初日から遅刻
夜の学生寮『白百合の館』。
両手に抱えきれないほどの食糧(という名のお土産)を胸に、私はこっそりと二一四号室のドアを開けた。
「ただいま戻りました……」
小声で言いながら部屋に入ると、カトレアさんはすでに寝間着に着替え、ベッドの上で優雅に本を読んでいた。
窓辺に置かれた魔石のランプが、彼女の美しい氷蒼の髪を柔らかく照らし出している。
私の抱える巨大な紙袋に一瞥をくれたものの、彼女は特に何も言及してこなかった。(おそらく、何かを持ち帰ってきたのだろう、くらいに思ってスルーしてくれたのだと思う。優しい)。
「おかえりなさい、ミコト。歓迎会はどうだった?」
「え、ええと……色んな意味で、すごく刺激的でした。お腹もいっぱいです」
(主に、決闘の申し込みとか、決闘の申し込みとか、あと決闘の申し込みとかで)
私が曖昧な笑みを浮かべて荷物をクローゼットの奥(カトレアさんから見えない位置)に隠すと、カトレアさんは本に栞を挟み、パタンと閉じた。
「そう。明日は七時にクラス発表、そして八時からいよいよ第一時限目の授業が始まるわね。
私は明日の朝、五時から鍛錬場で朝練をして、そのまま直接学校の校舎へ向かうつもりよ」
「ご、五時!? そんなに早くからですか?」
「ええ。サントノレ家の者として、一日の鍛錬を怠るわけにはいかないもの。
だから、明日の朝は私のことは気にせず、自分のペースで準備をしてちょうだい」
そう言うと、カトレアさんはランプの火を落とし、静かにベッドへと横になった。
(すごいなぁ、カトレアさん……。天才って言われてるのに、誰よりも努力してるんだ。そりゃあ強いわけだよね)
私は心の中でひっそりと彼女への尊敬の念を抱きつつ、自分も急いで夜の準備を済ませることにした。
シャワーを浴びて、明日の制服をハンガーに掛け、鞄の中に筆記用具を詰める。
うん、明日の準備は完璧だ!
「あ、そうだ。先生が『冊子を読んでおけ』って言ってたっけ」
私はトランクの底から、入学式の朝に押し付けられた分厚い紙の束――『王立騎士学校・新入生の手引き』と表紙に書かれた冊子を引っ張り出した。
ベッドに寝転がり、魔石ランプの明かりを頼りにページをめくる。
特に、あの『白い布』みたいな、知らないと命に関わるトンデモルールがないか確認しておかなければ。
「ええと……第1ページ。『理念と、騎士としての誉れについて』……ふむふむ。我が校は初代国王のなんちゃらかんちゃらで、武の精神を尊び……」
活字がびっしりと並んだページ。
難しい文字と、回りくどい言い回し。
「……第2ページ。『学内施設の利用規定および、注意事項』……うーん、文字が、小さくて……」
二ページ目に入ったあたりで、私の視界が急激にぼやけ始めた。
あれ、なんだろう。この冊子、強力な睡眠魔法の術式でも組み込まれているのかな?
活字がゲシュタルト崩壊を起こし、まるで子守唄のように脳を揺さぶってくる。
今日一日の尋常ではない疲労(実技試験の恐怖、決闘の恐怖、そして暴食)が、ここに来て一気に全身へと押し寄せてきていた。
「……第3ペー、ジ……『決闘に、関する……』…………むにゃ」
そして、三ページ目に差し掛かった瞬間、私の意識は、完全に深い深い闇の底へとブラックアウトした。
(結局、一番大事なルールを一行も読まないまま、私は爆睡の海へと沈んでいったのだった)
♦︎
――ちゅんちゅん、ちゅんちゅん。
小鳥のさえずりが聞こえる。 まぶたの裏に、暖かく明るい光を感じた。
「んんっ……ふぁぁぁぁ……」
私は気持ちよく背伸びをして、ゆっくりと目を開けた。
窓のカーテンの隙間から、さんさんと眩しい太陽の光が差し込んでいる。
カトレアさんのベッドはすでにもぬけの殻で、綺麗にシーツが整えられていた。
宣言通り、五時から朝練に行っているのだろう。
「よく寝たぁ……。実家の硬いベッドと違って、ふかふかで最高だなぁ……」
私はぼんやりと天井を見つめながら、寝起きの余韻に浸った。
今日からいよいよ、学校での授業が始まるのだ。
私は体を起こし、サイドテーブルに置かれた目覚まし時計(魔導仕掛けの時計)へと視線を向けた。
時計の針は、真っ直ぐに【7:00】を指していた。
「……ん?」
私は目を瞬かせた。
七時。 あれー、私、目覚まし時計のセットを六時にしたはずなんだけどなぁ。
なんで鳴らなかったんだろう?(※寝相が悪くて自分で無意識に止めただけである)。
私は両手でゴシゴシと目を擦り、もう一度時計を見た。 やっぱり、七時ぴったりだった。
「七時……七時って、何の時間だっけ……?」
寝起きのポンコツな脳みそで、必死に記憶をたどる。 昨日の夜、先生が講堂で何か言っていたような……。
『明日のクラス発表の張り出しは、午前七時、本校舎のエントランスホールにて行う』
『七時までには、各自登校の準備を済ませておくように。遅刻は厳禁だ!』
「………………」
私の脳内で、絶望のカウントダウンを告げる銅鑼の音が、ガァァァァンッ!!と鳴り響いた。
「はっ……!? えっ、夢!? これは夢!?
もしかして夜の七時とか!?
いやいや、外めっちゃ明るいし太陽昇ってるし!!」
数秒間の現実逃避を経て、私はベッドから跳ね起きた。
「ヤバいヤバいヤバいヤバい!! 初日から大遅刻ダァァァァァァッ!!!!」
私の絶叫が、静かな朝の二一四号室に響き渡った。
クラス発表が七時。
そして、ホームルームと一時間目の開始が八時。
学生寮から本校舎までは、普通に歩けば三十分近くかかる距離だ。
今から準備をして向かっても、クラスを確認して教室に入る頃にはギリギリか、最悪の場合、一時間目の授業に食い込んでしまう!
「どうしようどうしよう!! 遅刻したら退学!? それともグラウンド百周!? どっちにしても死ぬ!!」
私はパニックになりながら、マッハの速度でパジャマを脱ぎ捨て、ハンガーに掛けてあった真新しい制服へと手足を通した。
ボタンを掛け違えそうになるのを必死に堪え、ネクタイを適当に結ぶ。
鏡を見ると、そこには見事なまでの鳥の巣状態、爆発した銀髪の私がいた。
「髪! 髪直す時間なんてない!
化粧!? そんなのしてる暇ない!
マスクして顔半分隠して誤魔化すしかない!
……って、この世界にマスクなんて便利なもの無かったぁぁっ!」
私は半泣きになりながら、寝癖のついた髪を両手で無理やり押さえつけ、鞄をひったくるようにして部屋を飛び出した。




