第67話 遅すぎた告白
反応する間もなく、ドアが勢いよく開いた。
「慧翔くん、いる?」
その声にはすぐに気づいた。
葵さんだった。
リビングで彼を見つけると、まるで自分の家であるかのように自然な笑みを浮かべた。
「よかった。ちょっと話があるんだけど」
「え? 今?」
「今すぐ」
返事を待たずに、彼の手を取って軽く引っ張った。
「ちょっと待って、葵さん……」
「じゃあね、黒川さん」
優しい笑顔を向けると、彼女はそのまま去っていった。
それなのに、なぜか勝ち誇ったように見えた。
すぐにドアが閉まった。
沈黙がリビングを満たし、さっきまで慧翔くんがいた場所までもが静まり返った。
変な気分だった。
彼らが恋人同士ではないことはよく知っていた。
慧翔くんが彼女を好きだと言ったこともない。
多分、自分が考えすぎているだけだということもわかっていた。
それでも、重なった二人の手の光景が頭から離れなかった。
葵さんは以前よりずっと積極的になっていた。
ただ、二人の間に何も起こらないことを願うしかなかった。
◇◆◇◆◇
突然の葵の強引さに、俺は完全に面食らっていた。
手を掴む力は優しかったが、隙を見てそっと振りほどいた。あまり気分のいいものではなかった。
それに、誰かに見られたら誤解されるかもしれない。
それだけは絶対に避けたかった。
「……どこに行くのか教えてくれないか? この後予定があるんだ」
「ついてきてくれればいいから。そんなに時間は取らないよ。みんな待っててくれるし」
彼女が数歩先を歩くのを見つめた。
どうしてそこまでして連れて行こうとするんだ?
怪しい。
しばらく歩くと、ようやく見覚えのある道に出た。
「ここって、君の家の方じゃないか?」
「……うん。でも……」
葵は数秒黙り込んだ。
何かを言う勇気を振り絞っているようだった。
だが、顔に浮かぶ穏やかな笑顔は、その迷いとは対照的だった。
「話したいことがあるの。ここが一番いいと思って」
葵の家はそれほど遠くなかった。
それでも彼女は、まるでいつ俺がいなくなるかわからないかのように、ずっと隣を歩き続けていた。
「わかった。でも長くは無理だ。後で真希と祭りに行く約束があるんだ」
その言葉を口にした瞬間、彼女の様子が変わった。
体がわずかに強張る。
ほんの一瞬だった。
だが、確かに見えた。
「私に何が足りないの?」
彼女の声には苛立ちが滲んでいた。
あまりにも突然で、戸惑ってしまった。
「彼女のことが嫌いなのか? 何かあったのか? 教えてくれないと、何が起きてるのかわからない」
「とにかくついてきて。着いたら話すから」
彼女の声は少し震えていた。
何かを押し殺しているようだった。
必死に平静を保とうとしているようだった。
それでも彼女は立ち止まることなく歩き続けた。
「……慧翔くん」
突然、足を止めた。
「一つ聞きたいことがあるの」
俺は彼女の方を向いた。
「お祭りに一緒に行ってくれない?」
「え?」
あまりにも唐突な質問で、理解するのに時間がかかった。
「なんで急に?」
「いいから、はいかいいえで答えて!」
「どうしてそんなに攻撃的なんだ? それに無理だ。真希と行く約束をしたんだ。約束は守るつもりだ」
葵はぴたりと動きを止めた。
表情は見えなかったが、はっきりと嗚咽が聞こえた。
「ごめん……」
ちゃんと正直に話すべきだと思った。
だが何か言う前に、彼女は家に向かって駆け出してしまった。
「葵……」
一瞬立ち止まったが、すぐに彼女を追いかけ始めた。
こんな状態で一人にはしておけなかった。
それに、伝えなければならないこともあった。
深く考える暇もなく彼女を追いかけた。家に着いた時、彼女はちょうどドアを開けようとしていた。なんとか中に入る前に追いついた。
