新入生歓迎会にて その1
夜。
王立騎士学校の広大な敷地の中央に位置する大講堂は、昼間の厳格な入学式の空気が嘘のように、きらびやかな祝祭の場へと姿を変えていた。
「うわぁ……すごい……!」
講堂の重厚な扉を潜った瞬間、私は思わず感嘆の声を漏らした。
天井から吊るされた巨大な魔石のシャンデリアが、眩いほどの光で会場全体を照らし出している。
壁沿いには、見たこともないほど豪奢な長テーブルが何十台も並べられ、その上には山のようなご馳走が所狭しと並べられていた。
香ばしく焼き上げられた巨大な肉の塊、色とりどりの新鮮なフルーツが盛られたタワー、宝石のようにキラキラと輝く繊細なスイーツの数々。
湯気と共に漂ってくる極上の香りが、私の空っぽの胃袋を強烈に刺激した。
「すごいでしょ? これが生徒会主催の新入生歓迎会よ。上級生の方々もたくさんいらしてるわ」
隣を歩くマリアが、少し緊張した面持ちで周囲を見渡しながら教えてくれた。
彼女の言う通り、会場内には私たち新入生だけでなく、制服の襟元に上級生を示す意匠をつけた生徒たちが大勢歓談していた。
彼ら、彼女らが纏う空気は、新入生たちのそれとは明らかに違っていた。
ただ立っているだけでビリビリと肌を刺すような『強者』のオーラ。
二年、三年と厳しい鍛錬を生き抜いてきた彼らの肉体は洗練され、隙というものが全く見当たらない。
時折すれ違うだけで、凄まじい威圧感に足がすくみそうになる。
(こ、怖い……。やっぱり、私なんかが居ていい場所じゃないよ……)
そう思って萎縮しそうになる私だったが、しかし、その恐怖を凌駕するほどに、目の前に広がる『食の暴力』の魅力は凄まじかった。
(あのお肉、絶対に美味しいやつだ……! こっちのフルーツも、見たことないくらいツヤツヤしてる……!け、けけけ、ケーキもある!)
周囲のピリピリとした社交的交流や、上級生への挨拶回りなど、もはや私の頭からは完全に抜け落ちていた。
私の視線は、ただひたすらにテーブルの上の食べ物へと注がれ、口の中には早くも大量の唾液が分泌され始めていた。
その時だった。
『――新入生の諸君、並びに在校生の諸君。本日は集まってくれて感謝する』
会場の前方に設けられた壇上から、凛とした、それでいてよく通る美しい声が響き渡った。
その声に反応し、ざわめいていた数百人の生徒たちが、まるで魔法をかけられたように一瞬で静まり返る。
私も慌てて視線を壇上へと向けると、そこには一人の女子生徒が立っていた。
夜の闇を切り取ったような、艶やかな黒髪のロングヘアー。
純白の生徒会指定の外套を羽織り、その立ち姿は一本の剣のように真っ直ぐで、揺るぎない。
彼女がそこにいるだけで、会場の空気が引き締まり、誰もが彼女の存在感に圧倒されていた。
「あれが、生徒会長のアイリス・オランジェット先輩よ。……『次期剣聖』に最も近いと言われている、この学園の最高戦力のお一人だわ」
マリアが、畏敬の念を込めた小さな声で私に耳打ちした。
(オランジェット……?)
