嘘!?私の体力低すぎ?!
「ミコト! また足が止まっているぞ! 剣を振るう前に呼吸が乱れてどうする! それでも誇り高きティラミス家の人間か!」
鼓膜をつんざくような父の怒号が、訓練場に響き渡る。
私の手から、汗で滑った木剣がぽろりとこぼれ落ち、乾いた土の音を立てた。
肺が焼け付くように熱く、酸素を求めて口をパクパクとさせることしかできない。
膝から崩れ落ちた私の全身は、まるで鉛のように重かった。
私の名前は、ミコト・ティラミス。
代々王家を護る、由緒正しき騎士の家系に生まれた長女だった。
この世界は絶対的な『騎士至上主義』である。
強靭な肉体と、洗練された剣技こそが美徳とされ、人々の尊敬を集める。
逆に言えば、剣を振るえない者に価値はない。
物理的な力こそが絶対の正義であり、かつて存在したという『魔法』を扱う魔法使いなどは、軟弱者の象徴としてほぼ禁忌、あるいは眉唾物のおとぎ話として扱われているような世界だった。
そんなゴリゴリの脳筋一族の長女として生まれた私だったが、致命的な欠陥があった。
……それはとにかく、ありえないほどに「体力」が無かったのだ。
「姉上、また倒れたのですか? まだ素振りを五百回しかしていませんよ」
「本当、お姉様はティラミス家の恥ね。
私なんてすでに千回を終えて、これから打ち込みだというのに」
冷ややかな視線を下ろしてくるのは、二つ下の弟と、三つ下の妹だった。
彼らは幼いながらもすでにティラミス家の血を色濃く継いでおり、私よりも頭一つ分背が高く、その腕にはしなやかな筋肉が宿っている。
物心ついた頃から、毎日毎日、来る日も来る日も剣術の稽古ばかりやらされてきた。
しかし、私の体力は一向に向上しなかった。すぐに息が上がり、筋肉痛は三日治らず、少し走れば貧血で倒れる。
才能がないどころの話ではない。絶望的に運動に向いていなかった。
弟や妹にやすやすと追い抜かれ、見下される日々。
「もういい。ミコトの稽古は終わりだ。お前には期待せん」 ついに父からもそう吐き捨てられ、私は家族から『居ないもの』として扱われるようになった。
最初は悔しくて泣いた夜もあったが、毎日のように筋肉痛と疲労でボロボロになる日々に嫌気がさしていたのも事実だった。
家族から相手にされなくなったことで、幸か不幸か、私には膨大な『時間』だけが残された。
誰も私に関心を持たないため、こっそりと屋敷を抜け出しても誰にも気づかれない。
だから私は、暇を見つけては賑やかな街へと繰り出す日々を過ごしていた。
重い剣を振るう必要のない、自由な時間だった。
♦︎
ある日のことだった。
いつものように街の裏路地をあてもなく歩いていると、道の端にボロ布のようなものが落ちているのが見えた。
いや、違う。人だった。
「えっ……だ、大丈夫ですか!?」
駆け寄ると、ローブをすっぽりと被った女の人が、地面に突っ伏して倒れていた。
美しい銀色の髪が地面に散らばり、整った顔立ちをしているが、その顔色はひどく青白い。
恐る恐る肩を揺すって声をかけると、その人はうっすらと目を開け、かすれた声で言った。
「……お腹、空いた……」
行き倒れだった。
私は慌てて路地を飛び出し、大通りにある屋台で焼きたてのライ麦パンと水を買いに走った。
戻ってきてそれを手渡すと、彼女は人目も気にせず、ものすごい勢いでパンに噛みつき、水を飲み干した。
「ふぅ……生き返ったわ。まさか十日も水だけで過ごすことになるとは思わなかったもの」
「十日も!? どうしてそんなことに……」
すっかり落ち着きを取り戻した彼女に事情を聞くと、連日食うや食わずで旅を続け、この街に着いた途端に力尽きて行き倒れていたのだという。
「助けてくれてありがとう、お嬢ちゃん。私の名前はカレン。カレン・ショコラよ」
「私はミコトです。でも、助かってよかったです」
私がほっとして微笑むと、カレンはふと、私の全身をじっと見つめてきた。
その瞳は、まるで私の奥底にある何かを見透かすような、不思議な光を帯びていた。
「ねえ、ミコト」 「はい?」 「あなた、『魔法』に興味ない?」
心臓が大きく跳ねた。
魔法。
それは、この騎士至上主義の世界では異端とされる力。
剣を握れない軟弱者がすがる、時代遅れの力だと言われている。
しかし、なぜだろうか。私はその言葉に、強烈に惹かれてしまった。
運動はてんでダメで、剣術の才能の欠片もない私でも。
体力を使わない『魔法』なら、もしかしたら何かできるのではないか、と。
「……興味、あります。私、剣術が全然ダメなんです。でも、何か自分にできることが欲しくて……」
