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第39話 高鳴る鼓動

 

 映画が進むにつれて、どんどん面白くなっていった。その時——


(グルルル……!) 「きゃっ!」


 ゾンビが突然現れて、主人公たちに襲いかかろうとした。


 彼女は驚いて……無意識に俺の腕にしがみついた。  その感触がはっきりと伝わってくる。


 その拍子ひょうしに、彼女の手が俺の手の上に重なった。


 二人ともすぐに反応した。


「──和泉くん…」


 真っ赤な顔で、俺の名前を呼ぶ。


 目が合った。恥ずかしそうな表情が……あまりにも可愛すぎた。  数秒後、彼女は深呼吸して勇気を振り絞る。


「ねえ……手、繋いでもいい?」  そして慌てて言い直した。 「違うの。ただ……寒いし……電気を消した自分の部屋に戻るのも怖くて……」


 俺が答える前に、彼女は手を振った。 「やっぱり忘れて! 忘れて……!」


 姿勢しせいを整えて、自分の太ももをポンポンと叩く。


「ほら……寝なよ。夕飯のお礼……それにさっきのことも含めて」


 恥ずかしそうに微笑んだ。


 断れなかった。


「本当に……いいのか?」


 彼女はうなずいた。 「早く……後悔する前に」


 もう迷わなかった。


「じゃあ……お邪魔します」


「えへへ〜いい子だね。くつろいでいいよ」


 頭を預けた。  彼女の膝は柔らかくて……ほんのり甘い香りがして、さらに距離が縮まった気がした。


 でも……このままじっとしてはいられない。


「何してるの…?」


「髪、撫でてもいい?」  少し間を置いて。 「あ……それと、上見ないで。見たら怒るから」


 優しい声が、少しだけおどしめいたものに変わった。


 心臓がドキドキした。  映画に集中できるはずもなく……ましてや彼女の指が自然に髪を撫でているのだから。


 まるで……本当に特別な関係みたいに。


 それでも彼女は画面を見つめたまま、集中していた。


「後で……交代だからね…」


「え?」


 顔は見えなかったけど、軽くうなずいているのがわかった。


 時間はそうやって過ぎていった。  だんだん慣れてきて……時々、自分がどこにいるのか忘れそうになる。


 体を動かそうとした時、思い出した。


 彼女が俺の頭をしっかりと押さえて、動けなくしていた。  それでも横目で彼女を見ると……真っ赤だった。


「私……忘れてた……自分の膝の上にあなたがいること……」


「構わないよ。ところで……起きてもいい? トイレ行きたいんだけど」


「あ……うん、いいよ」


 体を起こした。  彼女はゆっくり立ち上がって、トイレへ向かった。


 ……今度は俺の番だ。


 * * *


 数分経った。


 彼女が出てくると、ソファに座っている俺が目に入った。


 何か言おうとしたけど、言葉が出てこない。


 自分の太ももをポンポンと叩いて、こっちに来るように合図する。


 彼女の顔は一瞬で赤くなった。  それでも、逃げられないと悟ったように……俺のところへ歩いてきた。


「さあ……今度は俺がお返しする番だ」


「……お返し? 何の?」


「いいから寝てろ。後で教えてやる」


「……わかった…」


 慎重に体を預けてくる。


 その姿勢しせいのまま、彼女の唇にかすかな笑みが浮かんでいるのが見えた。


 手を伸ばして彼女の髪を撫でた。  すぐに力が抜けていく……まるでそれが当たり前みたいに。


「これが……さっきまでの俺の気持ちだ」


「……気持ちいいよ、和泉くん。あ……映画、どこまで進んだ?」


「うーん……大したとこじゃない。ゾンビとどう戦うか、作戦さくせん練ってるとこだと思う」


「和泉くん…」


 顔を上げて、俺の方を見上げた。


「私がもしゾンビになっちゃったら……どうする?」


 その目は期待に満ちていた。


 まるで……ただの答え以上の何かを待っているみたいに。


「そうだな……もしお前がゾンビになっても、小説は書き続けさせるかな」


「ひどい! 私……そんなことしない。私なら……あなたを楽にしてあげる。苦しまないように」


 誇らしげに言うから、一瞬、本気なのかと思った。


「お前の方がよっぽどひどいよ……そんな婚約者こんやくしゃ、嫌だな」


