マリア vs ヒヨリ
カトレア・サントノレとの(私にとっては)地獄のような試合を終え、私はふらつく足取りで観客席の端へと戻ってきた。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、ただ立っているだけでも膝がガクガクと笑っている。
それでも、五体満足で無傷のまま戻ってこられたのは、ひとえにカトレアさんが手加減をしてくれたおかげだった。(思い込み)
私が壁にもたれかかって荒い息を整えていると、隣で凄まじい気迫を発しているマリアがいた。
彼女は腕を組み、真剣な眼差しでグラウンドを見つめながら、自身の出番を今か今かと待ちわびているようだった。
その横顔は、先ほど私に優しく笑いかけてくれた時のものとは別人のように、戦士としての鋭さに満ちていた。
やがて、拡声の魔導具を持った教師の声が、広場に響き渡る。
『第十二円! マリア・エクレア! ヒヨリ・オランジェット!』
その名前が呼ばれた瞬間、周囲の上級生たちや新入生たちの間から、今日一番とも言える大きなどよめきが巻き起こった。
「おい、オランジェットだって……!」
「間違いない、あの『剣聖』の直弟子と噂されている、天才少女だぞ!」
「相手はエクレア家か……! これも名門同士の潰し合いじゃないか!」
周囲の騒がしさに、私は目を丸くした。
剣聖。騎士の頂点である王宮騎士団の中でも、さらに一握りの達人しか名乗ることを許されないという、伝説的な称号である。
その弟子が、この新入生の中にいるというのだ。
「オランジェット家……噂の剣聖の弟子ね」
マリアは怯むどころか、獰猛な笑みすら浮かべて自身の木刀を握り直した。
彼女の纏う空気が、一段と熱を帯びたように感じられる。
「マ、マリアさん、相手はすごく強い人みたいだけど……」
「ええ、望むところよ! 相手にとって不足なしね! 行ってくるわ!」
私の弱気な言葉を吹き飛ばすように、マリアは元気よくサムズアップをして見せると、迷いのない足取りで指定された円の中へと向かっていった。
その後ろ姿は自信に満ち溢れていて、本当に眩しかった。
♦︎
円の中心でマリアを待っていたのは、漆黒の髪をボブカットにした、小柄で物静かな雰囲気の少女だった。
彼女こそが、ヒヨリ・オランジェット。
透き通るような白い肌と、どこか憂いを帯びた黒曜石のような瞳。
彼女はまるで湖面のように静かな佇まいで、ただスッと直立してマリアを待つ。
「貴女が、あの剣聖の弟子と言われているオランジェット家の者ね。私はマリア・エクレアよ。全力でいかせてもらうわ」
マリアが正々堂々と名乗りを上げ、好戦的な笑みを浮かべる。
しかし、対するヒヨリの反応は、マリアの熱気とは対極にある、氷のように冷たいものだった。
「……私を、その家名で呼ばないで。嫌いなの」
ヒヨリは感情の読めない瞳でマリアを見据え、短くそう言い捨てた。
その声には、名門貴族としての誇りよりも、何か深い嫌悪感のようなものが入り混じっているように聞こえた。
マリアが少し面食らったような顔をした直後、ヒヨリはスッと木刀を構えた。
それは、剣先を下段にだらりと下げた、酷く無防備に見える奇妙な構えだった。
「――両者、構え!」 審判の声が響く。
マリアも気を引き締め直し、木刀を上段に構え、重心を深く落とした。
それはエクレア家が得意とする、一撃必殺の重い剣撃を放つための構えだった。
「――始めっ!!」
開始の合図と共に、グラウンドの土が舞う。
「はぁっ!」
マリアの気合と共に、弾丸のような速度でヒヨリへと肉薄する。
そして振り下ろされた木刀は、空気を切り裂いてヒヨリに接近する。
その一撃には、マリアが今まで積み重ねてきた血の滲むような鍛錬の成果と、名門としてのプライドが全て込められているのが素人の私にもわかった。
まさに、力で全てを粉砕する『剛の剣』である。
対するヒヨリは、微動だにしなかった。
マリアの凶悪な一撃が脳天を叩き割る直前、ヒヨリはだらりと下げていた木刀を、まるで柳の枝が風に揺れるような滑らかな動作で跳ね上げた。
――カァァァンッ!!
激しい打撃音が響き渡る。
マリアの全力の一撃は、ヒヨリの木刀に触れた瞬間、なぜかその軌道を不自然に逸らされ、空しく地面を叩き割った。
最初の激突は、引き分け。
しかし、マリアの顔には明らかな動揺が浮かんでいた。
「ふっ、はぁっ!!」
マリアは即座に体勢を立て直し、怒涛の連続攻撃へと転じた。
横薙ぎ、突き、斬り上げ。どれもが一撃必殺の威力を秘めた、重く速い剣戟の嵐。
しかし、ヒヨリの対応はどこまでも静かで、それはまさに『柔の剣』だった。
マリアの剛剣を正面から受け止めることは決してせず、木刀の腹で撫でるように軌道を逸らし、あるいは半歩の足捌きだけで紙一重で躱していく。
激しい金属音にも似た打撃音が連続して響くが、マリアの剣は一向にヒヨリの身体を捉えることができない。
(す、すごい……マリアさんの剣、あんなに速いのに、全部流されてる……)
私の目には、その高度な攻防がスローモーションのようにハッキリと見えていた。
マリアの剣は力強く、速く、そして美しい。
だが、ヒヨリの剣はそれ以上に柔らかく、マリアの力を全て利用して無力化しているのだ。
数合打ち合った後、二人の距離がフッと離れた。
息一つ乱していないヒヨリは、小さくため息をつき、静かな声で呟いた。
「なるほど、よく鍛錬しているわ。基礎も完璧。少し、エクレア家のことを見直したわ」
それは、純粋な称賛の言葉だった。
しかし、それに続く言葉は、あまりにも残酷だった。
「でも、完全に見切った。あなたの剣は、これ以上私には届かない」
その言葉に、マリアの肩がビクッと震えた。
そんな事、マリア自身が一番よくわかっていたはずだ。
自分が全力で放った渾身の技の全てが、まるで暖簾に腕押しのように、軽々と流されてしまっていることに。
力と力のぶつかり合いなら、マリアは誰にも負けない自信があっただろう。
だが、ヒヨリの技術は次元が違った。
「……ッ!」
マリアはギリッと奥歯を噛み締め、木刀を力強く握り直した。
「私だって、ここで立ち止まるわけにはいかないの……出し惜しみしている場合じゃないみたいね!」