私が正直に打ち明けると、カレンはニッと口角を上げた。
「いいわ。命の恩人への礼よ。私が魔法を教えてあげる。ただし、絶対に秘密よ?」
こうして、私はカレン・ショコラの下で、秘密裏に魔法を学ぶことになった。
家族は私を『居ないもの』として扱っているため、日中どれだけ家を空けようが誰にも咎められない。それがひどく都合が良かった。
カレンの家は意外と近く、街の喧騒から少し外れた森の入り口にある、小さな木の家だった。
街に行く前に家に帰れば良いのにとは思ったけど……。
そこで、私は初めてカレンから魔法の手ほどきを受けることになった。
「まずは、そうね。水を出してみましょうか。魔法の基本中の基本よ」
「水? 魔法って、何もないところからお水を出せるんですか!?」
剣術しか知らなかった私にとって、それは天地がひっくり返るような驚きだった。
目を丸くする私に、カレンはふふっと笑って手本を見せてくれる。
「こうやるの。体内の魔力を練り上げて、世界に干渉するイメージ。『水生成』」
カレンが短く唱え、指先をすっと前に出す。
すると、何もない空間からキラキラと輝く水球が生み出され、ぽちゃんと音を立てて木樽の中に落ちた。
「すごい……! すごいです、カレン先生!」
「ほら、ミコトもやってみて。自分の内側にある魔力を感じて、それを水に変えるイメージよ」
促されるままに、私は目を閉じ、両手を前に突き出した。
魔力。よくわからないけれど、お腹の底にあるモヤモヤしたものを引っ張り出すような感覚だろうか。私は一生懸命に念じ、そして叫んだ。
「く、くりえいとうぉーたー!!」
…………。
何も起きなかった。
私の手のひらの前には、虚無の空間が広がっているだけだった。
「……出ません」
「まぁ、さすがに最初だから仕方ないわね。魔力の通り道がまだ開通していないのよ。焦らなくていいわ」
しょんぼりと肩を落とす私を、カレンは優しく慰めてくれた。
その時だった。 ポツン、と。私の鼻先に冷たいものが落ちてきた。
「あれ?」
見上げると、先ほどまで見事な青空が広がっていたはずの空が、いつの間にか分厚い暗雲に覆われていた。
そして次の瞬間、バケツをひっくり返したような猛烈な豪雨が降り注いできたのだ。
「きゃあっ!? 突然のゲリラ豪雨!?」
「ええっ!? ちょっと、雲なんて一つも無かったのに、どういうこと!?」
カレンも大慌てで木の家の中に駆け込む。
窓の外では、視界が白く染まるほどの尋常ではない大雨が降りしきっていた。
その日は結局、家の中で雨宿りをしながら、ひたすら水のイメージトレーニングをして終わることとなった。
翌日。昨日の豪雨が嘘のように晴れ渡った空の下で、今度は風魔法を教えてもらうことになった。
「今日は『風刃』よ。風の刃で対象を切り裂く魔法。やってみて」
「はいっ! えあかたぁー!!」
気合を入れて両手を振り下ろすが、そよ風一つ吹かない。
またしても発動できなかった。
「うぅ……やっぱり私には才能が……」
「ほ、ほら! 繰り返しやればできるようになるわよ! 今日は魔法の座学をしましょう!」
落ち込む私を元気づけるように、カレンは家の中へと私を促した。
私たちが家に入ってから少し経った頃だろうか。
外から「ゴォォォォォォォッ!!」という、地鳴りのような恐ろしい轟音が響いてきた。
「えっ、何!?」
カレンが窓から外を覗き込むと、遥か遠くの山の斜面が、突如として発生した巨大な竜巻によって根こそぎ削り取られているのが見えた。
「な、なんか今日はずいぶんと風が強いわね……最近の異常気象は恐ろしいわ」
カレンは少し青ざめながら窓を閉めると、すぐに座学の準備に戻っていった。
座学は、魔法の基礎理論についてだった。
これが実に本格的で、難解だった。
「魔法とは、自己の『内なる魔力』を触媒とし、大気中に満ちる『エーテル』に干渉することで事象を書き換える技術である」
「騎士たちが無意識に行っているのは、内なる魔力を肉体に留めたまま爆発させる『身体強化』。
しかし魔法使いは、魔力を体外へ放出し、術式を編み込むことで自然現象を操るのだ」
「魔力値の高さと、事象の規模は比例する。ただし、精密なコントロールができなければ、魔力は大気中に霧散してしまうだけとなる」
カレンの説明を聞きながら、私は熱心にノートをとった。
剣の素振りよりも、ずっと頭を使うけれど、ずっと楽しかった。
──それから、1年の月日が流れた。
「えいっ! ファイヤーボール!!」
