新入生歓迎会にて その4
新入生歓迎会も、いよいよ終盤に差し掛かろうとしていた。
大食堂のあちこちで上級生と新入生が歓談し、あるいは同じ新入生同士でこれからの学園生活について熱く語り合っている。
そこには華やかで熱気のある社交の場が広がっていた。
そんな中、壁際の一角に陣取った私の周囲だけ、どんよりとした暗雲が立ち込めているような気がした。
「はぐっ、むぐむぐ……んぐっ、これ、すっごく美味しい……ひぐっ」
私は大粒の涙をボロボロとこぼしながら、両手に持った皿から次々と食べ物を口へと運んでいた。
先ほどの『決闘申し込み(勘違い受諾)』のショックは、私の心に回復不能なほどの特大ダメージを与えていた。
二年生の先輩との、正当な果し合い。
それはつまり、木刀で完膚なきまでに叩きのめされる未来が確定したということだ。
(あぁ……私、明日か明後日には、きっと全身打撲で病院のベッドの上なんだ……。痛いよぉ、怖いよぉ……っ)
絶望感で胸がいっぱいになり、食欲なんて全く湧かない……はずだった。
しかし、現実の私は、涙で視界を滲ませながらも、周囲が引くほどの凄まじいペースで料理を平らげ続けていた。
(もしかしたら、もうこんなに美味しいご飯やデザート、一生食べられないかもしれない……っ!
病院食はきっと味の薄いお粥だけだろうし、最悪、退学になって路頭に迷ったら、また黒パン生活に逆戻りだ……!)
そう、これは『食べ納め』なのだ。
これから訪れるであろう地獄の苦しみと飢えに備え、今のうちに少しでも多くのカロリーと幸福を体に蓄えておかなければならない。
そう自己正当化した私の胃袋は、悲しみと反比例するかのように限界突破を果たしていた。
「このイチゴのタルトも! あっちのクリームシチューも! 全部、全部今のうちに食べておかないと……っ!」
半泣きになりながら、しかし手元は一切の狂いなく正確に料理を皿に取り分ける私を見て、少し離れたところにいたマリアが「あの子、ショックでとうとうおかしくなっちゃったのかしら……」と心配そうに呟いているのが見えたが、今の私に彼女を安心させる余裕はなかった。
やがて、狂ったように食べ続けた私の胃袋も、ついに物理的な限界を迎えようとしていた。
「うぅ……っ、く、苦しい……」
お腹がパンパンに膨れ上がり、制服のスカートのホックがはち切れそうだ。
しかし長テーブルの上には、まだまだ手をつけていない魅惑の料理や色鮮やかなデザートの山が残っている。
このまま残して帰るなんて、もったいなすぎる。
食い意地が張っていると言われようが、明日からの過酷な運命を思えば、少しでも食糧を確保しておきたい。
(そうだ! これ、持ち帰れないかな?)
天才的な閃きだった。
実家にいた頃、厨房の裏口からこっそりと余り物をもらっていた私からすれば、「残った食べ物は持ち帰る」というのは至極当然の生存戦略である。
しかし、勝手に持ち帰って後で「泥棒!」と怒られるのは怖い。
誰か、許可を出してくれそうな学校関係者に聞いてみよう。
私はキョロキョロと周囲を見渡した。
すると、大食堂の入り口付近に、腕を組んで静かに壁にもたれかかっている一人の大人の女性の姿があった。
生徒たちとは違う、カッチリとした純白の軍服のような装い。
プラチナブロンドの長い髪を後ろで一つにまとめ、鋭く涼しげな瞳で会場全体を見渡している。
凛とした立ち姿からは、厳格さと、どこか近寄りがたいオーラが漂っていたが、その分、「この人に許可をもらえば間違いない」と思わせるような絶対的な権威も感じられた。
(あの制服……きっと偉い先生だ! 優しそうではないけど、事情を話せばきっとわかってくれるはず!)
私は、パンパンに膨れたお腹をさすりながら、小走りでその女性の元へと向かった。
「あのぉ、すいません、先生!」
私が声をかけると、その女性はピクリと眉を動かし、視線を私へと向けた。
間近で見ると、さらに息を呑むような美しさと威圧感があった。
その鋭い眼光に見つめられただけで、蛇に睨まれた蛙のように足がすくんでしまいそうになる。
「……なんだ、貴様は」
低く、しかしよく通る冷ややかな声。
私はビクッとしつつも、背に腹は代えられないとばかりに、両手をモジモジとさせながら本題を切り出した。
「えっと、その……あそこに残っているお料理なんですけど、もし捨てるくらいなら、あとで包んで持って帰ってもいいですか……?」
「…………は?」
女性の顔に、明確な『困惑』が浮かんだ。
彼女は数秒間、沈黙したまま私をじっと見つめ、そして心の中で深い疑問符を浮かべていた。
(なんだ? この娘は。……私を、この会場の給仕か何かと勘違いしているのか?)