「待て、葵」
彼女は足を止めた。
近づくと、彼女の中で何かが変わったような気がした。
うまく説明はできなかったが、確かにそう感じた。
「葵、どうしてそんなに取り乱してるんだ?」
彼女はうつむいた。
話すべきか、それとも黙っているべきか、迷っているようだった。
やがて息を吸い、口を開いた。
「私……遅すぎたんだと思う」
彼女の声は少し震えていた。
「もう隠し続けられない」
唇を噛みしめたまま、しばらく黙っていた。
「中学の間、誰かを好きになったことなんてなかった。友達には気になる人がいるって言ってたけど、その気持ちを伝える勇気はなかったの」
彼女の指が服の裾を強く握りしめた。
「それで今になって、もっと早く言えばよかったって後悔してる」
彼女がゆっくりと顔を上げた。
目には涙が滲んでいた。
「もう遅いかもしれないけど……慧翔くん、私、あなたのことが好きなの」
頭が真っ白になった。
「子供の頃からずっと好きだった。初めて会った時から、特別な存在になる気がしてた」
その言葉に、俺は完全に戸惑った。
少し前には坂本さんが。
そして今は葵が。
突然、二人もの人間が何年も胸の内にしまっていた気持ちを打ち明けてきた。
あまりにも予想外で、どう反応すればいいのかわからなかった。
自分が特別な人間だと思ったことなんて一度もなかった。
ましてや、誰かにそんな想いを抱かせるような人間だとも思っていなかった。
葵が一歩前に出た。
そしてもう一歩。
涙を拭っていたが、まだ目には残っていた。
彼女は答えを聞く前から、それがどんなものかわかっているようだった。
「葵……」
彼女は手を上げ、俺の言葉を制した。
でも、それは避けられなかった。
「葵、ごめん。答えはもうわかってるだろ」
ゆっくりと息を吸った。
「俺には好きな人がいる」
「彼女……だよね?」
彼女の声はかすれるように小さかった。
「わかってる……嫌になるくらい」
その言葉に、迷いが生まれた。
本当にそこまでわかるものなのか?
「それでも諦めないから。私……私の方が先だったのに……私……」
「本当にごめん」
首を振った。
「でも、彼女が好きなんだ」
葵は唇を噛みしめた。
そして再び口を開いた。
「それで、どうするつもりなの? 告白するの?」
彼女の口調は、さっきよりも強くなっていた。
「彼女はあなたのことをただの友達としか思ってない。あなたが彼女を見るようには、彼女はあなたを見てない」
背筋が凍った。
長年避け続けてきた恐怖が、心の奥底から顔を覗かせた。
拒絶されることへの恐怖。
それでも、なんとか答えた。
「どうしてそんなことがわかるんだ?」
葵は言葉に詰まった。
一瞬、必死に答えを探しているように見えた。
それから背筋を伸ばし、両手を腰に当てた。まるで自分自身に言い聞かせるように。
「だって、彼女がそう言ってたから」
声に宿る自信と、目に浮かぶ不安が対照的だった。
「あなたのことは友達としか見てないって。それ以上の気持ちはないって」
その言葉は、冷水を浴びせられたかのように胸に突き刺さった。
完全に動けなくなった。
彼女はあなたのことをただの友達としか見ていない。
その言葉が頭の中で何度も繰り返された。
リビングで微笑んでいた真希の顔を思い出した。
自分のぎこちない話しかけ方を、彼女が受け入れてくれていたことを思い出した。
昨日の午後、ソファで感じたあの距離の近さを思い出した。
あれは全部、ただの優しさだったのか?
ただの友情だったのか?
重い虚無感が胃のあたりに広がった。
拒絶されることへの恐怖。
長い間押し込めていたそれが、突然表に現れ、胸を締め付けた。
久しぶりに、何を考えればいいのかわからなくなった。




