第36話 言えない気持ちと、消えない感触
下に着き、母と別れようとした時、彼女は最後にもう一度こちらを振り返った。
「二ヶ月後にまた来るわ。それがあなたたちに与えられた時間よ。自分の夢を叶えられるって証明してみせて。もしできなかったら、うちに帰ってきなさい。いい?」
胸がいっぱいになった。この機会をもらえて、本当に嬉しかった。彼がこれの意味をちゃんと理解しているかは分からないけど。
頭を下げて、感謝の気持ちを込めながら、しっかりと答えた。
「ありがとう、お母さん。本当にありがとう。この機会、絶対に後悔させないから」
「ねえ、君。私の娘を頼むわ。私にとって一番大切な子なの。任せたわよ」
彼は隣で頭を下げ、はっきりとした声で答えた。
「自分の命に代えてでも、彼女を守ります」
慧翔くん……その言葉で、恥ずかしくて死にそう───……。
何か言う前に、黒い高級車が私たちの前に止まった。
「信じるわ。またね。お父さんに何か伝えることはある?」
顔を上げて、真剣に彼女を見つめた。彼女も同じようにこちらを見ていた。
「『私を幸せにさせてほしい』って」
母は私の言葉を理解して、微笑んだ。
「伝えておくわ。気をつけてね」
車に乗り込み、最後に手を振った。彼女の顔には笑顔が浮かんでいた。まるで、それを待っていたかのように。
ようやく母は去っていった。少し落ち着いた気がする。
「やっと言えた……なんだかスッキリした」
慧翔くんの手を離そうとしたけど、彼はまだ気づいていなかった……もう少しだけ、このままでいられるかもしれない。
手を繋いだまま、彼と一緒に学校へ向かった。でも、着く前に手を離した。
幸い、真昼ちゃんには会わなかった。もし会っていたら……
彼女が悲しむ姿を想像するだけで、胸が痛んだ。
よかった……。
そのまま教室に入り、和泉くんの隣を歩くのが、もう当たり前のように感じられた。
席に座ると、真夜からメッセージが届いていた。
彼女から連絡が来るなんて珍しい……
私、何かしたっけ……? そういえば、うっかり写真を送ってしまったんだ。
スマホを確認して、待ち受けに設定していなかったことに気づいた。
なんてミス……。
まさか……これはまずい、すごくまずい!
[やっとか〜、ずっと待ってたよ]
そう書いてあった。
[お願い、誰にも見せないで。和泉くんに見られたら、恥ずかしすぎて死んじゃうから……]
[分かった、言わない。でもその代わり、休みの日に彼と一緒に来てよ]
難しいお願いだ……それに、一葉さんの言葉を思い出すと、少し恥ずかしい。
でも、和泉くんに見られるよりはましだ。
[分かった、行くよ。慧翔くんに連れて行ってもらうように言うね]
ここまででも、彼女の嬉しそうな様子が伝わってきた。
もう……。
和泉くんに言わないといけないみたいだ。
授業が始まる前に急いでメッセージを送った。全部は話せないから、これでいい。
[休みの日、家に行ってもいい?]
それを見て、彼の顔が赤くなり、恥ずかしさを隠そうとしているのが分かった。
[なんで? なんでうちに来たいんだ?]
これは……書くのが恥ずかしい。
[真夜ちゃんと約束したから。それだけ]
彼はスマホをしまい、授業が始まった。
昼休みになった。でも……真昼ちゃんが来ない。
メッセージを送ったけど返事がなかったから、電話してみた。
すぐに切れて、メッセージが返ってきた。
[ごめん、ちょっと用事があって忙しいから、今日は二人で食べて]
変だ。こういう時はいつも頼ってくるのに。
[何かあったでしょ? 一緒に来てよ。和泉くんもあなたのこと必要としてると思うし……私も]
半分は嘘。でも、何が起きてるのか知るために、彼女と話す必要がある。
予想通り、今度は了承した。
間もなく、彼女は教室に来た。
入ってくる前から、悲しそうな表情が見えた。目は曇っていて、私の存在にも気づいていなかった。
そしてドアから入ってきた瞬間、彼女の表情はぱっと明るい笑顔に変わった。和泉くんだけに向ける、あの笑顔に。
「私のこと、寂しかった……三人とも?」
雨宮くんが自分の席の前に立っているのを見て、彼女の笑顔がわずかに曇った。
もう彼のことは知っている。彼女は彼をライバルとして見ていた。越えなければならない相手として……その理由は――
彼女曰く、彼は自分より絵が上手いらしい。
少なくとも、そう見える。
彼はからかうように笑って彼女を見た。
「ふふ、妬いてるの?」
彼女は軽蔑するような目で彼を見て、すぐに視線を逸らした。
「私の方が上手いもん。ただね……」
そう言ってから、私の方を見て、ぱっと顔を輝かせた。
「真希ちゃん〜〜」
そのまま近づいてきて抱きつき、頬を私の頬に擦り寄せる。まるで猫みたいに。
「まだ一日も経ってないよ? いつもよりべったりじゃない。ちょっとびっくりした」
結局、彼女の勢いに押されて、そのまま抱き返した。
「私も寂しかったよ。でも本当のこと言って、真昼ちゃん。何かあったの?」
彼女は一瞬だけ迷った。言うべきか迷っているようだったが、やがて口を開いた。
「ううん、ただ昨日の宿題で疲れただけ」
そのぎこちない笑顔に、違和感を覚える。
でも――今はタイミングじゃない。あとで確かめればいい。
「和泉くんのところ行こう。一緒に昼食食べないと」
「うん、いい考えだね。行こう」
和泉くんのところへ向かう。そこにはもう一人、私たちのグループに加わっていた。
彼女は和泉くんの隣に座り、私は雨宮くんの隣に座った。
彼は期待に満ちた目でこちらを見ていた。まるで「何かあったんだろ?」と言いたげに。
その視線だけで十分伝わったけど、私はわざと冷めた目を返した。
「何かあったと思うの?」
彼は私たちを見比べてから、指でハートを作った。
「そっちの方が理想的じゃない?」
……その一言は、どう考えても恥ずかしい。しかも、真昼ちゃんには聞かれたくない。
「大丈夫、味方だから」彼は小声でそう言った。
……無視した。
すると彼は、さらに続ける。
「ねえ、君たちの小説をダメにしたのって誰だと思う?……いや、むしろ、和泉が一時的に小説への興味を失った原因って誰だと思う?」
その瞬間、和泉くんがすぐに反応して、彼の口を塞いで教室の外へ引っ張っていった。
「ごめん、二人とも。ちょっと雨宮と話がある。すぐ戻る」
そう言って、二人は出ていった。
……雨宮くんは、何を言おうとしたんだろう。
まさか――
そういえば、あの時……和泉くんと私は話していなかった。いや、むしろ私の方から避けていた。
時期も一致している。
つまり……彼は、小説よりも私とのことを気にしていたってこと?
……いや、ありえない。
別の理由があるはずだ。
───そうであってほしい。




