マリア vs ヒヨリ その2
マリアは大きく後方に跳び退き、ヒヨリとの間に十分な距離を取る。
そして、木刀を腰の横で水平に構える。
深く、深く息を吸い込んだ。
すると彼女の全身から、陽炎のような圧倒的な気迫が立ち昇るのが見えた。
周囲の空気がビリビリと震え、観客席の生徒たちも「あれは……エクレア家の秘剣か!?」と息を呑んだ。
マリアの放つ『剛』の究極の一撃が来ると悟ったヒヨリは、しかし、構えを変えることはなかった。
それどころか、彼女は静かに目を閉じてしまったのだ。
「行くわよ……!!」
マリアの足が、大地を砕くほどの力で踏み込まれた。
次の瞬間、彼女の姿がブレたかと思うと、文字通り雷光のような速度でヒヨリの懐へと飛び込んでいた。
「奥義――『雷華』!!」
神速の踏み込みから放たれる、渾身の水平斬り。
それは回避不可能、防御不可能。触れれば木っ端微塵に粉砕されるであろう、究極の剛剣。
(来る)
目を閉じたままのヒヨリは、その死の暴風が迫る直前で、小さく唇を動かした。 彼女が呟いたのは、たった一言だった。
「――抜刀術、裏の型。『凪』」
ヒヨリの腕が、微かに動いた。
少なくとも、私以外の周囲の人間には、全く動いていないように見えたはずだ。
マリアの必殺の木刀が、ヒヨリの胴体を薙ぎ払う、まさにその一ミリ手前。
ヒヨリの木刀の切先が、マリアの木刀の「力の結節点」とも呼べる中心部分を、信じられないほどの速度と精密さで、下から上へと擦り上げるように打ち据えたのだ。
――パアァァァァァンッ!!!!
広場に、爆発音のような凄まじい破裂音が轟いた。
「え……?」
マリアの口から、間抜けな声が漏れた。
彼女が全力で振り抜いたはずの木刀は、ヒヨリに触れる直前で、まるでガラス細工のように何十もの破片となって、空中にパラパラと散らばっていったのだ。
強烈な力の奔流を、完璧なカウンターによって内部から破壊する、神業としか言いようのない技術だった。
マリアはその瞬間、一瞬だが、確かな死の幻覚を見た。
砕け散ったのが自分の木刀ではなく、自分自身の身体そのものがバラバラに切り刻まれたような錯覚。
彼女は目を見開き、粉々になった木刀の柄だけを握りしめたまま、その場に縫い付けられたように動けなくなってしまった。
静寂が、広場を支配した。
誰もが、何が起きたのか理解できずに息を止めていた。
「……そ、そこまで!」
審判の教師が、我に返ったように大声を上げた。
「マリア・エクレア、武器喪失! 勝者、ヒヨリ・オランジェット!!」
その宣言によって、ようやく周囲から割れんばかりの歓声が巻き起こった。
凄まじい決着だった。
剛の極致を、さらにその上を行く柔の極致が完全に粉砕したのだ。
ヒヨリは静かに目を開けると、残心のごとく構えていた木刀を下ろした。
そして、呆然と立ち尽くすマリアの元へとゆっくり歩み寄り、静かな声で告げた。
「あなた……なかなか強かったわ。私の『凪』を引き出した同世代は、あなたが初めて」
ヒヨリの瞳には、先ほどの冷ややかさはなく、純粋な一人の剣士としての敬意が込められていた。
「また、やりましょう」
それだけを言い残し、ヒヨリはクルリと踵を返して円の中から去っていった。
あとに残されたマリアは、しばらくの間、手の中にある木刀の残骸を見つめていた。
やがて、彼女の大きなエメラルドグリーンの瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
唇を強く噛み締め、悔しさに肩を震わせながら、マリアはとぼとぼと足取り重く、私がいる観客席の方へと戻ってきた。
先ほどの自信に満ちた姿は見る影もなく、彼女の背中は酷く小さく見えた。
「マ、マリアさん……」
戻ってきたマリアに、私はどう声をかけていいかわからず、オロオロと歩み寄った。
彼女は手で乱暴に涙を拭っていたが、次から次へと涙が溢れてきて止まらないようだった。
今までどれだけの努力をしてきたのか、どれだけこの勝負にかけていたのかが痛いほど伝わってきて、胸が締め付けられる思いだった。
「……負けちゃった。全く、手も足も出なかった……私の剣、全部見切られてた……っ」
嗚咽を漏らしながら呟くマリアの背中を、私はそっとさする。
「大丈夫だよ、マリアさん。気にしないで!