「……そう。じゃあ……私も同じことする」


 顔を隠しながら答えた。それが同じことを望んでいるっていう、彼女なりの言い方だった。


 冗談のつもりだったけど……あまりいい流れじゃなかったかもしれない。  ますます彼女のことが好きになってしまう。


 彼女のこんな姿を知っているのは俺だけだ……このままいくと、本当におかしくなりそうだ。  まさかこんなに可愛いなんて思わなかった。


「………………」


「……お水、持ってくるね。ここで待ってて」


 彼女は立ち上がってキッチンへ向かった。気まずい空気を断ち切るには、それが一番だった。


 ようやく息がつけた。


 すると、小さな音が聞こえた。  頬をポンポンと叩いて……自分を励ましているみたいだった。


 彼女が戻るまでの間、映画に意識を戻す。


 戻ってくると、隣に座ってコップを差し出した。


「飲んで。体にいいから」


 コップを受け取って飲む。彼女も同じように飲んで、テーブルの上に置いた。


 黙って映画を見続けた。  画面の中も、二人の間も、緊張が高まっていく。


 主人公たちは追い詰められていて……ヒロインの様子が変わり始めていた。


 いつの間にか、黒川さんがまた俺の手の上に手を重ねていた。


 あまりにも集中していて、顔を向けた時に初めて気づいた。


「ご、ごめん! 私……気づかなくて……でも……もういいか……」


「……お前のせいじゃない。俺……いいか?」


「え……?」


「いや……なんでもない」


 それでも、半分冗談みたいに彼女の手を握った……すると彼女は視線をそらさずに、指を絡めてきた。


 二人の間の距離が消えた。


 それから、彼女は頭を俺の肩に預けた。


「和泉くん……もし私が寝ちゃっても、そばにいてくれるって約束して……それと、手を離さないって」


 その時、彼女は完全に無防備むぼうびに見えた。断れなかった。


「できると思う……」


(もし勇気があれば、好きだって伝えたい。でも……無理だ。  それに……多分、君も俺も、ただの雰囲気に流されてるだけなんだろう。)


 今は……このままでいい。


 時間が過ぎて、映画が終わった。


 彼女は動かない。


 少し身を乗り出す。


 ……寝ている。


「このままじゃ……おかしくなりそうだ。でも……今週末の練習デートの準備は、もうできてるはずだ」


 深呼吸して、テレビを消す。  彼女の手を一瞬だけ離した。


「また風邪ひかせるわけにはいかないし……毛布、取ってくるか」


 自分の部屋に戻って、一番暖かい毛布を持ってきた。


 戻ってきて、そのまま隣に座り、二人を包み込む。  そして、もう一度彼女の小さな手を握った。


 ……考える前に、


 彼女のひたいにそっとキスを落とす。


「もし君がいなかったら、俺……どうなってたかわからない。  ありがとう、黒川さん。  いつか……ちゃんと好きだって言える日が来るといいな」


 いつか……


 目を閉じる。


 彼女の手を離さないまま、そのまま眠りに落ちた。


 ◇◆◇◆◇


 ……


 ……ん……


 どうやら寝ちゃってたみたい。


 目をこする。  毛布に包まれてる感覚かんかく……それと、絡んだままの手。


 思わず、少しだけ笑みがこぼれた。


 隣で彼が寝ている。  とても穏やかな顔で。


 テレビは消えていた。  さっきまで、彼の肩に寄りかかってたんだっけ……


「ありがとう……そばにいてくれて」


 胸がドキドキする。


 少しだけ体を寄せて……彼の頬にそっとキスをした。


 もっとしたいけど……


「気持ち、伝えたい……でも、怖い。  それに……また真昼ちゃんの、あんな顔見たくない」


 親友しんゆうを傷つけたくない。


 でも……


 もう、黙っていられない。


「和泉くん……好きだよ」


 小さくつぶやいた。  たとえ届かなくても。


 それでも……少しだけ、心が軽くなる。


 卑怯ひきょうかもしれない。


 でも……これが私の気持ち。


 時計を見る。


 午前3時27分。


 もう一度、彼の肩に寄りかかる。


 そしてそのまま……静かに眠りに落ちていった。

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