めて極めて、自らの本能と意志で人を殺す。
彼らは眼前の相手を痛めつけたり屈服したいわけではないのである。
殺したいから殺す。
あるいは、なんとなく殺してしまったという結果だけが存在するのだ。
私自身には、自分のうちから湧き上がるものは何もない。
「きみを殺してみれば、わかるだろうか」
「……そんな下らねえことを考えてる時点で、アンタにゃ一生かけてもわからねえよ」
偉大なる先輩から、手厳しいダメ出しを貰った。
マリアと聞か猿という上等な異常者の血。
それを根から幹からたっぷり吸った庭の桜は、きっと来年も見事な花をつけてくれるだろう。




