第3章 傍観する者たち
5月初旬。
今年の「フリークス・ブロッサム」もそろそろ終局を迎える。
私は最終局面の舞台となる場所の情報を掴み、そこに向かうため船上の人になっていた。
例によって場所を記すことはできないが、日本でも桜の開花が遅い地域、そのとある街はずれが次の舞台である。
この場所で次の宴を見聞きし、記録すること。
それは今までとは別の意味で難しいことだった。
次の会場は政財界の大物、日本の黒幕と言われる人物の私有地、別荘だったからである。
まっとうな建築物であるため、付近まで寄ることは誰にでも可能だ。
近隣住民には「御殿」と呼ばれるほどの、贅を尽くした建造物。
まさに現代の城である。
当たり前に道路を通り、正門と建物を目の当たりにすること、それ自体に問題はない。
しかし宴が実際に行われるのは、道路から建物を挟んで反対側、裏庭に植わっている桜の下だろう。
建物と庭はコンクリートと飾り石を組み合わせた塀で囲まれており、それを乗り越えなければ中の様子をうかがい知ることはできない。
敷地内には死角のないほど監視カメラが配備されており、番犬やガードマンも多数常駐している。
「正攻法しかないか……」
私は非合法の侵入を諦めて、正門のインターホンを鳴らした。
応対に出た使用人が、モニター越しの私の顔を見て驚く。
「わ、若様……!? あ、あの、今の時期はこの別荘の利用は、大旦那様の許可が……」
「桜が咲いたんだろう? ここで花見をしながら酒が飲みたいんだよ。自分の家の別荘で花見をして、何が悪いんだ」
「で、ですが……」
「いいから早く開けてくれ。トイレに行きたい。バスも通らないしタクシーを呼んでも時間がかかる。周りにはトイレを借りれそうな店なんてない。今にも漏れそうだ。ここで漏らすぞ」
使用人は諦めて正門を開いた。
リビングと呼ぶより、ロビーか小ホールと呼んだ方がいい一階の部屋では、年老いた男がカウチに座って猫を撫でていた。
大窓越しに裏庭に咲いたソメイヨシノの大木を眺めている。
この地域では気候風土の関係からソメイヨシノは育ちにくい。
しかしこの別荘は徹底的な温度管理、土壌や栄養の管理でソメイヨシノを見事に咲かせることに成功している。
桜一本にどれだけ金や人手がかかっているものか、私には想像ができなかった。
「爺さん、元気そうだね」
「あと10年は死なん」
結構なことだ。
「ここのガラスって防弾?」
「当然じゃ」
私の質問に、つまらなそうに返答する。
近寄るとなるほど、確かに分厚く丈夫そうな窓ガラスだった。
完全防音でもある。なおさら結構だ。
今度は私が質問される側だった。
「どこまで調べた」
「だいたい全部」
私は正直に答えた。
「知ってどうするつもりじゃ」
「別にどうもしない。好きにすればいい。止める理由はないからね。こっちも好きにするさ。」
「ふん、可愛くない孫じゃ。誰に似たのやら」
可愛げがないというのなら、おそらく祖父からの隔世遺伝だろうと私は思った。
父も母も人間としてはチャーミングで朗らかな人たちである。
もちろん、そんな善良な父と母は「フリークス・ブロッサム」などと言う狂気の宴を知ってすらいないだろうし、その首謀者、スポンサーが自分たちの縁者、ここに座る猫を抱いた老人だと思いもよらないだろう。
「お前の調べた答えが正解かどうか、採点してやろうか」
「それもいいけど、主役が到着したみたいだよ」
裏庭の桜の下に、いつぞやの女子高生が現れた。
「あの子は『マリア』と呼ばれておる。本名ではなくもちろん通り名じゃ」
老人が誇らしげに紹介する。
「聖母さまにしては卑屈で情けない感じだなあ」
私は率直な感想を述べた。
彼女の特性は「許されること」である。
正直言って、達人や天才と言った技術のかけらも見いだせない、少し情けない能力だ。
「聖母マリアではなく、マグダラのマリアじゃ。罪深い女、とも伝わるがの。ワシはヤソではないから、細かいことは知らん。ただ、罪を犯したが許される、その特性に伝承を当てはめただけの話よ」
可愛いペット、新しい玩具を得たような無邪気さで、老人は楽しそうに語った。
「あの子はどんな罪を犯したんだい」
「分かっておるだけで、両親と友人、学校の先輩や教師、合せて9人があの娘の周りで死んでおるわ。しかし誰もかれも、あれは事故だ、あの子に悪気はない、正当防衛だ、そのような認識になる。先々月にもう一人殺しておるから、10人か」
「ああ、ハイパーヨーヨーのチャンプね……」
確かにあのとき、彼女は嘘かまことかわからないが、催眠術にかけられていた。
いや、かけられかかっていたとでも言うべきか。
体の自由が奪われ、仮に自殺するような暗示をかけられれば、それは命の危機である。
それを回避するために相手を殺したなら、緊急避難、正当防衛と言えなくもなかった。
ヨーヨーを破壊すれば暗示が解けるのではないか、と考える向きもある。
しかしヨーヨーは単なる飾り、あるいは舞台装置であって、本質的な催眠や暗示がチャンプの声や生身の動作に起因するなら、相手の口をふさぎ動きを封じるしか解決法はない。
あの場でそれを行うためには、彼女が取った手段は善悪を抜きにすれば合理的である。
「さて、本命の登場じゃな」
続いて裏庭に現れたのは、犬を連れたヒップホップ青年の「聞か猿」だった。
私の方を向いて、笑って手を振っている。
「このガラス、向こうからも見えるのかい?」
私は疑問に思ったことを老人に問うた。
「見えんはずじゃ。しかしあいつには見えとるんじゃろう。全くわけのわからん男じゃ」
見えていないはずの私がガラス越しに見えている……?
