第1章 許される女
達人たちの花見夜会。
その手の筋では「フリークス・ブロッサム」と呼ばれるイベントの情報を極秘のルートから入手した私は早速現地に飛んだ。
正確な日時は明かせないが、三月中盤、花見をするにはまだ寒過ぎると言っていい夜だった。
その街は比較的日当たりがいいためか、もしくは温泉の湧き出しなどで地熱が高いのか、周辺の他の地域に比べて桜の開花が早いようだ。
私は電車を降りて駅前商店街の居酒屋でランチを食べていた。
この後、レンタカーで目的地の近辺まで向かうことになるが、あまりに目的の場所に接近しすぎると私が彼らに見つかり、どんな目に遭わされるかわからない。
最悪の場合、人知れず人間が一人、永遠に行方不明になることだろう。
だから隠密行動を完璧なものにするため、車を降りてからも2時間ほど徒歩で歩かなければならない。
体力勝負になることは必須だったので、この日の昼食は自分に檄を入れるため、少し奮発した。
関サバと関アジの二種盛り丼、小鉢と汁もの、食後のドリンクがついて税込1500円なり。
非常に美味だった。
また、更に英気を養うために温泉にも入った。
日本有数の温泉保養地であるその街は、100円や200円払えば「余計な設備がない、ただお湯を楽しむだけ」の銭湯を利用できるのだ。
いたるところ銭湯だらけで、石鹸と手ぬぐい、現金さえあれば、身軽に銭湯の梯子ができる。
風呂屋を3軒渡り歩いて、いい感じに体も温まり気分も良くなっていた。
そんな私がレンタカー屋に向かって道を歩いていると、猛烈な勢いの自転車が曲がり角の陰から急に表れた。
あまりにとっさのことだったのでさすがに避けきることができず、私は自転車と衝突した。
「いってぇでかんわ! どこ見てケッタ乗ってるがや!」
私はついつい故郷の言葉を出して怒鳴ってしまった。
相手は、セーラー服を着た女の子だった。
おそらく地元の女子高生だろう。
私は大人げなく大声を出したことに少し自戒の念を持った。
しかし自転車の乱暴な運転は明確な危険行為である。
大人として注意しなくてはならないという責任感のもと、心を鬼にして自転車の主に向き直った。
「ゴメンなさいお兄さん、急いでたんでぇ~」
「いやいや、全然大丈夫。きみこそ怪我とかないかい?」
リスのようにあどけない上目づかいで謝罪され、私は反射的に許しの言葉を放ってしまった。
「アタシは大丈夫です。本当にゴメンなさいねぇ~。温泉に来た観光客の方ですか~? お土産なら『とり天せんべい』がおすすめです~」
「そりゃご丁寧に。帰る前に買うよ。ありがとう」
何故かこっちは被害者のはずなのに、お礼を言ってしまった。
「それじゃ、観光楽しんでくださいね~。高崎山のお猿も可愛いですよ~」
女子高生は地元の観光情報を私に伝え、その場を去って行った。
彼女の目を見た瞬間、こちらが被害者で相手の完全な不注意だというのに、その責任を問いただそうという気持ちが失せた。
あどけない女子高生だったから条件反射で許した、と言う話では決してない。
私は確かに女性が好きな一般成人男性であるが、そこまでたやすい感情で流される人間ではないと自負している。
「不思議なこともあるものだ……」
私はひとり呟き、レンタカー屋に向かった。
車を借り、人気の少ない県境に向かって走ること数十キロ。
とある林道脇に隠すように車を停め、私は徒歩で目的の場所に向かった。
地図上では集落も民家も何もないはずの空白地帯。
