第77話 小説と、ご褒美と。
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すべて整理し終えると、物語の冒頭の構成を考え始めた。
書き終えると、満足げに笑みを浮かべながらノートを彼女のほうへ滑らせた。
「あんまり興奮しすぎるなよ」
彼女は小さく笑ってノートを手に取り、静かに開いた。
「どんなことを書いたのか、見せて」
何も言わずに読み始めた。
一行、また一行と読み進めるたびに、彼女の表情が少しずつ明るくなっていくのがわかった。
本当に気に入ってくれたらしい。
読み終えると、顔を上げて俺を見た。
「こんなに感動するなんて思わなかった。正直……何て言えばいいかわからない。本当に感心したよ」
こんなに真剣な賛辞をもらって、思わず後ろ頭をかいてしまった。
彼女がそこまで驚いているのを見ると、思っていた以上にやりがいを感じた。
「つまり、君が思ってた以上に良かったってことか?」
「うん、そうだよ。でも、まだ私のほうが得意なこともあるけどね」
「細かい情景描写とか、そういうところだろ」
彼女は満足そうに微笑みながらうなずいた。
「そう。その辺はまだまだ磨く必要があるね。でも、君に出会った頃よりずっと上手くなってるよ」
「本当か?」
「嘘をつく必要なんてないでしょ。もしかしたら、私の書き方が少しは影響したのかもね」
もしかしたら、そうかもしれない。
何度も彼女の原稿を手直ししているうちに、いつの間にかそういう細かい部分まで身についていたのかもしれない。
「かなり差が縮まったみたいだな。でも、その点じゃやっぱり君には敵わないよ。君の文章は本当に自然だからな」
「自然……そうかもしれないね。頭の中で場面を組み立てる感覚とか、今まで読んできた小説の数が、それを文章にしやすくしてくれてるんだと思う」
まさに予想通りの答えだった。
情景描写は上達できるかもしれない。
でも、それをここまで自然に、無理なく書けるかどうかは別の話だ。
「すごいよ、真希。間違いなく君はこういうことの天才だ」
彼女はもう笑いをこらえきれず、誇らしそうにその言葉を受け止めた。
「わかってるよ。まあ、この話はまた今度にしよう。小説はここまでにして、帰る前に続きをやろう」
確かにそうだった。
ここにいる間は、書くことだけに時間を使うわけじゃないと、自分で言ったばかりだった。
「そうだな。それなら、この数日でアイデアをたくさん考えておけよ。続きは部屋に戻ってからにしよう」
「うん、それがいいね」
それからさらに数分作業を続け、その日の執筆はひと段落ついた。
* * *
玄関のドアが開く音がして、両親が帰ってきたことがわかった。
その頃には真希はもうスマホをしまい、俺もノートを閉じて、今日の進み具合に満足していた。
「どうやら帰ってきたみたいだな」
長時間同じ姿勢で座っていた体をほぐすように腕を伸ばしながら言った。
「そうだね」
真希は髪を耳に掛けながらうなずいた。
数時間前までの緊張はすっかり消え、表情もずいぶん穏やかになっていた。
「下に降りて挨拶したほうがいいな」
二人で立ち上がろうとした、その時だった。
部屋のドアが勢いよく開き、真夜が姿を現した。
もうイヤホンは外していて、目はJドラマのせいで少し腫れていたけど、あのいたずらっぽい輝きはちゃんと残っていた。
「やっほー、ラブラブカップル! お父さんとお母さんが帰ってきたよ。それに、晩ごはんも買ってきてくれたんだって」
ドア枠にもたれながら、いたずらっぽく笑ってそう告げた。
それから俺に視線を向け、片眉を上げる。
「ところで、お兄ちゃん……なんだかすごく機嫌よさそうだね。私が部屋にいた間に何かいいことでもあった?」
真希がくれたキスを思い出し、頬が少し熱くなるのを感じながら唾を飲み込んだ。
「何もないよ、真夜。小説を書いてただけだ。最初に言った通りだろ」
「ふーん……そうなんだ」
まったく信じていないのは一目でわかった。
それが真夜なりの反応だった。
「本当にそうなの、お姉ちゃん? 『ご褒美』とか、なかったの?」
真希は、相変わらず見事なくらい冷静なまま、静かに立ち上がって真夜を見つめた。
「結構進んだよ、真夜ちゃん。慧翔くんも頑張ってくれたし、いろんな意味で実りのある一日だったよ」
その言い方、その絶妙な含みのある一言に、俺は思わず肩を震わせた。
真夜は満足そうに小さく笑うと、そのまま振り返って階段のほうへ向かった。
「まあいいや。早く来てよ。きっとお母さん、美味しいもの作ってるから」
真希は真夜の姿が見えなくなるのを待ってから、もう一度俺のほうを振り返った。
まるで小さな秘密を共有しているみたいな笑みを浮かべながら、立ち上がる俺にそっと手を差し伸べてきた。
「……どうかした?」
「ううん、何でもない。行こっか〜」
その手を取って、一緒に階下へ向かった。
ごく自然に歩いていたけど、俺たちにとって、この何気ないことさえ、ほんの数日前までとはまったく違う意味を持っていた。
下に着くと、キッチンには誰もいなかった。
母さんの姿も見当たらない。
真希と俺はリビングを見回したけど、やっぱり誰もいなかった。
たぶん、二人とも旅の疲れで自分の部屋で休んでいるんだろう。
その一方で、キッチンには夕食の準備をしている気配もなかった。
どうやら結局、真夜は俺たちを下に呼ぶためだけに嘘をついたらしい。
真希は俺の手を少しだけ強く握り、小さく微笑みながらキッチンへ目を向けた。
「私が作るね。今日は一人で作ってみたいの。新しい料理でみんなを驚かせたいから」
「真希……」
俺は安心したように微笑み返した。
「わかった。みんなには楽しみにしててって伝えておくよ」
彼女は優しく微笑みながら、名残惜しそうに少しずつ手を離した。
「ありがとう、慧翔くん。絶対に後悔させないから」
その言葉に込められた自信と、決意に満ちた眼差しは、不思議なくらい俺を安心させてくれた。




