入学式からハードモード
王立騎士学校。
それは、この国における絶対的な『力』の象徴であり、エリートへの登竜門である。
見上げるほど高い白亜の城壁に囲まれた広大な敷地には、剣術の鍛錬を行うための巨大な闘技場や、何千人もの生徒を収容できる荘厳な大講堂が立ち並んでいた。
敷地内に足を踏み入れるだけで、空気がピリッと張り詰めているような錯覚を覚える。
「はぁ……はぁ……っ、もう、帰りたい……」
入学式が行われる大講堂へと続く石畳の道を歩きながら、私はすでに息も絶え絶えだった。
学生寮から講堂までの距離は、普通に歩けば十分程度の道のりだ。
しかし、規格外に体力が低い私にとっては最悪で、重いトランクを引きずって部屋に辿り着いた昨日の疲労が丸々残った状態でのこの移動は、すでに地獄の行軍に等しかった。
周りを歩く新入生たちは皆、自信に満ち溢れた顔をしている。
彼ら、彼女らの腰にはそれぞれ立派な剣が帯びられており、歩くたびにカチャカチャと金属音が鳴る。
すれ違う者たちの体格はどれも筋骨隆々か、引き締まったしなやかな筋肉を持っており、私のような華奢で今にも倒れそうなひ弱な人間など、ただの一人も見当たらない。
道すがら聞こえてくる会話も、「昨日は素振りを三千回やってきた」
「俺はオークを一人で討伐したことがある」といった、血生臭くも恐ろしい武勇伝ばかりだった。
ここには、私の居場所なんてない。
家族から見放され、逃げるようにこの学校へやってきたものの、現実は甘くなかった。
私はひっそりと息をひそめ、誰にも見つからないように壁際を這うようにして講堂へと向かった。
大講堂の中は、すでに新入生たちの熱気でむせ返るようだった。
ざわめきが響き渡る中、私は最後列の、さらに一番隅っこの目立たない席に縮こまるようにして座った。
ここなら、私の存在など誰にも気づかれないだろうと考えながら。
♦︎
やがて、重厚な鐘の音が講堂内に響き渡り、ざわめきが波を打つように静まった。
壇上に、一人の大柄な初老の男が姿を現した。
白髪交じりの髪をオールバックにし、顔には歴戦の猛者であることを物語る深い傷跡が刻まれている。
身に纏う豪奢な騎士服の上からでもわかるほどの、丸太のように太い腕と厚い胸板。
彼が一歩歩くたびに、壇上の床が軋むような幻聴すら聞こえてきそうだった。
彼こそが、この王立騎士学校の学園長であり、かつて王国最強と謳われた前騎士団長、シルバ・サントノレだった。
甘そうな名前に反して、その風貌は完全に怒れるヒグマである。
シルバ学園長が鋭い眼光で新入生たちを睨みつけると、講堂内の温度がさらに数度下がったような緊張感が走った。
『新入生諸君! よくぞこの王立騎士学校の門を叩いた!』
マイクなどの魔導具を使っているわけではない。
ただの地声であるにも関わらず、ビリビリと空気を震わせる大音声が講堂の隅々にまで響き渡った。
私はその声の圧力だけで、ひっくり返りそうになるのを必死に堪えた。
『我が国において、力とはすなわち正義である! 己の肉体を鍛え上げ、剣に魂を宿し、国と民を護る盾となること。それこそが、我ら騎士に与えられた崇高なる使命だ!』
シルバ学園長は力強く拳を握りしめ、言葉を紡いでいく。
『貴様らはまだ、何の役にも立たない雛鳥に過ぎん。だが、この三年間で、我々が貴様らを一人前の猛禽へと鍛え上げてやる。
血反吐を吐き、骨が軋むほどの鍛錬が貴様らを待っているだろう。
挫折する者、逃げ出す者も後を絶たない。
だが、それらを乗り越え、真の強さを手にした者だけが、栄光ある騎士の称号を名乗ることを許されるのだ!』
講堂内の新入生たちの目が、熱狂に満ちた輝きを帯びていくのがわかった。
彼らは皆、学園長の言葉に深く共鳴し、己の輝かしい未来と、これから始まる厳しい鍛錬への期待に胸を膨らませているのだ。
