初日から遅刻2
「ごめんなさいごめんなさい、道開けてくださぁぁい!!」
廊下を爆走し、階段を一段飛ばし(時には三段飛ばし)で駆け下りる。
私の体力では本来あり得ない動きだが、極度のパニックと生命の危機(退学の恐怖)が、私の中の『無意識の魔力』を強烈に刺激していた。
――『身体強化』、リミッター解除。
「ぬうおおおおおおおおっ!!」
私は白百合の館を飛び出し、本校舎へと続く石畳の道を、まるで砲弾のような速度で駆け抜けた。
景色が線のようにブレて後ろへと流れていく。
風が刃のように頬を切り裂き、足が地面に触れている感覚すらなかった。
(速い! 私、今絶対に音速を超えてる! 気がする!!)
本人は「火事場の馬鹿力」だと思い込んでいるが、端から見れば、銀色の閃光が土埃を巻き上げてキャンパス内を爆走しているという、異常すぎる光景であった。
しかし、いくら身体強化で足が速くなろうとも、私の根本的な『心肺機能』はポンコツのままだ。
「ぜぇっ……! はぁっ……!! ひゅーっ、ひゅーっ……!」
本校舎の巨大なエントランスホールが見えてきた頃には、私の肺は酸欠で完全に悲鳴を上げていた。
両足は生まれたての小鹿のようにガクガクと震え、今にもその場に倒れ込みそうだ。
「つ、着いたぁ……っ!」
エントランスに設置された巨大な時計を見上げる。 時刻は【7:45】。 授業開始の八時まで、残り十五分。
「よ、よしよしよーし! ギリギリセーフ! 授業には間に合ったぁ……!」
私は膝に手をつき、ぜいぜいと荒い息を吐きながら、安堵の笑みを浮かべた。
なんとか退学(あるいはグラウンド百周の刑)は免れた。
あとは、自分のクラスを確認して、教室に駆け込むだけだ。
しかし、顔を上げた私の目に飛び込んできた現実は、極めて無慈悲なものだった。
「……あれ?」
巨大なエントランスホール。 本来ならば、自分のクラスを確認して一喜一憂する新入生たちでごった返しているはずのその場所には、見事なまでに、ただの一人も生徒の姿がなかった。
閑古鳥が鳴く、とはまさにこのこと。
シーンと静まり返ったホールには、私の荒い呼吸音だけが虚しく響いていた。
「……そりゃそう、だよね。七時発表なんだから、みんなとっくに確認して……教室で、お友達と談笑してる、よね……」
誰もいないエントランス。
それはつまり、「新入生の中で、こんな時間までクラスを確認していない間抜けは私一人だけ」という冷酷な事実を突きつけていた。
♦︎
「…………やっちまったぁ……」
私は深い絶望と共に項垂れ、ふらつく足取りで、ホールの壁一面に設置された巨大な掲示板へと近づいた。
落ち込んでいる暇はない。
早く自分のクラスを突き止めて、教室へ行かなければ本当に遅刻してしまう。
掲示板には、AクラスからFクラスまで、六つの巨大な模造紙が張り出されており、そこには新入生たちの名前が細かく書き込まれていた。
「ええと……まずは、私の定位置。底辺のFクラス、Fクラスっと」
私は掲示板の一番右端、Fクラスの枠に目を走らせた。
私の昨日の成績(自滅による敗北)を考えれば、ここ以外にあり得ない。
「1組……ない。2組……ない。3組は……」
上から下まで指でなぞるが、『ミコト・ティラミス』の名前はどこにも見当たらない。
「あれ? 私の名前が無い? 見落としたかな?」
もう一度Fクラス全体を隈なく探すが、やはり私の名前はなかった。
そこで、私はハッと一つの可能性に思い当たった。
「も、もしかして……! 実技試験で、あのサントノレさんの初手を転んで避けたこと(奇跡)が評価されて、温情でEクラスにしてくれたのかな!? やった、下から二番目だ!」
私は少しだけテンションを上げ、隣のEクラスの枠へと視線を移した。
「1組……ない。2組……ない。3組は……」
……無い。 目を皿のようにして探すが、Eクラスにも私の名前は存在しなかった。
「て、手違いでDクラスだったりして。いくらなんでもそれはないと思うけど……」
冷や汗を流しながら、Dクラスの枠を見る。