しかしその不可思議はすぐに解決された。
ガラス越しに「聞か猿」が大きく口を動かしている。
「おにいさんが、このまちに、くるのを、みたよ。まえに、あった、よね」
彼の口はそう動いたように見えた。
以前の「フリークス・ブロッサム」で観客としてあの場にいた私を、彼は覚えていたのだ。
その私が今日、同じ土地に現れた。
それならば次の会場であるこの裏庭も、特等席で見ているに違いないと彼は推測し、ガラスの向こうに私がいることを確信して愛想を振りまいたのだ。
見えないものが見えているわけでも、第六感で感じているわけでもない。
確信に足るまで考えを積み重ねて、事実を見つけているわけだ。
「今のところ、聞か猿は最高傑作じゃ。マリアが壊されてしまうのは忍びないが、万に一つでマリアが勝つかもしれん。今回ばかりは何が起こるか、ワシにもわからん」
純粋で邪悪な笑みをこぼし、老人は喋らなくなった。
彼らの一挙手一投足を見逃すまいと、窓の向こうの戦場に意識を集中させたのだろう。
まず、初手はマリアと呼ばれる女子高生だった。
シリアルキラーの聞か猿を目の前にして、彼女は全身を無防備な状態に晒し、土下座を敢行したのだ。
ここには音が聞こえないが、おそらくはゴメンなさいゴメンなさいと繰り返しているんだろう。
聞か猿と言う青年は、相手の言葉も自分の言葉も信用していないタイプに見える。
そんな彼にマリアの謝罪能力、許される力が通用するのかどうか、私にもわからなかったが……。
なんと、聞か猿も同様に、マリアに向かって土下座をした。
「殺し合いには、ならないのかな」
それはそれで結構なことだし、ここで彼らが生きようが死のうが、私にとっては痛くもかゆくもないことである。
桜のついでに変人たちを見物できたのならそれで悪くはないか、と思った矢先。
地面に這って頭をこすりつけている主人、聞か猿の姿を見て怒りが爆発したのか。
飼い犬と言うよりは使い魔と呼称した方がふさわしい犬のポチが、マリアに向かってダッシュで襲いかかった。
ポチの牙は、ためらうことなくマリアの喉笛を狙った。
しかしマリアは左腕をとっさに出してポチに噛ませ、急所である喉はかろうじて守った。
むしろ自分の左腕をポチに押し付けながら、もう片方の手と顎を使ってポチの体をぎゅぅっと抑えつけ、締め付ける。
まるで抱きしめているようにも見えた。
その間も、泣きながらマリアはなにか繰り返し口にしている。おそらくは謝罪の言葉だ。
ポチの首がおかしな方向に曲がり、あごの力が失われてマリアの左腕から離れた。
ポチは血の泡を吹いて死んだ。
死に顔は不思議と安らかだった。
「……動物にも効果あるのかな、マリアの謝罪アタックは」
「ぐあっはっはっは」
私は呆れ、老人は愉快そうに笑った。
愛犬が死に、聞か猿は怒りに任せてマリアに襲いかか……ったりはしなかった。
あろうことか、私たちが観戦しているこちらに歩いて来て、窓ガラスをどんどんと叩きながら何かを訴えている。
もちろん、分厚い強化防弾使用のガラスはそんなことではびくともしない。
彼が何を言っているか、声も聞こえない。
しかしその口の動きははっきりしており、読み解くのは難解ではなかった。
「おれが、かったら、ぽちを、いきかえらせろ」
その口はそう言っていた。
必死の訴えをしている聞か猿の後ろからマリアが歩み寄り、涙を流しながら掲げ持った庭石を聞か猿の後頭部めがけて振り下ろす。
しかしガラスの反射で後ろからの攻撃が見えていたのか、聞か猿は難なくマリアの凶撃を避けた。
そして体を入れ違いざまに、マリアの両目に指を突っ込んで、潰した。
光を失ったマリアは、相変わらず謝罪の言葉に口を動かしながら、あたりをみっともなく這い回った。
その脳天に、自分が先ほど振り下ろした庭石が落ちてきた。