『己の限界を超えろ! 剣の重みを知れ! そして、己の力で未来を切り拓け!』
シルバ学園長は両手を大きく広げ、講堂全体を包み込むような力強い笑顔を見せた。
『騎士の卵共、歓迎する!!』
「「「「うおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!」」」」
地鳴りのような歓声が講堂を揺るがした。
新入生たちが一斉に立ち上がり、拳を天に突き上げて学園長の言葉に応える。
熱気と興奮が渦巻き、まさに「騎士至上主義」の国の未来を担う若者たちの熱烈なエネルギーが爆発していた。
しかし。、その熱狂の渦の中で、私ただ一人が、椅子に深く沈み込んで頭を抱えていた。
(そんなこと言われても……)
血反吐を吐く? 骨が軋む? 無理だ。
絶対に無理だ。
私なら初日の準備運動の段階で文字通り骨が折れて死んでしまうかもしれない。
剣術なんてまるでできないし、剣の重みを知れと言われても、木剣すらまともに振り回せないのだ。
体力メーターは常にゼロ付近を這いずり回っているし、唯一頼りにしている『魔法』も、(私の認識では)水一滴出せないポンコツ状態である。
周りを見渡しても、自信に満ちた熱血漢や、闘志を燃やすエリートたちしかいない。
誰の目を見ても、「絶対に騎士になってやる」という強い意志がギラギラと輝いていた。
(私、ここでやっていけるのかな……いや、無理。絶対に退学になる。
どうしよう、家にも戻れないし、野垂れ死ぬしかないのかな……)
どん底まで落ち込んだ気分で、ひたすら小さくなっていると。
「ねえ、ちょっといいかしら?」
不意に、真横から明るい声が降ってきた。
ビクッとして顔を上げると、一人の少女が立っていた。
蜂蜜色の美しい金髪を肩口で切り揃え、くりっとした大きなエメラルドグリーンの瞳が、好奇心に満ちた光を放っている。
仕立ての良い真新しい制服を完璧に着こなし、その立ち姿には凛とした芯の強さが感じられた。
何より、彼女から発せられるオーラが、このどんよりと沈み切った私とは正反対に、太陽のように明るく眩しかった。
「貴女、その特徴的な銀髪……もしかして、ティラミス家の人よね?」
彼女はニコリと人懐っこい笑顔を浮かべて、私を覗き込んできた。
ティラミス家。王家を護る由緒正しき騎士の家系として、この国でその名を知らない者はいない。
だからこそ、その名を冠していることが私にとっては呪いのように重かった。
「あ、えと……は、はい。ミコト・ティラミス、です……」
「やっぱり! 私はマリア。マリア・エクレアよ。よろしくね、ミコトさん!」
マリアは屈託のない笑顔で名乗った。
エクレア家もまた、高名な騎士の家系である。
彼女の腰に提げられた剣の柄には、使い込まれたような細かい傷がいくつもついており、彼女の手のひらや指先には、剣を振り続けた者特有の硬い剣ダコがあるのが見えた。
(私と違って、明るくて、強そうで、剣術もすごく出来そうな人だな……)
そう思いながら、私はオドオドと視線を彷徨わせた。
マリアは私のそんな挙動不審な様子を気にする風でもなく、少し身を乗り出して、声を潜めるようにして言ってきた。
「ティラミス家の人がいるなんて心強いわ。やっぱりミコトさんも狙ってるの? 王宮騎士団の候補生に」
「えっ!?」
王宮騎士団。それは、この学園をトップクラスの成績で卒業した者だけが選ばれる、騎士の最高峰。
エリート中のエリートである。
私のような落ちこぼれが、そんな恐れ多いものを狙っているはずがない。
「い、いやいやいや!!」
私は両手を顔の前で激しく振って、パニック気味に否定した。
「わ、私なんて絶対無理! 王宮騎士団どころか、普通の騎士だって無理です!
