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第64話 浴衣と、祭りの約束

 着替え終わって、鏡を見上げた。


「……」


 なんて言えばいいのか、よくわからなかった。


 思っていたよりも浴衣の着心地は良くて、色のコントラストのおかげで、鏡の中の自分がどこか大人びて見えた。


 少し、大人びすぎているかもしれない。


 ドアの向こうから小さなノックの音がした。


「お姉ちゃん〜、もう終わった?」


「まだ……」


 ほとんど反射的に答えながら、帯を直そうとした。


 何度か試してみたもののうまくいかず、小さくため息をついた。


「……うまくできない」


「そうだろうと思った」


 ドアが数センチ開き、真夜ちゃんが笑いながら入ってきた。まるでその言葉を待っていたかのように。


「こっち向いて」


「……思ったより難しいね」


「一人でやろうとするからだよ」


 小さな声で鼻歌を歌いながら、彼女の手が帯を整え始めた。その手際の良さに、自分が少し情けなくなった。


「できた」


 一歩下がって、仕上がりを確認する。


「似合ってるよ」


「……ありがとう」


「特に色がね」


 真夜ちゃんは私を頭からつま先まで見てから、満足そうにうなずいた。


「黒と赤は、お姉ちゃんを大人っぽく見せるね」


「……それって良いこと?」


「ある人にとっては、たぶんね」


「……」


 答えなかった。


 彼女は私の沈黙に気づいて小さく笑ったけど、今回はからかうのをやめた。


 その代わり、部屋の窓際まで歩いていった。


「明日のお祭り、すごくたくさんの人が来るんだよ」


「そう言ってたね」


「花火も上がるんだ」


「……聞いたよ」


「それに、カップルもたくさん」


「何か言いたいの?」


 ようやく振り返って彼女を見た。


 彼女はただ微笑んだだけだった。


「別に」


 絶対に何か言いたいに違いない。


 ため息をついて、また鏡を見た。


 いつの間にか、あの浴衣を着て、提灯に照らされた屋台の間を歩いている自分を想像していた。


 そして、その隣にいる人のことも。


「.........」


 すぐに目をそらした。


 危ない。


 危なすぎる。


 でも、彼がいい。


 彼だけがいい。


「真夜ちゃん……彼、喜んでくれるかな?」


「ふふふ〜。見た瞬間にキスしてくれるんじゃない?」


「私たち、そんな関係じゃないんだから、そんなことするわけないでしょ!」


 一瞬で頬が熱くなるのがわかった。


「じゃあ、お母さん呼んでくるね。浴衣姿も見てもらおう」


 返事をする前に、真夜ちゃんは部屋を飛び出し、そのまま階段を駆け下りていった。


 しばらくして、彼女は一葉さんを連れて戻ってきた。


 そして、一葉さんは私を見るなり、その場で立ち止まった。


 少し目を見開き、一瞬言葉を失ったようだった。


「綺麗でしょ、お母さん?」


「……まあ……うちの孫はきっとハンサムになるわね」


「一葉さん、慧翔くんと私はそんな関係じゃないんです。それに、そんなことを考えるにはまだ早すぎます……」


「もう、お姉ちゃん。希望を持てば何でもできるよ。きっとお姉ちゃんにも――」


 .................................

 .............................

 .......................

 ............


 窓辺の鳥のさえずりが、少しずつ私を現実へと引き戻した。


 その後の三人の会話は、思い出したくない。


 結局、浴衣を試着した後は、夕食を食べて、しばらくテレビを見て、眠気に負けて部屋に戻って寝た。


 時計を見た。


 朝の6時1分。


 いつもより少しだけ早かった。


 でも、自分の習慣を崩すわけにはいかなかった。


 昨日と同じことをするわけにもいかない。


 今日は早く出かけて運動しなければ。


 ベッドから起き上がり、カイロを貼ってから、音を立てないように部屋を出た。


 * * *


 階段を降りると、玄関の近くに真夜ちゃんがいた。


 この時間に走るのにちょうどいい、動きやすそうな運動着を着ていた。


 自分の格好を見下ろした。


 彼女と比べると、かなり場違いな格好だった。


 真夜ちゃんが私に気づいて振り返った。


「あ、おはよう、お姉ちゃん。よく眠れた?」


「うん。ところで、こんなに早くどこに行くの?」


「ちょっと運動してくる。お姉ちゃんは?」


「私も同じことをしようと思ってたんだ。一緒に行かない? あ、でもその前に、もっと動きやすい格好に着替えた方がいいよ」


 すぐに彼女の言いたいことがわかった。


 こんなに大きなシャツは、確かに良い選択じゃないかもしれない。


 そう思って、部屋に戻って着替えた。


 軽い上着を羽織って、また階下に降りた。


 体にぴったり張り付かず、ずっと動きやすかった。


 ソファに座って待っていた真夜ちゃんは、私を見るなり立ち上がった。


 それから、私を頭の先からつま先までじっくりと見回した。


「お姉ちゃんは、何を着ても素敵だね」


「……ありがとう。さあ、行こうか?」


「うん! 近所を案内するね。行こう〜〜」


 うなずいて、誰も起こさないように静かに家を出た。


 門をくぐるとすぐに、静岡の朝のひんやりとした空気が顔に触れた。


 風は柔らかくて心地よかった。


 そして数秒もしないうちに、眠気はすっかり消え去った。

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