私だって、あっという間に負けちゃったし、私たちの騎士学校生活は、まだこれからだよ、これから!」
私はなんとか彼女を元気づけようと、自分と同じ『敗北者』であることを強調して、努めて明るい声で励ました。
しかし、その言葉の選び方は、絶望的に間違っていた。
「……一緒にしないでよ」
「え?」
マリアが、弾かれたように顔を上げた。
涙に濡れたその瞳には、先ほどの悔しさとは違う、強い怒りの感情が燃えていた。
「最初から諦めて、ろくに剣も振らずに座り込んだあなたと……勝つために必死に努力して、それでも届かなかった私を、一緒にしないで!
あなたに、私の今の気持ちなんてわかるわけないじゃない!!」
ビシッと叩きつけられた強い言葉に、私は息を呑んだ。
それはマリアの言う通りだった。
私は初めから逃げることしか考えていなかった。
対して、彼女は本気で頂点を目指して戦ったのだ。
その二つを同列に語り、「私だって負けたから同じだ」と慰めるのは、彼女の努力とプライドに対する最大の侮辱だった。
「あっ……」
マリア自身も、自分の口から出た言葉の鋭さにハッとしたように、両手で口元を覆った。
「ご、ごめんなさい……違うの、ミコトさん。
私、今のはただの八つ当たりで……ひどいこと言って、ごめんなさい……!」
マリアは激しく首を振り、申し訳なさそうに身を縮めた。
自身の不甲斐なさからくる悔しさを、私にぶつけてしまったことを心から後悔しているようだった。
「ううん、大丈夫。大丈夫だよ、マリアさん。全然気にしてないから」
私は微笑んで、マリアの手をそっと握った。
彼女が本気だったからこそ、あんな言葉が出てしまったのだとわかっていたから。
「私には、剣術の難しいことは全然わからなかったけど……でも、マリアさんが全力でぶつかっていく姿は、本当に、すごくカッコよかったよ!
あんな風に戦えるなんて、絶対に凄いことだと思う!」
私のその言葉には、一切の嘘はなかった。
恐怖に怯えて逃げ回ることしかできなかった私にとって、自分より遥かに格上の相手に対し、己の全てを懸けて真っ向から立ち向かっていったマリアの姿は、誰よりも輝いて見えたのだ。
私の真っ直ぐな言葉を聞いて、マリアはポカンと目を丸くした。
やがて、彼女の頬が少しだけ朱に染まり、涙の跡が残る顔で、照れくさそうに笑った。
「そ、そうかしら……?」
「うん! すっごくカッコよかった!」
「……ふふっ。ありがとう、ミコトさん」
マリアは深く深呼吸をして、両手でパンッと自分の頬を叩く。
再び顔を上げた時、彼女の瞳からは先ほどの絶望感は消え去り、代わりに力強い闘志の光が宿っていた。
「ヒヨリ・オランジェット……流石は剣聖の弟子ね。でも、次は絶対に負けない。私だってエクレア家の意地があるんだから、いつか絶対に見返してやるわ!」
「おおー! その意気だよ、マリアさん!」
すっかり持ち直した彼女の姿に、私もホッと胸を撫で下ろした。
こうして、名門貴族の令嬢たちが火花を散らす波乱の新入生クラス分け実技試験は、私にとっては違う意味で寿命の縮む思いを抱えながら、刻一刻と全ての試合の終わりへと近づいていくのだった。