「1組……ない。2組……ない。3組は……」
「無いよぉぉっ!?」 私は思わず掲示板の前で叫んでしまった。
Fにも、Eにも、Dにもない。
下位クラスのどこにも私の名前がないのだ。
「も、もしかして……『オメーの席ねーから!』ってこと!? 私だけお外のクラス、幻のGクラス(グラウンドの草むしり係)だったりするのかな……」
まさかの退学(あるいは青空教室)の可能性に、私の胃がキリキリと痛み始めた。
いや、でもまさか。
一応ティラミス家の端くれだし、そんなあからさまな村八分はないはずだ。
「つ、次はCクラス……。まぁ、あるわけないよねウンウン。……ない」
「Bクラス……。な、無い……」
上位クラスであるCとBにも、当然のように私の名前はなかった。
「…………」
私は掲示板の前で、完全にフリーズした。
本当に、私の名前がどこにもない。名簿から消え去っている。
「まさか、そんな……。私、本当にGクラスなのかな……。草むしりからやり直せってことなのかな……」
膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えながら、私は最後の望み(という名のただの確認作業)として、一番左端に掲示された『Aクラス』の枠へと視線を向けた。
Aクラス。
それは、学園のトップエリートたちが集う、王宮騎士団への最短ルート。
私には天地がひっくり返っても縁のない、別世界の住人たちのリストだ。
「ね、念のためだよ。念のため。見落としがないか確認するだけ……」
私は震える指で、Aクラスの名簿をなぞった。
「1組……ないよね。2組……あるわけない」
そして、最後の『Aクラス3組』の列。
カトレア・サントノレ。
ヒヨリ・オランジェット。
マリア・エクレア。
クロエ・シフォン……。
錚々たる名門のエリートたちの名前がズラリと並ぶ中。
その、一番下の行に。
『ミコト・ティラミス』
「………………………………………………ん?」
私は、ピタリと動きを止めた。
指先が、その十文字の名前の上で硬直している。
「ミコト・ティラミス……さん?」
私は首を傾げた。
同姓同名の別人さんかな?世の中には奇跡的な確率で、苗字も名前も全く同じ人がいるっていうし。
きっと、別の立派な武門のティラミス家が存在していて、その同姓同名の超絶エリートのミコトさんがAクラスに入ったんだな。
ウンウン。
私は、両手でゴシゴシと目を擦り、顔を掲示板にギリギリまで近づけて、もう一度その文字を凝視した。
『ミコト・ティラミス』
どう見ても、私の名前だった。
「あ、Aクラス3組かー。へぇー…………って、えええええええええええええぇぇぇっ!!??」
私の鼓膜を破らんばかりの絶叫が、エントランスホールに木霊した。
心臓がバクンッと跳ね上がり、全身の毛穴という毛穴から冷や汗が噴き出す。
「なっ、なんでAクラスなの私!? 手違い!? 絶対手違いだよね!?」
天地がひっくり返っても、太陽が西から昇っても、私がAクラスになれるわけがない。
実技試験では一合も打ち合わずに「もうダメェ」と座り込んだのだ。
あれで最高評価のAクラスなら、この学校の評価基準は「いかに早く諦めて座り込むか」という謎の耐久レースになってしまう。
「こ、これは大変なことになった……!
このまま間違えてAクラスなんかに通い続けたら、授業についていけずに一秒で命を落とす!
それに、後から『お前なんかAクラスのわけないだろうがこの不正野郎!』ってバレたら、それこそ切腹ものだ!」
パニック状態に陥った私は、とにかく急いでこの致命的な手違いを報告しなければと決意した。
「きっと事務の人の書き間違いだ! とりあえず、Aクラスの担任の先生のところへ行って、『これ手違いですよね、私の本当のクラス(Gクラス)はどこですか』って聞こう!」
私はエントランスの案内図を睨みつけ、Aクラスの教室がある『第一校舎・特別棟』の場所を頭に叩き込むと、再び全速力で駆け出した。
時刻は、七時五十分。 授業開始まで、あと十分しかない。




