第37話 ぎこちない二人の距離
しばらくして、二人が戻ってきた。和泉くんは俺たちのことを何か話したらしく、こちらを見るたびにトマトみたいに真っ赤になっていた。
「ただいま」
もう落ち着いたように見えたが、私と目が合うと、また顔を赤くする。私も、頬が火照っているのを感じた。
――その様子に、真昼ちゃんが気づいた。
一瞬だけ、彼女の表情が曇る。
その瞬間、理解した。
でもすぐに、彼女は何事もなかったかのように表情を戻した。まるで、今のが幻だったみたいに。
……きっと、彼女も気づいたんだろう。
「真昼ちゃん、違うの。あなたが思ってるようなことじゃないから、誤解しないで」
少し慌てて言った。
彼女はすぐに手を振り、それから少し照れたように私たちを見た。
「そんなこと考えてないよ。全然」
体を丸めて恥ずかしがっていると、和泉くんが優しく声をかけた。
まるで子犬みたいに、彼女の頭を撫でる。
嬉しそうにしているのが、見なくても分かる気がした。
「ほほ〜、妬いちゃったりしないの、黒川さん〜?」
雨宮くんは相変わらずの調子で、二人が自分たちの世界に入っている隙に、小声でささやいてきた。
「別に」
興味がないふりをして答える。
「いいじゃん、認めなよ〜。そんなに冷たくしないでさ。教えてくれないなら、『クーデレちゃん』って呼ぶよ?」
慌てて、二人に気づかれないように彼の頭を軽く叩いた。
「変なこと言わないで。和泉くんのことが好きかどうかなんて、私の問題でしょ」
彼は、いたずらっぽい猫みたいな目でこちらを見て、小さな声で続けた。
「……ただ助けたかっただけだよ。君が絶対気になるだろうこと、例えばさ」
一度咳払いをしてから、わざとらしく声を張る。
「俺は知ってるんだよ、誰が……慧翔! の好きな人か」
――完全に、パフォーマンスだ。
案の定、和泉くんはすぐに彼の口を塞いで、また外へ連れ出した。
……間違いない。
あいつ、何か知ってる。
真昼ちゃんと私は、同時に入口の方を見る。
すると彼は、こっちに向かって親指を立ててきた。
その意味が分からなくて、一瞬固まる。
……誰に向けた合図なのかすら分からない。
二人が戻る前に、真昼ちゃんがスマホを取り出し、顔色を変えた。
次の瞬間、急に立ち上がり、空になった弁当箱を手に取る。
ぎこちない笑みを浮かべて、出ていく前に言った。
「ごめん、急に用事思い出しちゃった。次はもっと一緒にいようね」
あんなに慌てている真昼ちゃんを見るのは、珍しい。
そのまま、彼女は行ってしまった。
三人で顔を見合わせる。
本当の理由は分からない。でも――なんとなく、胸に引っかかるものがあった。
……後で、ちゃんと話そう。
* * *
それから、昼休みが終わった。
この時間を使って、何か書こうと思う。
子供の頃の自分の話。少女だった頃の気持ちを、今こそ形にする時だ。
ただ――少し手を加えて、もっと深みを出したい。
あの二人が、この話に興味を持ってくれるといいけど。
せっかく頑張ったのにダメ出しされたら、正直つらい。でも和泉くんなら、きっと気に入ってくれるはず。
……自分の知識を使えばいいだけだし、難しくないよね?
…………
………
……
「内容は悪くない。でも、問題は別にあるな……」
「同感だ」
授業が終わったあと、三人は喫茶店にいた。
二人とも、私が今日書いたものを読んでいる。
けど――その表情は、明らかに微妙だった。
「何かあるなら、はっきり言ってよ。遠回しにしないで」
二人は顔を見合わせて、同時にうなずいた。
「話はいいんだけど、語り方がな……」
「ひどいな。今まで見た中で一番かも」
雨宮くんが容赦なく付け加える。
「……ひどい、って」
――刺さった。
でも……どうして? どうして一番得意なことで失敗したの?
ベストは尽くしたはずなのに……
雨宮くんは私の沈黙を見て、腕を組み、少し考えるように目を細めた。
「和泉、俺のスタイル知ってるだろ? 彼女にこういう話の書き方、教えてやれよ」
……どういう意味?
和泉くんが、私に何を教えるっていうの?
