第68話 浴衣と、視線と、言えなかった言葉
「真希が……そんなことを言ったのか?」
俺の声は思っていたより弱々しく、隠そうともしない不安があふれ出ていた。
葵はゆっくりとうなずいた。両手を腰に当てたあの姿勢を保ちながら。でも一瞬だけ、彼女の目にわずかな迷いが浮かんだように見えた。
「うん、慧翔くん。今朝、一緒に運動してる時に話したんだ」
彼女はさらに優しい声で続けた。まるで慰めようとしているかのように。
「あなたが彼女をどんな目で見てるか気づいて、直接聞いたんだ。彼女ははっきり言ってた。だから……ずっと中学の頃からあなたのことを見てきた私が、あなたが彼女に気づかれない想いを無駄にしてるのを見るのは、すごく辛かったんだ」
トレーナーのポケットの中で拳を握りしめた。
頭の中は混乱していた。
一部の自分はそのすべてを否定したかった。すぐに戻って真希に直接確かめたいと思った。
でももう一方の、もっと不安な自分は、彼女がこれまでに示してきた態度を思い出していた。真希はいつも控えめで、読みにくかった。昨日見せてくれた小説の断片でさえ、自分の気持ちをうまく表現できない主人公の話だった。
もしあれが遠回しのメッセージだったら?
もし彼女が本当に伝えたかったのは、俺が彼女に負担をかけすぎているってことだったら?
「俺……戻らなきゃ」
それだけが言えた。
一歩後退した。彼女の目をもう見つめていられなかった。
空気が必要だった。
考える時間が必要だった。
「慧翔くん、待って……」
後ろから彼女の声が聞こえたけど、立ち止まらなかった。
振り返って、早足で家に向かって歩き出した。
ついさっきまで静かで温かく感じられた修善寺の街並みが、今は妙に重くのしかかってきた。
花祭りはあと数時間で始まる。
真夜はおそらく、二人きりにさせるための計画を何か用意しているだろう。
浴衣。
祭り。
川辺の提灯。
ついさっきまで緊張しながらも楽しみにしていたことが、今は止められないカウントダウンのように感じられた。
こんなことを聞いた後で、どうやって今夜彼女と向き合えばいいんだ?
もっと悪いことに……
もし葵の言うことが正しかったら?
もしかしたら、最初からすべてを誤解していたのは俺の方だったのかもしれない。
何もないところに何かを見ていたのは、俺だけだったのかもしれない。
「もう……わからない」
家のドアをくぐりながら、独り言を呟いた。
でも、入った途端、真夜が待っているのが見えた。
予想外だった。
何か言う前に、彼女がいたずらっぽい笑顔で俺の手首を掴んだ。
「急いで、行こう……」
でも、彼女の言葉は途中で止まった。
よく見ると、笑顔が徐々に消えていった。
「何かあったの?」
迷った。
話すべきかどうか、わからなかった。
でも真夜のことだ。知らないままじゃ絶対に引き下がらないだろう。
それに、真希にうっかり聞かれるリスクも冒したくなかった。
「話すよ……でも、彼女には言わないでくれ。約束してくれ」
いつもより真剣な口調だったに違いない。
真夜はすぐにうなずいた。
「約束する。ただ……これ以上心配させないでよ?」
ゆっくりと息を吸った。
一瞬、全部話そうかと思った。
でも、葵を巻き込みたくなかった。
「思うんだ……」
うつむいた。
「真希に好かれるチャンスなんて、ないんじゃないかって」
真夜の返答はすぐだった。
彼女は手を上げて、そっと俺の頭を叩いた。
「お兄ちゃん、それを聞いて、あなたが私の兄だってことが恥ずかしくなったよ」
「どういう意味だ? 疑う権利くらいあるだろ?」
「それなら、自分で確かめる権利もあるよ」
彼女は迷わず答えた。
「彼女があなたを好きかどうか知りたいなら、聞けばいい。それに、もうかなり大事なヒントは掴んでると思うけどね」
そう言いながら、彼女は指を俺の胸に当てた。
心臓の真上に。
「これを信じればいい。絶対にうまくいくって」
数秒間、彼女を見つめた。
「……真夜……まさかこんなに真剣になれるとは思わなかった」
真夜は何も知らなかった。
葵がさっき言ったことを知らなかった。
彼女の話によると、真希は俺をただの友達としてしか見ていないらしい。
「えへへ」
真夜の笑顔は、消えた時と同じくらい早く戻ってきた。
「さあ、お兄ちゃん。もっと自分を信じてみなよ」
「言うのは簡単だろ。『好きです、付き合ってください』って言うのがどんなに簡単か、お前はまるでわかってないみたいに言うんだな」
「少なくとも、考えてみるべきだと思うけど」
腕を組み、指を指して言った。
「それに、もう時間もないしね」
