第89話 女の子同士のおしゃべり
「……ということがあったの。慧翔くんと私は、家の古い決まりで婚約してるの」
それから、彼の家族には付き合っていると嘘をつかなければならなかったことも話した。今はもう、本当に付き合っているけれど。
電話の向こうにいる真昼ちゃんの表情は見えなかったけれど、きっと驚いているはずだ。
「大変だったみたいだね……驚いたよ、真希ちゃん。ずっとそんなことを隠してたんだね……。今度、ご飯おごってよ」
笑いながら言う彼女に、思わず苦笑する。でも、ご飯で埋め合わせをするというのも、案外悪くない考えかもしれない。
「はいはい。明日の入学式の後にね」
「おっ、いいね。それで、告白はどうだったの?……あ、違う。どうやって告白したの? 教えてよ、真希ちゃん──」
「わかった、わかった。話すけど……ちょっと恥ずかしいからね」
それから私は、数分かけて修善寺町に着いてからの出来事を、気持ちを伝えて、それを受け入れてもらうまで、全部話した。
「すごいね。まるで少女漫画のワンシーンみたいだよ」
「私もそう思ったけど……慧翔くんは、そういう少女漫画に出てくるような男の子じゃないからね」
「ははは、そうだね。彼は『イケメン』とか『天使』とか、そういう言葉が似合うタイプじゃないもんね」
二人でそんなことを想像しながら、思わず笑ってしまった。
「私にとっては……慧翔くんは、ちゃんとかっこいいよ。私がそう思ってるなら、それで十分だよ」
「よっぽど和泉くんのことが好きなんだね?」
「──うん。ずっと彼のそばにいてもいいって思えるくらいにはね。そう思わない?」
「そう思うよ。でも、彼もちゃんとあなたを守れるってことを証明しないとね」
その言葉は……確かにその通りだった。
でも、慧翔くんなら、きっとできる気がした。
「そういえば、真昼ちゃん。小説の新しいイラストはどう? 明日から始めないといけないから、進み具合が気になってたんだ」
「えっと……まだ第一話の最終版を見せてもらってないから、それを読んでから描こうと思ってたんだ」
「もう、真昼ちゃん。イラストを見るのを楽しみにしてたのに……早く始めないと、明日は時間がないよ。第一章を送るから、電話をパソコンにつないで、進捗を見せてほしい」
「はいはい、『お姉さん』」
「私のほうが三ヶ月しか年上じゃないけど? そんなに変わらないよ」
彼女はからかうように笑いながら、どうやらこちらから送った電話をパソコンにつないだようだった。
「三ヶ月は大きいよ。それより、和泉くんの誕生日って、もうすぐだよね?」
「あ、うん。ただ……」
「『何をあげればいいかわからない』、でしょ?」
「そう。放課後、一日だけ手伝ってくれない?」
真昼ちゃんは含み笑いを浮かべながら、楽しそうにうなずいた。
「もし『お姉ちゃん』って呼んでくれたら、考えてあげてもいいよ」
その言葉に、思わず笑ってしまった。
よくそんなことを平気で言えるなあ……ははは。
「わかったよ、『お姉ちゃん』。お願い、慧翔くんのプレゼントを選ぶのを手伝ってくれない?」
どうやら彼女も、もう笑いをこらえきれなかったらしい。
「真希ちゃん、ははははっ! まさか本当に言うなんて思わなかったよ。でも……ありがとう。約束は守るよ。ただ、その前に和泉くんが何を好きなのか調べないとね」
「今日、聞いてみるべきかな?」
「ダメダメダメ、真希ちゃん。今日聞いたら怪しまれるよ。ちゃんと考えてから行動しないと」
「そうだね。じゃあ、明日にするよ」
「そう! よし、それじゃあ今送ってくれた第一章を読ませてもらうね」
「はいはい。きっと気に入ると思うよ」
そう言うと、真昼ちゃんは待つことなくPDFファイルを開き、画面に表示された文章を読み始めた。
私はそのままスマホを片手に、彼女が読み終わるのを待つ。
今回の旅行で起きたことを話したことで、胸の奥に残っていたものが少しだけ軽くなった気がした。
母のことも、婚約のことも、慧翔くんとのことも。
今までは一人で抱えているしかなかったことを、真昼ちゃんに話せた。
それだけで、少しだけ前を向けるようになった気がする。
そして今は、過去のことばかり考えるよりも、明日から始まる新しい日々のほうが楽しみだった。
入学式。
新しい学校生活。
そして……慧翔くんの誕生日。
これから先、どんなことが待っているのかはまだわからない。
それでも、今度は自分の意思で、その未来を選んでいきたいと思った。
* * *
彼女は、私が思っていた以上に真剣に読み込んでいた。
その表情を見ているだけで、本当に物語を気に入ってくれているのが伝わってくる。
ページを読み進めるたびに、彼女の反応も少しずつ変わっていった。驚いたように目を見開いたかと思えば、何かを考え込むように眉を寄せたり、思わず小さく笑ったり。