インターネットの衛星写真を閲覧しても、緑の山林があるだけでおおよそ人の暮らしと言うものが存在しないような地域に、私が探し求めている場所があった。
「ここか……」
山と木々をかき分けた先にあったのは、半径せいぜい100メートルほどの円形に切り開かれた平原。
その中心に、ソメイヨシノと思われる立派な桜の樹が一本、屹立していた。
真夜中だというのに不思議と周囲は明るい。
いったいどこに道があったのか、黒塗りの車が数台停まっている。
桜の樹を中心点として、平原の円周上、等間隔に車は駐車されていた。
そのライトが会場を照らしている。
草木の間に身を隠しながら、その不思議な花見会場でこれから起こることをつぶさに観察する。
レンズが光を反射する危険があるので、スコープ等は一切使えない。
幸いにも視力は悪い方ではなく夜目も効く私だが、それでも視界は極めて悪いと言わざるを得ない。
黒塗りの車の中から黒服の男に促されて、おそらく本日の主役たちが姿を現す。
私が見ている側に近い車から降りてきたのは、線の細いスーツ姿の男だった。
その姿に見覚えがある。
「ハイパーヨーヨーの世界チャンプ……?」
私がまだ少年だったころ、一部の世代でヨーヨーがブームになっていた。
少年時代に私もかじってはいたが、特に熱中するほどのこともなく飽きた。
しかし当時世界チャンプだったその男の顔は雑誌や子供向けテレビ番組で何度も見た。
間違いなく日本が生んだハイパーヨーヨーの天才王者、その人だった。
遠くて確認しにくいが、手にはヨーヨーのようなものを持っているように見える。
あの男は確かに天才、達人かもしれないが、このような場所で一体何をするというのだろう。
そして桜の樹を挟んで円形広場の反対、私が見ている側から遠い方の車から、もう一人の人物が姿を見せた。
さすがに遠すぎてよく見えなかったその人物が広場中央、桜の下に歩を進める。
なんとか外見を認識できる距離まで近付いてきて、私は驚愕した。
「昼間の女子高生じゃないか」
自転車で私にぶつかってきた地元の女子高生が、このような通常世界と隔離された饗宴の場に姿を現したのである。
まさか女子高生の間でヨーヨーブームが再燃して、彼女が若き日本チャンプだったり、新旧チャンプがこの場で雌雄を決する、というわけでもあるまい。
いったいこの場で、この人物たちはなにを始めるというのか。
そんな私の疑問に答えるかのように、その場を取り仕切っているであろう黒服の男が、ヨーヨーチャンプと女子高生の前で声高らかに説明を始めた。
「あなたたち二人とも、他者の精神に干渉する技術、能力をお持ちと聞き及んでおります。その一端を、我らがあるじにお見せいただきたい。勝者にはわれわれができる範囲ではありますが、なにか好きな望みを一つ、叶えて差し上げましょう」
精神に、干渉……?
どういうことなのか未だにわからぬ私を置き去りにし、主役二人は納得したように桜の下に向かい合って立つ。
我らがあるじ、と呼ばれている人物は、おそらくどれかの車に乗って、状況を見ているのだろう。
「私が身につけた眩惑催眠ヨーヨーの力、心置きなく発揮できる機会を与えてくださり、誠にありがとうございます」
ヨーヨーチャンプが誇らしげに言い放つ。
眩惑催眠ヨーヨー。いったいどんな能力なんだ……?
「ゴメンなさい、アタシ、皆さんが期待しているほどすごいことはできないかもしれないけど、頑張ります~」
女子高生の方は、なんだかゆるかった。
二人のその口上が合図となり、勝負が始まった。
ヨーヨーチャンプがいきなりの大技「ストリングプレイ・スパイダーベイビー」を放つ!
