第107話 手紙と、夜の気持ち
彼女は真夜が待っている自分の部屋へ戻っていった。俺はというと、今はもう、彼女が用意してくれた誕生日プレゼントのことしか考えられなかった。
ゆっくりと箱を開けると、中には二つのものが入っていた。
一つ目は、彼女が自分で縫ったらしい毛布だった。少なくとも、見た感じではそうだった。
青色で、きっと作っている間もずっと俺のことを考えてくれていたんだろう。
うん……そうであってほしい。
二つ目のプレゼントは、香水だった……。
嫌なわけじゃない。香水そのものが嫌いなわけでもない。ただ、決して俺の好みというわけではなかった。
それでも、彼女が俺のためにこれを選んでくれたことが、素直に嬉しかった。
「ん? 手紙……?」
「手紙は寝る前に読んでね!」
真希が部屋の中から声をかけてきた。真夜も一緒にいるらしく、二人の笑い声がここまで聞こえてくる。
もう、この子は……。
心の中で苦笑しながら、そう思った。
俺たちは、ずいぶん変わったな。
彼女の部屋に行ってもいいんだろうか……。
いや。
それより今は、手紙に何が書いてあるのかのほうが気になった。
少し迷ったけど、その内容を知りたいという好奇心のほうがずっと大きかった。
余計なことを考えず、自分の部屋へ向かう。誰にも邪魔されないようにドアを閉めると、ベッドに腰を下ろした。
まるで生死を分ける決断でもするかのように、ゆっくりと息を吸う。
いや、もう迷う必要はない。
緊張しながら封を開け、折りたたまれた紙を取り出す。少しだけためらったあと、勇気を振り絞ってそれを広げた。
でも、そこに書かれていたのは、たった一つの言葉だった。
一枚の紙いっぱいに、何十回も繰り返されている言葉。
『愛してる』
それを見た瞬間、胸が高鳴った。
緊張したのはもちろんだけど、それ以上に、予想もしなかった温かさで胸がいっぱいになった。
今すぐ彼女のところへ行って、抱きしめて、同じ言葉を伝えたい。
でも、今は待つべきだ。
これは、しばらく胸の中にしまっておこう。
いや……むしろ、写真を撮っておいたほうがいいかもしれない。
彼女がいつか、この証拠を消そうとするかもしれないから。
一瞬、真希がこれを書いているときの顔を想像した。
きっと顔を真っ赤にしながら、それでも笑っていたんだろう。
これを誕生日プレゼントとして受け取って満足するべきか、それとも、何か他のものをお願いするべきか……。
彼女がこんなにも正直に気持ちを伝えてくれたんだ。俺も何か、お返しをするべきだと思う。
そんなことを考えていたとき、ドアが二回ノックされた。
それは、真希と俺だけが使う合図だった。
今すぐ開けるべきだ。
「慧翔くん、そこにいる?」
手紙を封筒に戻し、枕の下へ隠した。
「すぐ開ける」
二十秒もかからないうちに部屋を整え、深く息を吸ってから、ドアを開けた。
これまでの関係を邪魔したくなかったから、頭の中ではいろいろと考えていたけど、どう動くかはちゃんと決めていた。
ドアを開けきる前に、素早く彼女を引き寄せて部屋の中へ入れる。
そのままベッドまで連れていくと、彼女は押されるようにしてベッドの上へ倒れ込んだ。
今の彼女は、どうしようもないくらい綺麗だった。
可愛らしくて、顔を赤くして、無防備で、恥ずかしそうで……何か言いたいのに、どう言えばいいのか分からない。そんなことを考えているように見えた。
「慧翔くん、だめだよ。まだ準備できてないの。私……まだ心の準備ができてない。一歩ずつ進むべきでしょ? 覚えてる?」
彼女の言いたいことは、なんとなく分かった。
でも、俺が言いたかったのはそういうことじゃない。そもそも、彼女をここへ連れてきた理由も、それじゃなかった。
「真希、愛してる。君の全部が好きだ。うん、俺たちのペースで進もう。それに、まだ君の父親とも話さないといけないし」
彼女はうなずいた。
それでも、その表情は変わらなかった。
このままでは、何か軽率なことをしてしまいそうだったから、俺は視線を逸らした。
でも、視線を逸らそうとしたその瞬間、彼女が俺の顔を両手で包み込み、今までにないほど勢いよく唇を重ねてきた。
けれど、それはほんの一瞬だった。
まるで、何かを伝えようとしているかのように。
「これが最後の誕生日プレゼント」
あまりに突然のことで、俺は完全に驚いてしまった。
甘くて、予想外で……真希がこんなにも大胆な一面を見せるなんて、思ってもいなかった。
この調子だと、俺は今年中にプロポーズしてしまいそうだ。
「もう一つもらってもいい?」
彼女はすぐに平静を取り戻し、俺から離れた。
「今日はもうたくさんあげたよ。あなたは私の誕生日に一つしかくれなかったじゃない」
「あの時はまだ付き合ってなかっただろ? 忘れたのか? それに、実質二つだ。ネックレスは坂本さんと俺で買ったんだから」
「たくさんお金使ったんでしょ――……真昼ちゃんに聞いたよ。まだ何でもなかったのに……。それだけでも、もう一つあげる。いい?」
俺はもう一度、彼女の唇へ近づこうとした。
けれど、その直前に――。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、すごくラブラブだね。羨ましい。お兄ちゃんってば、自慢ばっかり」
真希は慌てて唇を手で隠した。
さっきまでの恥ずかしそうな表情はすぐに消え、いつもの落ち着いた顔に戻る。
「慧翔くんは誕生日プレゼントにうるさいんだよ」
挑発するようでいて、それでもどこか優しい笑みを浮かべながら、無邪気なふりをしていた。
「お兄ちゃん、それは結婚してからにすれば? そんなに急がなくてもいいじゃん」
どうやら俺は、結婚するまで彼女に近づくのも簡単じゃないらしい……。
でも、よく考えてみれば、俺たちは婚約しているような状況なのに、まだ何も具体的なことを決めていない。
真希は俺の手を取り、それから真夜に何かを差し出した。
「私と寝る? それとも、慧翔くんと?」
その質問はもう必要ないと思っていた。
けれど、どうやら俺の考えは甘かったらしい。
「そんなの決まってるでしょ? 私とだよ。二人は一緒に寝る時間なんて、これからいくらでもあるんだから。もーっっっといっぱいね」
真希はただ微笑みながら、冷静な表情を保っていた。
その隣では、真夜が俺を満足するまで批判し続けている。
「もうあんなことはしないよ。今日は誕生日だから、ちょっと提案しただけ。もうチャンスはないから」
「真夜、お願いだ! 埋め合わせはするから、どうか……」
「やだ~。お姉ちゃんと寝たいの。これが最後のチャンスかもしれないし」
真希は無表情のまま俺を見つめていた。
まるで、真夜の言うことを受け入れていいのかと、俺に尋ねているようだった。
そして……俺には諦めるしかなかった。
真希はただ微笑んだ。
それから頬に軽くキスをして、耳元で囁く。
「また明日ね」
「おやすみ。眠れなかったら、真夜ちゃんに二人の写真を撮ってもらって」
そんな必要はないと思う。
それでも、彼女が最後まで俺のことを気遣ってくれたのが嬉しかった。
「大丈夫だと思う。でも、気遣ってくれてありがとう」
二人は部屋を出ていった。
とにかく、もう寝るべきだ。