「……わからない。うまくできるか、自信ないけど……」
「教えてやらないのか? 彼女、あんたの彼女だろ?」
明らかにからかっている。
「彼女じゃない!」
「彼女じゃない!」
二人同時に声を上げた。顔が一気に熱くなる。
――でも……そうだったらいいのに。
「分かりやすすぎだろ……そろそろ告白すればいいのに」
彼は独り言みたいに呟いた。
「とにかく、教えてやれよ。一週間あるんだし。準備できたら教えてくれ」
「……分かった。黒川さん、今日から始めよう。よかったら」
「うん、賛成。……でも、休みの日も手伝ってくれるんじゃないかなって思ってる」
「それもいいと思う。でも、まずは今日からだな」
――決まった。
短い打ち合わせは、これで終わり。
あとは家に戻って、できるだけ早く始めるだけだ。
雨宮くんと別れて、私たちは帰り道を歩き始めた。
その途中で、ふと思い出す。
……そういえば。
雨宮くん、帰り際に私のリュックに何か入れて……そのまま逃げるように出ていった。
気になって、中身を取り出す。
――DVD?
「……え、なにこれ?」
和泉くんが覗き込んできた。
「『ゾンビワールド I』……初めて見るな。いつ買ったんだ?」
いやいやいや……
ホラー映画じゃない。
雨宮くん……あの人……
これはもう、確実に“協力”するつもりだ。
――だったら。
このチャンス、使わない手はない。
ただ……少しだけ勇気がいる。
彼に気づかれないように、そっと深呼吸した。
「ねえ、今夜この映画、一緒に見ない?……どうかな?」
一瞬、意味が分からなかったのか、彼は固まる。
でも少し考えてから、静かにうなずいた。
「いいと思う。こういうの、見たことなかったし」
……よかった。
受けてくれた。
雨宮くんには、あとでちゃんと礼を言わないと。
――さて。
次は、私の番だ。
………………
…………
……
…
◇◆◇◆◇
やっと着いた。少し疲れた。
ドアを開けて、そのまま自分の部屋に向かおうとした――が、彼女がそっとシャツの裾を引いて、俺を引き止めた。
彼女の目は曇っていた……どこか暗い。
さっきの言葉が、まだ残っているらしい。
「さっきのあいつの言い方……悪かった。きつすぎたな」
「彼のことで謝らなくていいよ。もし私があなたの彼女だったら……ああいうの、嫌だし」
『そうだったらいいのに……』
喉まで出かかったが、飲み込んだ。
「何かしてほしいこと、あるか?」
少しの沈黙のあと――突然、彼女の顔が真っ赤になった。
「何考えてるんだ?」
「きゃっ……和泉くん、急に話しかけないでよ」
俺は手を伸ばして、彼女の額に触れた。……熱い。
「熱でもあるのか?」 彼女は俺の手を払いのけた。少し乱暴に――でも、どこか可愛げがある。
「うるさいな、変なこと言わないで。……何かしてほしいなら……ソファまで抱っこしてよ」
「え?」
一瞬、意味がわからなかった。
でも、「何かしてほしい」って言ったのは俺だ。
……仕方ない。
迷わず、彼女を抱き上げた。
こんな距離で見る彼女の目……その色に、思わず目を奪われる。
抵抗しない彼女の赤い顔から、視線をそらした。
ソファまで運び、そっと横にする。
……俺の顔も、かなり熱い。
彼女への想いは、もう抑えきれない。 雨宮にも最初から見抜かれていたくらいだ。
目の前には――
彼女の唇。
ごくりと唾を飲み込む。
彼女も、真っ赤だった。
距離が……近すぎる。
「黒川さん、俺……」
「和泉くん、私……」
――その時、スマホが鳴った。
反射的に離れる。
彼女は赤い顔を隠すように俯いた。
……なんで今なんだよ。
画面を見る。
坂本さんからだった。最終イラストが届いたらしい。
[やっと全部終わった。気に入ってもらえるといいな]
なるほどな。
[ありがとう。何かあったら連絡する]
そう返して、スマホをしまう。
……で、今どうすればいい。
「………」
もう一度近づこうとした――その瞬間。
「部屋に行くね。また後で」
彼女は小走りで出ていった。こちらを見ないまま。
……やらかしたか。
でも、怒っているようには見えなかった。
少なくとも……そう思いたい。
いや、考えるな。
まだ恋人同士じゃない。
「婚約者よ」
彼女の母親の言葉が、頭をよぎる。
……でも、一人で踏み出す勇気はない。
告白みたいなものだ。しかも――振られるかもしれない。
ちっ……
「夕飯でも作るか……埋め合わせに」