しかし文字で記載し説明するのは非常に面倒なので割愛。
少しかじった程度の私から見ると「大技」と言うだけで、熟練のヨーヨーマスターならできて当たり前の技ではある。
しかしチャンプのスパイダーベイビーはやはり通常とは格が違った。
ヨーヨーの玉(と言うのかどうかはっきり知らない)がゆらゆらと揺れるその様子を見て、対峙している女子高生がいきなり服を脱ぎ始めたのである。
「さあ、あなたのすべてをさらけ出すのです。欲望も、後悔も、罪の意識も、おのれの弱さも、隠している真の姿もすべて……」
チャンプは軽やかな手つきでヨーヨーの技を千変万化させる。
グランドツイスター、アラウンザワールド、テレポーテーション、などなど、往年のヨーヨー少年であった私には見ればわかる有名な技ばかり。
しかし目の前で見ている女子高生にとっては、なにか精神に働きかけるものがあるらしい。
「うう、ゴメンなさい、生きててゴメンなさい、昼間に自転車で知らないお兄さんにぶつかってゴメンなさい……」
泣きながら謝罪の言葉を口にし、制服、靴、靴下などを脱ぎ捨てて、とうとう下着姿になってしまった。
「おいなんで靴下を脱がせるがや!」
危なく叫ぶところだった。
靴下は残しておけと声を大にして言いたいが、理性が勝ったので黙って見守った。
今更説明の必要もないが、どうやらチャンプのヨーヨーは五円玉の振り子催眠術(アレが本当に効果があるのかどうか、私は知らない)のように、他者に催眠効果を与える能力があるらしい。
確かに熟練者が操るヨーヨーの動きは眩惑的であり、見ていれば魂を奪われる感覚がある。
世界の頂を極めたその技術は、他者の精神をも自在に操るレベルにまで到達していたとは!
早く下着も脱がせろ、ということを強く念じているわけでは決してない。
人が身につけた技術の頂きがこれほどのもとかと私は感動すら覚えていた。
女子高生がブラのホックをはずし、とうとう胸の双丘を覆い包む布をはらりと床に落としたそのとき。
女子高生の右手が、ヨーヨーチャンプの喉に触れた。
相手ののどのあたりを、手刀か、もしくは手に持ったなにかで払うような仕草だった。
「あっ……!?」
途端、チャンプは喉から鮮血を吹き出した。
「ゴメンなさい、あなたに恨みはないんですけど、アタシも欲しいものがあるんです。ゴメンなさい」
目を凝らすと、女子高生は手に小さく光る何かを持っていた。
憶測だがカミソリの替刃だろうか。
彼女は服のどこかに刃を隠していて、脱ぐ動作の中で右手にその刃を持ち直したのだろう。
チャンプの喉とともに、ヨーヨーの糸も分断されていた。
空しく地に落ち、ごろりと転がって停止するヨーヨーの玉。
「あ、ああ、あなたにもこうしなければいけない事情があったんですね。いいでしょう、許します……」
チャンプは大量の血を飛び散らせ、幸せそうに死んだ。
自分を殺した相手を、完全に許しきっている声と表情だったように思う。
衝撃的な勝負の幕切れに、周囲の黒服が血相を変えて女子高生に詰め寄る。
「ど、どういうつもりだ! 今回の勝負はなにも命まで取るという話では……!!」
屈強な男たちに囲まれ手足を取り押さえられそうになった女子高生は、先ほどまでと変わらない、上目遣いで言い放つ。
「ゴメンなさい、怖かったんです。こうしないとアタシがタダじゃ済まない気がして。いつも通りどうにか処理してくれませんか? お願いです~」
人間一人を殺しておいて、そんな言い訳でどうにかなるものか、と私は思ったが。
「う、うむ、仕方ない。次は気を付けてくれ。そう何度も何度もこんなことを始末できないからな……」
謝られただけで、黒服たちはすっかり怒気を失わせ、少女の懇願に屈した。
一同がその場から去るのを長い時間かけて待ち、私はとあることを確認するために桜の樹の下に向かった。
どのような手際でどのように処理したのかは不明だが、あたりには血の一滴も残っていないように見える。
一回でも雨が降れば、犯罪の痕跡は見た目にはわからないだろう。
ヨーヨーチャンプの血を吸った桜から、花弁が風に吹かれてはらはらと落ちた。
私はそれら数枚を採取し、その場を去った。