しん、と静まり返る空間。私の手のひらには、火の粉一つ発生しない。
私は様々な魔法の特訓を重ねたが、結局のところ、魔法という魔法を一つも顕現させることができなかった。
「あ、あははは……ま、まぁ、大器晩成っていう言葉もあるしね……」
カレンは引き攣った苦笑いを浮かべ、なんとか場を誤魔化そうとしていた。
唯一私が使えたのは、魔法ではなく、騎士たちが無意識に使っているという『身体強化』だけだった。
それも、少しだけ重いものを持てるようになったり、疲れにくくなった気がするという程度の、ごくわずかな変化だった。
だが、実際のところは違った。
この頃は気づかなかったけど、私は魔法が使えなかったわけではなかった。
ただ、私の中に眠る魔力値が、常軌を逸して高すぎたのだ。
私が「水」をイメージして放出された膨大な魔力は、目の前の空間を通り越して上空の大気に干渉し、局地的な豪雨を降らせていた。
「風」をイメージした魔力は、はるか遠くの山を削り取るほどの竜巻を生み出し、「火」をイメージした魔力は、隣国の休火山を噴火させていた。
規模が大きすぎて、かつ私自身のコントロールが全く効いていなかったため、目の前では何も起きていないように見えていただけであった。
しかし、私も、そして指導者であるカレンすらも、その事実には全く気づいていなかった。
そして、別れの日は唐突に訪れた。
「ミコト。突然だけど、これが最後の授業よ」 「え……?」
いつものように木の家を訪れた私に、カレンは静かに告げた。
その手には、見慣れない大きなトランクが握られていた。
「どういうことですか、カレン先生。私、まだ魔法を一つも……!」
「あなたは十分に学んだわ。基礎理論は完璧だし、魔力への向き合い方もわかっている。あとは、あなた自身が見つけるしかないの」
カレンは私の頭を優しく撫でた。
「魔法使いの心得を最後に一つだけ教えてあげる。 『己の力を信じなさい。世界は常に、あなたの想像力に応えようと待っている』 ……それじゃあね、ミコト」
そう言い残し、カレンはふっと風に溶けるように、私の目の前から姿を消してしまった。 「先生!? カレン先生!!」
私は泣きながら小屋の周りを走り回り、街中を何日も探し回った。
しかし、彼女の痕跡はどこにも見つからなかった。
彼女が残していったのは、書き込みでボロボロになった魔法理論のノート一冊だけだった。
♦︎
それから、さらに3年の月日が流れた。
カレンが消えてからも、私は一人でこっそりと魔法の訓練と座学を続けていた。
もちろん、相変わらず剣術なんかまるで使えないし、運動もてんでダメなままだった。
相変わらず手のひらから水一滴すら出せないし、相変わらず私が訓練をするたびに、なぜか近隣の天候が荒れ狂ったが、まさか自分のせいだとは夢にも思っていなかった。
気づけば、私は15歳になっていた。
この国では、貴族の子供は15歳になると皆、『王立騎士学校』へ通うことが義務付けられている。
騎士至上主義の世界において、この学校を卒業することこそがエリートへの第一歩であり、貴族としての義務だった。
「お前のような落ちこぼれが騎士学校など、ティラミス家の恥を晒すようなものだ。
だが、義務である以上行かざるを得ない。せめて目立たず、隅で息をひそめておれ」
父からの冷たい言葉を背に受けて、私は全寮制の騎士学校へと逃げるように家を出た。
家族からの冷遇、弟妹からの侮蔑。
そんな息の詰まる家から出られるのなら、正直、場所はどこでも良かったのだ。
しかし、そびえ立つ王立騎士学校の巨大な正門を見上げた瞬間、私の足はすくんでしまった。
周囲には、それぞれの家紋が刻まれた立派な剣を腰に帯び、自信に満ち溢れた同年代の少年少女たちが堂々と歩いている。
彼らは皆、幼い頃から厳しい鍛錬を積んできたエリート中のエリートたちだ。
対する私は、剣術の「け」の字もできない、ただの落ちこぼれ。
剣を振ればすぐに息切れを起こす超・低体力の軟弱者であり、信じている魔法すら(自分の中では)一つも形にできない中途半端な存在だ。
「……私、ここで本当にやっていけるのかな……」
不安に押しつぶされそうになりながら、私は重い足取りで入学式の会場へと向かった。
圧倒的な実力主義が支配するこの王立騎士学校で、己の持つ『規格外の魔法力』にまだ気づいていない落ちこぼれ令嬢?の、波乱に満ちた学園生活が、今幕を開けようとしていたのだった。
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