彼女の纏う純白の軍服には、数々の武功を示す勲章が輝いている。
見る者が見れば、一目でその身分が只者ではないことがわかるはずだ。
しかし、その手の教養を一切受けてこなかった私には、それが「なんか偉い先生のバッジ」くらいにしか見えていなかったのだ。
「いやぁ……その、私、もしかしたらこんなに豪華で美味しいもの、もう二度と食べられないかもしれないので……えへへ」
私は照れ隠しに頭を掻きながら、切実な思いを吐露した。
明日以降の決闘の恐怖と、退学へのカウントダウンが脳裏をよぎり、私の笑顔はひどく引きつった、それは哀愁漂うものになっていたに違いない。
その私の言葉と表情を見て、女性はフッと小さく息を吐いた。
(……なるほど、察した。平民の出の特待生か何かだな。
日頃から貧しい暮らしをしており、このような豪奢な食事に飢えているのだろう。
それに、学園の教師どころか、軍の人間である私の顔を知らないというのも、平民の子供であれば、まぁ仕方ないか)
彼女は私を完全に『苦労人の平民』だと勘違いしたらしい。
その瞳から先ほどの厳しい光が少しだけ和らぎ、哀れむような、呆れたような色が混じった。
「……おい、そこの」
女性が軽く顎をしゃくると、近くで控えていた大食堂の給仕の男性が、弾かれたように飛んできた。
「は、はいっ! なんでしょう、……え?せ、セシリア様!?」
給仕の男性は、女性の顔を見るなり顔面を蒼白にし、ガクガクと震えながら深く頭を下げた。
その尋常ではない怯え方に私は少し驚いたが、女性は全く気にする風でもなく淡々と指示を出した。
「そこら辺のテーブルに余っている肉や焼き菓子を、適当に見繕ってその娘に包んでやれ。日持ちのするものがいいだろう」
「えっ!? あ、は、はいっ! 直ちに! すぐにご用意いたしますっ!!」
給仕は脱兎のごとく駆け出し、凄まじい勢いで料理を折箱に詰め始めた。
「セシリア様!? まさか本日は、この歓迎会に来ていらっしゃったのですか!?」
給仕が遠くから叫ぶように尋ねると、セシリアは面倒くさそうに片手を上げた。
「いや、シルバ校長に少し挨拶にな。立ち寄っただけだ。それよりも、その娘の件、頼んだぞ」
「ははっ!!」
(わぁい! 許可もらえた! やっぱり先生だったんだ!) 私は心の中でガッツポーズをした。
セシリアは再び私の方へと視線を戻し、少しだけ興味深そうに目を細めた。
「娘、名をなんと言う?」
「あ、私はミコト・ティラミスと言います! 先生、本当にありがとうございます!」
私が元気よく名乗って深く頭を下げた瞬間。
セシリアの動きが、ピタリと止まった。
(ティラミス……? なんだと?)
彼女の冷ややかな瞳の奥で、驚きと、そして明らかな『落胆』の感情が渦巻いたのを、私は全く気付いていなかった。
(あのティラミス家。王家直属の騎士を代々輩出する、あの石頭の当主の家の者か。
平民どころか、ゴリゴリの武門の出ではないか)
セシリアは、改めて私の全身を上から下まで、舐め回すように観察した。
(しかし……なんだ、この隙だらけの姿は。重心は全く安定しておらず、筋肉の付き方も薄い。何より、眼に一切の覇気も、戦士としての覚悟も見られない。ただの食い意地の張った小娘そのものだ)
彼女の目が、失望の色に染まっていく。
(今年はサントノレ家、オランジェット家など、名門から粒揃いの新入生が集まったと聞いて少し期待して見に来たというのに。
……こいつは、完全な『期待外れ』だな。当主の顔に泥を塗るだけの存在だ)
セシリアは心の中で深くため息をついた。
これ以上、この情けない武門の娘に関わるのは時間の無駄だと判断したようだった。
もちろん、彼女は騎士学校の先生ではない。
彼女の名は、セシリア・シュトーレン。
王国軍の中将であり、『白き彗星』の二つ名で他国から恐れられる、国軍トップクラスの実力者であった。
騎士学校の卒業生の中には、騎士団ではなく軍部へと進む者も多く、彼女はその視察と、旧知の仲であるシルバ校長への挨拶のために偶然この場を訪れていただけであった。
そんな雲の上の存在、大物であることなど露知らず。
私は、給仕の人が汗だくになって持ってきた、パンパンに膨れ上がった巨大な紙袋を受け取り、満面の笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます! えっと……」
「セシリアだ」
「セシリア先生ですね! 本当にありがとうございました! これ、大切に食べます!」
私は紙袋を大事そうに胸に抱え込み、セシリアに向かってペコペコとお辞儀をしてから、ホクホク顔でその場を立ち去った。
私の後ろ姿を見送りながら、セシリアは小さく呟いた。
「……先生じゃないんだけどな。まぁ、良い」
彼女は呆れ半分に肩をすくめると、近くを通りかかった本物の教師を呼び止めた。
「おい。シルバ校長はどこにいる?」
「ひぃっ! せ、セシリア中将閣下! こ、校長でしたら、今は執務室の方にいらっしゃるかと……!」
「そうか。分かった」
教師が最敬礼で見送る中、セシリアは純白の外套を翻し、執務室へと向かって堂々たる足取りで歩き去っていった。
こうして、私は全く自覚のないまま、国軍のトップに「隙だらけの期待外れ」という(ある意味正当な)烙印を押されるという、とんでもないイベントを一つやり過ごしていたのだった。