私は首を傾げた。 どこかで聞いたような名前だ。
確か、今日の昼間にマリアさんが戦った、あの凄まじい剣の使い手の女の子がそんな名前だったような……。
しかし、私の思考はそこから先へは進まなかった。
(そんなことより、あそこにある黄金色に輝くローストチキン、誰かに取られちゃわないかな……。早くお話、終わらないかなぁ)
私の意識はすでに、生徒会長のありがたい演説よりも、テーブルの上のチキンの残数管理へと完全に移行していた。
♦︎
『新入生の諸君、王立騎士学校へようこそ。私は生徒会長を務める、アイリス・オランジェットだ』
アイリス先輩の言葉は、静かながらも熱を帯びていた。
『今日の実技試験を終え、己の力の未熟さを痛感した者、あるいは新たな目標を見つけた者、様々だろう。
この学園での三年間は、決して平坦な道のりではない。
時には己の才能に絶望し、立ち止まりたくなる日も来るはずだ。不安に押しつぶされそうになることもあるだろう』
彼女の視線が、新入生たち一人一人を包み込むように優しく向けられる。
『だが、恐れることはない。諸君の周りには、共に高みを目指す同期の仲間たちがいる。
そして、我々上級生や、導き手となる教師陣がいる。辛い時は、我々を頼ってほしい。
共に手を取り、血の滲むような研鑽を重ね、国を護る立派な騎士となれるよう、お互いに切磋琢磨していこうではないか』
アイリス先輩が右手を胸に当て、深く一礼する。
『諸君らのこれからの三年間に、大いなる武運があらんことを。
――本日は、存分に英気を養ってほしい。歓迎会を、始めよう!』
ワァァァァァッ!! という、割れんばかりの拍手と歓声が講堂に響き渡った。
誰もが彼女のカリスマ性に魅了され、目を輝かせている。まさに、完璧な生徒会長の完璧な演説だった。
【ヒヨリ Side】
歓声に包まれる講堂の壁際で、ヒヨリ・オランジェットは一人、腕を組んで壇上の姉――アイリス・オランジェットを見つめていた。
(……見事な演説だわ。姉様)
新入生はおろか、歴戦の上級生たちすらも惹きつける圧倒的なカリスマ。
揺るぎない実力、非の打ち所がない美貌。
アイリス・オランジェットは、間違いなくオランジェット家の最高傑作であり、一族の誇りだった。
頭では、分かっている。
アイリス姉様は悪くない。彼女はただ、一族の期待を背負い、誰よりも純粋に剣の道を究めようとしているだけだということを。
だが、それでも。ヒヨリの胸の奥底には、ドロドロとした黒い感情が渦巻いていた。
ギュッと握りしめた拳の爪が、手のひらに食い込んで白くなる。
(オランジェット家が……父上が、見殺しにしたんだ……)
ヒヨリの脳裏に、優しく微笑む一人の老人の顔が浮かび上がった。
かつて『剣聖』と呼ばれ、国中から尊敬を集めていた伝説の剣客、シルビア・ベニエ。
幼い頃から姉妹を孫のように可愛がり、二人に剣の楽しさを教えてくれた、大好きなおじいちゃんだった。
しかし、数年前。 ある国境防衛の任務において、オランジェット家の当主である父は、自らの部隊の被害を抑え、かつ自身の武功を上げるために、当時すでに一線を退いていたシルビアを囮として使い、見殺しにしたのだ。
そしてあろうことか、任務の失敗の責任の一端を、死したシルビアに擦り付けすらした。
『前剣聖は老いぼれ、無謀な突撃の末に散った。
我々オランジェット家がそれを尻拭いしたのだ』と。
その真実を知っているのは、ごく一部の人間だけ。
姉のアイリスは、父の言葉を信じ切っている。
オランジェット家こそが正義であり、絶対だと。
(許せない。父上も、見て見ぬふりをする大人たちも)
ヒヨリは、自身の腰に提げた木刀を強く握りしめた。
姉を憎むつもりはない。
だが、このオランジェット家の偽りの名声の下で、のうのうと生きる気など毛頭なかった。
(私が証明するんだ。オランジェットの剣などではなく、私自身の力で頂点に立ち……おじいちゃん、前剣聖シルビア・ベニエの無実と名誉を、必ず取り戻してみせる……!)
ヒヨリの黒曜石のような瞳に、暗く、激しい決意の炎が燃え上がった。
周囲の華やかな祝祭の空気から完全に切り離されたように、彼女は一人、静かに闘志を研ぎ澄ませていた。




