終章
結局私は、聞か猿にトドメを刺すことなく、別荘を後にした。
聞くところによると、私の家が手を回して聞か猿は高度な医療を受けたのち、腕もくっつき両足の腱も見事に治療されたそうだ。
正直なところ、私は自分の手で聞か猿と呼ばれた天才を殺してみたかった。
日本刀を手に裏庭に出た時点では、確かにその意志が私にはあったのだ。
しかし勝利が確定したあの段になって、私は飽きた。
殺人と言うものをそもそも欲していない私は、殺す前から殺すことに飽きてしまった。
あそこでトドメを刺せば相手は死ぬ。
それはわかりきったことであり、わかりきったことをわざわざ実行する意味はない。
「フリークス・ブロッサムの真相もだいたいわかってこの目で確認したし、次はどんな面白いことを探して来年の桜の時期まで生きようかな……」
ソメイヨシノの時期が日本中で終わり、私はまた退屈な日々を次の春まで過ごさなければならない。
去年から今までは、フリークス・ブロッサムの真相究明という生き甲斐があった。
しかしそれを果たしてしまった今は、新しい目標を見つけなければ。
私には自分の住んでいる家と言うものはない。
各地をふらふらして、その都度面白いことを探し、調べ、首を突っ込みながら生きている。
次はどこに行き、何をしよう。
私自身、まだ何も決めてはいなかった。
別荘での花見から半年ほど経ったある日のことである。
たまたま訪れた街、たまたま入ったレストランで私が昼食を終えた後。
「失礼ですが、お客様にお知り合いの方からお手紙を預かっております」
客席から街を歩く人々を眺めている私に、店員がそのように告げて一通の手紙を渡した。
「私に? 人違いではないのかな」
「いえ、本日この時間、この席に座り『ひつまぶしご膳』を注文する、明るい色のジャケットを着たお客様が食事を終えたら、この手紙を渡すように言付かっておりました」
私は身震いした。
おそらくは恐怖よりも歓喜で。
血を分けた肉親でも私の居場所を明確には把握していないはずなのに。
こんな真似ができるのは、私が知る限り世の中にただ一人。
手紙を開くと、予想通り、期待通りのことが書かれていた。
いつかおまえをころしてやる
おまえがどこにいてなにをしてもかならずころしてやるぞ
きかざる こと ○○××
「自分の名前しか、漢字で書けないんだなあ、彼は」
真っ直ぐに自分をぶつけてきたその手紙。
私は愛しい人からのプレゼントのように、大事に胸ポケットにしまった。
私に人を殺したいという衝動はない。
そして殺されるのはまっぴらごめんである。
天才殺人鬼に追われる日々など恐怖以外の何物でもない。
しかしそれは、退屈とは無縁のなんと充実した日々であることか。
「来年の桜が咲くまで、楽しませてくれるといいな」
きっと彼は期待に応えてくれるだろう。
でなければ、彼を生かしておいた甲斐がない。
そうか。
こういう楽しみがあるから、私は人を殺したいと思わないのだ。
殺してしまえば、可能性はそこで閉ざされてしまうのだから。
そう納得して、なんだかおかしかった。
完
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