第115話 今さらの彼女紹介
* * *
真夜を駅まで送り届け、別れを告げたあと、俺は自分の部屋へ戻ろうとしていた。
夜風が肌に触れ、少しだけ肌寒さを感じる。真夜がいなくなったことで、さっきまでの賑やかさが嘘のように遠のいていく。さて、帰ったら何をしようか。そんなことを考えながら歩いていた、そのときだった。
ふと、少し離れたところに見覚えのある姿が目に入った。
間違いない。あの人は……優希さんだ。
隣には弟の優太もいる。二人で一緒に歩いていたようだが、俺の視線に気づいた優希さんは、すぐにこちらへと歩み寄ってきた。
「和泉くん、こんなところでどうしたの?」
「あ、こんにちは、優希さん。優太も」
声をかけると、優太はにこっと笑って挨拶を返してくれた。
相変わらず人懐っこい笑顔だな。
……っと、今はそんなことより、優希さんの質問に答えないと。
「妹を駅まで送りに来たんだ。今日はうちに遊びに来てたから」
「へえ、和泉くんって妹さんがいるんだ……」
「うん。真夜っていうんだ。優太より年上で、今は十三歳だよ」
そういえば、あと三ヶ月もすれば十四歳になるのか。
ついこの間まで、もっと幼かったような気がするのに。こうして改めて考えると、時間が過ぎるのは本当に早い。
「慧翔くん、あ……」
聞き覚えのある声が、背後から響いた。
振り返るまでもなく、誰の声なのかはわかっていた。
案の定、そこには真希がいた。どうやら俺が戻ってくるのを待っていたらしい。少しだけこちらを気にするような仕草を見せている。
……あれ? そういえば、坂上さんはどうしたんだ?
「……慧翔くん?」
優希さんが不思議そうに呟いた。
しまった。そういえば、まだ話していなかったんだっけ。
俺は真希のほうへ向き直り、気になっていたことを尋ねた。
「坂上さんはどうした?」
「うん……帰ったよ。母さんから連絡があって、戻らなきゃいけなくなったの」
「そっか……」
それなら仕方ないか。
そんなことを考えていると、隣からじっと見つめられていることに気づいた。
「……ねえ、二人とも名前で呼び合ってるの?」
優希さんは俺と真希を交互に見ながら、どこか確かめるような口調で尋ねてきた。
「それって、かなり仲がいいってことだよね?」
……まあ、間違ってはいない。
むしろ、今さら隠すようなことでもないだろう。
「うん。実は、真希と俺は付き合ってるんだ。今まで言えなくてごめん」
そう告げた瞬間、優希さんの表情が固まった。
目をぱちぱちと瞬かせ、俺と真希を交互に見比べている。まるで、予想外の情報を処理しきれず、頭の中で必死に整理しているようだった。
やがて、少しずつ何かを思い出したのか、彼女は口元に手を当てた。
……まあ、驚くのも無理はないか。
優希さんは、真希が他人と距離を置きがちなことを知っている。実際、一年生の頃には、優希さん自身も真希に話しかけようとしたことがあったらしい。
けれど、そのときは周囲の友達に止められてしまい、結局、まともに話す機会を持てなかったのだ。
そんな相手が、まさか俺と付き合っているなんて。
彼女にとっては、簡単には信じられない話なのだろう。
「ええっ!? 付き合ってるの!? それはさすがに予想外だよ……急すぎない!?」
優希さんはまだ驚きを隠せない様子で、今度は俺たちをまじまじと見つめた。
まるで、目の前のカップルが本当に恋人同士なのか、改めて確かめているみたいだ。
「い、いつから付き合ってるの?」
その質問を聞いて、俺は少しだけ安心した。
以前、彼女に真希との関係を話せなかったことを責めるつもりはないらしい。それどころか、今は純粋に驚いているだけのようだった。
その表情を見ていると、胸の奥にあった小さな不安が、ゆっくりとほどけていく。
……よかった。
高校生の俺たちが付き合っていると知って、気まずくなったり、距離を置かれたりする可能性も考えていたからだ。
けれど、そんな心配は杞憂だったらしい。
そう思った次の瞬間、真希がそっと俺の手を取った。
指先が触れたかと思うと、彼女はごく自然な動作で俺の指に自分の指を絡める。その仕草には、以前のようなためらいがほとんどなかった。
そして、優希さんをまっすぐ見つめながら、さらりと言った。
「私たち、付き合ってるだけじゃなくて、婚約もしてるの」
「えええっ!?」
優希さんだけでなく、隣にいた優太まで目を見開いた。
二人そろって、顔から血の気が引いたような表情を浮かべている。
……うん、まあ、そうなるよな。
恋人同士だと聞いただけでも十分に驚きなのに、まさか婚約までしているとは思わなかったのだろう。
優希さんは何度か口を開きかけたものの、結局、言葉が出てこないらしい。優太も姉の隣で、どう反応すればいいのかわからないといった様子で俺たちを見つめていた。
その反応があまりにも予想どおりで、俺は苦笑をこらえるのに必死だった。
一方、真希はというと、すっかり慣れた様子で微笑んでいる。
……本当に、もう隠すつもりはないんだな。
そう思うと、なんだか少し嬉しくなった。