それから、何か大事なことを思い出したように言った。
「あ、そうだ。今はお姉ちゃんに会っちゃダメだよ」
「え?」
「今のお前の顔で、彼女をびっくりさせたくないから」
「本当にそんなにひどい顔してるのか?」
「うん」
迷いなく答えた。
「今は自分の部屋に行ってて。必要になったら呼ぶから」
数秒間彼女を見つめてから、ため息をついた。
まだ小説に関することでやることがあった。
それに、これ以上議論する気力もなかった。
「わかった。そうするよ」
それ以上言うこともなく、自分の部屋へ向かった。
でも、階段を上っている間も、その疑念は胸に刺さったままだ。
どれだけ無視しようとしても、消える気配はなかった。
…………………………
……………………
………………
◇◆◇◆◇
「……真夜ちゃん、もう入っていいよ。でも……ちょっと自信ないけど」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。絶対似合ってるって。それに、私がしっかり手伝ったんだから」
いつもの誇らしげな口調に、一歩前に出ることができた。
彼女はほとんど一日中、私の準備に付き合ってくれていた。
真夜ちゃんと一葉さんがくれた浴衣はとても綺麗で、自分にはもったいない気さえした。でも二人とも何度も大丈夫だと励ましてくれて、髪のセットまで手伝ってくれた。
そんな風に一日のほとんどが過ぎていった。
今、丁寧に梳かされて肩に落ちる髪を、鏡に映る自分の姿に最後の確認をしてから、微笑んで真夜ちゃんを中に入れた。
彼女は私を見るなり、目を輝かせた。
「わあ! すごく綺麗だよ、お姉ちゃん! あ、それに晒しもしっかり効いてるみたいだね。えへへ〜」
頬が一瞬で熱くなった。
前日も確かめたけど、やっぱり彼女が気軽にその話題を出すのはまだ慣れなかった。
「───ありがとう……ところで、それ何?」
彼女が手に持っていた小さな花の飾りを指さした。
真夜ちゃんももう浴衣を着ていて、自分のお祭りにでも行くかのように興奮しているように見えた。
「これ?」
飾りをよく見えるように持ち上げた。
「これも私たちからのプレゼント。浴衣に合わせて選んだんだ。可愛いでしょ?」
「そうだね……でも、私がもらうのはちょっと……」
「そんなことないよ」
反論する間もなく、彼女は近づいて、器用に私の髪に飾りをつけ始めた。
その指先は驚くほど手際が良かった。
数秒後、彼女は一歩下がって完成形を眺めた。
「できた。すごく似合ってるよ、お姉ちゃん」
満足げな笑顔が、自分の仕事に誇りを持っていることを物語っていた。
思わず微笑み返してしまった。
「ありがとう、真夜ちゃん。それに、あなたもとても似合ってるよ」
「でしょ?」
自分の浴衣を披露するようにくるりと回った。
まるで欲しかったプレゼントをやっと手に入れた子供のようだった。
でも、数秒後にはまたあのいたずらっぽい表情が浮かんだ。
危険なことを思いついた時の、あのいつもの顔だった。
何を企んでいるのか聞く前に、彼女は部屋を飛び出していった。
「お兄ちゃん、入ってもいいよ?」
「え?」
廊下から慧翔くんの戸惑った声が聞こえた。
心臓が跳ねた。
いや。
準備ができていなかった。
ゆっくりとドアが開き、彼が顔を出した。
目が合った瞬間、全身が強張るのを感じた。
「慧翔くん……」
紺色の浴衣を着ていて、それが驚くほど似合っていた。
髪はいつもより丁寧に整えられていて、彼の茶色い目がまっすぐに私を捉えていた。
その視線を長く持ちこたえられず、思わずうつむいてしまった。
「さあ、お兄ちゃん! 言って、言って、言って、言って〜」
真夜ちゃんのしつこい催促が効き始めた。
慧翔くんは頭をかきながら、数秒間目をそらした。
「……綺麗だよ」
一瞬息が止まった。
「きゃあ! 言った! 言った! お姉ちゃん、聞こえた?」
「うん……聞こえたよ」
普通に答えようとした。
普通に。
「ありがとう、慧翔くん」
それでも、頬が真っ赤になっているのは確かだった。
「二人とも、本当に可愛いなあ」
真夜ちゃんが大きな笑顔で二人の間を行き来した。
「二人とも照れてるよ。あ、お姉ちゃん笑ってる」
やっぱり。
慧翔くんの口からその言葉を聞いた後では、笑わずにはいられなかった。
「お、遅くならないうちに急がないと」
急いで出口に向かって歩き出した。
あの部屋に一秒でも長くいたら、もっと恥ずかしくなってしまいそうだった。
「そうだね。行こう、お兄ちゃん。あなたも」
慧翔くんは黙ってうなずいた。
こうして三人は部屋を出て、ついにお祭りへ向かって歩き出した。