うつぶせになって動かなくなったマリアの後頭部に、聞か猿はもう一度、庭石を振り下ろした。
勝負あり。
最愛のパートナー、ポチを失いはしたものの、老人の予想通りマリアは破壊されて、聞か猿が生き残った。
「結局こうなるか。そうそう番狂わせは起きないものじゃな」
終わってしまえばあっけなかった。
そう言わんばかりに老人は退屈そうな声色で、戦いの感想を述べた。
「彼と話をしてもいいかな」
「庭に出るのは許さん。音声だけ繋いでやるわい」
私の申し出に老人はそう答えて、自分はヘッドホンをかけた。
どうやら、老人は聞か猿の放つ言葉を、一言たりとて聞きたくないらしい。
「どうもお疲れ様。勝利おめでとう。会うのは二度目かな。話すのははじめてだね」
『あ、やっぱり前回見てたお兄さん? ここに来てたんだね♪ 楽しんでもらえたかな?』
「あいにくだけど、私は別に人が殺したり殺されたりを見物して楽しむ趣味はないんだ。ただ、一つきみに聞きたいことがあってね」
『なになに? なんでも聞いてよ。本当のことを答えるとは限らないけど』
アハハハハ、と聞か猿は底抜けに明るく笑った。
「マリアちゃん、だっけ。きみが今殺した女の子。あの子、憎めないでしょ? 不思議と許そうって思わなかった?」
私の質問をきょとんとした表情で受け止め、その後なにか納得したような顔で聞か猿は答えた。
『うん、俺、ポチを殺されたことでこの子を憎んでないし、恨んでもねーよぉ。許してた、って自分でも思うよ。不思議な子だったね』
「それなのに殺しちゃったんだ」
『ああ、別に相手を殺すのに、許すとか許さないとか、俺には関係ないからね。大好きな人でも殺すし、尊敬してる人でも殺すし、殺せるチャンスがあれば、ためらいなく殺すよ。もちろん腹が立つ奴は最優先で殺すよ!』
いたずらっ子のように純粋な笑顔で、彼はそう言った。
そうか。
彼は許した相手でも殺せる人間なんだな。
私はだいたい彼を理解したので、この話題についてはこれ以上聞かなかった。
あまり深く問いただすと、私が彼の言葉の毒にあてられそうだと思ったからだ。
「ところでポチくん死んじゃったね。これからどうするの?」
話題を変える。
『スポンサーの爺さんに頼んで、生き返らせてもらうさ』
当たり前のように言われた。
「それは、同じくらいに優秀な犬を新しく育ててもらう、ってこと?」
『違うよ。ポチは世界に一匹のかけがえのない俺の家族だ。代わりなんていないし、新しい犬なんていらない。ここで首がひん曲がって死んでるポチを、爺さんに頼んで生き返らせてもらうんだよ。なんでも好きな望みを言え、って言ってたしな。それ以外に今の俺に望みなんてないよ』
「残念だけど、きみたちのスポンサーのジジイにそんな力はないよ」
私が当然のことを言うと、聞か猿は途端に朗らかな顔を歪めた。
『……あ? ンだよそれ、ムカつくな。殺すか? 俺は1年で10人も20人も殺してんだぞ? 金持ちだったら犬一匹生き返らせる方が簡単なんじゃねーの?』
さっきまでの笑顔が嘘のようだ。
まさに狂獣のように声と表情に怒気が孕んだ。
内容も支離滅裂で、聞いているこっちの頭がくらくらする。
「この爺さんだけでなく、世界の誰にも死んだ犬は生き返らせることはできないけど」
『誰かできる奴いんだろ!? 連れて来いよ!!』
「まあいいや。話してもわかってもらえないだろうし。この爺さんを今殺されるのは、ちょっとこっちも困るんだよね。10年後くらいなら別に構わないんだが」
『邪魔すンならテメーも殺すぞ!?』
怖いなあ。シリアルキラーに殺すって脅迫されてしまった。
ただの脅迫じゃなく、予告だろうからな彼の場合。
「じゃあちょっと待ってくれ。悪いようにはしない。少し話し合ってみるよ」
そう言って私は裏庭との音声通信を切断した。