剣なんて全然振れないし、ちょっと走っただけで倒れちゃうし、運動なんててんでダメなんです!!」
息継ぎも忘れて早口で捲し立てる私を見て、マリアは目を丸くしてぽかんとしていた。
しまった、と思った。
騎士の家系に生まれながら、「運動ができない」「剣が振れない」と公言することは、この世界では恥知らずの極みである。
家族が私を軽蔑したように、きっと彼女も私を「ティラミス家の恥さらし」と嘲笑うに違いない。 私はギュッと目を瞑り、彼女から発せられるであろう冷たい言葉を待った。
しかし。
「……そう? 名門の出身だからって、全員が全員、剣が得意ってわけじゃないものね」
マリアから返ってきたのは、拍子抜けするほどあっさりとした、肯定の言葉だった。
恐る恐る目を開けると、マリアは呆れるどころか、どこかホッとしたような、優しい微笑みを浮かべていた。
「まぁいいわ。得意なことも苦手なことも、人それぞれだもの。これから三年間、一緒に研鑽しましょうね、ミコトさん!」
そう言って、マリアはスッと右手を差し出してきた。
私を見下すこともなく、弱さを責めることもなく、ただ一人のクラスメイトとして、友人として、対等に手を差し伸べてくれたのだ。
家族以外の人から、ましてや同年代の女の子からこんな風に優しくされたのは、生まれて初めてのことだった。
「う、うん……っ」
私は戸惑いながらも、恐る恐るその手を握り返した。
マリアの手は、私の柔らかい手とは違って少しゴツゴツしていたけれど、とても温かかった。
「ふふっ、よろしくね!」
マリアが嬉しそうに私の手を握り直したその時だった。
『静粛に!!』
講堂内に、シルバ学園長とはまた違う、鋭く冷たい声が響いた。
見ると、壇上には軍服のようなカッチリとした服装に身を包んだ、神経質そうな細身の教師が立っていた。
『これより、新入生のクラス分けを行う。諸君らには今すぐ、講堂外の第一広場へ移動してもらう』
その言葉を聞いて、私は頭に「?」を浮かべた。 (クラス分け? 普通に名前を呼ばれて、はいAクラス、はいBクラス、って発表されるんじゃないの……?)
私が首を傾げていると、隣でマリアが「来たわね……!」とゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
見れば、彼女の瞳は先ほどまでの穏やかなものから一変し、戦場に向かう戦士のように鋭く燃え上がっていた。
「マ、マリアさん……?」
「いよいよ始まるわね、ミコトさん! 新入生クラス分けの実技試験!
これで私たちのこれからの三年間が、騎士団への道が拓けるかどうかが決まる分かれ道なのよ!」
マリアは両拳をギュッと握りしめ、鼻息を荒くして意気込んだ。
「絶対に、絶対にAクラスに入るんだから!!」
「えっ、実技試験……? わ、私は別に、一番下のクラスでも……というか、退学にならなければどこでも……」
私がひきつった笑いを浮かべて後ずさりしようとすると、マリアはガシッと私の腕を掴んだ。
「何言ってるのよ! どうせなら上を目指さなきゃ損じゃない! ほら、行くわよミコトさん!」
「えっ、あ、ちょっと待っ――」
有無を言わさぬマリアの力強い牽引力に、体力ゼロの私が抗えるはずもなかった。
「あわわわわっ!」と情けない声を上げながら、私はマリアに引きずられるようにして、クラス分け試験が行われるという第一広場へと連行されていくのだった。
これから一体、何をさせられるというのか。
絶望的な予感に胃を痛めながら、私の王立騎士学校での波乱の生活が、本格的に幕を開けようとしていた。