「……ごめん、ちょっと何て言えばいいのかわからない。正直、すごく驚いたよ。でも……二人とも、おめでとう」
しばらくして、優希さんはようやく笑顔を浮かべた。
まだ驚きは残っているものの、その表情には祝福の気持ちが感じられた。
その言葉を聞いて、俺はようやく肩の力を抜いた。
……本当によかった。
婚約なんて話を聞けば、普通は驚くだろう。ましてや、まだ高校生なのだから、変だと思われてもおかしくない。
それが原因で、今までのように接してもらえなくなったらどうしよう。そんな不安が、まったくなかったわけじゃない。
だからこそ、彼女の「おめでとう」という一言が、思っていた以上に嬉しかった。
「ありがとう、高嶺さん。それと……これから仲良くしてくれたら嬉しいな。慧翔くんからあなたの話は聞いてるし、私ももっと仲良くなりたいの」
真希は少し照れくさそうにしながらも、はっきりとそう伝えた。
……へえ。
どうやら真希は、もっと友達を増やしたいと思っているらしい。
以前の彼女を知っているからこそ、その変化がよくわかる。自分から誰かと仲良くなりたいと言えるようになったこと自体、かなり大きな一歩なのだろう。
もちろん、それは真希にとってもいいことだ。
俺としても、彼女が少しずつ自分の世界を広げていく姿を見るのは嬉しかった。
「もちろん! こちらこそよろしくね。それと、真希ちゃん。和泉くんのこと、もっと大事にしてあげなよ? 婚約者を一人で街に歩かせるなんて、危ないんだから」
……ん?
今、何かおかしなことを言われなかったか?
どう考えても、俺が一人で歩いていたことをからかっているようにしか聞こえない。
とはいえ、悪意があるわけでもなさそうだし、わざわざ突っ込むほどのことでもないだろう。
「忠告ありがとう。これからは気をつけるよ」
俺が苦笑しながら答えると、優希さんは楽しそうに笑った。
つられるように真希も笑い始め、やがて三人の間に和やかな空気が広がっていく。
……なんだか、いい感じだな。
初めて会った頃と比べれば、ずいぶんと距離が縮まった気がする。
もちろん、これからもっと仲良くなれるかどうかは、時間をかけてみないとわからない。それでも、少なくとも今は、お互いに笑い合える関係になれた。
それだけでも十分だと思えた。
その後、しばらく話をしたあとで、二人は連絡先を交換することになった。
真希と優希さんがスマートフォンを取り出し、楽しそうに画面を操作している。その様子を見ていると、きっとこの二人なら、坂上さんともいい友達になれるんじゃないかと思えた。
「じゃあ、またね。真希ちゃん。和泉くんと話したいこともたくさんあるだろうし、今日はこの辺で。また時間があるときに話そうね」
「うん、それがいいと思う。そのときはメッセージを送ってね」
そんな言葉を交わし、俺たちは優希さんたちと別れた。
二人の姿が見えなくなるまで見送ってから、俺は真希と並んで歩き始める。
……優希さん、気を悪くしていなければいいんだけど。
そんな小さな心配を胸の片隅に残しながら、俺たちは部屋へと戻った。
* * *
冷たい夜風が吹く中、俺たちは手をつないで部屋へと向かっていた。
真希の手は温かく、指を絡めたまま歩いていると、不思議と心まで落ち着いてくる。
……もっとも、今のところは尋問も何もない。
真希は特に何も聞いてこなかった。さっきの優希さんとのやり取りもあって、まだ気分が落ち着いているのかもしれない。
ただ、この静けさがいつまで続くのかはわからなかった。
やがて部屋に着き、ドアを開ける。
予想していたとおり、中には誰もいなかった。
真夜も坂上さんも、すでに帰ったあとらしい。さっきまで人がいたはずのリビングは静まり返っていて、妙に広く感じられた。
……さて。
そろそろ、真希に話さなければならないことがある。
彼女の父親と電話で話したことだ。
もちろん、真希がその話をしたくないと思っている可能性もある。無理に聞かせるべきではないのかもしれない。
それでも、黙ったままでいるわけにはいかなかった。
彼女自身に関わることなのだから、きちんと伝えておく必要がある。
「真希……リビングで、ちょっと話せるか?」
俺がそう切り出すと、真希は不思議そうにこちらを見つめた。
その瞳には好奇心だけでなく、ほんの少しの警戒心も浮かんでいる。
いつもより真剣な俺の声に、何か大切な話があるのだと察したのだろう。
そして、少し考えるように視線を動かしたあと、彼女はすぐに答えを口にした。
「……両親のことだよね? お姉ちゃんから、電話があったって聞いたから。たぶん、そうなんじゃないかと思ってた」
「やっぱり知ってたか……。じゃあ、詳しいことを話さないとな」
俺がそう言うと、真希は小さく頷いた。
その表情からは、何を考えているのかまでは読み取れない。
ただ、逃げるつもりはないようだった。
俺たちはそのままリビングへ向かい、ソファに腰を下ろした。
そして、俺は電話で何を話したのか、父親がどんなことを言っていたのか、順を追って説明し始めた。
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