そんな彼女の様子を眺めているのが、なんだか面白かった。
やがて、最後のページまで読み終える。
真昼ちゃんはPDFを閉じると、そのまま数秒間黙って天井を見上げた。
まるで、今読んだばかりの物語を頭の中でもう一度整理しているようだった。
「……第二話はないの?」
「そう聞くと思ってたよ。でも、決めたことだったよね、真昼ちゃん」
そう言うと、彼女はあからさまに残念そうな顔をした。
けれど、これは最初から私たちで決めていたことだ。
結局、真昼ちゃんは諦めるしかなかったらしく、小さく頬を膨らませて不満そうな表情を浮かべた。
その様子を見て、私は改めて思った。
どうやら、私が思っていた以上に気に入ってくれたらしい。
何しろ、読んだばかりなのに、もう続きを読みたいと言っているのだから。
……聞いてみようかな。
いや。
やっぱり、聞くべきだ。
「細かい話をする前に……どうだった?」
そう尋ねると、真昼ちゃんは一瞬だけ迷うように黙り込んだ。
けれど次の瞬間、その顔いっぱいに興奮が広がった。
「わからない。今まで読んだ作品の中でトップ五に入るのか、それともいきなりトップ一に入るのか……自分でも迷ってる。こんなの、初めて読んだよ」
その言葉に、思わず目を瞬かせた。
「ドラマもあるし、いろいろ考えさせられる話だった。それに、主人公たちのことが……なんというか、すごく気になった。二人とも、お互いについてまだまだ知らないことがたくさんあるように見えたし」
真昼ちゃんはそこで少し言葉を止めた。
まだ頭の中で、今読んだ内容を整理しているようだった。
「それに、家族に受け入れてもらえる場面がすごく温かくて……ちょっと泣きそうになった。途中でいろんなことが起こるし、本当に驚かされたよ」
「気に入ってもらえてよかった。正直、真昼ちゃんの好みとは少し違うんじゃないかと思ってたんだけど」
「まあ、それもある意味ではその通りかな。でも、だからって嫌いなわけじゃないよ。それより……どうしてジャンルがファンタジーラブコメディになってるの?」
「え?」
「だって、二人とも気づいてなかっただけで、最初からどこかで繋がってたんじゃない? 読んでる側からすると、そう見えるんだけど」
「正直に言うと……私もそこまで気づいてなかったよ」
そう答えると、真昼ちゃんは驚いたように目を見開いた。
「鈍いね、真希ちゃん。よく彼の幼なじみに先を越されなかったね」
「おい! そんなに鈍くないよ!」
思わず声を上げてしまう。
「ただ……たまに、自分の考えていることが本当に合ってるのか、わからなくなるだけ。ほら、勘違いしそうなことだってあるし」
「……まあ、それは確かにそうだね」
真昼ちゃんは少しだけ考えてから、納得したようにうなずいた。
「もし和泉くんが本当にあなたのことを好きじゃなかったら、あなたが告白したことでどうなってたのかなんて、誰にもわからないもんね。全部、真希ちゃんの勘違いだった可能性だってあるわけだし。今回は、その言い訳を認めてあげるよ、真希ちゃん」
「……ありがとう?」
どうやら、なんとか言い負かされずに済んだらしい。
少なくとも、今はそういうことにしておこう。
「さあ、始めよう。あまり遅くならないうちに、イラストを描き始めないと」
「うん──」
そうして私たちは、電話をつないだまま、それぞれの作業を始めた。
真昼ちゃんは画面を見ながら、時々何かを考えるように手を止めたり、またすぐにペンを動かしたりしていた。
私も送った原稿をもう一度確認しながら、彼女から質問されるたびに答えていく。
「この場面って、主人公はどんな表情をしてると思う?」
「えっと……たぶん、嬉しいけど、まだ自分でもその気持ちに気づいてない感じかな」
「なるほど……じゃあ、少しだけ笑ってるけど、本人は無自覚って感じね」
「そうそう。真昼ちゃん、やっぱりわかってるね」
「当然でしょ。私、プロなんだから」
そんな他愛もないやり取りを何度も繰り返しているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。
気づけば、時計の針はかなり遅い時間を指していた。
それでも、私たちはなかなか作業を終えることができなかった。
話したいことも、描きたいものも、まだたくさん残っていたからだ。
けれど、さすがに限界はやってくる。
「真希ちゃん……もう、眠い……」
「私も……」
そう言って、二人で小さく笑った。
結局その夜、私たちは最後まで作業を終えることはできなかった。
それでも、明日また続きをやればいい。
そう思えるくらいには、今日という一日が充実していた。
そして、長い一日の疲れに負けるように、私たちはそれぞれの場所で、そのまま眠りへと落ちていった。
* * *




